小説『獣医禁書』
作者:深口侯人()

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そんなこんなで最初は軽く鬱になりかけたが、しばらくして少し持ち直した。
診療をやるようになってから院長に怒鳴られる機会が増えたが、慣れてくれば多少はマシになる。
先輩は多少忙しくてもカルテの確認をしてくれるし、威張る事はあっても怒鳴る事は滅多にないのでどんどんチェックしてもらう。
院長のキレやすいポイントも分かってきたし、診療にも慣れてきたのでスムーズに事を進められるようになってきた。
だからといって病院勤務が楽になるかといえばそうでもない。
慣れたといっても怒鳴られるのはストレスになるし、問題が後から後から次々発生してくるからだ。
「マーフィーの法則 : 問題の解決は新たな問題を生む」である。
しかも、我が病院では1つ解決するごとに2、3個増えるので厄介だ。

動物看護師は診療の手助けをしてくれる、獣医療にはなくてはならない存在だ。
カルテの整理、問診、患畜の保持、怪我の消毒、爪切り・耳掃除などの簡易処置、手術の助手や薬の調合など携わる仕事は枚挙に暇がない。
当然、新人看護師よりも先輩看護師の方が仕事も速いし処置も上手い。
治療についての知識も新人獣医の僕より持っている事も多く、非常に頼りになる存在だ。
陰で散々悪口を言われているらしいが、そんなことは気にせずに手伝いを頼んでいると、なんだか周囲の空気が澱んでいくような気配を感じた。
もしやと思ったらやっぱり院長登場。
もちろん、キレている。

院長「おい!!お前、誰に手伝いさせてんだ!?お前がベテランさんを使うなんて10年早えぇ!!オレが診察できねえだろうが!!新人は新人を使えよ!!」
『あ…、すいません。』
(あ〜、はいはい。すんませんでしたっと。ベテラン看護師の補助じゃないと診察できないって、あんたの腕が悪いって事ですか?そもそもこんな所に10年も居ねーよ。)

表面上は申し訳なさそうに謝るが心の中では軽く流す。
真正面から受け止めてはいけない。
内容を深く聞いてはいけない。
どうせ気分で怒鳴っているだけなのだから。
ということで、僕が手伝いを頼めるのは新人看護師のみになってしまった。
しかし、この件はこれで決着ではない。
処置に慣れない新人看護師と診療に慣れない新人獣医師。
仕事の進みは当然遅いが、それを見逃してくれる院長ではない。

院長「しっかし、診察が遅いね、君は。僕なんか君が1件診る間に2、3件診てますよ。高い給料払ってるんだから、ちゃんと給料に見合った仕事をしてくれないと困るんだけどねぇ?」
『あ…、はい…。頑張ります…。』
(……ハハハ。そうですね。ベテランコンビと新人コンビを比べたら、そりゃスピードに差が出ますよね?当たり前じゃん!!バカか!?)

怒鳴らない時は怒鳴らない時で嫌味たっぷりのネチっこい言い方しかできない院長。
正直、イラっとくるが何とか受け流す。
それにしても、本当に人をイラつかせるのが上手い院長だ。
ナメック星でのフリーザ様もこんな気持ちだったに違いない。
だが、これでもまだ終わりではない。
診療が少し混んできて、看護師たちもみんな他の事で手が離せない状態の時の事。
僕は怪我で来院した患畜の診療をしていた。
見たところ、簡単な処置が必要なだけだが1人ではできそうにない。
その時、ちょうどベテラン看護師の手が空いたみたいなのだが、どうせすぐ院長が補助を頼むに決まっているので声はかけられない。
仕方がないので新人の手が空くまで1人で何とかやろうとして手間取っているところに院長登場。
もちろん、キレている。

院長「そんな処置1人でできるわけないだろ!!バカが!!ベテランさんが空いてるんだからベテランさんに手伝ってもらえよ!!このグズ!!」
(出た!!必殺「マジシャンズセレクト」!! えっと…、確か前にベテランさん使うなって言ってましたよね?矛盾してますよね?もうボケたんですか!?忙しいからって他人に当たるなよ!!)

簡単な処置ですぐに終わりそうだし、僕もできればベテラン看護師に頼みたかった。
しかし、手伝ってもらっていたら手伝ってもらっていたで「前に使うなって言っただろ!!」と怒鳴られていただろう。
事実、この後似たような状況でベテラン看護師に補助を頼んでいたら当然の如く怒鳴られた。
さすがは「マジシャンズセレクト」、常に相手にハズレくじを引かせる事ができる。
そういえば書き忘れていたが、怒鳴られている内容の幾つかは1回や2回の出来事では済んでいない。
ただでさえ権力があって意見されにくい院長が、怒鳴る理由をいくらでも作り出せるマジシャンズセレクトの技術を身につけているので、同じ事柄でも何度も何度も繰り返し怒鳴れるのだ
怒鳴られるのは最初の一回だけで、次からは改善すれば良いという話ではないところがまた救いが無くて泣けてくる。
もはや僕にできる事といったら、どっちの選択肢が「怒鳴られる程度が軽く済むか」を見極めて選ぶ事だけなのだ。
結局は怒鳴られるところが非常にストレスの溜まるポイントである。

まぁ、そんな感じで、解決しても解決しても新たな問題が発生してくる毎日にイライラが募っていたある日、新人看護師がオーナーから質問を受けたのだが答えが分からなかったそうで、僕に助けを求めてきた。
基本的な内容で、獣医ならもちろんベテラン看護師でも知っているような内容だ。
答えとオーナーにも分かりやすい説明の仕方を教えていたところに院長登場。
もちろん、キレている。

院長「おい、嬢ちゃん!!誰に相談してんだ!?こいつは獣医師免許取ったばかりで何の経験も無い獣医でも何でもねえただのおっさんだろが!!そういう相談はオレにしろよ!!」
(○すぞ!!コラァ!!おっさんはお前だろ!?いい年こいて、言って良い事と悪い事も分かんねえのか!?このクソジジイ!!獣医じゃないと思ってんなら診療させんな!!)

ついに受け流し作戦失敗。
おっさんにおっさんと言われるのもムカつくが、何よりも獣医師免許を頑張って取った事も、これまでの努力も、全て否定されたような気がして我慢しきれなかった。
病院内で一番偉い自分が頼られなかったという事が逆鱗に触れたらしいが、あまりの言い草にこちらも怒り心頭。
顔はしかめっ面になっていたに違いないが、声に出さなかっただけでも褒めてほしい。
そもそも、院長に聞いたら怒鳴られる可能性が高いので、一番怒りそうにない僕に聞くという新人看護師の行動は当然の選択だろう。
彼女も院長に聞いたら聞いたで「今、忙しいんだ!!」とか言われて怒鳴られたことだろうが、そうしなくてもやっぱり怒鳴られるところが可哀想でしょうがない。
ちなみに、○の中の言葉は獣医師として不適切だったので伏せ字にしました。
各人で想像してお楽しみください。

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