小説『エルゥと天使と銀の龍』
作者:間野茶路()

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八 夜明け前 1

 翌日も、青い布を張ったような、雲一つ無い晴天になった。
 朝食と王への謁見を終えた後、エルゥたちは城を後にして、エアロカの滝へと向かった。
 エアロカの滝は、リングウォルトの北にそびえる険しい山の中にある。
 エルゥたちは程なく山道に差し掛かり、言葉数も少なく、黙々と歩いた。
 時折空をアルノワ人たちの影が過ぎっていくのが見えたが、皆、こちらに降りてくる気配は無い。
 誰も口には出さなかったが、この近くにあの龍が居て、それをアルノワ人は感じて捜しまわっているのだろうと察していた。
 (確かにあの子は、私を追って来ている…)
 エルゥはそう感じた。
 何とかしてやりたいが、どうすれば良いのか、今の自分には解らなかった。
 だが、アルノワに行くことが出来て大司教様に会えたなら、あの子のことも頼んでみよう。成長したら狂暴になるのなら、成長せずに、今の優しいあの子のままで居られるような方法はないだろうか。
 不思議な力を持っているアルノワの人たちなら、何とかできるような気がする。
 一所懸命頼んでみよう。
 天使と言われる人々なのだから、きっと解ってくれる。
 きっと…。
 エルゥは厳しい坂道を歩きながら、そう考えていた。
 「今日はこの辺りで野営にしよう」
 やがて陽が落ち、少し切り立った眺めの良い適当な場所で、ティム爺が言った。
 森で野営をする場合は、樹木が生い茂った場所よりも、こんな風に上空の様子がよく解かる場所をいつも選んでいるのである。
 降り注ぐほどの星空の元、エルゥたちは果実と水だけの質素な夕食を済ませた。
 「いよいよ明日じゃの。何だかもう終わるのかと思うと、寂しい気がするぞい」
 ティム爺が、ガラクシアスで出会った賢者エバールからもらった香り煙草をふかしながらそう言った。
 「そうだね。僕もそんな気がする」
 イファも同意した。
 どうやらエルゥが感じていた想いを、ティム爺たちも感じているようである。
 「ありがとう、みんな」
 エルゥはにっこり微笑みながら言った。
 「何じゃな、改めて」
 「ここまで本当にありがとう。私一人じゃあ、ここまで来れなかったよ」
 「僕もエルゥにありがとうって言わなきゃね」
 「イファ…」
 「エルゥのお陰で色々勉強が出来た。島に居たら、こんな体験は絶対に出来ないよ」
 「わしもじゃな。いつもはジャイロばかりじゃったが、今回は船旅をした。しかも二回もな。これは貴重な経験じゃ」
 「俺も、アントス以外の国に行けた。エルゥのお陰だ」
 「私もエラドールから出ることができて、感謝しているよ」
 「ホント?ホントにみんな、そう思ってくれているの?」
 「ああ」
 「もちろんじゃよ」
 みな、笑顔で頷いた。
 みんなの暖かさが、とても嬉しい。
 エルゥは涙が出そうになるのを堪えて、微笑み返した。
 だが、その穏やかな平和な空間は、突然の緊張で切り裂かれた。
 「来た…!」
 その気配に、ガライとレシアがいち早く空を見上げた。
 エルゥたちも、二人に続いてその方向を見上げた。
 夜空を背景に、翼を広げたシルエットが八つ。まっすぐこちらに降りてくる。
 ティム爺たちはエルゥを真ん中に護るように、円になって身構えた。
 次々、舞い降りてくるアルノワ人たち。
 その一人がレシアを見つけ、少し驚いたような声で言った。
 「レシアか。久しぶりだな」
 「アッシードか」
 エルゥたちは、はっと思い出した。
 目の前にいるのは、アントスからデルフィノに向かう船の中で襲撃してきた四人のアルノワ人の一人である。
 他にもオーラン、ロスネルの二人、それに後の五人は初めて会う者たちである。
 レシアは端正な瞳で、アッシードを軽くにらみつけた。
 「ここに来るのは間違っている。近くに龍がいるのだろう。何故追わない」
 「確かに龍は近くにいる。だが自在に姿を変え、川や湖などを利用し、巧みに我々の追跡を逃れている。そこで私はあることに気が付いた。龍は常にその娘の後を追っている。その娘を利用すれば、龍は必ず向こうから出てくるだろう。協力しなさい、娘」
 「嫌!」
 エルゥは即答した。
 「あの龍を倒せたなら、ひとまず君は見逃そう。協力をしなさい」
 「あの子は悪くない!私、大司教様に話して解ってもらうの。あの子も生きることが出来るように何とかしてって!」
 「それは無理だ」
 アッシードは突き放すように厳しい瞳で言った。
 「あの龍が何であるのか、我々が一番知っている。やがてあの龍は、この地上を全て滅ぼすほどの凶悪な存在に成長するのだ。もしも、君があの龍を助けたばかりに、地上が取り返しのつかないことになったなら、君はどうするつもりだ。冷静に考えてみなさい」
 「ヒドイよ!勝手にそんな風に作ったくせに!あの子には何の罪も無いのに!」
 「そうだ。そういう風に作ったのは我々だ。必ず倒さなければならない邪悪の化身として、創りあげたのだ。だから我々の手で葬る。残念ながら、それしか選択肢は無い」
 「…」
 エルゥは唇をかみ締めて俯いた。
 頭の中では、大分解ってきている。
 あの龍がもしも成長して狂暴になり、この地上を滅ぼさんばかりに暴れ始めたなら、それは龍を助けた自分の責任なのだ。
 だけど、どうしても納得できない。
 諦めることが出来ない。
 本当に無いのだろうか。
 あの龍を助ける方法は…。
 「エルゥ」
 イファが耳元で囁いた。
 「僕は、エルゥが信じていることを、僕も信じる」
 「イファ…」
 エルゥは顔を上げ、イファを振り向いた。
 「まだ大丈夫だよ。あの龍は、すぐには地上を滅ぼすような凶悪なモノにはならない。ここで自分の信じていることを抑えて、あの龍を倒すことに協力したなら、きっと後悔するよ。まだ諦めないで。アルノワまでもう少しだから」
 とても澄んだ瞳で、力強くイファはそう言った。
 「うん!そうだね!」
 エルゥは、自分の中の不安定になっていた部分が、しっかり地に着いたような想いがした。
 「あと一日待ってくれ」
 黙ってアッシードの言葉を聴いていたレシアが、そう切り出した。
 「あの龍は、他の龍とは違う。私が五年前に愛情を込めて育てた龍のように、たとえ邪悪な心を吹き込まれていたとしても、それに勝る優しい心を持ち合わせているのだ」
 「しかし、いつ邪悪な部分が暴発するか誰にも解らない。誰も倒せなくなってからでは遅いのだ」
 「だからあと一日で良い。大司教様のお力で何とかならないものか検討していただき、それでも無理なようなら、倒すしかないだろう」
 「レシア…」
 エルゥが不安そうな声を出した。
 「良いね。もし無理なようなら、その時はエルゥにも協力してもらうよ」
 「…うん。やるだけやって、ダメなら…仕方ない…よね…」
 「この通り、エルゥも協力すると言っている。だからあと一日…」
 レシアの言葉を遮り、アッシードが怒鳴った。
 「アルノワを滅ぼそうとした男の言葉など、信じられるか!貴様は何を企んでいるのだ!アルノワのみならず、この地上をも滅ぼそうとするつもりなのか!」
 「私は決してそんな…」
 「時間延ばしはもう良い!ここで協力しないというならば、力ずくでもその娘を奪うまでだ!かかれ!地上の人間は多少傷つけても良いが、殺してはならぬ!レシアは手に余るようなら、止めを刺しても良い!」
 アッシードの号令に、それまで静かに成り行きを見守っていた七人の目がカッと大きく見開き、それぞれの手に剣や槍などの武器を出現させて、エルゥたちに飛び掛ってきた。
 「くっ…」
 慌てて身構えるガライにティム爺。イファは思わずエルゥに覆いかぶさった。
 「何じゃな!これは?」
 ティム爺の言葉に、エルゥはイファの下から、様子を窺った。
 透明な半球が、自分たちを完全に包み込んでいる。それはアルノワ人の剣を宙で跳ね返し、中のエルゥたちを護っている。
 「結界か!こしゃくな!壊せ!」
 アッシードは瞳を吊り上げ、そう叫んだ。
 「これはレシアが作ったんだ!エラドールでも、これで僕たちを護ってくれたんだよ!」
 イファは、訳のわからないティム爺にそう説明した。
 「俺、戦う!ここから出る!」
 一緒に中に包まれたガライが、中から半球体を叩いてみたが、それはビクともしなかった。
 「レシア一人で八人と戦っている!レシア危ない!俺は戦士!戦える!」
 「ダメじゃガライ!せっかくレシアが作ってくれたんじゃ!壊してはならん!」
 ティム爺に諌められ、ガライははっと、その腕を止めた。
 レシアは、八人のアルノワ人に次々攻撃を仕掛けられ、今にも掴まりそうになっている。
 「セイド!助けて!レシアを助けて!」
 エルゥは残しておいた最後の一枚の羽根を宙に投げ、その名を呼んだ。
 一瞬、辺りが少し輝き、そこにセイドの勇姿が浮かび上がった。

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