小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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二 死者の船 4

 船体の小窓が開いた。
 中から一人の男が顔を出し、小さな珍客に気が着いて、見下ろした。
 「!」
 エルゥとティム爺は驚いた。
 男は、エルゥよりも黒いその肌に、白い何かの模様を顔や腕に描いている。薄暗い中に、その模様と、眼の中の白い部分が光っているように見え、エルゥは背中がぞくぞくするのを感じた。
 「言葉が通じるかの…」
 ティム爺はそう呟いた後、
 「わしらは遭難したんじゃ。それに子どもが一人、病気になって困っておる。助けてもらえまいかのう」
 と、少し声を上げて言った。
 男はじっとこちらを見下ろしていたが、無言で小窓を閉じた。
 「通じたのかな」
 「分からん。頷いてくれたようにも見えたが…」
 しばらく待っていると、上から気配がした。見上げると先ほどの男が、船の上から縄梯子を降ろしているところである。
 「良かった!上がっても良いんだね!」
 「わしがイファを背負って上る。エルゥは後から来なされ」
 「分かった!ジャイロはどうするの?」
 「とりあえずこの縄で、梯子に結んでおこう」
 ティム爺は手際良く、備えていた縄をジャイロのフックに引っ掛け、もう片方を縄梯子に結びつけた。そしてエルゥの手を借りてイファを背負い、先に縄梯子を上り始めた。
 その間、上の男は手明かりを掲げて、縄梯子を照らしてくれている。少し異様な容姿なのだが、とても優しい人なのではないかとエルゥは感じた。
 ティム爺が上り終えたのを見届け、エルゥもするすると、簡単に梯子を上っていった。
 船の縁に手をかけ、最後に少し弾みをつけて上り詰めると、そこにはイファを背負ったまま、呆然と立ち尽くしているティム爺の姿があった。
 「どうしたの?う、うわ!何…」
 ティム爺の後ろから甲板を覗き込んだエルゥは、その先の言葉を失った。
 そこには大勢の人が天を仰ぎ、きちんと並んで横たわっている。
 誰も皆、顔に男とは異なる白い模様が描かれ、瞳は閉じ、手は胸の上で、手のひらを下にむけて交差したまま、微動だにしない。
 「これは…死人(しびと)…じゃな」
 「そうだ」
 男は落ち着いた声で、第一声を発した。
 「しかしみな、眠っているように綺麗なままじゃ。腐敗していないのはどうしてじゃ?死んだばかりなのかの?」
 「ローサの樹液が塗ってある。一月は腐敗を遅らせる」
 「おまえさんはどこのお人じゃ?一人でこの船を動かしておるのか?」
 「私はイグアノスの村の者だ。他に二人いるが、よく眠っているのだろう」
 「イグアノスか。聞いた事が無いのう」
 「話は後だ。子どもの具合が悪いのだろう。こちらへ来い」
 「おおそうじゃ、すまない。世話になる」
 先に立った男に続いて、ティム爺とエルゥも船室へと入っていった。
 「七人だったよ」
 後ろから、エルゥが囁いた。
 「七人の遺体とシグリット製の古い大型船か。謎だらけじゃの」
 「世界中を旅してるティム爺でも、聞いた事が無いの?」
 「ああ。イグアノスという村は初めてじゃな。西の大陸の、奥深くにあるのかもしれん。あの辺りは、ジャイロを止める場所が無いからの。しかしそんな奥深くにある村が、何故大型船なんぞで遺体を運んでおるんじゃ。さっぱり解からん」
 階段を少し降り、しばらく狭い廊下を歩いたところで、二人はその部屋に招かれた。
 中は赤を基調に織り込まれた絨毯が敷き詰められ、見たことも無い像が壁際の棚や床に並べられていた。
 「子どもをここへ」
 男は部屋の隅の寝台へ、イファを寝かせるように指示した。
 ティム爺が言われるままイファを寝かせ、持っていたタオルで汗を拭いてやると、男は部屋の隅に置かれていた木の箱から何かの実を取り出し、次にガラスのコップで樽の水を汲み、その二つをエルゥに手渡した。
 「これですぐに熱は下がる」
 「ありがとう!」
 エルゥはそれをイファの枕元へ持っていった。
 ティム爺がイファの頭を少し持ち上げ、実と冷たいその水を飲ませてやると、イファは熱で朦朧とする意識の中、何とかそれを飲み込んだ。
 「本当に助かった」
 イファを寝かしつけ、少し落ち着いたところで、ティム爺は改めてそう言った。
 「わしはティムじゃ。ここから南東にあるビオラ島に住んでおる。この子は島の娘でエルゥ。熱を出してしまったのはイファじゃ。わしらは三人で、北の大陸に向かうところじゃったのじゃが、ジャイロが故障して海に遭難してしまったのじゃよ。アンタが来てくれなんだら、大変なことになっておった。本当にありがとう」
 「本当にありがとう!」
 エルゥも、満面の笑顔を男に向けた。
 男は静かに頷いた。
 「この船はどこへ向かっておるのじゃ?アンタはイグアノスの村…とか言っておったが…」
 「私はコリン。イグアノスは西の大陸の、バハム山脈の裾野にある村だ。この船の目的地は満月の海だ」
 「満月の海?」
 「そうだ。満月の海に死者を弔う儀式をする。それが終われば、私は西の大陸へ戻る」
 「満月は明日じゃな」
 コリンと名乗ったその男は頷いた。彼はさらに続けた。
 「我々の村では、死者は水葬にするのが習慣だ。かつては村に流れるワイツ河に流していた。だが数十年前から、河の下流に大きな街が出来てしまい、死者を流す事は出来なくなった。そこで我々は街の港まで死者を運び、シグリットの中古船で、海の真ん中で儀式を行うことにしたのだ」
 「死んだ人を海に捨てるの?」
 思わずエルゥは、正直にそう言った。まだ幼いエルゥには、習慣の違いが、理解できなかったのである。少し失礼なエルゥの言葉だったが、コリンは怒る様子も無く、穏やかに答えた。
 「捨てるのではない。海に還すのだ」
 「海に還す?」
 「そうだ。海に死人(しびと)を沈める。すると、海の魚たちが死人の身体を啄ばむ。死人の一部は魚の中で、魚を活かすために甦るのだ。そして死人を食べた魚は、別の魚に食べられる。またその魚が死ねば、次の魚の糧に…。これが永遠に続き、命は一つにつながっていくのだ」
 エルゥは、頭の中でゆっくりと考えてみた。
 自分が死んで…、その身体を食べた魚が生きる。
 その魚の一部に、自分がなるということなのだろうか。
 そして、その魚を別の魚が食べる。
 自分は死んでも、それで終わりじゃあないと言うことなのだろうか。
 他の生物の一部になることによって、ずっと、ずっと、命がつながって行くと言うことなのだろうか。
 「山の上の人間は、死人を山へ還す。河と共に生きていた我々は、海へ死人を還す。だが下流の街アントスの人間は、どこにも還さない。焼いて、その灰や骨を小さな箱に詰めて、これを地に埋めたり祀ったりして、次に繋がるはずの生をそこで止めてしまっているのだ。もしも、この地に生きとし生ける全ての人間がそうしてしまったなら、どうなるか解かるか?」
 「解からない。どうなるの?」
 「他の生へと循環していくはずの命を、人間は止めてしまうことになる。つまり、この惑星(ほし)の命の輪から、人間は外れてしまうのだ」
 「命の輪?」
 「そうだ。惑星(ほし)が成り立つための、命の輪だ。そして輪から外れた人間は、やがて惑星にとって不必要な存在となり、これを排斥するための力が自然に働く。つまり輪の外の人間は、いずれ自然淘汰されてしまうということだ」
 「しぜん…とうた?」
 「自然に消えてしまう力が働くということじゃよ。なる程な…。そうかもしれん。とても良く解かる話だ」
 まだよく理解できないエルゥに対し、ティム爺は何度も頷きながら、その話に聞き入っていた。
 「これは、我々の村に古くから伝わっている伝承だが、我々は正しいと信じている。だから死人(しびと)を、海へ還すのだ。おまえたちの島ではどうだ?」
 「土に埋めるよ。これって…どうなの?」
 「埋め方にも拠る。そのまま埋めるのか?」
 「ううん。布に包んで、深い穴を掘って埋めるんだ。だから動物とか、食べないよね?」
 「いや。それは正解だ。土の中にいる虫たちが生を繋いでくれるだろう」
 「そうなんだ」
 エルゥは良かったと思う反面、虫が身体をつっつく図を想像してしまい、少し嫌だなあと思った。虫の一部になるよりも、どうせなら魚の方が良い。
 「ね、ティム爺、もし私が死んだら海にしてよね。土には埋めないでよ」
 ティム爺は笑いながら言った。
 「何を言っとるか。順番から言えば、わしの方が先じゃ。わしは空が好きじゃから、出来れば鳥の中に生を繋ぎたいものじゃな」
 「プレバ山脈の頂上には、天の鳥パイザーが舞い降りる。パイザーに啄ばまれたなら、天上人として生まれ変われると言い伝えられているのだ。だが、プレバ山脈は登るのも危険な、とても険しい山だ。死人を伴ってそこへ行くことは難しい。だから、そこへは死が間近な者が自らの脚で頂上まで登り、パイザーを待つのだ」
 「これは良いことを聞いた。プレバ山脈か。わしはそろそろ向かって準備した方が良いかの?」
 「何を言ってるんだよ!ティム爺はあと五十年以上は大丈夫だって!」
 「何と、百三十まで生きろと言うか」
 「余裕でしょ?」
 「そうじゃな…」
 あまり自信はないが、きらきらした瞳でエルゥにそう言われたので、ティム爺は思わず頷いた。ビオラ島には百歳を越える老人が、まだまだ大勢、元気に生活をしており、過去には百四十四歳の天寿を全うした者もいる。恐らくあの島で、のんびりと充実した毎日を送っていれば、百三十歳まで生きるのも可能に違いない。だが、自分の中の冒険者の血が、島に長く留まる事をさせてくれないのだ。細々と長生きをするよりも、旅の中で死ぬ事が出来れば本望なのである。
 その日はしばらく、生死について三人で語った後、赤い絨毯の上に横になって眠りに付いた。

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