小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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三 追う者 1

 死人(しびと)を見送った後、大人たち四人がかりでフロートの空気を抜いたジャイロを甲板に引き上げ、船は西へと進路を向けた。
 穏やかな海路を進み、西の国アントスの港町へ到着したのは、翌日の夕方近くである。
 船をマドルとエッジに任せ、コリンを先頭に、エルゥたちは赤いレンガ造りの建物が整然と並ぶ町並を歩いた。
 色とりどりの服を着た、華やかな人々。
 見たことも無い形の建物。
 ビオラ島しか知らないエルゥとイファは、何もかもが物珍しく、通り過ぎる全てのモノに眼を奪われた。
 「凄い!人がたくさんいるよ」
 「街じゃからな」
 「街って人がたくさんいるの?」
 「そうじゃ。だから街と言うんじゃ」
 「へえ。じゃあビオラ島は、こんなに人がいないから、街じゃないんだね」
 無邪気に楽しんでいるエルゥに対し、イファは真剣な顔つきでコリンを見上げた。
 「ここは新しく出来た街なんでしょ?」
 「ああ。そうだ」
 「それまでは何があったの?」
 「ティスカロの森と真砂の浜だ。そこへ約二十年前、北の大陸から移民団が上陸し、森の木を切り、砂浜を埋め立てて街を創った」
 「勝手に創ったの?」
 「ここは誰の土地でもない。我々の物でもなければ、北の移民団たちの物でもない。確かに移民団の者たちは、誰にも何の断りも無くここに街を創ったが、誰にも断る必要は無かったのだ」
 「でもそのせいで、コリンたちは河に死者を弔うことが出来なくなったんでしょ?」
 「そうだ。我々は、こんな街が出来たことも知らず、死者を弔っていたのだが、ある日街の代表者が我々の村を訪れ、死者を流さぬように言ってきた」
 「言葉は通じたの?」
 「いや。初めはもちろん会話などできる状態ではなかった。だがお互いに勉強をして、何とか半年後ぐらいには、交渉ができるまでになったのだ」
 「じゃあ、その間もコリンたちは河で死者を弔っていたの?」
 「そうだ。どんなことがあっても、我々はその風習を止めるわけにはいかん。だが街の人々の言い分も解らなくもない。そこで我々と街の人々の間で何度も話し合い、街の人間が、死者を海へ送るための船と街に我々の住居を用意するという条件で、折り合いをつけることになったのだ」
 「ふうん。でもコリンたちはそれで良かったの?昔からの風習を変えちゃった訳でしょ?」
 「方法は変わったが、本質的な風習は変わっていない。我々に重要なのは、死者を海に還すことだ」
 「ふうん。じゃあさ…」
 イファとコリンの会話を隣で聞きながら、エルゥは、どうしてイファは質問する事が次々に出てくるのだろうと思った。それに、コリンに質問している時のイファは、島で静かに本を読んでいる時と違って、とても活き活きしているように見える。
 これも彼が、伝承師という血筋だからだろうか。
 いや、そういう難しいことは抜きにして、純粋にイファは勉強する事が好きなのかもしれない。
 エルゥはふと、イファが船の上で、「僕は今も楽しい」と言っていたのを思い出した。
 今のイファの様子を見ていると、あれは本当に心からそう言ってくれたのだと感じた。
 「ここだ」
 やがてコリンは、レンガ造りの二階建て集合住宅の前で脚を止めた。
 二階の窓は七つ。一階は六つ。この辺りに良く見かける建物である。
 細い階段を上がり、二階の一番右端の部屋の扉の前に立つと、いきなり扉が開かれて、中からコリンの様に、顔に白い模様を描いた男がのそっと現れた。
 男はがっしりとした体型に、コリンよりも頭半分ほど高く、少し訝しげな表情でエルゥたちを見下ろした。厳つい顔つきに鋭いその瞳は、あまり歓迎していないような、少し怖い雰囲気を漂わせている。
 「ムルワ ドウ エスタリマ」
 「タル ヘカサ」
 コリンは男と軽い会話を交わすと、「中へ」と、エルゥたちに向かって言った。
 「うん。良いの?」
 「ああ。私の友人と説明した」
 「アクラ マナ…ようこそ。中へ」
 男は、黒い肌から白い歯を一杯に見せて、エルゥたちを招いた。
 さっきは無言で見下ろされ、少し怖いような印象だったのに、今は人懐っこい笑顔を向けている。その表情にエルゥは、島の漁仲間をふと思い出し、とても親近感を覚えた。
 部屋の中は、船室と同じように独特の模様の布が敷かれたり飾られたりしており、草のような心地好い匂いが漂っている。
 「適当に座ってくれ」
 コリンの言葉に、エルゥたちはその辺りの床に座った。
 「どうぞ」
 男はエルゥたちの前に、素焼きの器を並べ、そこに瓶から水のようなものを注いだ。
 「ありがとう」
 そう言いながらエルゥは器を持ち上げると、ほんのり甘い香りがした。
 「美味しい!何?これ」
 「こんなの飲んだことない!」
 エルゥとイファは思わず声を上げた。
 「マライサの樹液を水で薄めたものだ。とても栄養がある」
 コリンが、自分もそれを口もとに運びながら答えた。
 「凄く美味しいよ。ビオラ島にもあれば良いのに」
 「残念じゃが、年中暖かくて雨の少ないビオラ島には育たんよ」
 「なあんだ。残念」
 「ビオラ島のニンゲンか?」
 男が訊いてきた。
 「そうじゃ。訳あって旅をしておる」
 「私が説明しよう。クタ アル トリハ…」
 コリンが真剣な表情で、男にイグアノスの言葉で語り始めた。
 男は何度も頷き、時折瞳を大きく見開いて、エルゥにチラチラ視線を流しながら話を聞いていたが、コリンが全てを話し終えた時、大きく一つ頷きながら力強く言った。
 「承知した。オレに任せろ!」
 「一緒に行ってくれるの?」
 「ああ」
 「ありがとう!」
 エルゥは、満面の笑顔を彼に向けた。
 「オレはガライだ」
 「私はエルゥ!」
 「僕はイファ」
 「わしはティムじゃ。よろしくのう」
 「オレは戦士。オレがこの子を護る!」
 見かけは少し厳ついが、その目はとても優しい。
 頼もしい味方に、エルゥもイファもティムも、心強く感じた。
 その夜はガライの簡単な手料理をご馳走になった後、ティム爺の持っていた地図を広げて、今後のルートを話し合った。
 このアントスは、二十年前に北の大陸から来た移民団が開拓した土地で、周囲はまだ手付かずの自然が残っている土地も多い。一番近い国でも南に位置するマベナの街で、何とか馬車が往来できる程度の道は通っている。しかし目的地の北への陸路には、大森林や山岳地帯などが横たわり、道などはほとんど無いので、どんなに急いでも、十日以上もかかってしまうのだ。
 そこでエルゥたちは、アントスから直接北の大陸の国デルフィノの港に向かう定期船を利用することにした。海路なら二日程で着けるし、アルノワ人はエルゥ以外の乗客には手を出せないので、エルゥを船室などに非難させておけば護り易いだろう。
 「戦いは俺に任せろ!素手ならシーグルも倒せる。弓なら大タウザーも射落とせる!」
 気合も満々に、ガライは明日の出発に備えて、自慢の弓矢や剣を準備し始めた。
 それを覗き込んでいたエルゥとイファだったが、やがてイファが神妙な顔つきで言った。
 「いざと言う時、僕も何か戦う方法は無いかな」
 「ダメだ。子どもは戦ってはいけない」
 コリンは静かに首を左右に振った。ガライも、
 「俺がいる限り、お前たちには戦わせない」
 と力強く言った。
 「でも、そんなことは言っていられない時が来るかもしれないよ」
 「ダメじゃよ。お前たちにはそんな危険な事はさせられん。必ずわしとガライで何とかしてやるから、安全な所で大人しくしているんじゃ」
 ティム爺も、今まで見たことも無い厳しい表情でそう言った。
 だがイファはそれよりも強い瞳で応えた。
 「無理に戦うなんて言っていない。でも僕は、戦わなければならないという可能性が、全く無いとは思えないんだ。だから色んな状況になることを考えて、備えておいた方が良いよ」
 イファの言葉に、ティム爺は感心した。十三歳の子どもとは思えないほど冷静な意見である。
 「では、これを身に付けていなさい」
 コリンが、自分の腰に刺していた短刀をイファに手渡した。
 柄と鞘には木の細工がしてあり、刃は白く光る見たことも無い鉱石でできている。
 「これは我々神官が身に付ける護身刀で、魔よけのまじないがかけてある。追いかけてくるのは天使なので、魔よけの効き目は無いだろうが、何かの役に立つかもしれない」
 「いいの?コリンの大事なものでは…」
 「大丈夫だ。私はこの後すぐに村に帰るので、また新しく作る事が出来る」
 「ありがとう!大事にするよ!」
 イファは嬉しそうにそれを受け取った。コリンはさらに付け加えた。
 「むやみに抜かないように。君のことだから大丈夫だとは思うが、本当に危ない時にしか、使ってはいけないよ」
 「解かってるよ。エルゥを護る時にだけ使うから」
 「え…」
 イファの言葉に、エルゥは一瞬トクン…と胸が少し速くなったのを感じた。
 何だか不思議な感覚である。
 身長も大して変わらないし、体格なんて、もしかしたらイファの方が華奢かもしれないのに、何故か彼が少し大きく見えた。

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