八 夜明け前 2
「セイドか…!」
アッシードたちは、一瞬、怯んだ。
セイドの勇敢な話は、アルノワ人では知らない者はいない。
百人以上ものアルノワ人が一斉に飛び掛って倒せなかった龍を、たった一人で倒す男が目の前に現れたのである。
その容姿から漂う強いオーラに、萎縮するなという方が無理かもしれないだろう。
「無意味な闘争は見苦しいぞアッシード。それよりも龍を倒しに行くが良い。龍はこの谷の中だ」
セイドはその切り立った土地の下に広がる、深い谷の森の中を指差した。
「ならばそなたが龍を倒しに行け!そなたに指図されるいわれは無い!」
アッシードは他の七人に目でけしかけながら、剣を高く振り上げた。
それが合図となり、再びエルゥたちの半球体にも怒涛の攻撃が降り注いできた。
レシアの雷が宙に走り、セイドの剣が、アルノワ人の白い翼を次々捕らえていく。
そして一人、また一人とアルノワ人が地に墜ち、白い翼を赤く染めて転がっている。
(嫌だ…!もう止めて!こんなこと、もう止めて!)
エルゥは心の中で、必死にそう叫んだ。
その時である。
一筋の銀色の光が、谷から勢い良く吹き上がった。
「来た!思った通り出てきたぞ!」
アッシードは思わずそう叫んだ。
その光は銀の龍となり、こちらに向かってくる。
「来ちゃだめ!逃げるの!」
球体の中でエルゥは叫んだが、その声は届かない。
(何故ここで出てくる…!)
レシアも、しまったと思った。
これではアッシードの思う壺である。
アッシードと同時に、龍に飛び掛って行った者がいた。
セイドである。
彼は我先に龍へと向かったのだ。
「やめて!セイド!倒さないで!レシア、セイドを止めて!」
エルゥの言葉を受け、レシアはセイドに向かった。
「待て!せめてあの娘がアルノワに行き、龍を助ける方法が無いか探すチャンスをくれ!」
剣を持つセイドのたくましい腕に縋り、必死にレシアは訴えた。
「放せレシア!少しでも苦しまぬように、私が一撃で止めを刺す!」
「やめろセイド!私の話を聞いてくれ!この龍は、他の龍とは違うのだ!他の龍には無い心を持っている!一度だけでいい!助けるチャンスを…」
「きゃあああ!」
エルゥの悲鳴が響いた。
はっと、レシアとセイドはそちらを振り返った。
四人のアルノワ人が、同時に半球体に群がっている。
彼らは、龍退治はアッシードとセイドに任せ、自分たちは目の前の簡単に倒せそうな獲物に集中してきたのだ。中には一度地面に墜とされ、血まみれの姿のまま起き上がり、剣を振り下ろしている者もいる。
四人がかりの攻撃に、半球体は破壊寸前である。
その悪魔のような形相に、半球体の中のエルゥたちは、生きた心地がしなかった。
「きゃああ!いやあ!」
ついに半球体が打ち破られ、エルゥにアルノワ人の剣が振り下ろされた。
イファは咄嗟にそのアルノワ人に体当たりをした。
だがそれは容易にかわされ、アルノワ人は手から光を放ち、イファを吹き飛ばした。
尚もそいつはエルゥに向かってくる。
だが次にティム爺がエルゥに覆いかぶさり、すかさずガライが間に割って、アルノワ人の刃を素手で掴んで力任せにへし折った。しかし次の攻撃がガライを襲い、一太刀、二太刀と剣がガライの身体を掠めている。
「く…」
レシアとセイドが、そちらに向かおうとした時である。
それよりも速く、何かが二人の間を駆け抜けた。
銀の龍である。
大きな巨体で、まっしぐらにエルゥの元へ向かう姿に、セイドは何かを強く心に感じた。
龍はエルゥたちに群がるアルノワ人を次々跳ね除け、そのまま空へ上昇した。
それを追うアッシードと、三名のアルノワ人。
セイドはそれを少し見上げて見送ると、エルゥたちの元に駆け寄った。
傍には四人のアルノワ人が蹲っていたが、セイドたちが降りてきたので、逃げるように慌てて、何とか空へと飛び去っていった。
「大丈夫か、エルゥ」
エルゥはティム爺の下で蹲っていたが、ゆっくり顔を上げた。
その瞳はまだ、恐怖に震えている。
「あの子は…」
「アッシードたちが追っていった。だが、あの速度なら振り切れるだろう。安心するが良い」
「…セイドは倒しに行かないの?」
「ああ」
セイドは頷いた。
「ホントに?ホントにもう…倒しに行かない?」
「ああ。少し思うところが出来た。レシアの言う通り、あの龍は少し違うようだ」
「イファがおらん!」
気が付いたティム爺が、うろたえながら叫んだ。
「え…、嘘!どうして?」
「恐らくあの時じゃ。エルゥを助けようとアルノワ人にしがみついた時、勢い良く振り払われておった。その弾みで、まさかそこの谷の下に落ちたのやもしれん…」
「まさか…」
エルゥたちは必死に辺りを捜してみたが、どこにもイファの姿は無かった。
考えられるのは、ティム爺の言うように、この谷へ落ちたかもしれないという可能性しか残っていない。
「我々が捜してくる。ここで待っていてくれ。ガライ、まだ戦えるか?」
レシアは先ほどの戦闘で傷ついたガライにそう言うと、ガライは力強く頷いた。
「俺は戦士。まだ戦える」
「では、後を頼む。すぐに戻るが、万一何かが襲撃してきたら、二人を護ってくれ」
「シーグルが来ても大丈夫」
ガライの言葉にレシアはにっこり頷いて応え、先に谷へ舞い降りて行ったセイドを追った。