一 墜ちてきた龍 2
ジャイロは程なく、その地点へ到着した。
「大きい!スゴイ!銀色だ!」
龍を初めて見たエルゥは、これ以上もないほど、興奮している。
「これは美しい。こんな色の龍がいるなんて、聞いた事が無いぞ」
龍は全長八カンス程あり、美しい曲線を覆っている鱗は微かに青みがかった銀色をしていた。世界中を旅して周っているティム爺でさえ、こんな色の龍の話など、聞いたことはない。
龍は物体のように、真っ直ぐ海へと落下している。
どうやら、死んでいるのか気を失っているのか、どちらにしろ意識が無いのは確かである。
「もっと近づけて!頭の方!」
「ほい!任せい!」
ティム爺は巧みにジャイロを操り、龍の頭部へと接近した。
その瞳は、しっかり閉ざされている。
「起きて!墜ちちゃうよ!」
エルゥは叫んでみたが、その声よりも大きなジャイロのプロペラ音にも、全く龍は反応する様子が無い。もう海面はすぐそこだ。
エルゥは座席に立ち上がった。
「何をする!エルゥ!」
ティム爺があっと思う間に、エルゥはジャイロから龍の頭へと飛び移った。
「無茶じゃ!もう海が…」
龍はエルゥを乗せたまま、海へ突っ込んだ。
大きな水飛沫があがる。
ジャイロはその煽りを受けて機体が右へ大きく傾いた。
ティム爺は操縦桿を握り、何とか上昇して海面から離れた位置で機体を立て直した。
海面を覗き込んでみる。
龍が沈んだところに、小さな渦が出来ている。
「エルゥ!」
叫んでみても、エルゥの姿はどこにも見当たらない。
「無茶をしおって…。これは村に報せに行かんと!」
ティム爺は急いで陸へとジャイロを向けた。
一方エルゥは、龍の角をしっかり握ったまま、龍と共に海の底へと沈んでいた。
(起きて!お願い!)
心の中で必死に呼びかける。
だが、龍は一向に瞳を開ける気配がない。
普段素潜りでなら、水深二十カンスほどは何度も潜った事があるが、もうすでにそれ以上は遥かに超えているだろう。しかもゆっくり自分のペースで潜っているのではないので、耳や胸が、感じたことの無い痛みに襲われてきた。これ以上深く潜ると、危険であると感じたエルゥは、これが最後と決め、心をこめて呼びかけた。
(…起きて!)
すると龍は、微かに瞳を開いた。だがすぐにまた、ゆっくり閉ざしてしまった。
(もう駄目だ…)
エルゥは角を握る手を離した。
龍はそのまま、暗い海の底へと、静かに沈んで行く。
(助けられなかった…)
だが、自分もそろそろ息が続かなくなる頃である。
心に深く残るものを感じながら、エルゥは上に向かって泳ぎ始めた。
キラキラと光る海面が近づいてくる。
(ティム爺に心配かけちゃったな)
そう思った時である。
エルゥの身体が、フワリと浮き上がるような感覚に襲われた。
(何…?)
気が着くと、自分の身体の下には沈んだと思っていた龍が近づいていて、エルゥを頭に乗せるような格好で海面へ上昇していた。
(お前!気が付いたんだね!)
龍はしっかりその瞳を開いていた。エルゥは再びその頭に生えている角をしっかりと握り締めた。
「何だって?エルゥが海に?」
海の村では、ティム爺から報せを受けた村人たちが大騒ぎとなっていた。
「船を出せ!全部だ!カダ、縄を用意しろ!一番長いヤツだ!念のために、銛もあるだけ積み込め!」
村長のテドが、男たちに怒鳴った。その声で男たちは海辺へと駆け出した。
「こっちじゃ!先に行くぞい!」
ティム爺は男たちの船を誘導するため、再びジャイロに乗り込んだ。
「ん…?」
海辺に着いた男たちは、向こうの海面に眼を見張った。
「あそこを見ろ!」
真昼の太陽の下、海面ぎりぎりのところを、何かが動いている。
「龍じゃ!エルゥと一緒に墜ちたあの龍じゃ!」
「エルゥは居るか?」
「ここからでは判らん!」
浜辺からでは遠くて、エルゥの姿までは確認できない。
「わしが行ってみよう。皆はとにかく船を出しておいてくれ。大人しい龍じゃと良いが、万一、狂暴なヤツなら危険じゃから、それほど接近はせずに離れて待機しておるんじゃ!」
「おう!承知した!頼んだぞ、ティム爺!」
ティム爺はジャイロを上昇させ、龍が踊るように動く海面へと急いだ。
「おまえはどこから来たの?」
エルゥは龍の頭にしがみつき、龍の動きに任せながら、そう語りかけてみた。言葉が通じるとは思えないが、話し掛けずにはおれないのだ。
「おまえ、たくさんケガしてるよ。どうしたの?何があったの?」
龍は相変わらず何も応えず、海面を少し乱暴に泳いでいる。
ふと、エルゥは上空に近づくティム爺のジャイロに気がついた。それと同時に、龍もジャイロの音に気がつき、慌てて海の中へと潜り始めた。
(大丈夫だよ!敵じゃないよ!)
心の中で叫ぶが、龍には届かず、龍は更に下へと潜っていく。
仕方なくエルゥはその手を離し、自分だけが海面へと上がっていった。
「エルゥ!無事か!」
ジャイロはすぐそこまで来ており、ティム爺は落ちそうなぐらいに顔を覗かせて、必死に叫んでいる。
エルゥは元気良く右手を振り、何の問題もないことを報せた。
「今、みんなの船が来るから、心配要らんぞ!」
「大丈夫!泳いで帰るから!」
エルゥは岸に向かって泳ぎ始め、心配して迎えに来た船の元へ、容易に辿り着いた。
「どこも何ともないか?」
「全く心配させやがって!」
「ほら、これで身体を拭け!」
漁師仲間たちが、満面の笑顔でエルゥを取り囲み、何だかんだと世話を焼き始めた。
「心配かけてごめん。龍って初めて見たから、つい…」
「まあ無事でよかった。それで龍はどうした?」
「ティム爺のジャイロの音に驚いて、海の中に深く潜っちゃった」
「海龍なのか?」
「判かんないよ。少し水色がかった銀色だった。とても綺麗だったよ」
「そりゃあ見たかったなあ。何龍かは、後でイファに聞けば判るんじゃないか?心配して海岸まで来てたぞ」
「ふうん…」
(こんな時には、アイツの知識は役に立つ。…というか、こんな時にしかアイツは役に立たないんだから 仕方ないから聞いてやるか)
知ったかぶりをするイファの態度はあまり好きではないが、それよりあの龍の正体が知りたいので、我慢して聞くしかないとエルゥは思った。
ほどなく海岸に辿り着くと、そこにはエルゥの母や妹たちも心配して駆けつけており、元気なエルゥの様子に、大喜びで抱きついてきた。エルゥは、ただ龍を助けようと思っただけなのに、こんなに皆に心配をかけてしまったことに、驚きと後悔を感じていた。よく考えてみれば、何のケガも無かったから良かったものの、万一、海に沈んでしまったり、龍が狂暴で食われてしまったりしていたら、とんでもないことになっていただろう。
「どんな龍だった?」
生還の喜びの騒ぎが一しきり終わったところを見計らって、イファがそう声をかけてきた。
「銀色なんだけど、少し水色っぽかったよ。瞳はよく見えなかったけど、碧だったような気がする」
「水色っぽい銀の龍…」
「知ってる?」
「シルバードラゴンなら高い山に棲むと言われていて、それほど狂暴じゃないはずさ。水色っぽいかどうかまでは判らないけどね」
「ふうん…」
エルゥは少し不満気な返事をした。何だかイファの言うシルバードラゴンとは違うような気がする。
どこが違うかと言われると答えに困るのだが、何となくそう感じるのである。
自分の見た龍は、シルバーと一言で片付けたくは無い。
もっと美しく神秘的で、何か特別な存在なのではないかと思えるのだ。
それはただ単に、龍を初めて見たので、その感動からそう感じてしまったのかもしれない。
だがエルゥは、それでも良いと思った。
あの龍がただのシルバードラゴンであったとしても、自分の中では、特別で神秘的な龍であることにはかわりは無いのだ。
今日のことは一生忘れない。
エルゥは龍が消えた海を見つめて、そう心に誓った。