小説『探しモノ』
作者:もつn(もつnの砂場)

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

「何で、なんだよっ……!」
 この土砂降りの中、俺は走っていた。
 探しものを見つけるために。
 傘も差さずに全身に絡みつくような水滴が、俺の身を襲う。
 路上では、人の姿がちらほらと見受けられる。
 そんな中、全員が傘を差していた。
 道行く人たちは何事かと疑問の視線をぶつけてくるが、今そんなことを気にしている場合でもない。
『私、今日この街を離れるから』
 携帯電話の向こうから聞こえた声はとても冷たく、そして声が掠れていた。
 押し殺したように一言一言を紡ぎ出したその言葉は、心に冷たいナイフでも突き立てられたかのようだ。
『結局、私、勇気がなくて会って言えなかったの。だから、ここでお別れを言わせて』
 その時、俺はただ、彼女の言葉を聞くだけしかできなかった。
 しばし、沈黙の後、決意を内に秘めたような声が俺へ向かって放たれた。
『――さようなら』
 そして、通話が切れる。
 俺は携帯を強く握り締めながらその言葉をただ、噛み締めているだけだった。
 そして、今の状況を改めて確認する。
 全身に浴びた雨のせいで体は次第に動きが鈍くなっていく。
 もう、一歩動かすだけでも酷く億劫だ。
 雨の音が煩い。
 視線を浴びせてくる人達も嫌だ。
 でも、ここで足を止めて帰れば俺はきっと一生後悔するだろう。
 足元で水溜りが弾ける。
 更に濡れてしまったがそんなことは今、どうでもいい。
 できるだけ、彼女の所へと行きたい、ただそれだけだった。
 この街には駅はひとつ。
 彼女の両親は車を持っていないし、借りるということも考えられない。
 よって自然と俺の足は駅へと向かっていた。
 息が途切れる。
 陸上でかつては走りこんだ身としても、この悪条件は辛い。
(もうすぐ、だ!)
 駅の屋根が見えて俺はふと、笑みを浮かべた。
 見えてきた駅の時計を見ると、まだ九時五十八分。
 出発まであと、二分だ。
 まだ、間に合う。
 駅へと駆け込み、財布を探る。
 金がなかった。
「な、なんで、こんな時に……」
 絶望とはこんな状況のことを言うのだろうか。
 今の俺には一円玉が三枚しか入っていない。
 しかし、視線を戻して、駅のホームを見やった。
 そこには、彼女の姿があった。
 長い黒髪。
 華奢な体つきは触っただけで折れてしまうかのようで、頼りない。
 ワンピースにも似たピンクの洋服を着て、腰まである髪を揺らしながら、両手に持った鞄もたゆたっていた。
 俺はそこで決意。
 目的の場所はそう、遠くない。
 だから―― 
「すみませんっ!」
 小声で謝罪しながら改札を飛び越えた。
 田舎だからか、駅員は今、寝こけていてこちらに気づいてない。
 周囲には誰もいなかった。
 珍しいことで俺はいるかもわからない神に感謝する。
「――アユミっ!」
「リ、――リョウくん?」
 俺が彼女の名前を呼ぶと振り返ってくれた。
 目は泣きはらしたのか真っ赤で、頬も熱があるのか同じように赤く染まっていた。
 それと、瞳がいつも潤んでいて今すぐにでも泣き出してしまいそうだ。
 愛らしい形の唇が動いた。
「ごめんね。電話で伝えるなんて、ずるいよね……」
 顔を俯かせ、声が段々としぼんでいく。
「でも、そこまで苦しんだってことわかったよ。だから、許す」
 そうやって微笑んだ俺に、彼女は顔を上げると涙を流しながら、頬を緩める。
「だけど、これだけは言っておくよ」
「何……?」
 俺達の距離が近づく。
 そして、俺はその言葉を伝える。
「――――好きだよ」
「…………うんっ!」
 満面の笑みで俺に抱きついてきた彼女。
 その体を優しく抱きしめる。
 冷えた俺にとって彼女の暖かい温もりはとても愛おしくて、切なかった。
「もう、時間だね」
「そう、だな」
 しばらくして、残念そうに俺達は声が沈んでいく。
 そこで彼女は俺から離れて、いつの間にやら到着していた電車に乗り込む。
「でも、待っててくれるんだよね?」
「あぁ」
 振り向いてこちらを見つめた彼女へと即答する。
「うん、じゃあ私も待ってるから。また、会える日」
 その瞳が嬉しさに細められた姿は心をくずぐられたかのように恥ずかしかった。
「だな」
「じゃあね」
 手を振る彼女と俺の間に扉が閉まった。
 笑顔で手を振る彼女を見送る内に切なさが込み上げてきた。
 見送った後。
 呆然とホームに立ち尽くしていた俺の後ろに誰かが来た。
「見送りは終わったのかな?」
 先ほど寝ていた駅員だった。
 しわだらけで歳はもう、七十かそこらに見えてしまう。
「最初からわかってたんですか?」
「もちろんだとも。何年ここの駅員やっとると思うんだい? 大人をみくびっちゃあ、いかんよ」
 愛嬌のある顔でにこっと笑って、駅員は帽子を被りなおして、こちらへと背を向けた。
「あの子が帰ってくる時、この駅で待っててあげるといい。そのほうが喜ぶだろう」
 駅員は俺を咎める様子もなく、その場を去って職務へと戻っていった。
 俺の体は冷たいのに、何故だか心が暖かくなっていくのを感じるのだった。
 雨は、もうじき上がるだろう。
 もう、雨音は聞こえていない。

 追伸:お題は「雨」「探しもの」「時間」です。

-1-
Copyright ©もつn All Rights Reserved 
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える