第八十一話 どんなに…
「ッ貴方は本気でそんな戯言を言っておられるのか!?王子ッ!カイルディア様が一体どんな覚悟をしてアニマを…!どんな思いで貴方に…ッ!」
「だからこそ…だからこそ…っ、この作戦は成功させなければならない…!兄上の為にも…成功させなければならないんだ、リリー!」
「…ッ」
ミストガンのあまりにも必死の訴えにリリーはぐっと息を呑むが、すぐに拳を握り、再びミストガンに食って掛かる。
「断る!!何で俺が王子を!」
「…わかってくれ、…誰かがやらなくてはならないんだ、」
「だったら自分でやれば良い!貴方こそ王に相応しい!」
「私は世界を滅亡させた…ッ…そして実の兄の命を奪ったんだ…ッ!」
「世界を思っての事です…!カイル様もそれを知っているからこそ貴方にこの国を任せたんだ!自分の命を懸けてまでエドラスを思える貴方の強い意志こそ、今必要なのです!」
リリーの言葉に今度はミストガンが息を呑む番だった。
「滅亡させたのが貴方なら、貴方がカイルディア様を殺したのなら、貴方がその責任を取りなさい!…それは死ぬ事ではない!再びこの世界を導き、生きる事だ!」
「…それでは民の混乱は鎮まらん…」「俺が悪役になりましょう…ッ」
間髪入れずリリーが答える。俯いていたジェラールはばっと顔を上げ、目を剥いた。
飛び散る二色の破片に、二人のエルザは茫然とその場に立ち竦んでいた。
「…ッ…れ…レイヴェルトが…」
「よ…鎧が…ッ…」
全身全霊で放たれた最強の魔法。
それは激しくぶつかり合い、互いの鎧と鎗を粉々に砕いたのだ。
「「っ!?」」
突如ガクンッと揺れたかと思えば、大きく傾き落下を始める浮遊島。
どうやら先程の一撃で浮遊島の浮力が失われてしまったらしい。
最強の鎧と鎗が砕け、最悪となった足場、更には、もうエルザに魔力は残されていない。
そんな状況だと言うのに、ナイトウォーカーはキッと鋭い視線でエルザを見やり、拳を握って走り出した。
「っそれでも…!それでも貴様を討つ!」
「ぐっ!?」
ガンッと鈍い音を立ててエルザの頬に減り込むナイトウォーカーの拳。
突然の事にぐらりと揺らぐエルザにナイトウォーカーが更に拳を振り上げるが、それを躱しエルザも負けじと拳を繰り出す。
「っくゥ…おのれェ!」
「ぐ…、はァッ!」
壮絶な殴り合いが続く。二つの緋が燃え盛る。
「私は…!永遠の魔力の為に負けられない…ッ!」
「っ…貴様の言う永遠は…!どれだけの一瞬の上にある…!?押さえ付け、奪い!威圧して、奪い!他を憎み!他を滅ぼす…!」
「ッそれが人間だ…!、ぐっ…!」
「人は!もっと人を愛するものだ!大切な者たちの為に立ち上がり、涙を流す者の為に剣を取る…!…っお前はこの世界の悲鳴を感じないのか!?ナイトウォーカー!」
残された力で何度も何度もぶつかり合う。お互い負けられない意地があった。
「世界の悲鳴など!貴様より感じているに決まっているだろう!魔力の枯渇…そのために私はッ!」
「違うッ!世界とは…“生きる者”の事だ!」
「く…、っ…この世界は死に逝く世界…!魔力が枯渇し、死に至る世界なのだ…!アースランドの貴様にはわかるまいッ…!魔力がなくなる不安、恐怖!絶望!私たちは…永遠の魔力を手にしなければ生きられないんだーッ!」
そう叫ぶナイトウォーカーの声が微かに震えている事に気が付き、繰り出される拳を受け止める。そのまま音がなるほどの威力で額と額をぶつけ合った。
「っ私たちは生きているだろう!今!」
「…ッ!」
「魔力がなくても生きている!互いを見ろ!魔力などとうに尽きている…!それでも人は死んだりしないッ!弱さも、恐怖も!全て乗り越えて行く強さがある!それが…“生きる者”だ…ッ!」
グンッと落下するスピードを上げる浮遊島。
それでもエルザは構わず、ナイトウォーカーに叫びを浴びせ続けた。
「良いかエルザ!お前の中には私の持つ邪悪も!弱さもある!だから…!人々を愛する心も必ずあるんだッ!“生きる者”の声を一心に聞けェ!」
「……」
「本当の声で語るんだ…!お前は…一人じゃない…!」
心を震わせるエルザの叫び。
気が付いた時にはナイトウォーカーの瞳から涙が零れ落ちていた。
…様々なものを犠牲にし、魔力が枯渇して苦しむ人々の…あの方の為に永遠の魔力をずっと求めて来た。
時には己の心さえも殺して…
誰も知らなくて良い。知られたくない。
怖い怖い恐い恐い怖い…!
魔力がなくなるのが…あの方が消えてしまうのが怖くて恐くてたまらない!
苦しかった…!様々なものを犠牲にしつつ、それが人間なんだと自分に言い聞かせて鎗を奮うのがずっと苦しかった…!
けれど己が鎗を奮わねば魔力は…あの方は…!
「っッ…!あの方は…私たちとは違う…ッ!あの方だけは…魔力がなければ生きてはいけないんだ…ッ!」
「…っ!」
空へ向けられた悲しみの咆哮に目を見開くエルザ。
これが…ナイトウォーカーの本心…
そう、全てはあの白き王子の為に…
泉が湧き上がるかの様に空へと上昇して行くエドラスの魔力。
それを唖然とした表情で仰ぎ見ている満身創痍のエルザとナイトウォーカー…
「…何が起こっている…?」
「わからん…だが、これは…」
「…これは…もしや、魔力…?」
「何故…こんな事が…」
空に開いたアニマへと吸い込まれて行く魔力を茫然と、瞳を揺らして見送る二人のエルザ。
次第にナイトウォーカーの顔が絶望へと染まって行く。
「もう終りだ…何もかも、…ッ…」
「……」
恐怖、不甲斐なさ、無力さ…様々ものとが混ざりあい、再びツゥと頬を伝い落ちる涙。
…と、ザッと地を踏みしめる音が二人の鼓膜を揺らした。
『―――そう…終わりだ、エルザ』
「…!」
「お前は…」
「こいつはまた…壮絶な戦いだったようだな」
「カイル…!?」
窪んだ地面に横たわるエルザとナイトウォーカーを見下ろす形で姿を現したのは、アースランドのカイルとその肩を借りているエドカイル。
予想だにしていなかった者たちの登場に焦り戸惑い出す二人にカイルたちは苦笑を溢し、斜面を滑って愛しい者の元へと向かう。
「カイルディア様…何故…この様な場所に…」
『…最期に…お前に会いに来たんだ、エルザ…』
「さいご…?私…に…?」
カイルの肩から離れ、エドカイルは力を振り絞ってナイトウォーカーの元までフラフラと歩み寄る。
そして、その脇に片膝を付いて屈み込み、傷だらけの頬にそっと手を触れた。…其の手は異常な程にひんやりとして冷たい。
「…カイル…」
「すまない、遅くなった」
レムルスを呼び出し、癒しの光をエルザに当てる。みるみる内に傷が消えていき、きめ細やかな美しい肌に戻る。
「いや…それは別に構わないが……それより、一体何が起きているんだ…?」
ダメージは回復出来るがコンディションまでは戻らない。魔力の不足により動くのもつらそうなエルザの体をカイルは優しく抱き起し、自分の体に寄り掛からせる。
「アニマが逆展開されているんだ」
「アニマが…?」
「あぁ…。逆展開されたアニマはエドラスの魔力を吸収して、それをアースランドに流す。これで皆は元に戻る筈だ」
「そんな事が…」
眉を下げ、悲しげな表情を浮かべる緋色の美女にカイルは安心させる様に「着てろ」とマントがあられもない格好のエルザにばさっとかけられる。
…と、正面から小さな呻き声が聞こえて来た。
『っ、く…』
「カイルディア様…ッ…!」
『…すまないな、エルザ…私なんかの為に…こんなに、ボロボロになって…』
「っ…私の事よりカイルディア様の方が…ッ…!」
『…あぁ……限界のようだ』
淡々としたカイルの声にナイトウォーカーは息を呑む。
ーーーー何故そんなにも冷静なんだ…!イヤだ!聞きたくない…!
『尽き掛けていた魔力が更にアニマによって吸収されている……もう、私には時間がない…』
「…ッ嫌です…!そんな…!」
『…そんな事を言うな……お前は、これで何にも縛られず、自由に…生きられるんだぞ…?』
「…!」
ドクンッと強く心臓が脈打つ。やはりこの聡明な男は気づいていた…
『…私という存在が何よりもお前を縛り、ずっと苦しめていた…なのに、私はそれに甘えていた。…お前の気持ちに気付きながら、見て見ぬふりをしていた……本当に、すまなかったな…』
ナイトウォーカーが誰にも知られたくないが為に、ずっと心に秘めていた事…
それは、エドカイルはとっくの昔に見抜いていたのだ。…そして、彼女の中で募る、己への想いも。
ーーーーーーーーその想いに応える権利は私にはない。
頬に触れていた手が緋色の髪ゆっくりと滑る。
『私の存在がお前を不幸にしていた…』
「っそんな事ありません…!私は貴方に縛られていたんじゃない…!私は好きでカイルディア様の傍に…ッ、…!」
『……』
「ぁ、…っ…」
髪に触れていた手がスルッと滑り、ナイトウォーカーと並ぶように地に倒れ込むエドカイル。
その顔には冷や汗が浮かび、苦痛に歪んでしまっている。
…薄ら、閉じられていた瞳を開けると、涙を溢し、此方を覗き込んでいるナイトウォーカーが目に入る。
「申し訳…ございません…ッ…私のせいです……‼私が不甲斐ない故に…っ…永遠の…魔力を…!」
『ケホッ…ハッ…ハ…っ、違う、…。それは違うぞ…エルザ…お前はは十分にやってくれたよ…感謝しきれない程に、な…』
苦痛を堪え、必死に笑みを浮かべるカイルの途切れ途切れの掠れた声がナイトウォーカーの涙を無尽蔵に溢れさせる。
『…だけど、人の思いを、命を踏みにじって生きられる程…俺は強くない…』
「……」
『もう、良いのだ…エルザ。…私は、この世界と共に一度滅ぶ。…そして、生まれ変わるんだ…ッ…争い無き、皆が向き合って生きて行けるような…平和、な世界に…』
「…、へい…わな…世界…」
『お前は、誰よりも強く、そして美しい……新しい平和な世界で、自由に生きて…幸せに、なってくれ…』
「カイルディア様…ッ…」
浅くなっていく呼吸、小さくなっていく声…
ヒュゥ、ヒュゥと吸われる空気が掠れる…
『…でももし、…世界と共に私も生まれ変われたのなら…あの日…みたいに、必ずお前を見付ける…そうしたら…共に…生きよう…?その…時は、柵(しがらみ)も鎖もない…一人の人間として…お前を…』
「ッ……!」
『おま、えだけを…愛そう…』
「カイル様!!」
『やっとそう…呼んでくれたか……嬉しい……ぞ…』
視界が霞み、愛しい者の顔が見えない。
ぼやけ、白へと移り変わって行く景色。
最期に瞳が映した色はあの日と変わらぬ、…
『…綺麗な……緋色…だ…』
ーーーーーーーー綺麗な緋色だな。…お前、名前は?
ーーーーっは…!エルザと申します…!
…それだけか?名字は?
ぅ…ありません…
そうか…
エルザの脳裏にもカイルと同じ光景が宿り、止めどなく涙があふれる…
「…っ…!…ッ…ぅ…く…っ…おいて…いかないで…ください…ッ」
ーーーーカイルディア様。あの…
ーーーー何度も言うが、カイルでよいぞ。敬語も二人の時は不要だ。
い、いえ!!そのような事出来るわけがありません!!
…そうか…少々残念だ…
「ずっとそう……呼びたかったです……!!」
ーーーーーーーーお前と出会ってもう随分経つな…
ーーーーはっ……も、もしかして部署変えですか…?
ははは…そのような泣きそうな顔をせんでよい。こんなにも尽くしてくれる部下にそのような事するわけなかろう。…ずっと考えていたのだ
…?
お前の苗字の事だ。…“ナイトウォーカー”、何てどうだ?
…“ナイトウォーカー”…?
私の隣で、“騎士”としてこれからもそばで“歩み続けて”欲しい…駄目か、エルザ?
…っ私などには勿体ないくらいです…ッ!…ありがたく…頂戴いたします…!私はずっと…カイルディア様のお側に…!
…感謝する…
「っぅ、…これでは…ッ貴方のお側に…いられないではないですか…ッ」
握った手から力が抜ける。
スルッと指の隙間を縫って、静かに零れ落ちた大きくて優しい…冷たい手。
カイルの胸に顔を埋め、涙を流していたアースランドのエルザがカイルの身体をぎゅっと抱きしめる。カイルも肩を優しく抱き返してやった。
「っ…」
「……………安らかに眠れ…友よ」
「…ッぁ…ぁァ……っいや…ぁぁァァぁァ…ッ!」
ーーーー何より誰より君を愛していたけれど神は私たちを祝福する気はないらしい…
ーーーーそれでも私は…幸せでした……カイル様……
「ーーーーカイル…」
カイルの胸に寄り添っていたエルザが弱々しく名前を呼ぶ。
「何だ?」
「私は……はっきり言ってお前が嫌いだ」
「そいつは酷いな」
エルザとは顔を合わせず、銀の王は苦笑した。まあ心当たりがないではない。
「まるで誘蛾灯のように女…それも綺麗な美人ばかり集まって……いつもいつも人に無茶するなとか言うくせに自分が犠牲になる事は何とも思わなくて……」
「……………ゴメン、性分だ。もう治らねーよ」
「……………横顔を見るだけでドキドキする……一挙手一投足に気が取られる…笑いかけられるだけで心臓が爆発しそうになる…お前と出会ってから今日まで一日たりとも心臓が普通に脈打った事はない!!」
初めて聞いたエルザの心の中の吐露だった。あまりにその通り過ぎたのと後半俺が悪いのかという両方の意味で笑みが零れた。
「悪りぃな…ハハっ…」
「……………その笑顔で全てが帳消しにされてしまう…そんなズルい笑顔も大嫌いだ!」
……………ったく。今のはちょっと傷ついたぞ…
「……………でも良い…許してやる……だから…だからな?」
ぐいとカイルの顔を自分の方へと向ける。驚きに見開かれた琥珀色の瞳を覗き込み、不安と真剣が綯い交ぜになった顔で口を開いた。
「死なないでくれ…カイル……大嫌いなんて嘘だから……何よりも好きで…愛していて……もうお前のどこが好きだったのかわかんないくらいにお前が好きだから………どんなに…どんなに女垂らしでも戦闘バカでもいいから!!」
「ひでぇな…」
「私の前から……いなくなるのだけは……………しないでくれ…」
カイルの服を千切れんばかりに掴み、嗚咽を漏らし胸に顔を埋めるエルザ。その硬く握られた手を取り、頬に流れる宝石のように美しい玉の涙を拭ってやる。
二人の唇が一つに重なる。お互いの存在を刻み込むかのように深い…深い…約束の接吻を交わした。同時に言葉が流れ込んでくる。
ーーーー安心しろよ…エルザ…お前が俺の心配なんざ百年早え。
ふはっと言う声と共に二人の距離が空く。微笑むカイルにエルザはジト目を向けた。
「……………どこまでズルい男なんだ…お前は……人がどれだけ勇気を振り絞って言ったと思っているんだ。それをお前はたったこれだけの事で…全てを伝えてしまうんだから」
「便利だろ?薄っぺらい言葉なんぞよりよっぽど重い」
言わなくてもこの二人はコレだけで心が通じる。
言葉より行動で…それがカイルの流儀だ。
その約束を催促するかのようにエルザがカイルにしなだれかかり、目を閉じる。
再び二人の影が一つになった…