小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.11 聖戦継続

Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 ギルド(八咫鏡)@HOME
 領土戦は、暗澹たる惨状だった。
 嘗て、この「世界」が病気に感染したときと同様に、「現実の人間」を感じず、実際に傷みと苦しみを感じるようになってしまった世界。恐らく、死ねば、その瞬間、魂は砕け散るのかもしれない。先日、この「世界」を狂乱の渦に叩き込んだ紫色のウイルス達が、まるで蜘蛛の子の様に歩き回っている。
 だが、生憎、貧相で矮小な倫理学に興味の無いシャムロックは、この惨状を見ても、
「始まったか……」
 という以上の感想を抱けなかった。
 それよりも大事な事がある。
 シャムロックは、今回の事件被害者の一覧を持っていた情報屋をようやく捕らえたのだった。ボロボロで土まみれの外套に、ゴーグルを掛けたギークという男性プレイヤーだ。見るからに胡散臭さ全開である。街を歩けば、即刻、官吏にマークされそうである。
 そんな彼は、今回の未帰還者の事件において、被害者の情報を売買していた。通り魔のように、誰でも良かったとリストを作っていたのではない。情報管理用チップ、インプラントチップを埋め込んだ二十万人の中高生ばかりなのである。
 つまり、彼は、何かしらの悪意を持つ?によって、情報の拠出を依頼され、そのリストを作った。リストについては、シャムロックも閲覧したから分かる。病歴から、現在の在校先、他にも家族構成から何から何まで、全てが筒抜けであった。その悪意ある?が何者なのか、まだシャムロックは知らない。
 動かないはずの、単なるオブジェクトであったマグメルドや、どこから召喚してきたのか、最大ボスのザワン・シンもいる。オールスター総登場とでも銘打つべき、豪華な、そして最悪の有様であった。
「全く、おもちゃ箱をひっくり返すような癇癪もちだな」
「同意」
 隣にボケッとして控えていたクラリネッテも、シャムロックの言葉に賛同する。
 今の状況は、まるで楽しければ良い。面白ければ、それで最高。カッコよさだとか、デザインの軽妙さだとか、政治的・経済的な云々など一切を度外視して作られている。少しでも損得勘定が出来るような大人であれば、リスクを天秤にかけ、そのリスクに見合うだけの事前策を討っているようなものだが、先程から繰り広げられる領土戦の在り様は、まるで、子供がダダを捏ねているようにしか見えない。
「さて、その随分、子供っぽい奴は、どこにいるのだ?」
 じろりと、窓の外から、部屋の中、正確には、椅子に縛り付けられた男へと視線を移す。
「あのリストは誰に頼まれて作ったものだ?」
 その小さな体のどこから発しているのか、さっぱり分からないような威圧感と供に、ギーグに訊くシャムロック。だが、彼も腐っても情報屋、それも、こんな裏に精通した人間である。そんな威圧感に負けるかといわんばかりに強情な声で、
「それは言えねぇな」
 鼻で笑った。
「俺にも仁義ってもんが、あ……」
 ガンとローファーのつま先で、ギーグの脛を思いっきり、シャムロックは蹴り飛ばした。
「勘違いするなよ」
 再び、ドスの利いた声。
 とてもではないが、目の前の小さな少女が発しているとは思えないほどに冷たい声であった。その警察もかくやというような、威圧感と迫力に、ギーグは震え始めた。
「我々はゲームをしているのではない」
 最早、この『世界』である『The World R;X』は、ただの楽しいネットゲームでは、なくなってしまっていた。命と意識と現実世界の体を賭けた、乗るか反るかの大博打。それに協力しないなら、切り捨てると言っているのだ。
「さあ、答えた方が身のためだぞ」
 それが、冗談ではない。
 胡散臭い情報屋が、それを悟るのに、さして時間は必要なかった。
「謎の猫PC、ハーミットか……」
「ああ、俺は、そいつに頼まれて、リストを作ってた・・・…」
 顔中を青あざだらけにした情報屋が、ぼそぼそと話す。
 ハーミットと名乗るPCに頼まれたこと。ネットスラムで出会ったこと。そのあたりの仔細を包み隠すことなく、喋らされた。
「世界のインプラントチップの使用者全員のデータだ」
「何故、集めているなどは……」
「聞いてるわけ、ねぇ。そこは情報屋だからな」
「威張るな!」
 また一発、硬い蹴りが入った。
「ぐおおお……」
 悶絶するギーク。
「他には?」
 そんな時。
 ザザザと引っ掻くようなノイズ音が、借り上げていた館に、響いた。
 平原に立つ館の窓から遠くを見やれば、ちょうど戦場となっているあたりで、目も眩むような閃光が迸り、大地と大気を赤々と焼いていた。この爆発で、サーバーの処理が落ち、ノイズが走っているのだろう。戦場には、まだ何人ものプレイヤーがいるはずだ。恐らく、この爆発で全員未帰還者になっただろう。
 シャムロックは画面に映る黒い樹を見つめた。
 これこそが、今回の事件の要諦。
 人間の脳を電脳空間に縛り付ける、電子監獄。
「あれを壊さなければ、我々はログアウトすら出来ないのだろうな」
 絶体絶命の状況にあってなお、シャムロックは倣岸さを崩さずに居た。 
 余りの堂々とした態度に、見ていたギークや、周りを固めていたギルドメンバーも、ぽかんと呆けた顔を一様に晒している。
「おいおい……」
 縛られたままのギークは、呆然として、尋ねた。
「どこにあるのかも分からないのに、どうするんだ?」
「決まっている」
 その問に、鼻を鳴らしてシャムロックは答える。
「どこにいるのか、どこにあるのか、だと?」
 窓の外には、動き出した闘竜マグメルドと、真っ黒に染まったザワン・シンが飛び交っている。まるで怪獣大戦争だ。とてもちっぽけな人間では、刃向かうことさえ諦めてしまうくらいに、凄惨な光景であった。だが、シャムロックには打開策がある。
「今、暴れているやつら、普通の人間はあんなものを動かせない」
 確かに、その通りだ。
 紫色の蜘蛛のようなウイルスは別としても、マグメルドもザワン・シンも本来なら、運営の人間しか動かせないような代物である。それを動かせるだけの技術が、犯人には備わっていて、それを自在に使いこなす事が出来るのだ。
「疑問に思わないのか?」
「何が、だよ?」
「これだけのことをやれる能力があるのに何故暴れ回るのか、だ」
 これだけのハッキング技術があるならば、こんな大事にしなくても良いだろう。
 ハッキングは言うなれば、盗みと同じだ。静かに丁寧に行うのが普通。後には証拠も残さない。こんなに大事にすればするだけ、発見される危険性が高まる。勿論、自分の実力に絶対な自信を持っているならば、敢えて騒ぎ立てることもするだろう。
「もし、この子供染みた演出が敵の性格なら……」
 シャムロックは、不敵に笑う。
 幼い顔に似合わない、大人で、悪女のような笑みを。
「思い通りにならなくなった時に姿を現すだろう」
「んじゃ、お前さんには、この状況を打破する方法があるってのか……?」
 怪訝な表情を浮かべるギーク。それに対して、シャムロックは不遜に返す。
「あるから、こんな事が言えるのだが」
 机を叩き、断言する。
「紋章砲を使う!」
 そこからは早かった。
 シャムロックが宣言すると同時に、部屋はガラリと彩りを変えた。壁から机の上から部屋一面に、一般プレイヤーでは見ることの叶わない、管理者画面が表示される。ホログラフキーボードが幾つも出現し、イチとゼロの羅列で出来たデータ画面に、ギルドメンバーが向き合う。カリカリと耳の痛くなる幻聴を聞きながら、一斉にキーを叩く。
 と、そこへ。
「シャムロックさん!」
「こら、大人しくしろ!」
 上に何人も乗り掛かられつつも、必死の形相を浮かべたサクヤが乱入してきた。
 髪の毛は、彼方此方が汚れ、大柄な男たちに乗られているので、顔も苦悶に歪んでいる。彼女のそんな姿を見ながら、シャムロックは良く通る声で一喝した。
「馬鹿者!何故戻ってきた!!」
 だが、サクヤも負けていない。幼さを残した顔、眼にいっぱいの涙を浮かべて、必死になってシャムロックに食らい付く。必死になって、床を叩いて、拘束から逃れ出るべく、必死になってもがく。右手も、左手も、右足も、左足も、髪の毛も振り乱す。
「だって、だって! エリが……!」
 彼女の気持ちが理解できないシャムロックではない。もう二週間近く、意識不明の状態が続いているのだ。そんな友達を心配しないほど、彼女は薄情ではない。
 しかし、そこで気が付いた。
「ん……?」
 サクヤの右手が触れている床が、何かおかしなことになっている。
 床板の色が、まるで糸でも解けるかのように、色が変わっているのだ。
 それを見てシャムロックは、一つ思いついた。
「そういうことか……。なるほどな……」
 不敵な笑みを浮かべる彼女を見て、
「へ……?」
 サクヤは不思議そうに眼を瞬かせた。



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 東京 アーガス本社
 今回の事件、未だ解決せず。
 その中で、今回、アーガスの臨時株主総会が、本社の会議室で開かれていた。
 外はクリスマスカラー一色だが、此方は塗りつぶしたように灰色の空気が漂っている。その中には、アーガスの株主でもあった火野拓海も参加していた。
 つい先月まで、茅場晶彦という稀代の天才を抱えて、躍進していたはずのゲーム会社は、今は断頭台に運ばれる罪人と成り果てていた。問題が起きてから、既に十一月に二度、今月は三度目となる臨時総会であるが、いよいよ、解散や、民事再生法の適応も視野に入れられているとさえ、業界内では噂されている。
 犠牲者遺族への見舞金、犠牲者本人の治療費。
 そして、ゲームの開発費など。
 総計すれば天文学的数字になるような金額を賄えずに破綻してしまうだろう。
 勿論、残されている特許関連を売り払うなどして、出来うる限り株主には被害がないようにすると、社長は力説しているのだが、第一回目の臨時総会は荒れに荒れた。あの光景は、今思い出しても、火野が身震いするほどであった。事件のことを書きたいマスコミに、怒りと悲しみに狂った遺族たちが押しかけ、総会など出来るような状況では全く無かった。
 彼らを締め出した第二回以降の会議で、ようやく株主への保障計画が形になり、既に買収の計画も完全に締結したと、先ほど社長から説明を受けたのだが、
(全く、問題は、そこではないというのに……)
 火野は、今回の件に関して違和感を覚えていた。
 確かに、問題の全ての責任を引っ被るのは、アーガスであり、引いては首謀者である茅場自身であろう。だが、同時に、それは彼と彼が育てた会社以外には、犠牲者たちを捕らえているブラックボックスの、SAOを動かしているサーバー管理できる会社は、おのずと同じだけの技術力を誇るだろう企業が買収すると、市場予測が立てられていた。これから大いに成長するであろう分野だ。どこの会社も垂涎の的だろう。狂人の計画一つで開発を頓挫させているわけにはいかないというのが、技術集団の総意でもあった。
 勿論、CC社も、アーガスの技術力を見込み、買収に動いていた。世界最大手が動いたということで、幾らかは引っ込み、間違いなく一人勝ちだと、火野は思っていた。
 だが、今回の買収を成功させたのは、CC社ではなかった。
 レクト。
 日本を代表する、総合エレクトロニクス会社である。
 アーガスは、世界各国のゲームメーカーや、エレクトロニクス会社が提示した条件を無視して、レクトの出した条件に飛びついた。お金が少しでも必要であった彼ら経営陣にしてみれば、確かにレクトの出した特許買収額、新鋭サーバーの買い取り額といい、魅力的であったのは間違いないだろう。
 だが、僅か二ヶ月。
 そんな短期間で、とんとん拍子に買収計画が進んだ事。
 長らく、時々刻々と変化する証券の世界に身をどっぷり浸していたからこそ、火野は分かるのだが、そんな事はありえない。日本政府も、この買収計画に乗り、レクトに対して、この買収専用、アーガスにしてみれば、遺族宛の見舞金使用と、かなり用途を限定した、莫大な補助を行ったとも聞いている。
(あまりにもおかしい……)
 今回の買収計画は、異例尽くめである。
 まるで、何かの意志に沿って動いているとも見える。だが、その違和感の正体を探っている時間は、あまり無さそうである。
 壇上では、その件のレクトのCEO(最高経営責任者)である結城彰三が、今回の買収計画についての概要を話している。彼の弁によると、新しく完全ダイヴ技術を開発する部門を設け、そこでネットゲーム事業にも乗り出す腹積もりらしい。
「チッ……」
 迷惑な事を。
 内心、火野は、そう思った。
 このサーバーをCC社が買い取れば、此方としても援軍を送り込む事も簡単なのだ。それに横槍を入れられた形になってしまったからには、迂闊にカイト達を送り込むわけにはいかなくなってしまった。もし、解散寸前のアーガスのサーバーではなく、現役のレクト管理下のサーバーに、CC社がハッキングを仕掛けているとなると、それだけで、経済界を揺るがしかねない、電子機器メーカー同士の大戦争に発展してしまう。
 ついでにいえば、ネットゲーム事業に乗り出すということは、単純に名指しで喧嘩を売られた様なものだ。
 其方の件についても、火野は腹立たしく思っていた。
「それでは、今回、私の代わりに、計画を進めてくれました私の腹心の息子……」
 腹心の息子とは、何ともふざけた言い回しだ。
 自身の綿密な計画を、意図せず崩してくれた彼らに対して、珍しく火野は感情をあらわにしていた。折角の兵器も使わなくては、意味が無い。その使いにくい状況に持っていった彼らの事を、仕事人であるところの火野拓海が、敵視しないはずが無い。何を言っても、腹立たしく感じるくらいには、静かな怒りを秘めていた。
「須郷伸之君です」
 そんなCEOの紹介とともに、壇上に一人の青年が上がる。
(須郷……?)
 どこかで聞いた事のある名前だと、記憶の底を浚う。
 確か、同輩である曽我部と茅場の後輩に同じ苗字の男が居たはずだ。曽我部の話だけなので、どんな名前なのか、どんな顔なのかまでは、聞きそびれたが、そうあるような姓でもないので、恐らくは同一人物であろうと、火野は当たりをつける。ただ、そのくたびれ方は、曽我部の方が上だ。まさに出来るエリートサラリーマンという彼とは違い、常に曽我部は面倒くさいと全身が言っている。
 壇上では、その須郷某が丁寧に計画の概要を述べてくれていた。
 どうやら、今後は、彼はレクトの下にゲーム運営会社を作り上げるらしい。その中で、完全ダイヴ技術の研究を進め、安心・安全な製品つくりに取り組む算段らしい。計画としては、半年後にナーヴギアの後継機を、そして、二〇二四年の一月には、新しいゲームをリリースする心算らしい。とことん、喧嘩を売ってくれるつもりのようだ。
 その丁度、同月に、CC社としてもヴァージョンを、『THE WORLD FORCE:ERA』へと上げる計画なのだ。これは、最早、企業同士の決闘でもある。
 そんな事を危惧したのか、株主から質問が飛んだ。
「二四年の一月というと、既にCC社がアッパーを計画しておられますが……」
「それには心配ありません」
 自信満々に、須郷は答えた。
「世界最大手、それは確かにビックネームです」
 そこで、眼鏡のやり手らしきエリートは、言葉を切った。
「私たちは、それに挑むチャレンジャー。可能性も、将来性も、私たちの方が上です」
 その言葉に、パチパチと疎らながら、拍手が巻き起こる。殆ど、買収計画の発表となってしまい、まともな株主総会としての体を成していないが、彼の頭の中には、全く別のことが渦巻いていた。大納会までは、四日ほどの時間が有る。
 この間に、幾らかの敵対的株式買収を行うか否か、火野は考え始めた。
 既に、アーガスの株主や、被害者への保障計画については、彼はどうでも良くなっていた。自身の資本金に、損が出ないとなるならば、それで問題ないと、納得することにした。
 先程から、異常を知らせるアラームが、彼の携帯には届いているのだが、全く気がついていなかった。



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 第三層 圏外の草原
 身の丈ほどの大きな剣が、恐るべき速度で振るわれる。
 それを振っているのが、また痩身の女性なのだから驚きである。
 胸部を覆う装甲のほかには、腰周りの草摺りくらいの装備は露出が多い。
「ようやく、この『世界』にも慣れてきたわね」
 振り回した愛剣に寄りかかり、ブラックローズは感想を口にした。
 人数が少ない中、全員総出というわけにも行かない面々は、時間の合った相手とパーティを組んで行動する事にした。最初こそ、全員の適合ためという名目があったが、二ヶ月近くになると、段々と単独行動も多くなった。決して、仲違いしているわけではない。
 同じ目的があっても、反りや馬が合わない相手というのは居るのだ。特に、粗暴な性格なハセヲと、真面目実直なバルムンクは好例だろう。
「ああ、うん。そうだね」
 ぐっぐっと体の筋を伸ばし、筋肉を解す。実際にはそんな感じがするだけで、本当の体は、お台場のCC社の『the world』の管理サーバーの前に横たわっているのだ。
 技術の発達は喜ばしいが、それに社会が、人間が、全く追いついていないというのも、また事実かもしれない。こんな事例も新技術だからこそ、起きた事件だ。
 後ろから襲い掛かってきた狼のようなモンスターを、また一刀の元に斬り捨てる。
 相方の紅いバロンコートを着た青年も、危なげなく敵を倒す。だが、正直、心ここにあらずというような調子で、見ていて危なっかしい。まるで動き方が機械的だ。何だか、昔に戻ってしまったような気がする。あの友人を失ってしまったとき、初めて出会った時と。
 その様子に、いい加減、焦れたブラックローズ。
「ああもう、しゃきっとしなさい!」
「ブラックローズ……」
 もう二十代も半分を超えているのに、作り物ではないカイト本人の顔は高校生、いや、中学生でも通用しそうなくらいに、童顔だ。護ってあげたいと思わなくもない。つぶらな瞳で自分を見つめる彼に、思わずくらっと来てしまった。そんな自分を頭から追い出す。
「いい加減にしなさいよ!」
 ブラックローズの一喝に、カイトは黙って、彼女を見つめている。
「確かに、目の前で人が死んだ、その悲しさは、想像できるわ」
 カイトが、何故、これほどまでに落ち込んでいるのか。
 第二層でのボス攻略時に、目の前で一人が死んだ。人望もあり、志も高くあった気高い騎士であったとブラックローズは人伝に聞いている。それを目の前で、本当に目の前で失ってしまったのだ。そのショックは、計り知れないだろう。ブラックローズも弟を失いかけた時、もう戻ってこないのかと、カズの体に縋りついて泣いた。
「でも!」
 ずっと彼に寄るブラックローズ。釣り眼がじっとカイトを見つめている。
「貴方も私と同じでしょう」
 ブラックローズは弟を失って。カイトは親友を失って。
 二人の目の前で傷ついていった人間は多い。最後の女神の自己犠牲の瞬間を、二人は未だに夢に見る。それで完成したというのだから、正解なのかもしれない。だが、そのために、全てを失った事が正しかったのかどうかは分からない。
「それを何時までも悩んで、人に迷惑掛けるなんて、貴方らしくないわよ」
 だけども、それは過去のこと。そして、今の事。
 未来の事ではない。
「良いと思える事をやって行こう」
「……でないと、前へ進めないから」
「貴方が言った事よ。忘れたの」
 もう一度、英雄の心を揺り動かす。 
「ごめん、ブラックローズ。僕、ちょっと見失ってた」
「そう、解れば良いのよ」
 そう言って、ブラックローズは、日焼けした肌に笑みを浮かべた。
「で、相談なんだけど」
「何?」
 ブラックローズが、笑顔のまま、カイトに詰め寄る。
「さっきから、周りにいる彼らは、どう処理すれば良いと思う?」
「えーっと……」
 カイトは彼女の発言に、困り果てた。
 見れば、先程から二人の周囲を大勢が取り囲んでいるのだ。
 皆、一様に白地に赤いラインの入った鎧である。カラーリングを統一していると言う事は、どうやら同じギルドに所属している面々なのだろう。だが、しかし、二人とも、そんな大勢に囲まれるような非マナー行為をした覚えもない。だがら、恐らく謂れの無い非難なのだろうが、一斉に突き刺さる視線が、不快なことには違いない。そして、警戒を抱くには、十分な剣呑さも持ち合わせていることは間違いない。今にも、腰の剣を抜いて、襲い掛かってきそうだ。そうなると、うっかり殺してしまいかねない。
それだけは、絶対に避けたかった。
「………」
 恐らく、一団の将らしい栗毛の女の子が、二人を見つめている。
 相方に負けず劣らず、随分と気が強そうだと、カイトはチラリとブラックローズを見ながら、勝手なことを思った。大体、こんな複雑なネットゲームに参加する女性と言うのは、少ない。理由は幾らでもあるだろうが、どちらかというとブラックローズのような、ベテランのネットゲーマーというのは、それこそツチノコ並みに希少種だ。
 そんな希少な存在が、じっと見ているのだが、正直な話、困る。
 どんな美少女だろうが、じっと見られていて、良い気分になるはずがない。
「ああ、もう!」
 そんな視線に先に焦れたのは、ブラックローズだった。ずんずんと淑やかさの欠片も無い大股で、栗毛の女の子へと近寄っていく。動きやすい軽装だが、大きな剣を振り回せるような腕力を持つ彼女だ。一気に、一団の警戒心のレベルが引きあがったのが解る。
「ブラックローズ!」
 カイトの制止を振り切って、ブラックローズは少女に詰め寄った。女性としては、それなりに背のある彼女は、少女を上からじっと睨み返す。大剣の迫力も相まって、何時もより、随分と殺気というか、威圧感を離れた場所からでも、カイトは感じていた。
「そういう風に、じろじろ見るのは、マナー違反よ」
 ビシッと人差し指を突きつけて、彼女は言い放つ。
「それとも何? 大勢で囲んで、畳んじゃおうっていう魂胆かしら?」
 敢えて、挑発的な声音で、ブラックローズは栗毛の少女を見ている。
 こういうネットゲームでは、気の強さというものが真っ先に表に現れる。他人を気にして、自分を偽る必要が、どこにも無いからだ。だが、そんな風に刺々しく接していても何も良いことなど無い。それでも、殆ど言いがかりで、攻撃を受けそうになっているのだから、ブラックローズの対応は正しいと言えるだろう。
 そんな風に、むっとしたままの相方を下げるためにカイトが、ため息を付きながら、前に出てきた。警戒のレベルは変えず、手に握る双剣はそのままだ。
「取り敢えず、話を聞かせてもらって良いかな。僕は、カイト」
 真っ赤なバロンコートの胸に手を当てて、出来る限り丁寧な自己紹介をする。
「で、こちらがブラックローズ」
「………」
 カイトの丁寧な紹介に会わせて、一応、ブラックローズも頭を下げる。いきなり囲まれたのだから、寧ろ、カイトの丁寧な紹介の方がどうにかしているのだが、お互いに何も言わない。二人で仲違いしても、今の状況は好転しないのは、解り切っている。
「じゃあ、名乗った事だし、何で、こんな事をしているのか?」
 馴れ馴れしくカイトが、
「ついでに、貴方たちが誰なのかも聞かせてもらいましょうか?」
 カイトの後を引き継いで、ブラックローズは、挑発気味に話す。確かに、ぐるりと回りを囲まれて、移動を防がれ、おまけにじろじろと凝視されては気分の良いものではない。別に謝罪や賠償を求めている心算ではないが、早く、解放して欲しいのが本音だ。
「良いの?」
 それに負けじと、栗毛の少女も腰のレイピアを抜き放ち、二人の眼前に突き付ける。それを合図にしたように、回りの隊員だろうか、メンバーも一斉に剣を抜いた。
「何が?」
「こっちは、十人よ」
 何がそれほどに気に入らないのか、少女はブラックローズ以上に挑発的だ。
 何かに憑かれているとでも言おうか。このリアルの外見そのままのはずのゲームの中において、少女の顔は悲痛そのものだった。年はトキオと同じか、それより下というくらい。そんな年端も行かないいたいけな少女が、大勢のプレイヤーを引き連れ、何かに魘されているかのように動く様は、滑稽であると同時に、背筋が冷たくなった。
「そんな数の理論で、私たちがどうにかできるとでも?」
「ッ……。随分な、自信ね……」
 二人の少女が見詰め合う。いや、睨みあうという方が正しい険悪な雰囲気が漂い始めた。
「ブラックローズ!」
「大丈夫よ」
 レイピアを抜いた以上、こちらとしては正当防衛も成り立つのだが、どんどん、事態が悪化している気がする。でも、もう止まるはずがない。
「ちょっと生意気な後輩にお灸を据えるだけだから」

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