小説『雲影の葬』
作者:雪篠(A BLANK SPACE)

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 弱ったな、と青年は溜息をついた。どうせ長い休みだからと不精で刈りに行かず、少し伸び気味の髪を右手でかき混ぜる。そのついでに少しでも気持ちを切り替えようと崩れた着物の前を軽く正す。
 林道を抜け、小高くなった丘から見下ろす目の前の景色は、あまりにのどかで穏やかなものだ。緑に茶の織り成すその静かな濃淡も、今の彼には気を滅入らせるものにしかならなかった。

 道に迷ってしまった。
 認めたくはないが、こうなるともう認めざるを得ない。

 世話になっている桜井の家から使いを頼まれ、届け物を無事届けたまではよかった。遅れたり何かあったりしてはいけないと、事細やかに指示を受け、その通りにそこへ向かったからだ。
 その後、使いに行った先の家で折角送りの者をつけようかと申し出てくれたにも関らず、休暇に入ってしまうついでで、直接桜井の家に戻る訳ではないからと断ったのがいけなかった。
 元の道を戻るのではないのだから、意地を張らず途中まで送ってもらえばよかったのだ。そうすれば馬を借りることもできたし、道に迷うこともなかったに違いない。
 子供の使いでもあるまいにと申し出を断ったというのに、その上田舎の自然が懐かしいと寄り道をして迷ったのでは子供以下だ。

 青年はもう一度溜息をつき、とりあえず足下に見える村へと下りてみることにして、緩やかな斜面へと歩を進めた。
 日の高いうちに今夜の宿を探さなくてはならなかった。

   *   *   *

 田舎の人間は親切だとはよく言われることだが、実際にはごくごく規模の小さな村などでは、余所者をひどく嫌ったりと排他的であることは少なくない。
 特にこんな山間(やまあい)の村では、滅多に外から人など来はしないのだろう、青年の姿を認めるなり戸を閉める音が聞こえてくるのは、流石に気分がよくなかった。
 青年の実家も、勿論世話になっている屋敷の辺りからすれば大層な田舎だが、それでも近くに山がない分拓けていたように思える。

「あれ?」
 村をほとんど通り抜けてしまい宿探しを諦めかけた頃、暮れかけた陽に大きな屋敷が目に入った。こんな村には似つかわしくないほどの、いや、こんな場所だからこそなのか、どっしりと構えた屋敷である。
 地主さんとかかな、と、門の前まで来て、その大きさに思わず見上げる。それにしては随分と村から離れたところにある。それに、立派だが、どことなくひっそりと沈んだ感があるのは屋敷の古さの所為だろうか。
 門に手を掛けかけた途端、不意に響いた烏の声と羽音に反射的に手が離れた。何を怯えているんだ、振り払うように大きく被りを振る。この暗さは単に陽が落ちてきたからというだけだ、そう無理矢理にでも気を取り直す。

 すみません、と声を掛けながら重い門を押し開ける。声が門の立てる音に負けそうで、二度目の声は自然大きくなった。返事のないままに内へ入ると、軋むような音で門が閉ざされる。最後の、ダンッという低く重い音に、青年は思わず振り返った。
 ――もう、ここから出られないのではないか、一瞬そんな気になったのだ。馬鹿な、ともう一度頭を振る。自分がひどく臆病になったような気がした。

 すみません、そう声を張り上げようとして止める。入ってみてわかったが、門から屋敷までは前庭を挟んで結構な距離がある。ここから声を掛けても屋敷の者には届かないのかも知れない。すぐに誰か出て来れるようにしているのなら、もうとっくに出て来ているだろう。

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