小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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三 追う者 5

 少し右上が欠けた月が、夜の海を照らしている中、船は静かに航路を北へと進んだ。
 客室の二段ベッドの一階で横になっていたエルゥだったが、中々寝付けなくて、一人でそっとそこを抜け出した。
 かなり深夜とあって、甲板には誰も居ない。
 ふと、胸騒ぎを感じて海辺まで行ってしまったあの夜のことを思い出した。
 あの時再び眠っていたなら、今、自分はここに立っていないだろう。
 龍と出会うこともなく、何事も無い朝が訪れ、漁で捕れた魚と格闘し、村の子どもたちと遊び、母親や妹と、平凡だが幸せな毎日が続いていたはずである。
 そう思うと、何だか島の暮らしが懐かしくなってきた。
 (全く、エルゥは解っていないんだから…)
 一人で甲板に居るエルゥに、心配して追いかけてきたイファは声をかけようとした。
 だがそれより早く、フワリと白い影が、空から舞い降りてきた。
 「ラカイユ!」
 「眠れないのかい?」
 ラカイユが船の手すりに座ったので、エルゥはその前に腰を降ろした。
 「うん。少しね。どこに居たの?」
 「レスパの気配を追っていた。だが、海の中は上手く辿れないようだ」
 「ふうん」
 良かった、とエルゥは心の中で思った。
 このままあの龍は、海の中で穏やかな一生を送ることができるかもしれない。そして自分もアルノワに行く事が出来て、全てが上手くいったなら、たまにビオラ島に遊びに来てくれないだろうか。
 そんな楽観的に考えていたエルゥだったが、ラカイユの次の言葉が、胸に突き刺さった。
 「レスパは今は幼く大人しいが、成長すると、邪悪で獰猛な、とんでもない化け物になってしまうんだ。そうなる前に、一刻も早く倒さないとね」
 「絶対なの?」
 「ん?」
 「絶対、邪悪で獰猛になっちゃうの?」
 「ああ。残念ながら、絶対だ」
 「そんなの納得できないよ」
 「…そうだね。君の気持ちは良く解かる。私もそうだが、我々の中にもそんな存在を作りだすことに疑問を持つ者もいる。だが、どうしようもないのが現実なんだ」
 「ふうん…」
 エルゥは唇を軽く尖らせて、そう呟いた。
 「ックシュン!」
 夜の海風に鼻がむずむずしたエルゥは、思わず大きなくしゃみをした。
 「寒いかい?」
 「ううん。平気…ックシュ!」
 ラカイユはフワリとエルゥの隣に降り、昼間のように、腕の中に包み込んだ。
 「ありがとう!暖かい!」
 「ここはエルゥたちのビオラ島より大分北にあるからね。少し気温が低いんだよ」
 「ふうん。海だからみんな同じだと思ってた。場所によって違うんだね」
 「ああ。色々だよ」
 少しぐらい寒くても平気なのだが、くしゃみのお陰で、再びラカイユの温もりに包まれる事が出来て、エルゥは少し得をした気分になった。
 
 「なんじゃな、イファ。エルゥの様子を見に行ったのではないのか?」
 一人で戻ってきたイファに、ティム爺は二段ベッドの上段からそう声をかけた。
 客室は二段ベッドが二つ入った四人部屋で、ガライはティム爺の向かいの上段でぐうぐうイビキをかきながらよく眠っている。
 イファはその下のベッドに潜りこみながら、
 「ラカイユが居るから大丈夫だよ」
 と力無く答えた。
 少し落ち込んでいる様子のイファに、ティム爺はそれ以上、言葉を掛け損なった。
 イファは毛布に身を包みながら、昼間の、アルノワ人たちの襲撃を思い出していた。
 あのとき自分は、どうすることも出来なかった。
 なす術も無く、ただ成り行きに任せ、結局エルゥが呼び出したラカイユに助けられたのである。
 (僕じゃあ、エルゥは護れないんだ。強くなりたい…。龍が来ても、命を狙う天使が来ても、追い返せるぐらい強くなりたい…)
 自分がまだ、非力な子どもである事が、イファにはとても悔しかった。
 
 「そうだ。ねえ、聞いても良い?」
 エルゥはふと、思い出した。
 「何だい?」
 「セイドってどういう人なの?何か特別なの?」
 「どうしてそう思ったんだい?」
 「だって昼間の人、セイドの名前を聞いて態度が変わったし、ラカイユだってセイドが信じたから、私のこと信じてくれたんだよね」
 ラカイユは少し苦笑した。
 「すまない。確かにセイドが信じたから、私もすぐに信じることにしたのだが…。彼は君の言うように、少々特別な存在だ」
 「どんな風に?」
 「まず、彼はとても強い。色々な意味でね」
 「あ、解かる!身体つきとか、ラカイユや昼間の人とかと全然違ってるもん!」
 ムキムキなその身体を思い出し、エルゥは思わずクスクス笑った。
 ラカイユも「そうだね」と笑った。
 「彼もかつては、龍退治に参加していたんだ。その時、百人も飛び掛ってなかなか倒せない龍に、一撃で留めを刺すのはいつも彼だった。その勇姿はとても雄雄しく、誰よりも美しく、今でも私の眼に、鮮やかに焼き付いているよ」
 「でも、龍退治は興味無いって言ってたよ」
 「ああ。確か五年ほど前だったかな。突然彼は、龍を創り出すことにも、倒すことにも参加しなくなったんだ」
 「どうしてなの?」
 「うん…。前に一度訊いてみたことがあるが、笑って、興味が無くなったとしか応えてくれなかった。あまり触れられたくない様子だったよ」
 「ふうん…」
 何だかとても深い事情があるのだろうと、エルゥは思った。ラカイユは静かな声で続けた。
 「とにかく龍退治の時の伝説は、今でも語り継がれているよ。それに彼は、他のアルノワ人と違ってほとんど私利私欲がなく、常に冷静で思慮深い。いつもは客観的に物事を見ていて滅多に動かないけれど、必要な時には先頭に立って行動するんだ。今回のことでも、アルノワから墜ちた龍のことを、どうすべきか対策をとるべきだと言う周囲に構わず、自分が倒すと、真っ先に地上へ降りていった。その間我々は机を囲んで、誰が行くとか行かないとか、議論していたんだ」
 「でも、ラカイユも早く来たよね。議論は終わったの?」
 「実は、私は途中で抜け出した。セイドの様に、とにかく一刻も早く龍を倒さなければならないと思ったので、セイドの後を追ったんだ。そこで君に出会ったという訳だ」
 「ふうん。良かった。セイドとラカイユが一番と二番に来てくれて」
 ラカイユはにっこり微笑んだ。
 「私も良かった。君のような、良い子に出会えて」
 「ホント?」
 「ああ。本当だ」
 エルゥは身体中が熱くなる程、嬉しくなった。
 こんな美しい人に、良い子だと言われたのである。
 この暖かい腕の中に、いつまでもいることができたら良いのにと思った。
 
 
 
 四 選ばれた子どもたち 1 に続く

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