小説『雲影の葬』
作者:雪篠(A BLANK SPACE)

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 ひどい気だるさとともに礼太郎は目を覚ました。
 一日の疲れが出たのか、昨夜は自分がいつ眠りに落ちたのか記憶にないほどにすとんと寝入っていたというのに、目が覚めた後のこの倦怠感は尋常ではなかった。

「枕が変わった所為かな」
 そんな繊細な神経の持ち主とは自分でも思ってはいなかったが、やはり見知らぬ屋敷で思いがけず過ごすことになったのが少なからず影響したのだろう、数度頭を振って目を覚ましてしまうと礼太郎は外が明るくないのに気が付いた。
 ――雨戸が閉まったままなのだ。
 よくよく考えればいくらぐっすり眠っていたとはいえ、雨戸の開閉があれば流石に目も覚めただろう。気を遣ってそのままにしておいてくれたのか、と廊下へ出て雨戸に手を掛ける。

「そのままにしておいてくださいな。外はひどい天気ですから」
 昨日の女中だった。言われて耳を当てると確かに雨戸の向こう側では風雨が鳴っているようだった。

「おはようございます、八木様。その様子だとよく眠れたようですね」
 くすくすと笑みを零しながらの言葉から察するに、昨晩はかなり天気が荒れたのかも知れない。気付かないほどに眠っていたのか、と礼太郎も少し照れて笑った。それとも、やはりその所為で眠ったつもりでも眠りが浅かったのかな、そう納得する。先刻のだるさも不思議なことに今はすっかりと晴れてしまっていた。

「朝餉は、初子様がご一緒に取られたいそうです。身支度を整えていらしてくださいね」
「あ、はい」
 寝起きのまま部屋を出て来てしまっていたのにやっと気付いて、礼太郎はまたも赤面しそうになった。夜着に借りた浴衣もお世辞にもきちんとはしていなかったし、恐らくは頭もぼさぼさに違いない。

 桜井の家で世話になっていた時にはこんなことは一度たりともなかったのに、と鏡に向かいながら溜息をつく。大体は家人よりも早くに起き、朝餉の前まで余った時間は本が読めたほどだ。
 寝起きの姿で人前に出てしまったのなんて、それこそまだ子供の頃、郷里にいた時以来かも知れない。調子が狂う、と礼太郎はもう一度大きな溜息をついた。




 この辺りの山道はこの天候では危険です、朝餉の席で初子は申し訳なさそうに言った。
 別に急ぐ旅ではないので、と礼太郎は慌てて初子に頭を上げさせる。泊めてもらっておいて、何を責めることがあろう、しかも天気の所為ではないか。

「天候が回復するまでは屋敷にいてください。話し相手になっていただければ、私もとても嬉しい」
「それでは有り難くお言葉に甘えさせていただきます。何しろ一人で出て行ったのでは今度は何処へ迷うかわかりませんから」
 はにかむように相好を崩して告げた初子に礼太郎も笑って返す。

「でも、話し相手なら、浅葱さんがいるじゃないですか」
 何の気なしにふっと言った言葉に、初子の箸が止まる。浅葱? と反芻して目を瞬かせている。何かおかしなことを言っただろうか、と礼太郎は内心で訝しがる。
「ええ、彼ならいい話し相手になってくれるんじゃないですか?」
 そういえば朝餉にも姿が見えないようですが、と姿を探すような素振りで首を巡らせる。
「さあ、この家にはそのような者はおりませんが」
「え、でも……」
 礼太郎の言っている言葉の意味が理解できない、とでもいうように初子は首を傾ぐ。

「ほら、髪の長い、僕より少し上くらいの歳の男の……」
「この家には、今、八木様の他に殿方はいらっしゃいません」
 初子のあまりにきっぱりとした言い様に、礼太郎もそれ以上追及することはできなかった。彼女のそれは、確かに少し妙な感はあったが、嘘をついている様子ではない。

 しかしそれでは、あれは誰なのだろう……。

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