小説『合法トリップ。』
作者:雅倉ツムギ()

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それからというものの、僕は家に帰ってから速攻で部屋に篭り、寝ている時間と食事中以外はベースを引き倒す生活を始めた。

僕がベースを弾き始めると、いつでも彼は現れた。

『よぉ少年、弦がビビってきてるから、早く交換しろよ』
とか、
『だいぶ上達してきたんじゃねぇ?指弾きも試してみろよ』
とか、とにかく沢山話しかけてきた。こんなにしゃべるベース、なかなかいないと思う。


ある日、僕は彼に、名前はあるのか尋ねてみた。すると、


『お前が付ければいいよ。何てったって俺はお前がオーナーなんだからな』


と言うので、僕は好きなベーシストの名前をもじって、フリーさんと呼ぶことに決めた。


「じゃあ、フリーでいい?」

と聞くと、彼はこう答えた。


『いいけどよ、俺の3代目のオーナーも、俺のことフリーって呼んでたぜ』


僕は恥ずかしくなると同時に、どこのベーシストも、考えることは一緒なんだな、なんて思った。




ちなみに、モテたくて始めたバンドだが、結局ライブをしたのは学祭の一回きりで、あとは受験だなんだで忙しくなって、解散してしまった。
そして、モテたかというと、全くそんなことはなかった。
同じ学祭で、ストリートダンスをした男の方が断然モテたのは、苦い記憶だ。
でも、僕は、バンド自体で演奏することもそうだが、フリーさんと話すのが楽しかったということもあり、ベースを弾くことそのものが楽しくて仕方なくなってしまった。
ギターのやつも、一緒のようで、そいつとはその後もバンド活動を続けている。それは現在進行形だ。


そしてフリーさんもまだ、俺の相棒だ。もう10年の付き合いになってしまった。



見えるという話から、随分と思い出を蘇らせてしまった。
僕は部屋のど真ん中に置いてあるベースを手に取る。相変わらず擦り傷だらけなのは変わらないが、大切に扱って、常にいい音がするようにメンテナンスもばっちりなので、ぴっかぴかの新品に負けないくらい、カッコイイベースになったと思う。
僕の今借りている部屋も、完全とまではいかないものの、ミュージシャン向けに貸し出されている防音設計だ。それもこれも、全て、いつでもMAX状態のフリーさんに会いたいからだ。
僕は、「メルトロー」の音楽に刺激を受けて、自分もベースを弾きたくてしょうがなくなっていた。
いい音楽に触れると、いつでもフリーさんと話をしたくなる。

ベースにシールドを繋ぎ、アンプに差す。もう結構いい時間なので、ボリュームは少し控えめだ。

いつものフレーズを軽快に弾き始めると、目の前にフリーさんが現れた。


『よぉ、少年。今日はだいぶ遅かったな』


フリーさんは、24歳になったというのに、未だに僕のことを少年呼ばわりするので困る。まぁ、確かに、出会った当初は少年だったのだが、もう結構いい大人くらいの年齢なのに、少年と言われるのはなんか腑に落ちない。

「バイトが長引いたのと、今まで音楽聴いてたんだよね」


僕も、10年もベースを続けただけあって、フリーさんと会話しながら弾くくらいだったら朝飯前だ。未だにヘタクソなのには変わりはないが。


『へぇ、俺にも聴かせてくれよ』

「後で流すよ。すごいかっこいいヴィジョンが見えたんだ。内臓むき出しの骸骨。」


こうやって話してると面白いのが、フリーさんは、楽器のくせにやたら音楽を聴きたがる。姿が見えていないときでも、部屋で音楽を垂れ流しにしていると聞こえるらしい。たまに感想を述べてくるときすらあるから本当に面白いものだ。
そして、僕は僕で、フリーさん自身が「ヴィジョン」であるのをいいことに、自分の見えたヴィジョンの話を気軽にしてしまう。フリーさんには他のヴィジョンが見えないらしいので、共有することは出来ないが、話としては信じてくれないことがまずないので、話していてとても楽だ。

そういえば、一番気になるところだろうが、フリーさんの外見は、初めて会ったときのままだ。
ボロボロのセーターに、肩まで伸びたぼさぼさの天然パーマ、無精髭面。どっかのグランジバンドにいそうな人のまんまだった。
高校生くらいのときに「そういえば、変わんないじゃねーかよ、見た目」とツッコんだら、『あれはお前にやる気を出させるための嘘だった』と白状されて、軽くムカついた。

僕は、自分が上手くなれば、フリーさんの見た目もグレードアップしていくのだとばかり思っていたので、いつまで経っても変わらないフリーさんを見て、自分は全く上達していないのだと思い込んでいたのだ。
でも、それをフリーさんに言ったら、すごい剣幕で怒られてしまった。


『俺の見た目じゃなくて、実際に出ている音で上達の度合いぐらい量れ!!』


…正直、ごもっともだと思った。


僕は、ヴィジョンが見えてしまう分、ヴィジョンに依存してしまう傾向がある。
それは今でもよくあることだったりする。見えてしまうと、その音楽に対してのジャッジが甘くなってしまうのだ。
それを戒めるために、フリーさんは僕の聴いてる音楽を聴きたがるのかもしれない。


とにかく、フリーさんと心を通わす、という目標を達成するうちに、新たな目標も出来た。
それは、自分のバンドで、自分も納得のヴィジョンを作り上げる、ということだ。
そのために、僕は日夜フリーさんと一緒に、音楽談義を繰り広げつつ、ベースに明け暮れているのだ。



2時間くらい弾き続けたので、結構疲れてしまった。
そういえば、「メルトロー」をフリーさんも聞きたがっていたので、僕はベースを弾くのをいったん止め、コンポからヘッドフォンを外し、再生ボタンを押した

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