小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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三 追う者 3

 「俺戦う!」
 ガライは背中に備えていた弓矢を取り、宙に舞い上がった一人に、二本、三本と矢を放った。
 ティム爺も腰の剣を抜き、エルゥとイファの前で構えた。
 「行くぞエノヴァル!戦いに集中しろ!」
 アッシードの強い口調に、エノヴァルは自分の中の迷いを何とか振り切り、三人に続いて剣を構えた。
 (…ダメじゃ!これは太刀打ちできん…)
 ティム爺はそう直感した。
 その時である。
 船が大きく右に傾き、海から飛沫を上げて、大きな銀色の龍が出現した。
 「レスパ!現れたな!」
 アルノワ人たちは一斉に、龍へと飛び掛った。
 「ダメ!逃げて!海に逃げて!」
 エルゥは必死にそう叫んだ。
 「今のうちに、客室へ逃げるんじゃ!」
 「でも倒されちゃう!」
 「そんなことを言っている場合じゃない!早く客室へ…」
 龍を気にしているエルゥの腕を取り、客室へ導こうとしたイファは、その状態に驚いた。
 客室への扉は、内側からしっかり鍵が掛けられていたのだ。
 「開けて下さい!中に入れて下さい!」
 だが、扉の小窓から外の様子を窺っていた者たちは、イファから視線を外し、こちらを見ようとはしなかった。
 「くそ…。入れてくれないつもりか…」
 エルゥはイファの腕を解き、ガライに向かって叫んだ。
 「あの子を助けて!何も悪いことしてないの!あのままじゃあ倒されちゃう!」
 「しかし…」
 戸惑うガライの代わりに、ティム爺がエルゥを宥めるような口調で優しく言った。
 「しかしエルゥ。あの龍がここで倒されたなら、おまえさんへの誤解は解けるかもしれん。もう逃げ回らなくても良いかもしれん」
 「でも…なんの罪も無いのに…」
 「あの龍は初めから、倒される運命だったのじゃ。そしてお前さんはただ、それに巻き込まれただけじゃ。我々は、あの龍の運命を見守るしかない。これ以上、自ら巻き込まれることは無いじゃろうて」
 「…」
 エルゥは言葉を失った。
 可哀想な龍。
 ただ、倒されるためだけに産み出され、そして眼の前で命を奪われようとしている。
 そんなことがあっても良いのだろうか。
 エルゥは納得できなかった。
 龍は四人のアルノワ人の剣を、一太刀、二太刀と受けながら、海と空の狭間で身を捩じらせている。
 反撃することも無く、逃げることも無く。
 「…どうして逃げないの?海に潜れば、追って来れないのに…」
 「まるで倒されようとしているようだ」
 イファの言葉に、エルゥははっと目を見開いた。
 恐らく龍は、自分のせいでエルゥに危機が迫っていることを悟り、自らが倒されることで、それが回避されると思ったのではないだろうか。
 (どこが災いの龍よ!すごく良い子なんだから!)
 そう思ったエルゥは、勝手に身体が動いていた。
 ガライの持っていた弓矢を奪い取り、アルノワ人に向かってそれを放ったのだ。
 「逃げて!海に潜るの!海のお魚になって暮らせば、幸せに暮らせるよ!」
 「エルゥ!何をするんじゃ!止めなされ!」
 ティム爺の制止を振り切り、二本、三本と矢を放つ。
 予想外の矢の攻撃にアルノワ人は怯み、一瞬、龍から離れた。
 「海の中に逃げて!」
 エルゥは必死に叫んだ。
 すると虚ろに宙に漂っていた龍の瞳がカッと見開き、龍は頭から海の中へと突っ込んで行った。
 「エノヴァル!」
 アルノワ人たちは、龍の消えた海を覗き込んでいる。
 どうやら、エノヴァルが龍と共に、海の中へ沈んだようである。
 アッシード、ロスネル、オーランの三人が、恐ろしい形相で、再びエルゥたちの元へ舞い降りてきた。
 「貴様!龍に操られているのか!それとも龍が分身を創り…」
 アッシードが言い終わらないうちに、エルゥはヒラリと身を躍らせ、海へと飛び込んだ。
 「待て娘!…く…。海へ逃げたか…!」
 怒りに目を引きつらせるアッシードに、イファは冷静な口調で言った。
 「違うよ。エルゥは海に墜ちたアンタたちの仲間を助けに飛び込んだんだ。アンタたち、どうして仲間を助けないんだよ」
 「我々は水には潜れない。エノヴァルが自分で何とかするか、出来なければそのまま彼は果てるしかない」
 「とんだ天使だね。ティム爺、浮き輪を捜して!」
 「ほい。そこじゃ。ガライ、海に投げ込んでくれ」
 ガライは腰に刺していた剣で、甲板の脇に備えていた浮き輪を外し、軽々と海へ投げ込んだ。
 「エノヴァルを助けるだと?自分の命を狙いにきたものだぞ!そんな馬鹿な…」
 アッシードはそう呟きながら、ロスネルとオーランと共に、海面を覗き込んだ。
 ほどなくエルゥが顔を出し、浮き輪に縋りついた。
 小さなその身体で、自分よりも大きなエノヴァルの身体を抱き支えている。
 三人の天使は翼を広げ、空に舞い上がると、次々、浮き輪に捕まっているエルゥの所へ降り立った。
 「しまった!危ない!」
 慌てるティム爺に、イファが相変わらず落ち着いた声で言った。
 「大丈夫だよ。多分」
 「何で解かるんじゃ?」
 「何となくね。ほら」
 イファが指を刺した。
 そこにはロスネルとオーランが意識を無くしているエノヴァルを両側から支え、アッシードがエルゥを抱き抱えて、ゆっくり甲板に戻ってきた。
 「ありがとう」
 甲板に下ろしてくれたアッシードに、エルゥは笑顔でそう言った。
 「…」
 アッシードは言葉を失い、黙ったまま、エルゥを見下ろした。
 「解かってくれたのかの?」
 ティム爺がアッシードの顔色を伺うように、そう訊いた。
 アッシードはティム爺を振り返った。
 「解からぬ」
 「何じゃと?エルゥはおまえさんたちが見捨てた仲間を、助けたんじゃぞ。しかも、自分を襲いに来た相手をじゃ。何故だか解かるか?」
 「何故だ」
 「この子がとても良い子じゃからじゃ。優しく心の美しい子だからじゃ。自分の立場や、おまえさんたちのことなど何の関係も無く、ただ純粋に、海に墜ちた者を助けたかったからじゃ」
 アッシードはしばらく無言で考えた。
 何が正しいのか、そして自分はどうすべきかを、整理しているようである。
 ティム爺は、彼がセイドやラカイユのように、解かってくれることを祈った。
 やがて彼は、自分の中に答えを導き出した。
 「この子がもしも龍に操られているのだとしたら、それぐらいの行動は計算して取る事が出来るだろう。あるいは龍が、我々の眼をごまかすために分身を創ったのやもしれん。そなたたちは、龍がどれほど老獪で恐ろしい相手か、解かっていないのだ」
 「かーっ!全く頭の固いヤツじゃ!天使のクセに真実を見抜く力も無いとは、お粗末なことじゃ!」
 「我々は天の使いなどではない。地上の人間がそう呼んでいるだけだ。とにかく…」
 「アッシード!エノヴァルの容態が良く無い!」
 エノヴァルの様子を診ていたオーランが、アッシードの言葉を遮った。
 「何だと!…オーラン、ロスネル。おまえたちはすぐにエノヴァルをアルノワに運べ!」
 「よし。解かった。アッシードはどうする」
 「龍を追う。この海の中にいることは間違いない。だがその前に、この娘を何とかする。この娘から漂う災いの臭いは、見逃すわけにはいかん」
 「まだそんなことを言っておるのか!」
 ティム爺は、顔中が真っ赤になる程、全身に怒りを表した。
 「待ってよ。アルノワに行くのなら、エルゥだけでも運んでよ!」
 イファが、エノヴァルを連れて行こうとする二人に言った。
 「何だと?」
 「僕たちは、アルノワの大司教様とやらに、エルゥのことを解かってもらうために旅をしているんだ。アルノワに行くのなら、エルゥも連れて行ってよ」
 「…アッシード。どうする?」
 「信用できぬ。それに地上の人間をアルノワに連れて行くのは、容易ではない。おまえたちは早く行け」
 「解かった。後は頼む」
 ロスネルとオーランは、両側からエノヴァルを抱きかかえて空へ昇っていった。
 「おまえさんがエルゥを殺すというなら、わしが刺し違えてでも、それを阻止するぞい」
 「俺が戦う。俺は戦士。コイツは悪いヤツだ。俺が倒す」
 ティム爺とガライは、剣を構えてエルゥとアッシードの間に立ちはだかった。
 「…愚かな。やむを得ん」
 アッシードも再びその手に、立派な剣を出現させた。
 だが次の瞬間。
 「…む!」
 アッシードは何かに気が付き、そちらに鋭い眼光を走らせた。
 そこには一人のアルノワ人が、静かに宙に浮かんでいた。

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