小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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七 遠きアルノワ 3

 「グラント、モルガ、…それにグレイブか」
 見覚えのあるその容姿。
 彼らは銀の龍と共に地上へ出た五人のエラドール人のうちの三人で、しかもその一人は、一番初めにエルゥたちと出会ったあの男である。
 「何の用だ」
 「その娘を渡してもらおう」
 「何故だ。貴様らには、何の関係も無いはずだ」
 「ふん。貴様こそ関係ない。邪魔はさせんぞ!」
 グラントと呼ばれたそのエラドール人がそう言い終わらぬうちに、モルガとグレイブが、レシアに飛び掛ってきた。
 「何故だ…!」
 レシアは剣を出現させ、二人に応戦した。だがその隙にグラントは、部屋の外に逃げようとするエルゥを容易に捕まえ、軽々と抱きかかえた。
 「レシア!」
 「エルゥ…!」
 レシアの意識がエルゥに奪われたその隙を、グレイブとモルガは見逃さなかった。
 二人は手にしていた剣を、レシアに次々、浴びせかけた。
 「きゃああ!レシア!」
 叫ぶエルゥ。
 レシアは部屋の中に崩れ、グラントはエルゥを抱きかかえたまま、窓から空へと飛び立った。
 「念のために止めを刺しておこう」
 「よし」
 モルガとグレイブが、倒れたレシアにさらに剣を振り上げた時である。異変に気が付いたティム爺たちが部屋になだれ込み、すばやくガライが矢を放った。二人の侵入者は咄嗟に窓辺へ飛びのいた。
 「エラドール人か!エルゥをどうしようというのじゃ!」
 「あの娘は預かる。我々がアルノワに運んでやろう」
 「…何じゃと?どういう意味じゃ」
 「アルノワ人にも簡単に出来ないのに、エラドール人がそんなこと出来るの?」
 「さあな」
 二人は黒い翼を一杯に広げ、先に飛び去っていったグラントの後を追った。
 「待て!エルゥを返せ!」
 「返してくれ!」
 叫ぶイファとティム爺。
 窓辺に駆け寄り、矢を放つガライだったが、そこまで矢は届かず、空しく矢は弧を描いて落ちていった。
 「くそぅ!どうしたら良いんじゃ!」
 「こんな時に、セイドとラカイユに助けてもらえないなんて…」
 二人に助けを呼べるのは、エルゥだけなのである。
 「エルゥが何とか羽根を取り出して、どちらかに助けを呼べる状況なら良いのじゃが…。大丈夫か、レシア…」
 ティム爺は倒れているレシアを覗き込んだ。
 暗くてよく判らないが、白い衣服が赤く染まっているので、相当深手を負っているようである。
 「お城の人を呼ぼう。手当てをしてもらわないと…」
 「大丈夫だ…」
 レシアは、心配するイファの手を払いのけながら、ゆっくり身体を起こした。
 「…すまない。油断をしてしまった」
 「起きてはいかん。傷は深そうじゃ」
 「大したことは無い」
 そう言ったかと思うと、彼は真っ黒な翼を一杯に広げ、あっと思う間に窓の外へと飛び出して行った。
 「レシア!」
 「…行ってしもうた…。あの傷で大丈夫じゃろうか。エルゥは…一体どうしてエラドール人に攫われたのじゃろう…」
 いくら考えても、その答えはティム爺たちには解らなかった。
 
 エルゥはグラントにしがみついていた。
 彼が上へ上へと昇っていくので、とても怖いと感じていた。
 「…どこへ行くの?」
 やっとの思いで、そう声に出してみると、グラントはチラリと腕の中のエルゥに目をやり、「アルノワだ」と応えた。
 「え…?どうして…?」
 「行けば解る」
 それ以上、グラントは何も応えなかった。
 (…アルノワに、エラドール人が連れて行ってくれる?)
 でもそんなことが、出来るのだろうか。
 セイドは普通の人間がアルノワに行くには、それなりの手順が必要だと言っていた。レシアも、アルノワに入れるかどうかは虹が判断すると言っていた。こんな風に直接飛んでいって、入れてもらえるのだろうか。
 だが今のエルゥにはどうすることも出来なかった。
 腰につけている皮袋の中の羽根を取り出すには、グラントの腕を外さなければならないだろう。しかしそうすれば、自分は墜ちてしまうかもしれないのだ。
 「グラント!」
 「おお、グレイブ、モルガ。無事か」
 「大丈夫だ。それよりアルノワの位置は解っているのか?」
 「正確には解らんが、方向は合っているだろう。この時期はエリキシウス座の辺りを通過するはずだ」
 「さすが博識のグラントだな。エラドール人にはもったいない知恵だ…ん?」
 グレイブはその方向に気が付いた。
 自分たちを追ってくる黒い影が見える。
 「レシアか!」
 「しぶといヤツだ」
 「俺たちが食い止める。お前はその娘を連れて、先にアルノワへ行け」
 「よし。任せるぞ」
 グレイブとモルガはその場に留まり、グラントはエルゥを抱いたまま、さらに天へと昇っていった。
 「貴様たち、エルゥをそのままアルノワに連れて行く気か!何故だ?」
 追いついたレシアは、傷の痛みを堪えて二人をにらみつけた。
 「あの娘は俺たちの希望だ」
 グレイブの意外な言葉に、レシアは目を見開いて驚いた。
 「何…?どういうことだ?」
 「あの娘は、アルノワ人が血眼になって追っているのだろう?それを我々が送り届ける。そしてアルノワに住めるように、交渉するのだ」
 「アルノワ人に…なりたいのか?」
 「そうだ。俺たちはたまたまエラドール人として生まれただけだ。それなのにあの暗い空間から出ることも出来ず、怠惰で無意味な毎日を過ごすだけだった。だが思いがけず地上に出ることが出来た。だからここで何とかアルノワに行き、白い翼を手に入れる。そのため、あの娘をアルノワに届けるのだ」
 「馬鹿な…」
 レシアは一瞬言葉を失った。だがすぐに続けた。
 「白い翼はエラドールでも手に入れられる。逆にアルノワへ行ったからといって、アルノワ人になれるわけではない。何故自分たちに白い翼が生えないのか、解からないのか」
 「翼の色よりも、とにかくアルノワに行くことが先決だ」
 「アルノワのどこが良い?アルノワもエラドールも、そしてこの地上も、たいした違いは無い。美しく飾られた街でも、虚構の部分もある。暗い街中の街灯が、美しかったりする時もある。どこに住むのが良いのかではなく、どういう心で住むかが問題なのだ」
 「そんなものは綺麗事だ!」
 「そうだ!恵まれた場所で生まれた貴様に、俺たちの気持ちが解るはずはない!」
 二人には何を言っても無駄のようである。
 レシアは少し考えた後、穏やかな口調で続けた。
 「…解った。貴様たちがアルノワに住みたいなら、それを止めることはしない。だがあの娘をあのまま連れて行くことは出来ん」
 「何故だ」
 「あの娘は生身の人間だ。あのまま昇っていくと、まず空気がなくなり、息が出来なくなる。身体も冷たくなっていき、アルノワに着く前に死んでしまうだろう」
 「構わぬ。たとえ冷たくなって死んでしまっても、あの娘さえ連れて行けば良い」
 レシアの瞳が、怒りに見開いた。
 「そんな心では、アルノワに住むことは出来ん!」
 レシアは両手を大きく動かした。
 すると、満天の星空のどこかから稲妻が走り、グレイブとモルガの翼を雷が掠めた。
 「ぐおお!」
 「ぐあっ!」
 二人は短く叫び、バランスを失って、真っ逆様に墜ちていった。
 「レシアか…!」
 後方に走った雷を、グラントは振り返った。
 (今だ…!)
 エルゥはグラントの意識が後ろに向いたのを悟り、少しもがいて、右手を腰の革袋へと動かすことに成功した。
 「暴れるな!墜ちるぞ!」
 グラントは再び、エルゥを抱きしめ直そうとした。しかしエルゥがさらにもがいたので、グラントの腕から細いエルゥの身体がすり抜けてしまった。
 「…きゃあっ!」
 墜ちるエルゥ。
 そこへレシアが追いついてきた。
 「渡すか!」
 グラントが落下するエルゥの右腕を掴む。
 「…あ!」
 その弾みで、革袋がエルゥの手から離れてしまった。
 中から、ヒラヒラと白い羽根が零れ落ちていく。
 「羽根が…!セイド!ラカイユ!…助けて!」
 思わずエルゥは叫んだ。

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