小説『戦国御伽草子』
作者:50まい()

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小さく揺れる輿(こし)の中。あたしは懐から、小さな守り袋を取り出した。



さて、一体これは何なのか。



あたしは権六から、発に届け物を頼まれた。この、守り袋、たったこれだけを届けるのなんて、別にあたしじゃなくてもいいだろうに。



やっぱり、きな臭い。権六も、発も、何か臭うわね。



そっと袋を開くと、中には白い粉が詰まっていた。



見るからにあやしい。何よ、この粉。



ま、大体予想はつくけどね。



織田家の現状と柴田の動向を見れば、バカでも大体の察しはつく。



織田家の現主が織田平脈(おだひらみゃく)様。子が全部で4人。その中で、一番有力とされ、「若殿」と呼ばれているのが発の夫の第三子、宗平(むねひら)様。



なぜ、跡目を継ぐのが長男ではなく第三子なのか。



まず、長男は母の身分が悪い。諸子(しょし)の子だ。だから鼻にもかけられなかった。



次男。母が京の貴族で、身分はいいのだけれど、後ろ盾がない。長男と次男の名前は覚えてないわ。長らく表舞台に出てきていないもの。



三男。宗平様。この人は母が平脈様の正室。後見は佐々(さっさ)家。おまけに宗平様本人が頭脳明晰容姿端麗という全てが完璧なヒト。ま、この人が若殿となるのも頷けるわね。



そして、最後。四男の正良(まさら)様。後見人は柴田家。母は残念ながら側室だけれど、まさに柴田家から出た人だから、身分が悪いわけじゃない。もしも、宗平様がいなかったのであれば、間違いなく正良様が若君となっていたのであろうが、ま、運が悪かったとしか言いようがないわね。正良様が悪いんじゃない。宗平様が突出しているだけなのだ。



柴田、柴田権六道重(しばたごんろくみちしげ)は、柴田家当主で大本山ともいえる人物。しぶとく、狡猾(こうかつ)であり黒い噂もしばしばあるものの尻尾はなかなか掴ませない、らしい。



正良様の後見についている柴田。柴田にとって、宗平様は目の上のタンコブのはずだ。その柴田が、敵ともいえるところにわざわざ娘を嫁に出したのはなぜなのか。



服従の意味ではないだろう。



守り袋の中の白い粉と、宗平様の妻である発。



この粉は九割方何かしらの毒と見て間違いないと思う。いつどのようにして発が若殿に飲ませるのかはわからないけど、妻だもの、隙ぐらいきっとたくさんあるはず。



問題は、あたしが今これを握っているってことなのよ。



そのまま素直に渡せば、いずれ若殿は殺されてしまう。だからと言って渡さなければ、その場で発に見咎められるだろうし、ヘタをすればお手討ものだ。疑われたら困ると思って、懐刀(かいとう)なんて持ってきてないもの。持ってたとしても大刀にはリーチ的に敵わないし、それを補う速さなんてないし。



もし、今。あたしがこの粉を持って天地城に駆け込んだとする。でも当然柴田はしらばっくれるわよね。「この女は頭がおかしいのでしょう」とかって。あたしは孤児ってことになってるし、柴田家にきたのも誰にも言ってない。もみ消されて終わり。



それじゃあ意味がないわ。若殿に「発があなたのお命を狙っています」って言ったって、確たる証拠もないし、若殿があたしを信じてくれるかもわからない。侮辱された、って柴田家が前田に戦を仕掛けてくるかもしれない。



・・・・どうしよう。



とりあえず、この粉をどうにかしなきゃ。中身を入れ替えるとか…ああでもなにもかわりになるもの持ってないわ!



突然、ガタンと輿が揺れて、止まった。



あたしはさっと青くなった。…ついたんだ。まずい!



「侍女殿、つきましたぜ」



へへへ、と下品な笑い声と共に簾(すだれ)が上がる。



「あ、あの、私、ちょっと酔ってしまいましたの。申し訳ありませんが、すこぅし、待っていただけないでしょうか」



「いやぁ、それはいけないですぜ、侍女殿。休むにしても、渡すもん渡してからでなけりゃあ」



そういって、男はあたしの腕を掴むと、無理矢理輿の外に引きずり出した。



地面にひざをついたあたしを、これまたガラの悪そうな男が数人で取り囲む。



「侍女殿。こちらですぜ」



…逃げられない。



もう、行くしかない。あたしは腹をくくって、発のところまで、いった。



いつになく不機嫌そうな発に口上を述べる前に「袋は」と聞かれて、あたしはとまどった。



渡そうか、渡すまいか。



けれど縁には、あたしを引き連れてきた男がいる。中の様子を伺っている。だめだ。きっと今渡さなければ、あたしの身が危ない。



重ねて問われて、あたしは懐(ふところ)から守り袋を出した。



発の手に、それを乗せた。



ああ〜…。



「連れて行け」



発があたしを指差す。



は?と思ううちに、あたしはいつの間にか後ろから、羽交い絞めにされていた。



発がいた部屋から、出される。そのままずるずると引きずっていかれる。抵抗もしてみたが全く焼け石に水だ。



何!?あたしこれから、何処に連れて行かれるのよーっ!



まさかとは思うけど、このまま、殺されちゃったりとか、はは…。



……………。



ヤダーーーーーっ!まだ死にたくないーーーーっ!



「離しなさいよっ、このおっ!」



あたしはおもいっきし男の腕に噛み付いてやった。



あんぎゃああ、と男は情けない悲鳴を上げる。あたしはその隙に逃げ出した。



結局こうなるんだったら、迷わずあの袋捨てておけばよかったわよ!



屋敷の、かなり奥まで連れて来られたらしい。とにかく走る。



男がついてきたかと後ろをちらりと見て、あたしはすぐさま見たことを後悔した。



きらりと光るものが一瞬、見えた。それは間違いなく、刀。



「こンのアマぁ!」



ブン、と腕を振る音が聞こえた。あたしは咄嗟に頭を下げた。すれすれのところを、刀が滑る。髪がごっそりと切れて散った。



な、っ…なんなのよ、もう!



震える体を叱咤して走る。



ブゥン、ブンと音が鳴る。男がどうやら、手当たり次第に刀を振るっているらしい。あたしはそれを我武者羅(がむしゃら)によける。髪が切れ、肌が裂けた。腕が悪いくせに刀の切れ味がいいってどういうこと!?



やだ…!死んじゃうのかも…。



気がつけば、もうすぐ正門だった。運がいいことに、開いている。



急ごうとして、あたしの足が縺れた。しまったと思ったときにはもう遅い。あたしは走っている勢いのまま、大きく転倒していた。頬を地面でする。痛みはあんまり感じなかった。早く逃げなきゃと思うほど焦って、足が動かない。



不意に、髪の毛を鷲掴みにされた。頭の皮が剥ぎ取られるんじゃないかというくらい強く引かれて、仰向けにされる。



あんまり痛くて、涙が滲む。



「手間、かけさせやがって…。死んだら、可愛がってやるからなぁ」



視界の端で凶暴な光が滲んだ。それは果たして男のぎらぎらとした目か、刀か。



あたしは思わず目を瞑った。もう、だめー…。



「……っいさんっ!!」



いきなり髪を掴む手が外れた。いや、手は外れなかった。手が、男の体から、外れた。



ぶらん、とあたしの髪に下がっている、手。



「………………っ!」



喉の奥で凍って、悲鳴さえ出やしない。



男は情けなく絶叫しながら、無様にのた打ち回っている。



「ごめん。髪、切るよ」



誰かがそういって、頭が軽くなった。あたしはかくんと前にのめる。



た、助かった、の…?



いやでもまだわからない。



でも気がぬけて、そのまま地面に倒れこみそうになった。それを、誰かが支えてくれた。



きっと、あたしを助けてくれた人だ。でも、助けたんじゃないかもしれない。これからまた、何処かへ連れて行く気かもしれない。この屋敷で、味方がいるなんて信じられなかった。



「立って。歩ける?とりあえず、こっちにきて。ここじゃまずいから」



ほぼ抱えられるようにして、あたしは歩いた。



「あたしをどうするつもりよ…」



さっき死にかけたからか、声に覇気がなかったが、そんなことにはかまっていられない。どうせ死ぬんなら、何もかもをはっきりさせてから死にたい。



人がいなさそうなところまで歩かされた。



…。人気のない場所。



「……あたしなんて抱いてもしょうがないわよ」



「瑠螺蔚(るらい)さん、僕だ」



「…!?」



一瞬間が空いて、あたしは慌てて男を見上げた。



「嘘、高彬っ…!?」



どうして声で気づかなかったんだろう。でも高彬がまさかいるわけはないと思っていたから…。



高彬は今まで見たことがないような怖い顔であたしを見ていた。



「な、なんでこんなところに…。ゆ、夢かしら」



「出来るなら夢であって欲しいね。僕こそ、何で瑠螺蔚さんがこんなところにいるのか聞かせて欲しいくらいだ。一体何があって、あんなことに、いや、とりあえずちょっと待ってて」



高彬が離れようとしたから、あたしは咄嗟に高彬の腕を掴んだ。



「い、いや!高彬っ、離れないで!」



またいつあんな目にあうかもわからない。さっきの逃亡劇でもう肉体的にも精神的にもぼろぼろだ。



「…。わかった。一緒に行こう」



高彬は、あたしの全身をざっと見て、眉をしかめた。それから、あたしの肩を抱く。



「輿には先に行ってもらったけど、きっと昌人(まさと)たちは待ってる」



何の話かわからなかったけれど、とりあえずあたしは頷いた。



「後でゆっくり話してもらうけど、僕は瑠螺蔚さんが軽い旅に出ているって俊成(としなり)殿から聞いてたんだ。本当に心配だったけれど、すぐ帰ってくるって聞いていたし、旅は一人でないとも聞いた。なのになぜか柴田どのの家にいて、あんな…。これは俊成殿も一枚噛んでいると思っていいの?」



高彬が感情の篭らない声で淡々と責める。



「…兄上は関係ないわ」



「…ふうん」



高彬の手に篭る力が心なしか強くなった。



「あんたは、どうしてこんなところにいるの?」



「いや…若殿、って言っても瑠螺蔚さんは知らないだろうけど、柴田家の側室が今日天地城で若殿と朝餉をお食べになるんだ。時間的にはちょっと遅いけど。僕はその警護できたんだよ。…瑠螺蔚さん?」



「た、高彬。あんた、さっき、輿がどうとか、っていってたわね…」



「輿?送っていこうとした矢先に瑠螺蔚さんが切られそうになっているのが見えて、とりあえず僕以外の人は皆先に行かせて…瑠螺蔚さん?大丈夫?くちびる真っ青だよ。僕がそばにいる限り、もうあんな目にはあわせないから…」



「あんた、乗ってきたのは馬!?」



「え!?うん」



「いい、あたしが今から言うことを信じてね!」



あたしは言う時間ももどかしく、高彬の腕を引っ張って走り出した。



「馬は何処!?」



「こっちだ」



高彬も徒事(ただごと)ではないと察したのか、顔が真剣になる。



「その側室は発というのよね!?」



「しっているのか、瑠螺蔚さん」



「発は若殿を殺そうとしているのよ!」



「!」



「毒よ。多分酒にでも混ぜて飲ませるんだと思うわ。だからあんたは早く行ってそのことを知らせて!」



「わかった!」



馬のいるところに行き着くと、高彬はすぐに飛び乗った。あたしに手をさしだす。



「瑠螺蔚さん!」



「早く行って!あたしはいいわ」



高彬は周りを見渡して舌打ちする。



「だめだ!昌人たちがいない!残してはいけない!」



「行くのよ!あたしは大丈夫」



そういった途端、ぞろり、と正門から手に刀を持った男が出てくるのが見えた。



高彬もそれに気づく。



「早く!瑠螺蔚さん!」



「だめ!行って、早く!高彬っ!」



高彬が、あたしの手を捕らえた。そのまま強く引かれて、馬の上に引っ張りあげられる。



「僕に、掴まってて」



「駄目よ、下ろして!二人じゃ遅いわ、間に合わなくなってしまう」



「それでも!」



高彬が声を荒げた。



「それでも瑠螺蔚さんをここに残していくことはできないよ!」



あたしは息を呑んだ。



「あんた、自分で何いってんのかわかってんの」



若殿の命よりも、あたしの命の方が大事だと言ってしまっているも同じなのだ。



「バカじゃないの!」



高彬は唇を噛む。



「若殿は大勢の方に守られていらっしゃる。きっとご無事であらせられるはずだ。でも、瑠螺蔚さんは違う」



「ご無事のはずないじゃないの!外からむさい男が刀持って乗り込んでくるのとはワケが違うのよ!?」



まさか、妻が毒を盛るとは思っていないだろう。



「毒味もいる」



「あんたもわかっているはずよ。毒なんて、毒味の後にいれればどうとでもなるのよ!」



「若殿はこの命に代えてもお守りするつもりだ!…けど、僕は瑠螺蔚さんも大事なんだ!ここに残していったら殺されることがわかっているのに、どうして残していけるものか!」

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