二 死者の船 6
「助かった…。じゃがすまんのう、船を壊してしもうた」
「気にするな。天井は直せる。当分雨も降らぬから、大丈夫だ。それより二人は…」
その言葉が終わらないうちに、地下の階段から、二人が駆け上がってきた。二人は地下へと一時逃れたが、心配で、上の様子を窺っていたのだ。
「ティム爺!」
エルゥはそういいながら、ティム爺に抱きついた。
「ティム爺、コリン、みんな…!ありがとう!」
「あれが天使とは、がっかりだ」
コリンは吐き捨てるように言った。
「罪も無い子どもを殺そうとするなど、まるで悪魔のようだ」
「ああ。全くじゃ」
コリンの言葉が、ティム爺の胸に響いた。
まさにその通りである。
外見は天使に違いないが、容赦なく襲い来る様は、自分たちにとっては悪魔そのものなのだ。
「でも、良い人もいるんだよ。私たちが危なくなったら、駆けつけてくれるって」
エルゥはセイドとラカイユを思い出しながらそう説明した。だが、コリンはまだ憤然とした様子で返した。
「そんなものは当てにならぬ。この先、おまえたちだけで大丈夫なのか?」
「う、うん。何とかなるよ」
「最終的に何処へ行くつもりだ?」
「地の底の国に行って、そこで元アルノワ人のレシアって人を訪ねるんだ。その人の導きで、今度は天の国アルノワに行く。そしたら、そこの一番エライ人に会って、助けてもらうんだ」
コリンは精悍な顔に、深く眉間を寄せた。
老人と子供二人。
どう考えても危険すぎる。
だが、自分には死者を海へ還すと言う大事な役割があり、彼らを助けてやることは出来ない。
「少し遠回りをしても良いか?」
「あ、ああ。勿論構わんが、遠回りとは…?」
「北の大陸の港ではなく、西の大陸の港へ着ける。そこに私の村の者がいる。彼は今、アントスで色々と勉強をしているのだが、事情を話せば協力してくれるはずだ」
「うーむ。しかし…」
「彼は村でも屈指の戦士で、神官の私よりも頼りになる。多少時間のロスをしてでも、アントスへ向かって彼と同行した方が良い」
「じゃが、実はジャイロの定員が大人で二人で、これ以上は乗れんのじゃ」
「まだ空から行くつもり?」
口を挟んだのは、イファである。
「空は確かに早く行けるけど、危険すぎるよ。襲われた時に応戦も出来ないし、逃げ場も無い。それに空でジャイロを壊されたら、全員、墜落死しちゃうよ。今回は海の上で助かったけど、次ぎに空で襲われたら、確実に助からないと僕は思うけどな」
うーむと、ティム爺は唸った。
確かにイファの言う通りである。
「そうじゃな。急がば廻れじゃな。早く行くことも大事じゃが、死んでしまったら何にもならん。時間をかけてでも、安全に行く方が良さそうじゃな。しかしジャイロはどうしたもんかのう。アントスに、あんな大きなモノを預かってくれるところなどあるかのう」
「心配ない」
コリンは、頷きながら応えた。
「ジャイロ…というのか?あの船は私が大事に預かっておこう。この甲板なら十分に置ける。いつでもアントスの港へ取りに来れば良い。月に一度は死者の儀式をするが、それ以外は港に繋ぎっぱなしで、万一私が居なくても、誰かが港に居るはずだ」
「すまんのう。何から何まで…」
「気にすることはない。我々は死後の命の輪を大切にするが、生きている者はそれ以上に大切にする。生きている者を護るのは、当然のことだ」
それから、六人は地下の食堂で、イグアノス式のポポ芋が中心の朝食を取った後、乱闘騒ぎで荒れた室内を片付けることにした。
床に散らばっている天井の木片や白い羽根。
傷ついたアブリルの血痕。
壊れた椅子や棚。
乱闘の時間は短かかったが、その荒れ具合に、緊迫した死闘が甦ってくる。
すぐに事情を解かってくれたセイドやラカイユとは違い、先ほどの二人は、全く聞く耳すら持ってはくれなかった。彼らの目的は、この地上に災いをもたらす龍を倒すことではなく、狩りそのものを楽しんでいるのである。
だから彼らにとって、獲物は何でも良いのだ。
狩る事を許された標的であれば、災いであろうと、罪無き者であろうと。
改めてそれを実感したエルゥは、木片を拾い集めながら、押し潰されそうなほどの不安に襲われた。
そんな様子に、ティム爺は気がつき、座り込んでうつむいているエルゥの側に、自分も腰を落として優しく言った。
「どうした?エルゥ。元気が無いのう」
「…。ごめんね…」
エルゥは俯いたまま呟いた。
「何を謝る?おまえさんは何も悪い事はしとらんぞ」
「だって…私のために、ティム爺もイファも大変な目に…」
「別にわしは、大変だとは思っておらんぞ。冒険に苦労や危険はつきものじゃからな。一人で旅をしている時と、それほど変らんて」
「ホント?」
エルゥは顔を上げた。
「ああ。おまえさんは、今は大変に思うておるかもしれんが、乗り越えて振り返ってみれば、大変な事も含めて、皆楽しく懐かしい思い出になるぞ」
「僕は今も楽しいけどね」
イファが、エルゥとティム爺の後ろから、そう声をかけた。
「イファ…」
「だって、書物に書いてない色んなことが勉強できるからね。こんな良い機会は滅多にないよ」
イファらしい言葉だったが、エルゥはとても嬉しかった。
いつも嫌味な事ばかり言うイファなのだが、天使に襲われたり海に落ちて熱を出したり、一番散々な目に遭っているというのに、それには一切何も触れず、楽しいとまで言ってくれたのである。
「ありがとう!二人とも!」
エルゥは満面の笑顔でそう言った。ティム爺は眼を細めて頷いた。イファも微笑み返した。
「まあ、何とかなるよね。今までも何とかなったんだし」
ようやく、元気で前向きないつものエルゥに戻ったようである。
三人の様子を側で観ていたコリンは、エルゥが落ち着いたのを見届けると、静かに声をかけてきた。
「君は大丈夫だ」
「え?どういうこと?」
「私は多少だが、未来を見る力がある。君の末来が今、少し見えた」
「ホント?どんな?」
エルゥは思わず、コリンの方へ身を乗り出した。
「とても美しい女性になっていて、今のように明るく笑っている。青い空と青い海の、とても美しいところでね」
「ビオラ島だ!」
エルゥは飛び跳ねんばかりに喜んだ。美しい女性と言われたのも嬉しいが、未来の自分は、ビオラ島で幸せに暮らしているのである。という事は、この旅を無事に終えて、自分は母や妹の待つあの島へ帰ることが出来るのだ。
ティム爺はエルゥの美しく成長した姿を想像た後、少し言いにくそうに、コリンに言った。
「わしの末来は見えんかの?」
「待て…」
コリンは瞳を閉じて僅かに瞑想した後、再び瞳を開けて言った。
「青くて翼が四枚ある乗り物に乗って、空を飛んでいる姿が見えた」
「複葉機か?」
「乗り物の種類は知らないが、とても大きな乗り物で、かなりの速度で青空を飛んでいた」
「そうか!わしは新しい飛行機を買うのじゃな!エルゥ、イファ、おまえたちも乗せてやるぞい!」
ティム爺も子どものように大はしゃぎである。
「僕は?」
続いてイファもコリンに詰め寄った。コリンは瞳を閉じ、しばらく瞑想した。
「!」
やがてコリンは、はっと驚いたように瞳を見開いた。
「何が見えました?」
無邪気に自分の答えを待つイファに、コリンは「君はね…」と言った後、何故か言葉を切った。
「待って。僕だけに教えて」
イファはコリンの手を掴んで、壁際へ誘導した。
「あ!ずるーい!私たちの分は聞いといて、自分のは教えないんだ!」
イファは膨れるエルゥに構わず、コリンに声を潜めて言った。
「何を言われても平気だよ」
コリンは少し苦笑した。
自分の微妙な態度に、この聡明な少年は何かを察したようである。
コリンはイファの耳元で囁いた。
「案ずるな。悪い末来ではない」
「ホント?」
「ああ。君はね…」
コリンは何やら、イファに短く伝えた。イファの表情が、たちまち明るくなった。
「ホントに?」
「ああ。本当だ」
「やったあ!」
イファは思わず両手を挙げて喜んだ。
「何よ。何言われたの?」
「絶対教えない」
悪戯っぽい表情で、イファは答えた。エルゥはイファに聞いても無駄であると悟った。
「何が見えたの?コリン」
そう詰め寄ると、コリンは
「彼の末来は…」
と素直に話し始めた。しかしイファが、
「ダメ!エルゥに言っちゃダメ!」
と叫んだので、コリンは言葉を切り、エルゥに瞳で謝った。
「もう…!いいじゃん、それぐらい…」
「エルゥこそ、僕の末来なんてどうでも良いじゃないか。それより早く掃除し終えないといけないだろ」
「自分こそ早く片付けなよ!」
二人は軽い口げんかを始めながら、再び床を片付け始めた。
その様子を少し眺めていたティム爺が、エルゥを気にしながら、そっとコリンに囁いた。
「何が見えたんじゃ?」
「彼は美しい青年に成長して、窓から柔らかな陽の光が差し込む部屋で、多くの書物に囲まれて読書をしていた」
「ほほう、なるほど。イファらしいのう」
ティム爺は満足して、何度も頷いた。だがその隣で、コリンは再び不可解な表情になっている。
(しかしあれはどういう意味だ…?)
コリンは、見えたイファの末来を一つだけ話す事が出来なかった。
静かに本を読む彼の背中には、白い大きな翼が生えていたのだ。
(彼は天使なのか?それとも、これから天使になると言うのか…?)
その答えは、コリンに解かるはずもなかった。
その夜。
満月の元で、死人(しびと)を海に還す儀式が執り行われた。
コリンたち三人は、短い祈りの後、七名の遺体に木彫りの人形を持たせ、早くに逝った順に海へと沈めていった。木彫りの人形には、それぞれ死人への家族の想いが込められ、海の底に沈んでも、心は共にあるという意味があるのだ。
死人は静かに月明かりの波間へと消えていった。
それをエルゥたちは、少し不思議な気持ちで眺めていた。
この後、この七人は魚の一部となり、命を次へと繋いでいくのだ。
そう考えると、死ぬのもそれ程怖くは無いかもしれないなと、エルゥはふと思った。
三 追う者 1へ続く