小説『雲影の葬』
作者:雪篠(A BLANK SPACE)

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 再び目を覚ました時、外は今度こそ朝だった。
 少しばかり身体がだるい気がするのは、一度おかしな時間に目を覚ましてしまった所為だろうか。鏡を覗くと冴えない顔をした自分がいた。やつれたとまではいかないが、どことなく生気に欠けている。それでも身支度を整えると、どうにか見れる状態にはなった。

「八木様」
「あ、初子さん……」
「よく眠れませんでしたか? 顔色が優れないようですが」
 いえ、平気です、そう答えたものの、自分でわかっていたことを他人からも指摘されると、やはりと思ってしまう。それでも、初子に心配を掛けないよう、できる限り笑顔を浮かべてみせる。



「初子さん」
 先ほどまでと変わり思いつめたような礼太郎の様子に、初子は少々驚いたようだ。それでも、どうかいたしましたか、と問う声は流石に落ち着いたものだった。その柔らかく、けれどしなやかな声に、礼太郎の決意は崩れそうになる。そこを勢いで乗り切る為に、礼太郎はその名を口にした。浅葱の名を。

 またその方のことですか、初子は大人が子供にするような表情で礼太郎を見た。どちらが年上かわからないななどと場違いな感想を抱きながらも、その名を口にした以上、この話を途中で止める訳にはいかなかった。

「浅葱という男は、自分は貴方の兄だと言いました。先代の御当主が……貴方の御父上が、奥方以外の女性に産ませた子だと」
 ……これは、本当に自分のような他人が、十五にもならないような少女に聞かせる言葉だろうか。そう思うと礼太郎は胸に鈍い痛みを覚えた。
 初子は知っているかも知れない。けれど、それならば赤の他人に訳知り顔で聞かされたくはないだろう。もし、本当に彼女がそれを知らずに、知らされずに育ってきたのなら、自分のしていることはどれほど残酷なことだろうか。



「私に、兄はおりません」
 告げる声は冷静だった。初めて聞いたというのならば、いくら初子とはいえ、これほど落ち着いてはいられないだろう、礼太郎はそう思った。
 では、自分の母以外の女が産んだ子供を否定するが故の言葉だろうか。礼太郎にはわからない。初子の美しく整った顔は、人形のように、表情を浮かべてはいても心の内を悟らせることはない。

「浅葱さんは、何か病を患っている様子でした。本人は平気だと言っていましたが、あれは何か悪い病かも知れません。きちんと医者に診せるべきです」
 言いながら礼太郎は、しっかりと初子を見据えた。どんな些細な表情の変化でさえも見逃さぬように、と。しかし初子は、ゆっくりと小さく首を振り、それから礼太郎の目をまっすぐに見た。

「八木様、私には兄はおりませんし、浅葱という御方も存じ上げません。けれど、お医者様が必要な方がいらっしゃるというのなら、その方がお医者様に診ていただけるよう手配いたしましょう」
 初子の目にも言葉にも、礼太郎にはそこに一片の動揺も見つけることはできなかった。兄の存在について初子がどう思っているかはともかくとして、その兄が病気だと聞かされて、人間というのはこうも冷静でいられるものだろうか。
 自分に兄がいないことを確信しているのでなければ……確信、そんなことは有り得るだろうか。一分の疑いを抱くこともないと?
 それとも、礼太郎の話を信じていないのか。

「そうですか、わかりました。おかしなことを言って申し訳ありませんでした」
 もう、礼太郎が初子に言えることはなかった。言うべき言葉もなかった。

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