三 追う者 4
「ラカイユ!来てくれたんだね!ありがとう!」
柔らかな微笑を湛えているラカイユを、嬉しそうに見上げるエルゥ。
「羽根を使ったのか?エルゥ」
イファの言葉に、エルゥは頷いた。
「だって、もう何を言ってもこの人には通じないって思ったんだもん。そうしたら、ティム爺やガライが危ないって思ったんだもん。だったら、セイドかラカイユに助けてもらうしかないじゃない」
確かにエルゥの判断は正しいかもしれない。イファはエルゥの言葉に、「そうだね」と大きく頷いた。
ラカイユは、アッシードと、エルゥの前に立つティム爺とガライの間に降り立った。
「この子は私が護る。倒すというなら、私が相手になる」
「ラカイユ…。貴様…」
「この子は龍の仲間ではない」
「何故貴様にそう言い切れる。貴様が騙されているだけではないのか」
「セイドが信じた。だから私も信じる」
その名前に、アッシードの顔色が変わった。
「何だと?あのセイドが?」
「私が貴方と戦って負けたなら、今度はセイドが来るだろう。貴方にセイドは倒せない」
「く…」
「引け。そして二度とこの子に近寄るな」
アッシードは唇を噛みしめた。
「…解かった。この度は、貴様とセイドに免じて引こう。だが私は、私の使命を果たさねばならぬ。災いの元は全て断つ。今後この子が災いになると判れば、その時は容赦なく斬る」
「そんなことにはならんじゃろう。安心して、本物の龍を追うが良い」
アッシードは一瞬ティム爺を睨みつけると、白い翼を一杯に広げ、空へ舞い上がった。
「ふう。助かったのう。大丈夫か?エルゥ」
「うん!みんなのお陰だよ!ありがとう!」
「いやいや。わし等は何もしとらん。ラカイユのお陰じゃ」
「ありがとう!ラカイユ!」
アッシードが彼方へ消えていくのを見つめていたラカイユは、その声に振り返った。
「間に合って良かった。辛い目に遭っているようだが、大丈夫か?」
「大丈夫!辛くない…ックシュン!」
「おお。濡れたままでは風邪を引くぞい。乾いた布を持って来よう」
「その必要はない。おいで」
ラカイユは、エルゥを手招いた。
ラカイユの元へ近寄ると、彼はエルゥの身体を抱き寄せ、ローブの中に包み込んだ。
「ラカイユも濡れちゃうよ」
「大丈夫。じっとしていて」
暖かいモノが、ラカイユから伝わってきた。
とても柔らかくて良い匂いがする。まるで、母親に抱きしめられているような、そんな心地好さである。
「天使とは本来こういうもんじゃがのう」
優しくエルゥを包むラカイユの姿に、思わずティム爺はそう呟いた。
「天使じゃないさ。アルノワ人だろ」
「ほほう。妬いておるのか?」
少し不機嫌そうなイファの口調に、ティム爺はそう冷やかした。
「妬いてなんかない。本当のことじゃないか」
そう言い訳したイファだったが、にやにや意味ありげに笑うティム爺には、それ以上何を言っても通じないと察した。
「凄い!身体が乾いたよ!ホントに不思議な力があるんだね!」
「私なんてまだまだ修行中だ。セイドやさっきのアッシードなどの、足元にも及ばないよ」
「へえ…。セイドって…」
言いかけたエルゥの言葉を、一人の男が遮った。
「皆様方。私はこの船の船長ですが、この事態は一体どう言うことでしょう」
騒ぎを遠巻きに見守っていた他の乗客や船の乗員たちだったが、どうやら落ち着いたらしいと感じて、船長が代表で近づいてきたのである。
「私が説明いたします」
その役を、ラカイユが買って出た。
「貴方様は天使で…?」
「そうです」
ラカイユがためらいなくそう言ったので、エルゥは「あれ?」と、不思議に思った。
自分たちにはアルノワ人と名乗ったのに、どうしてこの人にはそれを説明しないのだろう。アルノワの事は、本当は秘密なのだろうかとエルゥは思った。
「この方々は、我々と我々が追っている龍との戦いに巻き込まれてしまったのです」
「それはさっきの銀の龍ですか?」
「そうです」
「では、この方々が船に乗っていると、まさかその龍が襲ってくると…」
「それは無いでしょう。龍は、この方々を狙っている訳ではありません」
「しかし現に、龍は現れました。私はこの船の船長を二十年近く勤めていますが、今までそんなことは一度も無かった。この方々が乗っている以上、再び龍が現れる可能性があるということではないのですか?」
エルゥとイファは顔を見合わせた。
「降りた方が良いのかな」
「どこに?周りは海だよ。救命ボートを借りたとしても、北の大陸まで、とても辿り着けないよ」
二人に構わず、船長は厳しい口調で言った。
「真に申し上げにくいのですが、私は乗船客の安全を確保しなければならないので…」
「ではこうしましょう」
船長の言葉を、ラカイユが静かに遮った。
「船が港に着くまでの間、私がここに留まり、護衛いたしましょう。それでも不安ですか?」
「おお!天使様が護って下さるのでしたら、これ以上心強いことはない!」
「ホント?ラカイユ、傍に居てくれるの?」
ラカイユは笑顔で頷いた。
「龍は追わなくても良いの?」
「龍は海に逃げている。しばらくはこの船を基点に捜索することにするよ」
「やったあ!」
思わずエルゥはラカイユに抱きついた。ラカイユも、優しくその腕をエルゥに回した。
「心配じゃの?イファ」
再び不機嫌な表情になったイファに、ティム爺がそうからかった。
「何が。天使が護衛してくれるなんて、これ以上安心なことはないじゃないか」
いつもの冷静な口調であるが、やはりどこか面白く無さそうな素振りである。
(イファがエルゥのことを好きなのは、間違いないじゃろう。エルゥの方も、イファを悪くは想っていないはずじゃ。美男美女で、とても似合いの夫婦になるに違いない。こりゃ楽しみじゃわい)
ティム爺はそう思いながら、深くシワの刻まれた目尻を下げた。