小説『獣医禁書』
作者:深口侯人()

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診療や手術の話題でいえば輸血の話もしなければなるまい。
人と同じように、獣医療でも病気や怪我による貧血の場合や大出血が予想される手術では輸血を行うことがある。
人の場合は輸血パックの備蓄があるみたいだが、輸血の機会が少ない動物病院には輸血パックの備蓄はまず無いので、大抵は輸血直前に健康な動物から新鮮血を調達することになる。
まずは血液を少し採って適合検査、使えそうなら必要量を輸血用パックに採血する。
もちろん、供血動物の生命や健康に全く影響を及ぼさない量を、だ。
また、大抵の動物病院には院内犬や院内猫が居り、輸血が必要な場合は彼らがまず第一候補になる。
当然、我が病院にも院内犬が居り、犬の輸血が必要な時は活躍してくれるのだ。
彼は小さい頃に捨てられて衰弱していたところを近所の人に発見され、我が病院に連れて来られて治療を受け、回復した後はそのまま院内犬として立派に働くことになったそうだ。
…こう聞くと素晴らしい美談に思えるのだが、実際には彼は悲惨な毎日を過ごしている。
回復後、引き取り手の無かった彼はそのまま病院で暮らす事になるのだが、院長家にはすでに血統書付きの大変可愛がられているワンちゃんが居た。
元ノラ犬で雑種なため、愛情が注がれるはずもない彼の世話は従業員に丸投げされ、食事や散歩、治療などの生活レベルは必要最低限をやや下回り、生かさず殺さずの状態で飼い続けられ、愛想が悪いために従業員からも嫌われていじめられたりストレス発散の玩具として扱われ、血液が必要な時は限界ギリギリでふらつく位まで血を抜き取られる。
それに比べて2階にいるワンちゃんは、たっぷり愛情を注がれ、美味しい食事をたらふく食べ、快適な環境で過ごし、治療も予防も必要以上に受け、丸々太って血液もたくさんあるはずなのに輸血用の血液を採られた事は1回も無くて…。
そう、格差社会は人間だけでなく動物の世界にも存在するわけだ。

個人的な意見を言わせてもらえば、捨て犬などを飼う気も無いくせに可哀想とか言って病院に連れてきて治療費もその後の面倒も全て病院に丸投げしておきながら善い行いをした気になっている偽善者がそもそもの元凶だ!!
よく覚えておくといい。
里親の見つからなかった彼らは大抵、保健所行きか病院で悲惨な一生を送るかだ。
その後の生活まで面倒を見る覚悟が無いなら、捨て犬や捨て猫を病院に持ってこないでもらいたい…。
可哀想と言いつつも自分では何の損害もリスクも負わず、ただ病院に連れていく事しかしない奴は間違いなく偽善者だ!!

話がやや逸れたが、彼に対する非道な仕打ちについての院長の言い分はというと「うちで飼ってやらなかったら保健所行きだったんだぞ。血ぐらい貰っても罰は当たらん。」だそうだ。
もう「採血量を間違えた」ってことでわざと死なせてやった方が彼にとっては幸せなんじゃないかと思ったりもするが、死なせたりすると院長がブチキレて面倒な事になるのは分かりきった事であり、すぐに別の可哀想な犬が保健所あたりから連れて来られて結局同じだし、僕にそれをする勇気があるはずもないので、彼はこのまま一生ギリギリの生活をしつつ、血を抜かれ続けるのだろう…。
自宅の犬と病院の犬とで、天と地ほどの差別をする院長は獣医師として当然失格だと思うが、それを救おうとしない僕もまた獣医師失格なのだろうか…?

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