小説『ゆるやかに流れる水の流れに添い・2 カナとアズキとツカサとコムギ【続きます】』
作者:初姫華子(つぼはなのお知らせブログ)

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【3】日本万国博覧会



EXPO’70は、日本が戦後復興を内外にアピールする絶好の機会として、七ヶ月間、77カ国の参加を持って開催された、一大プロジェクトだった。

テーマは、『人類の進歩と調和』。

当時は、国内はもとより国外でもベトナム戦争に代表される国際紛争や自然災害がありふれていた中でのお祭り騒ぎだった。

中央のメイン会場もその名もずばり、お祭り広場。

ここは建築家の丹波健三氏設計のメイン会場を覆う大屋根の真ん中をぶち抜いて、太陽の塔が頭を出していた。

テーマ館の主幹は岡本太郎氏。異色の芸術家で、太古から現在、未来を俯瞰する展示はテーマ館に相応しいとされた。

前評判も高いテーマ館へ、加奈江は行きたいと強く主張したけれど、同じ強さで政は拒絶した。

「ウルトラマンのできそこないみたいで気色悪い」

「だって、メイン会場よ。他のパビリオンはともかく、ここを外すのはどうかと思うわ」

「俺は月の石が見たいの」

いきなりアポロ計画がどうの、月面着陸がこうのと熱弁をふるった。

あからさまなんだから。

白々とした顔で加奈江は夫を見る。

妻の視線の冷たさに、政はふてくされた。

「そんなに岡本……」

「えーい、うるさいうるさい。とにかく俺はソ連館へ行きたいんだ!」

アズキがびっくりして顔をあげ、ふたりの間に入り込んで交互にふたりの顔を見る。

「そんな、アメリカもソ連もどっちも大きなパビリオンなのに、一泊二日でふたつとも回れませんって」

「いやなんだあー」

「もう、子供なの!」

つい、ムキになった加奈江も、言い返していた。アズキはぴっと加奈江を見た。

「子供、上等だ!」

政は鼻息荒く言い切る。今度はアズキは政を見た。

「子供らしく、じゃんけんで決めようじゃないか!」

と言い出す。

この人、こんなに意固地で子供っぽかったかしら。

一瞬、呆れかけた加奈江は、でも、と思い直す。

甘えてるんだわ。

じゃ、たくさん甘えさせてあげればいいのよね。

でも勝負事は別ですから。

「わかったわ。三回勝負よ、いい?」

「おう!」

いい年したふたりは立ち上がり、行司のようにふたりを見上げるアズキを挟んで拳を繰り出し、結果、三対〇で政が勝った。

小学生のように政は小躍りして喜び、加奈江は何度も手の平を開いたり閉じたりした。

加奈江は忘れていた、昔も今も、じゃんけんでまともに勝ったためしがなかったことに。

もう終わったね、と言うようにアズキはあくびをしてタンスの脇に置いてある、タオルを敷いた段ボール箱へ下がって入り込み、丸くなって眠った。

会場の混み具合は東京にも伝わっていたから、考えられる限りのスケジュール表を作り、回るルートを作成して現地へ乗り込んだふたりは、新幹線が止まる新大阪駅から、当日止まる宿へは寄らず、まっすぐにタクシーで会場に向かった。

お餞別として政の父から渡された『おこづかい』の中に、車代として小分けにされた包みがあって、そこにそう指定されていたから。

招待を受けて開催前にすでに内見をすませていた彼の父が勧めるのだから、何か理由があるに違いない。

親の言いなりになるのがイヤなお年頃の政は渋ったけれど、「車代、もらってるしな」と素直になれないひとことで了承した。

今回の開催に合わせて建造された道路や交通網は、ふたりの目には同じく東京オリンピックに合わせて造られた東京の首都高速よりはるかに近未来的に見えた。

そして、周りに高い建物がない中に、カラフルな一大都市が目の前に拡がる。

「これは」

と言って、政は絶句した。

加奈江はそもそも言葉がなかった。

原色遣いが著しいパビリオンが、ジオラマのように狭い箱庭に肩寄せ合って自己主張している。

遠目であってもどこの何というパビリオンかが一目でわかるアクの強さ。

白い色の鮮やかさ。

ぴかぴかに新しい建物の固まりの中にひときわ異彩を放つのが、首をにょきっと突き出している太陽の塔だった。

岡本はキライだ、イヤだと言い続けていた政の目が、釘付けになっているのがわかる。

中央の高速道路を抜け、降車ゲートへ向かう間も、片時も目を離せない彼の様子から、加奈江は思った。

せっかく作ってきた予定表、役立たせる機会はあるのかしら、と。

人の列の後ろに並び、やっとのことで会場へ足を踏み入れた加奈江は、子供の頃、遊園地でワケもなくはしゃぎ、気持ちが高揚した気分に浸る。

時間に余裕があったら、高速道路を挟んだ向かい側にある遊園地スペースに足を運んで、乗り物にも乗りたかった。

場内で皆がかぶっているという理由で帽子をかぶり、きょろきょろと周りを見回すふたりは、地元で同じことをしたら挙動不審と思われただろう。けれど、会場では似たような人が至る所にいた。

子供には迷子札があるけれど、大人にも必要なのでは? と思えるくらい、想像以上に混んでいて、広かった。

自宅で地図と首っ引きで作った予定表は、ハナから役に立たなかった。大勢の人がいるとそれだけで幻惑されてしまうからだ。

外国人が通る度、目はその人を追ってしまうくらいなのだから。

ぴかぴかに新しい会場を、あほうのようにふたりは歩き回った。

政が行きたがっていた、東西列強が粋をこらして建造したアメリカ館もソ連館も、あまりの人の列と待ち時間に断念せざるを得なかった。

話の種に並ぼうかと思ったところで、万博の思い出が待ち時間ではお話にならない。待つ間、イライラして喧嘩してしまうのがオチだから、ふたりは無目的に歩くことにし、動く歩道でベルトコンベアで運ばれる荷物のように立ったまま場内を一望し、疲れたらベンチに座ってジュースやコーラを飲んだ。

近未来的な造形が美しいテントやパビリオン、噴水広場。

あちこちで開かれる小規模な催し物……。

見たいものがありすぎて、時間はいくらあっても足りない。

退屈しないのは、きっと、会場内が盛りだくさんで、見飽きるものが何ひとつとしてないからだけではない、隣にいるのが政だからだ。

ちらりと見上げた先にいる夫はといえば、時折ある一点を見上げている。

――気になるなら、そう言えばいいのに。

気付かない振りして、加奈江は彼を観察する。

政が意識して止まない存在、岡本太郎と太陽の塔。

きっと、お祭り広場へ行きたくて堪らないのだろうに。

イヤだと言い張った手前、自分から行きたいとは言えないのだろう。

素直じゃないわ。

私から誘う? けど、もう少し待ってみる?

迷う内にも時は過ぎ、とっぷりと日が暮れた。陽の光の下で見るのとは違う、夜空に照らされる人口の光で飾られた場内は格別だった。

夜は恋人たちのデートスポットになっていると言うけれど、手をつなぐカップルたちにとって、これ以上ロマンチックな空間はないに違いない。

モノレールで場内を眺めながら、光の粒を集めて樹を模したようなパビリオンにため息を漏らす。

「きれいね」

とつい口にしたら、

「うん」

と返る声。

ふたりで同じものを見ている。感じている。

恋人時代だった時もしたことがない、手をつないで歩くデートだ。

無理をしたけど、やっぱりここへ来れてよかったと思った。

「そろそろ出るか、ホテルにチェックインしてないし」と政が声をかけた時はまだ閉園には間がありすぎる時間だった。

「もう少し、見て回りましょ」

名残惜しげに握った手をぶんぶんと振って、加奈江はイヤイヤをする。

「うーん」

政も乗り気なさそうに返事をする。

「でも、帰りの混雑はすごそうだし、普通に帰れる時に出た方がよくはないか? 晩メシもまだだし」

「じゃあ、ごはんはここで食べてから出ましょ。それならいいでしょ?」

小首を傾げて加奈江はねだった。

政は、彼女の頼み事には弱い。

普段、あまり何かを強く望む方ではないから余計なのだが、彼女はうすうす気づいていた。

政は、加奈江に小首を傾げて上目遣いで「ねえねえ」とまとわりつかれてじっと見つめられると、まず、滅多に拒まない、言われるがままになってしまうと。

だから、伝家の宝刀をここぞとばかりに加奈江は使った。

だって。

夜、ふたりきりでデートする時間なんて、ほとんどなかったんだもの。

彼、やたらと門限にうるさかったし、結婚してからも当時の癖を引きずって、日がかげった頃には「帰ろう」と帰宅を促されてしまうし……。

結婚してからもそうなのだ。夕方だから家に帰ろう、と言う。

中学生なの! と思ってしまう。

もう少し、夜の散歩をふたりで楽しみたいのに、させてもらえなかった。

今日は絶好の機会なのだもの。

「仕方ないな」

鼻の脇を指でこすって、政は言った。

「じゃ、メシ食ったら、すぐに戻るんだぞ」

「うん、それでいい」

「どこへ行く」

「水辺のレストランはどう?」

お祭り広場の脇には大きな池があり、イサム・ノグチがデザインした噴水が色とりどりの光に映えて水しぶきを上げている。ふたりはそこで、結婚して正月を除いて初めて、豪勢な夕食を取った。

普段の吝嗇ぶりがうかがえて恥ずかしかったけれど、滅多に食べたことがないステーキやフライは美味しかった。それぞれに別のメニューを頼んで、ふたりで仲良く分け合った。

一般のレストランではひとつのメニューを取り分けて食べるなど、マナー破りもいいところ、御法度に近いのだが、あまり行儀の良くないことを、わかっていて子供のようにはしゃいでしまえるのも旅先故の開放感がなせること。

「さあ、今度こそ帰るから」

「いや!もっと遊んでいたい!」と渋る加奈江を追い立てて、出口へ向かう政は、ここでもチラリと太陽の塔を見た。

サーチライトを両目から光らせて光線はまっすぐに宙を飛ぶ。

――やっぱり、気になるのに。

ねえ、行ってみる? テーマ館。入ってみる?

ひと声かけようとした加奈江は、彼に「出口はこっち」と促される。

こっちこっちと招かれるように、ふたりは一方通行の人の列に加わったが、様子が変だと気づいた時は、出口とは全く違う方向へ向かう人の流れに乗り、引き返せなくなっていた。

立ち止まれば抜け出せたのに、するすると導かれるまま行く先は、何かのパビリオンとしか思えない。

「どうするの?」と加奈江。

「どうもこうも……。このまま行くしかないだろう」と不満げな政。

「私はいいわ」

加奈江は言った。

「だってまだ帰りたくなかったもの」

「カナ」

政は呆れて、家の中で呼ぶように加奈江に言う。

「お前、夜遊び好きだったのか?」

「あら。そんなこと」

言いかけて、どんどん闇に包まれていきながら、加奈江はあっけらかんと答えた。

「あるかも」

「ええ? 何だって?」

「だって。誰かさんといっしょだもの」

新婚旅行でしょ、と小声でポツリ。彼の方へ手を伸ばした。

その手を、暗闇の中で政はひときわ強く握った。

寄り添いながら先を行くふたりを待っていたものは。

政が毛嫌いし、実物を見て意識して止まなかった太陽の塔、つまりテーマ館の入り口で、すでにふたりはパビリオンの中にいた。

おやおや。とんだ出口だこと。

加奈江はクスリと笑う。

訪ねるまでもなく、あちらから招かれたのね。

これは。逃げられないわ。

彼女は隣の夫の気配に心を配る。

政は観念しているようで、小さくため息をついていた。

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