キリスト教において、真実を自力で知るために知恵を求めることは最も賢いこととされる。
しかし、そう簡単にそういう姿勢になれる人ばかりではないから、気分よくキリストを慕うように配慮されている。
さてでは、どういう理由で人は知恵を求めて真実を知ろうとするのだろう。
理性ある人間としての尊厳を保ちたいと思うからだろう。
自分の欲望に囚われていると危険なことが待ち構えているかもしれないからでもあるかもしれない。
単純に知識欲からでもあるだろう。
だから、未然に危険を避けて知識を得て人間らしい幸せを掴むには知恵が必要なんだ。
人が真実から目を逸らそうとする時は、自分の欲求を満たす時に真実が邪魔になる時であり、
その欲求を満たそうとするのがキリスト教の配慮。
神だけでなく知恵者が人に知恵を与えることがあるみたい。