小説『獣医禁書』
作者:深口侯人()

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そして休日明け、院長が突然言う。

院長「そろそろ新人先生にも診察してもらおうかな。」

病院によって異なるが、新人はしばらくの間は診療をさせてもらえないことが多い。
下手すれば一年経っても診療させてもらえない病院もあるらしく、1週間程度ではまだ診療は任されないだろうと思っていたので、あまりの早さにちょっとビックリした。

(え?いきなり?大学の時、先生方の診療を見てたからできないこともないけど…、ホントにいいのか?)

少し戸惑ったが、経験を積むチャンスだし、せっかくやらせてくれると言われたのでやってみることにした。

院長「先生は確か、動物病院の実習も行ってたんだよね?じゃあこれ、任せたよ。」

そう言われて真っ白なカルテを手渡された。
初診の患畜だ。
そして、独りで診察室に入れられる。
研修も付き添いもなく、いきなり独りでの診療が開始する。
ちょっと心細かったが、大学病院で診療の手伝いをしていた甲斐もあってそこそこ順調に進む。
症状を聞いて、普段の飼育環境を聞いて、軽く身体チェックをして、必要な検査を考えて、飼い主さんに説明して…。

『じゃあ具合が悪いみたいなんで、血液検査とレントゲン検査をさせてくださいね。待合室でお待ちください。』

そう言って患畜を預かり、検査を始めようとすると…。

院長「おい、おっさん…。ちょっとこっち来いや…。」

院長が険しい顔をしながら奥の部屋で僕を呼んでいる。

(えっ?おっさん呼ばわり?なんかまずいことしたか?てゆーか、人格変わってない?)

戸惑いつつも部屋に入るといきなり院長が怒鳴り始める。

院長「お前、なに勝手に検査始めようとしてんだ!?ボケ!!オレは何も聞いてねえぞ!!ここはオレの病院なんだから、ちゃんとオレに説明して許可を取れよ!バカが!!」
(え〜!?診療任せるって言わなかった?)

確かに言っていることは正しい。
初めてのことだし、責任者への確認は必要だっただろう。
しかし、カルテを渡すだけで後は放置しておいてそれは無いのではないか?
「事前に確認しろよ。」と一言言ってくれても良かったのではないか?
いきなり一方的に怒鳴られるほどの過失だっただろうか?
ちょっとムカッときたのを抑えつつ、病状を説明し、検査予定の項目を伝えると…。

院長「そんな検査で何が分かるってんだ!?バカが!!危うくオーナーに無駄金使わせるところだったわ!!やっぱお前に診察はまだ早いな…、雑用でもしながらオレがやるのをよく見とけ!!」
(…ウザッ!!)

軽く殺意が湧いてくる。
目尻や唇が怒りで震えていたかもしれない。
こんな気持ちは初めてだ。
診察終了後、院長が語り始める。

院長「ホント、診察って見てるよりも難しいんですよ。民間の病院では、大学病院みたいに何でも検査させてもらえないから検査項目を絞るしかないですしね。だから最初は自分なりに必要な検査を考えながら、実際の僕の診察と比べて答え合わせをして練習してみてくださいね。」

人格が外向け用に戻っている。
これはこの病院流の洗礼らしく、【診療は見ているよりずっと難しいから、自分がやっているつもりになって院長や先輩のやり方をよく見て練習しましょう】という事なのだそうだ。
いきなり理不尽に怒鳴られて『なるほど、僕を立派に育ててくれるためだったのか。』などと素直に納得できるわけも無いが、確かに今まではどこか他人事のように診療を見ていた感もあり、至らない部分があった点は反省する。
それにしても悪意を感じるやり方だ。
果たして怒鳴る必要があったのか?
院長の日頃の憂さ晴らしも兼ねているのではないか?
てゆーか、絶対兼ねてる!!
ちなみに先輩獣医師の時は、検査項目は院長の考えと合っていたらしく、その先の診断や治療のことまで聞かれてダメ出しをされ、同じ流れになったそうだ。
その時、先輩も殺意を抱いたという話を聞いてちょっと親近感が芽生えたが、そんなものはすぐに無くなることになる。

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