◇ ◇ ◇
テーマ館を出てまっすぐ宿泊先へ向かうふたりは、口数が少なくなり、終いには会話はなくなった。
会場から外へ出るルートはとてもスムーズで、何故テーマ館へ向かってしまったのか、ふたりとも説明がつかない。
けれど、導かれるように向かった先に待っていたものだ。
何故という問いに理由をつけるのは、これから先、いくらでもできる。
加奈江はちらりと隣の夫を見た。
沈思している彼は、他人にはとても近寄りがたい存在になる。
毎回のことで慣れているはずの加奈江も、今は気が重かった。
彼が、何かを得ようとし、もがいている。
これが自宅なら。自分はできることをする。腹を空かせて倒れるまで空腹であることに気付けない彼に、糧を届ける。
けれど、今日は家ではなく外出先だ。
普段とは違う非日常の空間にいる。
今の私に、何ができる?
そして、加奈江は気付いた。
恋しくて、彼のことを想っていた子供の頃より始終彼のことばかり考えて、行動している自分自身に。
妻なんだもの。
夫のために甲斐甲斐しく世話を焼くのは当たり前。
――でも、そうだろうか。
それだけでいいの?
人を好きになる感情はわかる。
恋も、恋しい思いも。
けれど、加奈江は良くわからないことがある。
愛って?
人を愛するってどういうことだろう。
愛し合う、愛を交わす行為としての夫婦生活は、確かに心がなければ単なる性欲の捌け口でしかない。
政と肌を合わせる瞬間、何度も触れ合っているのに心臓が大きく脈打ち、一気に身体がほぐれ、彼を迎えられるように変わっていくのがわかる。
これは、愛があるからできること。
けれど――
加奈江には、まだ彼を迎え入れる時、少なからぬ痛みがあった。
きりきりとねじ込まれ、入る彼は、何度も彼女を引っかき回し、翻弄する。
身体ですら、痛さを感じるのに。
心は?
私たちは、お互いに夢中で、やさしい心で、些細なことも喜んで、笑っていられる。今は。
けれど。
いつか心を裂くような出来事が、起こらないとも限らないのだ。
いくら望んでいても、痛くて泣いて恨み言を言った、初めて彼と寝た時のような。
心の痛みを、私たちはまだ知らない。
誰だって悲しい出来事は避けたいし、いつも睦み合っていたい。
けど、政は、安らぎだけを糧にしていてはいけない人。
彼は彼だけの作品を生み出す、芸術家を志す人なのだから。
始終無言のまま、宿泊先のホテルで遅いチェックインをすませたふたりは、暗い廊下を抜け、室内に先に入った加奈江は、入り口脇のスイッチを探った。
真っ暗で、どこに何があるかわからなくて。
壁をたどる手は、不意に後ろから掴まれた。
政だ。
力があまりに強くて、加奈江は無意識のうちに身を強張らせる、まるで怯えるように。
彼に彼女の震えが伝わらないはずがない、喉を鳴らして政は笑う。
初めて聞く笑いは、知らない男が笑っているようだ。
じっとりと彼女の手の平に汗が滲む。
政の前髪が彼女の耳元をかすめ、唇がむき出しの首筋を強く吸った。まるで吸血鬼が血を飲むように。
チリ、と痛みが走る。けれど、快感も運ぶ。思わず引いた身体を追って、噛みついて首を喰い破る獣のように、彼は何度も何度も口づけた。
どうしたの、のひとことがどうしても出せない、出るのは彼を煽る吐息だけ。感じている時に漏れてしまう、隠せない心を伝える。
けれど。
――コワイ。
胴を、胸を掴む腕に指をかけて引きはがそうとしても彼の腕は身体ごと掴んでいて、彼女の力ではどうすることもできない。
まるで遠慮のない雄の力は、これから起きる期待よりおそろしさを運ぶ。
彼は――男だ、わかりきったことだけれど、女を屈服させたい、征服欲がない男はおそらくいまい。
男の力を見せたら、彼は絶対に自分の思うままに加奈江を扱う。
指がもどかしそうに彼女のスカートの上から足の付け根を、花芽を探るように蠢く。まだ固いそこは性急な刺激を受け止めきれない。強く押された痛さに、つい、うめく。
いやだ。
腰を引いて逃れようとしても、尻は彼自身の硬さを伝えるだけ。
スカートをたくし上げてショーツの中に入る指はくちゅりと湿った音を立てた。
こんな時なのに。
――私、濡れてる。
探る指は、ふっくらと膨らんで充血している花弁を暴く。
鼻孔をつく政の体臭と汗がいつも以上に強く薫った。
この香りを嗅ぐと、加奈江は自分がどうなるのか判らなくなる。全てを彼に委ねてしまうしかない。
強く押されて、かき回されて、いつもなら痛くて身を捩ると、そうしたら彼は力を緩めて、許しを請うように口付けてくるのに。
今日の彼にはその余裕もないのか、する気がないのか。――元から、そういう人だったのか。
遠慮なく下半身を弄び、指を突き入れ、尖った乳首に潰すように爪を立てて乳房を思いっきり掴む。
これは、レイプだ。
やさしさのかけらもない、ただ欲望のままに女の身体を思うままにいじっているだけだ。
加奈江は政と引きずられるように寝室へ運ばれ、ベッドの縁へ膝を立てて突っ伏した。
背後から、カチャリとベルトの金具が鳴る。
まさか、と振り返る間もなく、彼女は下着を下ろされ、腹ばいになったまま、後ろから突かれた。
口からほとばしる声は、盛りがついた猫が鳴くようだ。
ベッドのシーツに頬をこすりつけ、喘ぎながら。
尻だけ突き出して、服を着てろくに下着も脱がないまま繋がって、彼が繰り出す律動に合わせている自分。
加奈江は気づいた、今、私はこの痛みにすら感じているのだと。
なら。
楽しんでしまえばいい。
弾む吐息がお互いの興奮だけを伝え、煽る。
暗がりの中、壁にふたりの結合した姿が影になって映る。
ベッドの軋みが早くなり、肌がぶつかる音とふたりの息づかいが高く、早くなって。
彼からほとばしる熱いものを、背中や腹に何度も身体中に浴び、その滴りすら快感となって、彼女は悦楽の笑みを浮かべた。
加奈江は何度も口走っていた。
いい、すごくいい、もっと、と。