小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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七 遠きアルノワ 2

 城の中は大層広く、とても興味深いところばかりである。
 街中のものよりも数倍大きな水の吹き出る泉や、色とりどりの花が咲き乱れる美しい庭。
 街の人々にも開放されている図書館には、イファが大感激し、館長から本を二冊譲ってもらった。
 東の塔の天辺には、気象観測所というものがあり、雲や空の色をはじめ、様々な空や空気の状態を調べて翌日の天気を予測する仕組みを説明してもらったが、これにはイファよりも、海や空と戯れていたエルゥの方が、所長と話が弾んだ。
 そして豪華な昼食の他に美味しいティータイムを二回、優雅な雅楽鑑賞に絵画鑑賞など、少々疲れるほどのもてなしを受け、再び王と再会したのは、すっかり陽が落ちてしまってからであった。
 昼間以上に豪華な夕食の後、エルゥたちは王の待っている月見の塔へ案内された。
 朝の広くて立派な謁見の間とは違い、十人ほどが入れば一杯になるぐらいの丸い部屋で、大きな窓からは明るい月の光が差し込んでくる。
 「好きな椅子に座ってくれ」
 部屋に入るなり、王が親しげにそう言った。
 部屋の中には不揃いの一人掛けの椅子が八つ置いてあり、エルゥたちは言われるまま、好みの椅子を見つけて座った。
 「ここから私は王としてではなく、一個人として接したい」
 王は朝に着ていた豪華な青い服とは違い、街の男たちが着ていたような質素な茶色の衣服で、頭に載せていた王冠も外しているので、とても親しみやすい雰囲気である。
 「皆の国の話を、色々聞かせてくれないだろうか」
 「色々って?」
 「どんな所で、どんな人々がどういう風に生活をしているのかというのを訊きたいな」
 エルゥににっこり微笑んでそう言う王は、何だか無邪気な少年のような瞳である。
 その様子にティム爺は、彼が賢王と謳われる理由が解った。
 彼は自分の国を平和に治めるために、他から来た旅人などから、こうして様々な話を聞き、良いことは取り入れようとしているのだろう。そのために相手が話しやすいように、庶民と同じ衣服を着て、相手と目線を合わせているのだ。
 ティム爺は、今から向かうアルノワの国の代表者である大司教が、彼のように聡明で寛容な人物であるように祈らずにはおれなかった。
 それからエルゥたちは、王の求めるまま、ビオラ島やガライのイグアノス、そしてティム爺のデュバル国の話に花を咲かせた。また、王は無邪気に色々と質問してくるイファに、丁寧に答えていた。
 それはとても穏やかで、楽しい時間だった。
 
 登り始めていた月が真上に来る頃、エルゥたちは寝室へと案内された。
 とても広い個室がそれぞれに用意されたが、用心のため、世話をしてくれた城の人間には、エルゥは一人で眠ることが出来ないと説明して、傍にはレシアが付いて眠ることにした。
 天蓋付きのふかふかの寝台に、傍には庭で咲いていた花が飾られ、部屋の中が良い匂いに包まれている。
 「ねえ、アルノワの話、訊いて良い?」
 湯浴みの後に用意されていた白いローブに着替えたエルゥは、同じように白いローブのレシアにそう言うと、レシアは「ああ。良いよ。何だい?」と笑顔で頷いた。
 「レシアとかラカイユとか、女の人みたいに綺麗だけど、アルノワに女の人は居るの?」
 エルゥは寝台に座りながら訊いた。レシアは、その隣に座った。
 「ああ。いるよ」
 「女の人は、何してるの?」
 「女性は国を護る役目をしているよ」
 「国を護るって、どんな風に?」
 「アルノワは宙空に浮かぶ大陸だけど、ただ自然に浮かんでいる訳ではないんだ。この世界にはウィギリアという名前の不思議な樹があって、百万年以上成長したウィギリアの大樹は、この惑星(ほし)の外でも繁殖しようとする性質があり、自然に宇宙(そらのむこう)へと飛び出していくんだ。その性質に目をつけた我々の先祖が、九十九万九千九百九十九年目の、宇宙(そらのむこう)に飛び立つ寸前の大樹を見つけ、地上と空の狭間に浮かべることに成功させた。アルノワにはそのウィギリアの根が、大陸の隅々にまで張り巡らされているんだ。そして女性たちはウィギリアの根がどのように張られているかを毎日調べ、ウィギリアの大樹が枯れないように、大切に育てているんだ」
 「へえ。空に浮かぶ大樹なの?不思議!凄く大きな木なんだね」
 「ああ。とてもね」
 「アルノワに行ったら見られるかな」
 レシアは頷いた。
 「とても大きくて美しい木なので、アルノワのどこに居ても見えるよ」
 「わあ、楽しみ!でも大変だね、そんな大きな木を女の人だけで育てているの?」
 「そうだよ。特に木の生えている周辺は聖域で、我々男性は、近づいてはいけないんだ。女性は他に、農作物を育てたり果実酒を作ったり、街に花を咲かせたりと色々仕事がある。皆とても働き者で、明るくて、君のようだよ」
 「ホント?私ってアルノワ人っぽいの?」
 「そうだね」
 エルゥは嬉しくなり、明日この話を、イファにしてやろうと思った。
 「じゃあアルノワの男の人は、主にどんなことをしているの?」
 「地上に降りて、特別な能力を人々の役に立てたり、アルノワでは、新しい道や建物を作ったりするんだ」
 「ふうん。じゃあさ、レシアは?レシアはエラドールでは何をしていたの?エラドールはどんなところだったの?」
 「エラドールは、ほとんど無法地帯だよ。誰がどこで何をしても良いんだ。強奪や暴力、殺人すらもね。だから、弱い者は強い者に虐げられるのが日常なんだよ」
 「ヒドイ!怖いところだね」
 「ああ。でも弱い者を助ける心ある者もいるので、それなりに秩序はあったよ」
 「ちつじょ?」
 「暗黙の了解みたいなものがあって、何とか最低限の調和が保たれていたんだ。慣れたらそれほど酷い生活でもなかったよ」
 「ふうん」
 そう言われても、あの暗闇で怖い体験をしたエルゥは、エラドールでは暮らしたくないなあと思った。
 レシアは続けた。
 「エラドールは無法地帯ではあるが、一つだけやらなければいけない仕事があって、審判長と呼ばれるエラドールの長がそれを決定するんだ。例えば街の明かりを点検する仕事や、作物を育てる仕事など、百以上の種類がある。人を殺しても罪には問われないが、仕事を放棄すると、罰せられるんだ。エラドールの唯一の法律だよ」
 「へえ。じゃあレシアは何の仕事をしていたの?」
 「私には、遺体を墓地まで運ぶ仕事が与えられた。最も忌み嫌われる仕事だが、だいたいは、アルノワからの追放者がやるものらしい」
 「ふうん。何だか、アルノワ人だからって、意地悪されてるみたいだね」
 「誰かがやらなければいけない仕事だよ。どんな仕事でも、等しく大切なものだよ」
 「ふうん。じゃあ、エラドールの人は、地上とかアルノワで暮らすことは出来ないの?レシアはもともとアルノワで暮らしていたのに、エラドールに追放されたんでしょ?だったら良いことをしたら、アルノワに行けるってことにはならないの?」
 レシアは頷いた。
 「ああ。もちろんエラドール人でも、良いことをすれば白い翼が生えてくる。白い翼の生えたエラドール人は、エラドールの審判長からエバール殿に連絡が届き、あの扉から好きな所へと行くことが出来るんだ。望めばアルノワへもね。だが私が居た五年の間に、白い翼の生えたエラドール人は、一人もいなかったよ。もちろん私も、特に何もしなかったので、黒いままなんだよ」
 「どうして良いことをしなかったの?良いことをすれば、アルノワに帰れるって、解かっているのに」
 「どうしてかな。ただ、アルノワにはそれほど執着は無かったんだ。それに、思った以上にエラドールは興味深いところだったので、色々勉強中だったしね」
 「エラドールは楽しかったの?」
 「そうだね…。楽しいこともあったし、辛いこともあった。それはアルノワでも同じだよ。恐らくどこに住んでいても…ね」
 「ふうん…」
 エルゥは、かつてセイドが言っていた、アルノワ人もエラドール人も地上の人間も、住むところと能力に多少の違いがあるが、皆同じなんだという言葉を思い出し、ようやく今、朧気ながらに解かってきたような気がした。
 二人が話に盛り上がっている時である。
 部屋の大きな窓が、いきなり開かれた。
 驚き、そちらを振り返るエルゥとレシア。
 そこには、月明かりを背景に、三つの黒いシルエットが浮かび上がっていた。

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