小説『獣医禁書』
作者:深口侯人()

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また、診療と同時に、簡単な手術の執刀も任されるようになる。
『なかなかやらせてもらえない病院もあるけど、我が病院は臨床経験1か月やそこらで簡単な手術ならさせてもらえるようになるんだぜ!!ラッキー!!ヤッホゥ!!』…なんてことは無く、当然トラブルが付きまとう。

初めての手術の時、前日にいきなり「明日の手術、執刀してもらうから。」とだけ言われた。

(おぉ…、いきなりだ…。何回も助手をやったし、よっぽどの事をしない限り死なない手術だけど、失敗したら怖いな。注意しながら頑張ろう。それにしてもいよいよ執刀か、ドキドキ。)

そんな事を考えながら学生時代の専門書を見て予習し、翌日を迎える。
手術は昼の休診時間にやるので、高まる緊張を抑えつつ午前の診察を終え、手順を最終確認しながら声がかかるのを待つが、一向に始まる気配が無い。
勝手に始めて良いわけもないだろうし、どうなっているのかを院長に確認しにいこうとすると、わざわざこちらから出向くまでもなく院長登場。
もちろん、キレている。

院長「おい、もう昼だぞ?いつ手術始めるつもりなんだ?」
『えっ、もう手術始められるんですか…?』
院長「はぁ!?おい、おっさん!!何寝ぼけてんだ!?バカが!!オレはまだ今日の術式を聞いてねえぞ!!お前、オレの病院で勝手な術式の手術をするつもりかよ!?あぁ!?前にも言ったが、ここはオレの病院なんだから、ちゃんと事前に確認取れよ、オレに!!このドアホ!!」
(あぁ…、そうだった…。診察の時は気を付けてたのに、手術の時までは気が回らなかったなぁ…。でも「やる前に術式を説明しろ。」の一言ぐらいあっても良かったんじゃないかなぁ…?そもそも、もっと色々と相談しやすい雰囲気の“思慮深い優しい院長”だったらこんな事にはならなかっただろうになぁ…。)

回避のチャンスがあった理不尽ギレを受けると非常に悔しい気持ちになる。
まぁ、相手がマジシャンズセレクトの使い手である以上、回避できるわけないのだが。
というか、「執刀してもらうから。」の一言だけで、話しかけたら十中八九キレる院長に「術式を確認しなきゃ!!」と思える奴は果たしてこの世に何人くらい居るのだろうか?
ともかく、専門書通りの一般的な術式を説明しようとする。

『皮膚を○○の辺りから切開して…』
院長「おい!!難しい専門用語で誤魔化すなよ!!分かりやすく絵とかで説明しろよ!!」

難しい専門用語は使ってない。
一般的な専門書には普通に載っている単語だが、院長はなぜかこの“普通の獣医師なら新人でも知っている言葉”を知らないようで、イメージが掴めないらしい。
仕方がないから、あまり得意ではないが絵を描いて説明する。

院長「お前…、こりゃ、へったくそな絵だな…(笑)。何がどこか分からん…(笑)。ほんでこの術式はどうせ専門書のやり方だろが!!うちの病院のやり方を言えよ!!」

無理矢理絵を描かせといてバカにする神経も疑うし、分からないとか言いつつも何となく分かってるし、笑ったかと思えばいきなり怒鳴り始めるし…。
本当にコイツはどういう風に接していけば良いのかが分からない奴だ。
しかも、簡単な手術なので「うちの病院のやり方」も何も、専門書と一緒の術式だった気がしたが違うらしい。

『えっ?このやり方だと思ったんですが…。』
院長「お前…、本当にどうしようもないな!!今まで何見てたんだ!?せっかく、手術の助手もさせてやってたのに全部無駄か!?やる気無しか!?向上心ゼロか!?ホント出来の悪い弟子だわ!!オレは教えんぞ!!早く先輩にでも聞いてこい!!ボケェ!!」
(あぁ…、ダメだ…。もう堪えられないよ…。)

何か…、やけに悲しくなった。
頑張ってたつもりだったんだけど、そんなにやる気無いように見えたのかなぁ?
そこまで言われるような事したかなぁ?
男でも辛い時には泣いていいかなぁ…?
そんな想いが頭の中を駆け巡るが泣いても問題は解決しないので、腕を組んでふんぞり返っているだけの院長に背を向けて検査で忙しそうな先輩にわざわざ聞いてくる。
先輩曰く、切り始めの位置がちょっと違うらしい。
それを院長に説明すると、院長は「そうだろうが!!ちゃんと勉強しとけよ!!分かったんならさっさと始めろ!!」と言って2階に上がっていく。
後は、検査が一段落した先輩が麻酔管理をやってくれて、ベテラン看護師の助手で手術し、無事に終了した…。
教えてもらうのは最初から期待していなかったが、どうでも良さそうな細部にこだわって怒鳴った上に、何でそうしなければならないかの説明も全く無いまま、まさかの放置プレイとは…。
コイツは本当に悪い方の予想の上を行くのがうまい奴だ。
“うちの病院流の術式”が専門書に載っている一般的な術式と(本当にちょっとだけ)違う理由も、恐らく「この病院の独自性を出したかった」とか「オレ流に改良した」とかのくだらない理由だろうが、傍から見てて分からない程度の違いで、こうも怒鳴られるものだろうか?
しかも術後、皮膚の縫い目を見て「こりゃまた汚ねえ縫い方だなぁ、おい。この子も可哀相に(笑)。」と一言貶すのみ。
こうして、手術は無事成功したのに苦手意識が芽生えるという摩訶不思議な結果に終わった手術デビューは幕を閉じた。

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