小説『tomorrow』
作者:ハルカナ()

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 プロローグ:土砂降りの雨の中で



 それは、まだ二人が一人だった頃。



 突然の土砂降りだった。
「くそ、天気予報じゃ雨は降らないって話だったのに……!」
 ほんの三分前までは一面の青空だった、しかし今は灰色一色の曇天に覆い尽くされた空を睨みつけるようにして水片歩(みなかた あゆむ)は毒づいた。
 次第に強くなる雨脚を前に、歩はとりあえず手近に見えた軒先の下へと身を隠す。
「ったく、どうなってんだよ……」
 少し伸びてきた前髪をかき上げながら歩は呟く。
 季節はすでに夏の真ん中で、ここ数日の間はうだるような炎天下の日々が続いていた。
 梅雨なんてものはとっくに過ぎ去っているにもかかわらず、どういうわけかこの日の雨はやたらと冷たかった。
 半袖の薄着一枚ということもあってか、思わず身震いをしてしまうほどに。
「通り雨で終わってくれりゃあいいんだけどなぁ」
 体についた雨粒を払いながら歩は言う。
 が、そんなささやかな願いも無視して雨脚はさらに勢いを増していく。
 一分が過ぎ、二分が過ぎた頃には雨は突然のスコールのように激しさを増してしまっていた。
「おいおい、マジかよ……」
 ザァザァという雨音しか聞こえなくなってしまった世界の中で、歩はがっくりと両肩を落とした。
 どこかで傘を調達しようにも、あいにくと見える範囲の中にコンビニのような便利な店は見当たらない。
 思い切ってタクシーでも拾ってしまおうかとも考えたが、そこで財布の中が帰りの電車賃だけでいっぱいいっぱいになっていることを思い出した。
 その原因は、ショルダーバッグの中にしまってある荷物のせいだ。
 夏休み最初の一週間、日雇いのバイトで必死に働いて稼いだなけなしのバイト代でようやく購入したそれは、とてもじゃないがこんな土砂降りの雨の中にさらせるようなものではない。
 とはいえ、いつ止むかも分からない雨を前にいつまでもこんなところで雨宿りをしているのもどうかと思う。

 はてさてどうしたものかと、溜め息交じりの深い息を一つ吐き出したところで
「あれ、水片?」
 ふいに横合いから、そんな声をかけられた。
 声のした方向に首から上だけで振り返ってみると、そこにいたのは
「……日下部、か?」
 紺色の傘を差した同級生、日下部美里(くさかべ みさと)だった。
「久しぶりじゃん。ところで、そんなとこで何してるワケ?」
「いや、別に何というわけでもないんだけど。買い物帰りに、いきなり降り出しちまったからさ」
「ああ、そういうこと」
 ところどころが雨粒に濡れたままの歩を見て、美里は小さく頷いた。
「そりゃ災難だったわね。んじゃ、よかったら入る?」
「あん?」
 突然のその言葉に、歩は思わず変な声で聞き返してしまう。
「だから、傘ないんでしょ? 駅まででよけりゃ、ついでだから送るわよ?」
 そう言って美里は、手の中の傘を軽く上下に揺らした。
「マジで? そりゃ助かる」
 言いながらその傘を受け取ろうと手を伸ばした歩だったが、その手が傘の取っ手を掴むかどうかというところで、ふと美里の手が傘ごと一歩だけ遠のいた。
「へ?」
「その代わりと言っちゃ何だけどさ」
 間の抜けた声で顔を上げる歩の前に、どことなく小悪魔じみた小さな笑みを浮かべた美里の姿があった。
「ちょっと、頼まれてくんない?」
 歩は途端に嫌な予感がした。
 いっそのこと、そのまま話を聞かずに雨の中へと逃げ出してしまえばよかったかもしれない。
 土砂降りの雨に打たれるほうが、あの嫌な微笑の裏にあるものよりはいくらまマシな気がしたからだ。
 が、わずかに遅い。
「ま、こんなとこじゃなんだから。とりあえず喫茶店にでも入るとしましょうか」
「ちょ、何を」 
 美里は一方的に言うだけ言うと、今度こそ押し付けるように歩へ傘を突きつけた。
 それはもちろん、傘を持つのはお前だと言わんばかりに。
「ほら、とっとと歩く歩く。もたもたしてたら濡れちゃうでしょ」
「いや、お前……」
 話を聞けよと言うより早く、美里は歩の背中を押して歩き出す。
 仕方なく歩もそれに合わせ、決して大きくはない紺色の傘の中に隣り合わせで歩き出すことになる。
 そして、そこで思い出した。
 自分の財布の中身が、いかに危機的な状況にあるのかということを。
 たかだかコーヒー一杯分だとしても、それは例外ではない。
 どう転んでもハッピーエンドにはほど遠い結末しかなさそうだと、雨の中で歩は思った。



 そして、二人は一人ではなくなった。
 たった今、この瞬間から。

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