一 墜ちてきた龍 5
「あの龍は人には懐かないとされている。だが、君に懐いて、君に自分の臭いをつけてしまった。我々が変身能力のあるあの龍を見分けるには、その臭いしかないのだ。だから私の他にも、今後君の元には、君を龍と間違えた者たちが訪れ、倒そうとするだろう」
「嘘!そんなの嫌だよ!」
「話をすれば、解かってもらえるじゃろう。このお人のようにな」
「それは保証できない。中には、君を龍ではないと判断しても、龍の臭いがついていれば平気で斬りつける者もいるだろう」
「どうして?悪い事しちゃあいけないんでしょ?間違えて私を殺せば、そっちだってとんでもないことになるんでしょ?」
「それが、そうでもないのだ。倒さなければならない龍の臭いがするモノは、全て龍であると判断しても良く、倒しても罪にはならない。つまりその臭いは、我々にとって、狩るべき獲物である徴なのだよ」
「エルゥ!早く身体を洗うんじゃ!念入りに!」
「残念だが、その臭いは洗っても消えない。自然に消えることを待つしかないが、完全に消えるには、かなりの時間を要するだろう。我々は龍を倒すため、ヤツのどんな些細な臭いでも感じる事が出来るので、君は今後、臭いが消えるまで、我々に命を狙われ続けるということになるのだ」
「う…そ…。嫌だよ、そんなの…」
エルゥは全身から力が抜け、砂地に座り込んだ。
「大丈夫か!エルゥ!」
「…」
心配して覗きこんだティム爺に返事をしようと思ったエルゥだったが、何かが喉につかえて声にならなかった。
「何とかならんのか!おまえさん、この子を護ってやらんか!おまえさんの仲間が来たら、説得をしてくれ!」
「私の説得など効くかどうかは解からん。何でも良いから倒したくてウズウズしている連中なら、どんな説得も無駄だ。逆に、本当に地上の人間のために龍を倒そうと思っている者ならば、説得の必要も無く、すぐに理解してくれるだろう。それに私はあの龍を一刻も早く倒さねばならない。龍は刻々と成長し、成長すればするほど手に負えない存在になってしまうのだ。龍との戦いで、今、戦闘能力のある者が少なくなっている。私が君を護っている間に、他の地が焦土と化し、多くの命が失われてしまう可能性が大いにある」
「おまえさん…、この子を置いて去っていくというわけか」
「心苦しいが、そうするしかない」
「そんな無責任な!どうすれば良いんじゃ!この子を助けてやってくれ!」
激昂するティム爺に対し、エルゥは座り込んだまま、動こうとはしなかった。
もうすぐ自分の所へ、自分を殺しに来る者たちがやってくる。
一度逃げても、何度も。
一体どこへ逃げたら良いのだろうか。
一体いつまで、逃げ続けなければならないというのだろうか…
「まずは、ここから逃げるしかない」
セイドは暫く黙考した後、低く静かな声で言った。
「アルノワ人は、臭いを辿って追ってくる。だから君は、一つの所に長く留まっていてはいけない。この島もすぐに離れた方が良い」
「何処に逃げるんじゃ?この臭いがある限り、どこに逃げても追ってくるのじゃろう?」
「たった一つだけ、我々アルノワ人が足を踏み入れない土地がある」
「それは何処じゃ!」
「エラドールだ」
「何じゃと…」
セイドの話では、そこは地の底の国で、悪い行いを好む者たちが住む場所である。エラドール人には黒い翼が生えており、悪魔と呼ばれる人種なのだ。
「そんなところで暮らせと言うのか?」
「最後まで話を聞くんだ。そのエラドールに私の友人が住んでいる。かつてアルノワ人だったが、五年ほど前にそこに追放された男だ。名をレシアと言い、中々頼りになる。彼を訪ねて事情を説明し、君の護衛をしてもらうんだ。そして君はその男の導きでアルノワに乗り込み、我々の長である大司教様に直接掛け合うんだ。大司教様が君の事を理解してくれれば、何とかしてくれるはずだ」
「ならば、おまえさんが今すぐ大司教様とやらの元へ導いてくれ。龍を倒す前に、ほんの少し寄り道すると思えば良いではないか」
「残念ながら、ほんの少しでは済まん。我々だけなら、この翼でアルノワまで飛んでいけるが、翼の無い人間がアルノワに入るには、それなりの手順が必要なのだ」
「…そのエラドールとやらはどこにあるのじゃ」
「北のガラクシアス山脈の賢者エバールを訪ねると良い。山の一番高い所に庵を構えているはずだ。彼ならそこへの道を、詳しく知っている。それからこれを渡しておこう」
そう言いながら、セイドは自分の背中に生えている翼から、白い羽根を三枚抜き取った。
「この羽根は大切にもっているんだ。そして困ったときに、宙に投げながら私を呼ぶと良い。すぐに駆けつけよう。ただし龍と戦っている最中ならば、駆けつけられないかもしれないので、その時はすまないが自分たちで乗り切ってくれ。それと、エラドールに着いてレシアを見つけたら、その羽根を見せると私からの頼みだと解かり、話は早いだろう。だからそれまで、一枚は残しておいた方が良い」
「もっとくれんかの」
「申しわけないが、三枚が限界だ」
「ケチじゃのう」
「すまない。もっと翼を大きくしておくべきだった。では、心残りだが私はもう行くよ」
「もう行ってしまうのかの」
「ああ。許してくれ。一刻も早く龍を倒して、君の元へ駆けつけよう。それまでどうか、頑張ってくれ。では無事を祈っている」
セイドは翼を広げ、宙に浮き上がった。
座り込んで少し俯いていたエルゥは、ようやく顔をあげてその姿を見つめた。
月明かりの中に、静かに影が遠ざかっていく。
はっと我に返り、エルゥは立ち上がった。
「さようなら!色々ありがとう!」
大きく元気に手を振るエルゥ。
「エルゥ…」
「落ち込んでいたって仕方ないね!さてと、母さんには何て言おう。本当のことは、心配かけちゃうから言えないしなあ。何か良い言い方は無い?」
「エルゥ…、おまえさん…」
とんでもない立場になってしまったというのに、エルゥはもう、すっかりいつもの彼女に戻っている。だが本当は、とても不安で一杯のはずである。なのに、自分に心配をかけまいと明るく振舞っているのが、ティム爺には伝わってきた。その健気な心に、ティム爺は胸が痛くなった。
「とにかく船借りないといけないし…えっと、旅には何を持っていけば良いんだろ?」
「北のガラクシアスなら、わしのジャイロで五日もかからんぞ」
「え…。良いの?乗せていってくれるの?」
「当たり前じゃ!おまえさん一人で、こんな危険な旅になど、やれるわけが無い。それにわしは唯一事情を知っておる。わしが力にならんでどうする。賢者とまではいかんが、旅の知識なら誰にも負けんぞ!」
「ありがとう!嬉しい!」
エルゥはティム爺に抱きついた。ティム爺は細いその身体を抱きしめ返した。
(誰にも殺させはせんぞ。こんな良い子を…。わしが命に替えても護ってみせる!)
ティム爺はそう心に誓った。