小説『獣医禁書』
作者:深口侯人()

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最初に配属されたのは、「家畜保健衛生所」という牛、豚や鶏などの家畜の疾病予防や衛生管理指導が主業務の部署だった。
ちなみに、この「家保」は県内にいくつかあり、実家近くの所を希望していたのだが、そんな希望はガン無視され、実家からは遠く離れた土地に配属された。
貴重な人材とはいえ、既卒の分際でそう易々と希望が叶えてもらえると思ったら大間違いという事か?
まぁ、そんなに実家に戻りたいわけでもなかったので、良しとする。
職場の人たちは、少し取っ付き難い人が居るには居るが、悪い人たちではなかった。
雰囲気も特にギスギスした感じは無い。
最初の職場がとにかく最悪だった事を再確認した。
そして、思ったよりもみんな真面目に働いている(笑)。
業務時間も、いわゆる“9時5時”では終わらず、サービス残業もしばしばやっていて、想像していたよりも忙しかった。
もっとも、最初の職場に比べればずっとマシだったが…。
また、ここでの僕の担当業務は、各地の疾病発生状況を各機関と連絡したり、家畜から血液を採ってきてひたすら検査したりで、やはり獣医師としてはやりがいの無い内容だったが、消化試合の僕にとってはどうでもいい事だ。
やる気が無いから文句も無い。
ただのビジネスとして、与えられた職務を淡々とこなすだけだ。
(獣医はビジネスだ!!)

ちなみに、勤めているうちに嫌でも“お役所仕事”的な対応をしてしまう場面が何回もあったのだが、やっているうちにその原因が判明した。
税金で仕事をしているという性質のため、そこら中からの監視の目が厳しく、やる事なす事全てが決まった形式に則って上の許可を取らないと実行できず、少しでも変更があればいちいち許可を取り直さなければならず、わずかでも決まりから外れる行為は実行できず、担当が決まっている業務は許可を与えられた担当でないと処理できず、以前と同じ事をする場合でも時期が違えば最初から許可を取りなおさなければならず……、とにかく全てが雁字搦めなのだ。
仕事が遅いのではない…、許可の申請ばかりで動きが取れないのだ。
不親切なのではない…、勝手な事をしたら逸脱行為として罰せられるのだ。
本当に不親切で仕事をさぼっている公務員はごく一部なのだ(と信じたい)。
各地の市役所の皆さん…、今まで心の中で『もっと急げよ!!』と罵っていてごめんなさい…。
内部処理がこんな面倒だって思わなかったんです…、すいません。

そうこうするうちに給料日もやってくるが、財政難のために基本給が数%カットされている上、保険や年金も天引きされており、各種手当も通勤手当と住居手当ぐらいで思ったよりも厚くなかったため、意外に手取りは少なかった。
もっとも、トータルで考えると、最初の職場に比べればずっとマシだったが…。
……、なんか…、最初にどん底を経験したおかげで、多少の苦労はあまり苦痛に感じない体質になっている気がするのだが、これは”汚物”に感謝すべきところであろうか…?

まぁ、それはともかく、思ったよりも厚遇も冷遇もされない普通の労働環境で、機械のように同じ仕事をし続け、いつの間にか数か月が経っていた。
そして、いよいよ念願のボーナス支給日を迎える。
卒業以来、ボーナスが貰える職に就いたのはこれが初めてなので、とてもドキドキした。
給料の数か月分もの大金が月給とは別に貰えるとは、何とありがたい事だろうか!!
まぁ、ボーナスも財政難のために数%カットされているのだが、貰えるだけマシなのだ。
大金が振り込まれた通帳を見て思わずニンマリする。

(公務員も悪くないかも!!)

公務員獣医師が何故人気が無いかを深く考えもせず、そんな浮かれ気分で働き続けてあっという間に数年経ったある日、4月の異動でいきなり「畜産試験場」に飛ばされる事となった。
またしても実家から遠く離れているわけだが、それよりも、異動のたった1週間前に、100km近く離れた場所を「新しい仕事場です。」と紹介するのはやめてほしい!!
独り身で仕事をしながらでは、色んな手続きが間に合わないどころか、新しい住居を探すのも引っ越すのも1週間こっきりでは不可能だ!!
そもそも、3月下旬といえば、ほとんどの引っ越し業者が大忙しで頼めない時期だというのに、自力で荷物を運べとでも言うのか?
まぁ、文句を言っても「決まりだから。」という返事しか返ってこないのは分かっているので、とりあえず、新職場近くのすぐ入れる部屋をネットで探して契約し、今住んでいるアパートは4月末までの契約とし、水道とかの手続き関係は有休を使って済ませ、4月の間は必要なものだけを自家用車で新住居に運んで生活し、4月終わりに残りの荷物を引っ越し業者に移してもらうことにした。
無駄な家賃1か月分〜(涙)。

そして辿り着いた新しい職場は、見渡す限りの田畑と山々に囲まれたド田舎のド真ん中。
民家も遠くにぽつぽつ見える程度の寂れた場所にあった。
家畜を飼育しているため、臭気や騒音などで近隣から苦情が来るのを避けるために人っ気が無いところに建ててあるのだ。
そこの第一印象は、もう『これ、キツいな。』以外の言葉が思い付かないほどだった。
そんな俗世間とは隔絶された場所にある畜産試験場の主業務は、家畜の改良や飼養環境の向上のための試験研究だ。
僕の担当業務も、前職場とはガラリと変わって牛の改良試験や情報収集などで、一から覚え直しだった。
しかも、さらに悲しい事に、仕事時間の内、何よりも時間を費やすのは家畜の世話である。
長引く不況のため、研究費も削られていて試験など滅多にできないので、日常業務としてはただひたすら試験用の家畜を飼い続けるのみなのだ。
もはや、「公務員獣医師の仕事」というものが分からなくなってくる毎日だ。
ちなみに、新しい住居は町の外れで、これまた辺りには何もない所だった。
かろうじてコンビニが近くにあるのがせめてもの救いだ…、近くと言っても徒歩20分だが。
そんな寂れた所から、さらに寂しい場所へ、毎日車で数十分かけて通ったのだ…。

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