小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.12 真情在処

Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 第三層 迷宮区
 今回のイベントクエストを実行している面々は、何れも兵揃いなのだろう。
 壁の影から見ていても、それは危なげない動きであった。お互いがお互いをサポート試合い、敵を倒す事への執念よりも、安全性・確実性を重視する。一見、作業のようにも見えてしまうが、的確で正しい判断と言えるだろう。
「心配になって、着いてきたけど……」
「こりゃ、要らない世話だったかな」
 壁の影に隠れているのは、ハセヲとトキオ。
 こういうイベントには、得てして、何かが起きるのが常だ。イベントという常とは違う雰囲気が人を残酷にも、冷静にも、いかようにも変えていくのだ。こんな状況であっても、冷静さを保ち、他人と協力して、という関係性が成り立つとは、実に、人徳者が多いようである。自分も見習いたいものだと、ハセヲは呟く。
「つか、トキオ。お前は正規プレイヤーだから、勝手に自由に狩っていいんだぞ」
「いや、何か、死なないっていうのは、他のプレイヤーに対して、失礼な気がしてさ」
 二年前。
 トキオは、全身丸ごと電脳世界へと取り込まれた。
 とある科学者の狂気が生んだ、全ての人間を電脳世界へと封じ、世界を終焉へと導く「リアルデジタライズ」の被験者一号として。彼の特異体質である「重複存在」は、実にその五年も前から確認されていたと言うから驚きだ。
 その特異体質を利用する事で、トキオはナーヴギアにはめ込まれていたペナルティーを解除する事に成功した。フリューゲルが何やら小難しい専門用語を並べていた気がしたが、その当たりは聞いていない。機関技術を開発した彼だからこそ、そんな芸当が出来たのだろうと、勝手にトキオは考えている。感謝こそすれ、恨みなど一部もない。
 今回の件に関しても、トキオが参加する事は、彩花を通じて、既に火野は承知であった。そんな現在も、他に見つかっていない特異体質の持ち主をCC社が放置しておくはずはない。事件発生後、彼はすぐさま、都内のCC社直系の病院に運ばれ、アーガス社からの扱いは、死亡という事にされて、近親者と彩花以外は誰も知らずに、一ヶ月を過ごしたのだ。
 十六で中々のハードラック人生である。
それもこれも、「重複存在」などという特異体質のためである。だが、そんな存在である事に対して、トキオは困りもしていない。悲しみもしていない。寧ろ、英雄になれる事、そして、ハセヲやカイトを初めとした面々と出会えた事に感謝している。
 そんなトキオを見て、ハセヲはため息を付く。 
「立派な心構え、だな」
 白い髪を掻いて、一言。
「間違えるなよ。俺たちの目的は、この『世界』をクリアする事じゃないからな」
「ああ、解ってる」
 改めての意思確認である。
 二人の、いや、ギルド(Project G.U)の目的は、この死と隣り合わせの『世界』を「クリア」することでは、絶対にない。一人でも多く、現実世界へと帰還させることである。
 そのための仕込みを各自、入念に行っているのだ。
 何せ、相手取るのは一万人の脳である。下手に動いて、相手の脳を破壊するような事があっては、悔やんでも悔やみきれない。解放するためのスイッチを探し出すと同時に、現実世界では、茅場晶彦の身柄を拘束する。決して、ボスを倒す事ではない。
「ここは、大丈夫そうだな」
「ああ」
 レアモンスターは数値的なパラメーターが他よりも高い。攻撃方法が違う事もある。
 そんな場所なら、何か起きるかと興味が湧き、追跡したのだが、どうやら杞憂のようである。固く閉ざされたボスの部屋へと先走る馬鹿が要る事も無いなら、ここは切り上げるべきだ。実時間は、既に夜の八時だ。未成年が働いて良い時間ではない。
「戻るぞ」
 そう告げたハセヲ。それに大人しく従うトキオ。
「があああああああ!」
 二人の耳に、狂ったような怒声が聞こえてきたのは、その瞬間だった。
 いきなり上がった声に、嫌な予感を感じて、物陰から飛び出す。二人の目の前では、眼を血走らせたプレイヤーが他のプレイヤーへと襲い掛かっていた。幸いな事に、襲われている方の防御力が高いのか、大したダメージは受けていないようである。這いずり回った方々の体で、こちらにまで逃げてきた。
「大丈夫か! しっかりしろ!」
「い、いてえ、いてえ……」
 逃げてきたプレイヤーの背中には、ばっさりと切り口が入っていた。深い傷を見たトキオは、半ば強引に回復薬の入った小瓶を、口の中へと突っ込み回復させる。こういうとき、一瞬で回復しないのは、もどかしい。
 それよりもだ。痛がっているのは、どういうことだろうか。この世界に痛覚は、存在しない。
「おい、何があったんだ?」
 傍で腰を抜かしている甲冑姿の男に、ハセヲは詰め寄った。
「わ、わかんねぇ……」
 唐突な乱心に腰が抜けたのか、その男は情けなく遠巻きに二人を見るだけであった。
「モンスターを狩ってたら、いきなりアイツが切りかかったんだ……」
「な、何だよ……、それ……」
 仲間がいきなり乱心した事で、統率は滅茶苦茶だ。既に、武器を放り出して逃げているプレイヤーもいる。だが、ここは迷宮のそれなりに奥深くである。丸腰で突破できるほど、生易しい場所ではないはずだ。このまま放っておくと、モンスターに殺されかねない。
「くそ!」
 ハセヲは、全力で舌打ちして、紅く光る大剣を装備した。
「勘弁してくれよ……、峰討ちで済ませるから……」
 そんな風に祈りながら、ハセヲは構える。その手を思いっきり、横から掴まれた。
「ま、待ってくれ!」
「何だ! 殺すつもりはない! 気絶させるだけだ!」
 相手はプレイヤー。
 それに対して、切っ先を向けた事に、甲冑の男は動転しているのだろう。傍から見たら、どんな理由があろうとも、ハセヲの方が殺人者になってしまう。勿論、彼にそんな気は全くない。殺傷力の高い鎌や双剣で攻撃するよりも、打撃武器として扱う事も可能な、大剣のポテンシャルに賭ける心算だったのだが、あらぬ誤解をしているようだ。
「わ、解ってる。お前さんらが仲間を抑えようとしてくれてんのは……」
「だったら!」
「ち、違うんだ……」
 震える声を絞り出しながら、甲冑男は、乱心したプレイヤーの方をゆっくりと指差した。
「な……」
「に……」
 ハセヲも、トキオも声が出なくなった。
 その先にいたのは、十人近いプレイヤー。だが、普通のプレイヤーではない。一番前の乱心した男と同様に、眼を血走らせ、何かに取り憑かれたような状態。眼の焦点は合っておらず、場には、狂気が迸っている。まるで何かの危ない儀式のようでさえある。
 そして、彼らは、互いに打ち合い、互いに傷つけていく。逃げる事はしない。脚を留め、手に持った武器で、目の前の敵と見えているプレイヤーを傷つけている。
「トキオ、お前はこいつを下がらせろ!」
「解った!」
 明らかに、おかしい。この状態は、どう考えても、(SAO)のシステム的にありえない。
 今まで統率の取れていた部隊の隊員が傷つけ始めたのだ。まるで何かに操られているように。このゲームには魔法のスキルがない。魔法や呪いというような、オカルティックな要素は一切ないということになる。なら、何故、こんな症状が現れたのか。
 単純に、この世界の状況に絶望したというなら、こんな場所ではなくて、もっと早く、もっと眼に解る範囲で、それこそ、目の前でプレイヤーが消えれば、狂うだろう。
 目の前の狂気の宴を見ながらも、どこか冷静な頭で、ハセヲは思案していた。こんな状況がありえないとするならば、何かしらのトリックが仕掛けられているはずだと。注意深く、プレイヤーを凝視しながら、そのトリックを探る。
 そして、ハセヲは気が付いた。
 滲み出す紅と黒の球体が、彼らの体から噴出しているのを。
 それは、何度も見てきた、プレイヤーの症状。人の悪意を吸って成長する病原体。
「あれは……」
 幾度となく相対してきた、その正体。
「間違いない、AIDAだ!」
「何だって!」
 ハセヲの絶叫。物陰へと甲冑のプレイヤーを下がらせたトキオが驚愕する。
 第一層のボスを再生させたネットの病原菌。それが遂に、いや、もう既に出ていても不思議ではなかったのだ。色々と画策してきたが、それでも打ち漏らしは出来てしまう。
「トキオ、八蛇に連絡しろ! AIDAが現れたってな!」
「何て、連絡すればいい?」
「援軍を頼め! 流石に、この数は相手にしきれない!」
 刻一刻と悪化する事態に収集をつける為に、トキオは緊急用の外部連絡ラインのスイッチを入れた。ここはネットゲームの中なのだから、少し設定を弄れば、ゲームの外の人間とも遣り取りする事が出来るようにすることなど、理論的にも技術的にも、可能である。
 だが、普通はしない。しても意味が無いからだ。
 そんなタブーを真っ向から否定して、トキオ達は、この連絡網を持っているのである。
 だが、今回ばかりは役に立たなかったようだ。
「ダメだ、ハセヲ!」
「何だって!」
「八蛇も、バルムンクも、今総出で、『電子監獄』に掛りっきりだ!」
「くそ!」
 そうなると現場判断だ。勝手に動くことにしよう。文句は言わせても、受け入れない。
「トキオ、そいつらを下がらせろ」
「あ、ああ……、使うのか?」
「仕方ないだろ。ちょっと不安だが、な」
 トキオへの指示を手早く済ませると、ハセヲは、精神を統一するために、長く息を吐く。肺の中、腹の中に溜まった不浄を吐き出し、心を落ち着かせる。本来なら、この力は、人前であまり使いたくないのが、本音だ。だが、AIDAに対抗できる力は、これしかない。
「いいぜ……」
 音が、鳴る。ハ長調ラ音の甲高い音が。
「来い、来いよ!」
 影が、走る。全てへと死を刻む救いの影が。 
「俺は」
 姿を、示す。己の全てを扱う存在の姿を。
「ここにいる!」
 名を、叫ぶ。その身に宿る神の名を。
「スケェェェェェィス!」



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 紋章砲内部
 サクヤの右手に宿った謎のシステム。
 それは、不可触フォルダへの接触権限である。言うなれば、ゲーム内に限らず、階層に分けられているフォルダ構成を無視して、奥にあるフォルダを取り出す能力である。その能力を使わせ、紋章砲の中へと進入した面々は、モニターを出す。
「ふむ……」
 映し出された画面の中では、人でごった返していた。
 ログアウトも不可能、そして、エリアを移動する事も叶わない。
 そんな中で阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。だが、それを見ているシャムロックは冷静そのものである。まるで神か悪魔か、人間の事など些事であるというような顔である。
「生き残ったのは、これだけか……」
「まだ、避難して来ているのは居ますので、もう少し増えるかと……」
 シャムロックの副官であるスミスが、大柄な体を揺らして答える。
「なるほど、十分だ」
 その数を目算し、小さくとも女王然とした少女は、呟いた。
「ゲートを解放!」
 部下たちを自分の手足のように使い、次の一手のために行動を開始する。
 外部は大騒ぎだろう。先月に続き、このような事件が起こったとなれば、凋落は免れないのだから。隠蔽工作に走っているか、それとも、解決に走っているか、それとも両方か。
 だが、どの道、外からの助力は期待できない。なら、自分たちで解決するしかない。
「生き残りを全員紋章砲に転送する! 起動準備を手伝わせろ!」
 紋章砲内部に設えられた一段高い回廊から、シャムロックはさながら現場監督のように激と指示を飛ばしていた。ここにいる人間は、無関係な善意の第三者だ。どうとでも誤魔化せられる。これも領土戦のイベントという事にしてしまえば、それで良い。
 幸いな事に、確かめる術のない彼らは、イベントクリアのためにと、奔走する。
 巨大な大砲のエネルギーとなるチムチム達を彼方此方から掻き集め、炉に放り込んでいく。心優しいアトリが見たら、発狂しそうなくらいの強引さで、残酷さだろうが、データの塊に遠慮している暇はない。今は、一分一秒、そして、一人の命も惜しいのだ。
「急げ!」
 不意に声が掛けられた。
「シャムロックさん!」
「だから、お前たちは……」
 その声に苛立ちつつも、シャムロックは声を掛けてきたサクヤとトービアスに向き直る。どの道、事は始まっているのだから、ログアウトは出来ない。だからといって、好き勝手にさせるわけにもいかない。
「部屋に戻っていろと言っただろう!」
「でも、でも、ハーミットから……」
 泣きそうな顔で、サクヤは届いたメールをシャムロックに見せた。
「『エリが、マグニ・フィにいる』って……」
 顔をくしゃくしゃにして、サクヤは懇願する。
 だが、今、黒い枝に侵されたメアリを見つけたとしても、何も出来ない。シャムロックは、紋章砲の起動準備に忙殺され、サクヤはとっておきの手として準備されている。現状自由に動けるのは、トービアスだけだが、彼女には、二人のような力は備わっていない。
 つまり、何もできない。見つけても、何もできない。
「だが、行かせる必要がある」
「どうすれば良い」
「恐らく、あのおもちゃが止まれば、何があったかと、出てくるだろう」
 シャムロックからトービアスに下された指示は、言うなれば囮。
 犯人おびき出すために、マグメルドを動かしている心臓を攻撃するのだ。そして、あのデカブツの動きを止めろと言うのだ。聞いている分には無茶苦茶な指示だろう。だが、トービアスは拝領した。メアリの事が、衿の事が、心配なのは、サクヤばかりではない。
「通信機代わりにウィスパーモードは、常時、開いておけ」
「解りました」
 そして、シャムロックは紋章砲へ戻り、トービアスはマグニ・フィへと赴く。
 そんな二人に縋るような顔で、サクヤは懇願する。
「トービアス、私も連れて行って」
 だが、その顔に笑顔で別れを告げる。
「必ずエリを連れて帰るから」
 単身、敵の待っているマグニ・フィへとトービアスは走り出した。



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 千葉県浦安 CC社 運営サーバー管理局
 この場所には、CC社が運営している『the World R;X』の運営サーバーがある。
 基本警備員以外は誰もいない、この場所に厳重な警備を掻い潜り潜入するために、吹き抜けるビル風を無視して、やって来たのは、最もサーバーに近かった日下千草と、冬休みを利用して上京してきていた倉本智香であった。
「寒っ……」
 北の大地で生まれ育った智香であったが、流石に東京の寒さを舐めていたらしい。上品な代わりに、薄手のパンツルックは流石に寒いだろう。逆に、千草は厳重に着込んでいる。
「つか、佐藤とやらを信用して良いのか?」
「さあ、直接お会いした事がないので、私には何とも……」
 千草も不安そうに首を傾げる。
 二人に連絡が、正確には、千草にヘルバからの連絡が来たのは、三時間前。
 内容は簡単である。「千葉浦安のサーバーに置かれたビルへと侵入せよ」という事だ。卒業を控えた大学生に犯罪の片棒を担がせようというのも、どうかと思ったが、流石に、次の言葉は無視できなかったので、犯罪者の謗りを受ける事は覚悟の上で、ここまで来た。
 ヘルバ曰く、「『the world』の中で、問題が発生している。それをCC社はサーバーを破壊する事で、完全に隠蔽する事を目論んでいる」との事だった。援軍を遣すとの事だったが、その援軍が来る気配もない。吹き曝しのビル街の中、二人は震えているのである。
「あー、もう早く来なさいよ!」
「やあ、お二方、初めまして」
 そんな風に、智香がクリスマスの夜空に叫んだとき、闇が人間の形を取った。
 ふらりと闇の中から現れたのは、真っ黒なスーツを着込んだ男性だった。
「誰、貴方?」
 いきなり夜に、女性二人の前に男が現れたら警戒するのも当然である。ただ、男性の方は、そんな二人の対応は織り込み済みであったのか、丁寧にお辞儀して、敵意も疚しい目的も無い事をアピールする。
「私は、佐藤一郎。闇の女王、ヘルバの腹心でございます」
「そう。あなたが件の援軍さん?」
「ええ、そうでございます。揺光様」
 ゲーム内での名前で呼ばれて、智香は面食らった。
 しっかりと調べられているという事だ。ネットゲームをしている事は、ごく近しい友人にしか話していないので、こんな風に、名前を知られているという事は、それなりに危ない相手である事を示している。寧ろ、ますます、二人は身構える。大体、佐藤一郎なんて、あからさまに偽名っぽい名前だ。
「ま、そんなに警戒しなさんなって。二人とも」
「あ、智成さん」
 佐藤一郎の後ろから現れた人物については、二人とも一応は、信頼の置ける人間であると思っている。香住智成。千草と同じ能力を有する特別な人間。何度も、直接会っているので、彼の事は信頼しても良いだろう。
「んじゃ、行こうか」
 意気揚々と智成が、手を暗い天へと突き出す。
 それに釣られるような形で、二人も手を突き出した。


Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 紋章砲内部
「急げ、時間が無いぞ!」
 シャムロックは、砲身内部にやってきたプレイヤー達に指示を飛ばし、紋章砲の起動準備を着々と進めていた。基本的に独立独歩の気風が強いネットゲーマーを、ここまで纏められるのは、単にシャムロックの才覚ゆえである。天性の女王、身なりは小さくとも、放つ威圧感は、そこらの女性の比ではない。
(……もし、同種の方法によって、囚われているのだとしたら……)
 シャムロックの中には、同時期に発生した事件の関連性が渦巻いていた。
 現在、シャムロックが持っている情報から、ある程度の仮説は立てられる。
 だが、どれもこれも論拠も何も無いシャムロックの妄想でしかない。妄想で動くのは、大人とは言えないだろう。今、現実世界では、曽我部や火野が中心となって、茅場の足跡を洗い出している。その結果次第で、その真実の度合いが分かるだろう。
 出来れば、この想像は当たって欲しくない。
 この想像が真実ならば、もしかしたら、茅場晶彦という人間は、シャムロックの兄である番匠屋潤と同じである事になってしまう。一万人も閉じ込め、既に二千人も殺した極悪人を兄と同列に語りたくは無い。そんな、無くしたはずの子供っぽさが、シャムロックに冷静さを齎していた。
「C班、装填完了!」
 そんな返事を受け取った時。
 ゆっくりと灰色の空を引き裂いて、真っ黒な巨木が、現れた。
 あれが。あれこそが。
 件の電子監獄に違いない。
「標的は、見えた」
 もう一つの心残りは、この事件の犯人だ。
 先程から、ウィスパーモードでトービアスと通信しているが、どうにも通信音声がクリアにならない。相当に処理に負担が掛っているようだ。できれば、余計なモノはカットしてしまいたいのだが、犯人を知る唯一の手段を捨てるわけにも行かない。
「頼んだぞ、トービアス……」
「A班、チムチムの充填終わりました!」



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 第三層 圏外の草原
「よっと!」
 月夜の草原で、二人の剣士が討ち合う。
 突き出した切っ先を、危なげなく避けていく。
 片方は、身の丈ほどの巨大な剣を振るう、浅黒い肌の少女。
 片方は、鋭く刺突に特化したレイピアを振るう、栗毛の少女。
 二人が真剣に戦う様を、カイトは栗毛の少女と似たような服を着ている男たちに囲まれながら見ていた。正直、この程度の拘束なら、簡単に抜け出てしまえるのだが、火の付いたブラックローズを停められなかったのだから、この程度の罰は甘んじて受ける事にした。
「あの、ごめんなさい。相方の血の気が多くて」
「………」
 少し場を和ませようと、慣れない上段など口にしてみるが、何だか反応が薄い。
 完全に無視されてしまった。これは、カイトもげんなりとしてしまった。何だか勘違いで襲われて、こんな風に囲まれるのは、どうにも落ち着かない。PKが可能な範囲にいるのだから、ここで斬って捨てても、システム上は問題がない。だが、システム的に問題が無くとも、カイトの心情的に問題がある。護るはずのものを殺してどうするというのだ。
 そんな彼らの前では、果し合いも佳境に差し掛かっていた。
 とは行っても、栗毛の少女の方に疲れが見えてきたのだ。段々と、息が荒くなり、最初とは違って、攻撃にも、防御にも、持っていたはずの精細さが欠け始めたのだ。
 この『世界』は、ヴァーチャル空間だ。肉体の疲労は、存在しない。
 だが、肉体は疲れなくとも、精神は疲れる。恐らく、少女の方は対人戦闘の経験が全ない、会ったとしても、安全が確保された上での、お遊びのような戦闘くらいしかない。若しかしたら、殺してしまうかもしれないという危惧から積極的になれず、おまけに実力差ゆえに、攻撃は通らない。その事が焦りを生んでいるのである。
対して、ブラックローズは。
 彼女は、対人、対物、対要塞など、数々の敵と戦ってきた経験がある。少々のブランクはあるが、元々がスポーツ少女だ。勝負強さも、直感も、肉体的な質も精神力も、常人の遥か上にある。伊達や酔狂で、自分の命を危険に晒して、第二次ネットワーククライシスの死地、騒動の爆心地を潜り抜けてはいないのである。
「ねえ、もう止めない?」
「何が……!」
 剣を杖代わりにして、それでもなお、打ち合うことを諦めない少女に、ブラックローズは優しく諭す。これ以上、続けていると、同意の上とはいえ、完全に弱いもの苛めになってしまう。唯でさえ、軋轢を生むような爆弾を抱えているのに、こんな事で齟齬が取り返しの付かない状態まで進行してしまうのは、望むところではない。
「何だか、勘違いで襲われた事は、水に流してあげるから、さ」
 ブラックローズの申し出は、素晴らしく良心的である。
 大体、盗った、盗られたが日常茶飯事のネットゲームの世界。生粋の犯罪プレイヤーはオノレの罪状など一々覚えてはいないだろう。
「ね?」
 微笑みかけるブラックローズとは対照的に、少女の顔は固いままである。
「あの、そろそろ何があったのか、話してくれないかな?」
「アスナさん……」
 カイトを拘束していたプレイヤーの一人が、心配そうにブラックローズと対峙していた栗毛の少女の名前を呼んだ。味方陣営の旗色が悪い事を悟ったのだろう。呼ばれた少女、アスナの方は疲れに震える足に鞭を打って、ゆっくりと立ち上がった。
「惚けないで!」
「え?」
 濃い疲労の色を体中ににじませながらも、アスナは吼えた。
 だが、惚けるも何も、何に対して彼女が怒り、このような行為に及んだのかをカイトもブラックローズも知らないのだから、無理もない事だろう。
「紅い服の貴方よ」
「僕?」
「カイトがどうかしたの?」
「あくまでもシラを切り通すのね……」
 彼女の言葉は、最後まで聞こえなかった。疲れが溜まっていたのか、対峙したまま、彼女はゆっくりと月下の草原へと倒れ付したのであった。相当に無茶をしていたらしい。体力的な損耗、ゲーム的なダメージは無くとも、精神的な影響は計り知れないだろう。
 そんな狂い始めている少女剣士を優しく仰向けにするブラックローズ。
「ここまでしたんです。聞く権利はありますよね」
「あ、ああ……」
 逃げる事は叶わないと悟ったのか、それとも、また別の何か、か。
 カイトの拘束は解かれ、十人ほど居た白服の剣士はゆっくりと腰を下した。今日はここで野営する心算なのか、テキパキとテントが張られ、火が熾った。これもボタン一つなのだから、何とも味気ないことこの上ない。焚き火を囲み、夕食が始まった。少ない女性プレイヤーが、倒れ付したアスナの介抱を担当している。
「何か、実に申し訳ないことをしました」
「ああ、いや、大丈夫です」
 一番年長らしい、髭面のプレイヤーが、訥々と話しにくそうに、話し始めた。
「二日前の話です。紅い服と、緑の髪の男のプレイヤーが俺らの仲間をPKしたんです」
「なるほど。それで、彼女はその犯人を探してた」
「ええ、そうです」
「なら、完全にとばっちりよ!」
 ブラックローズが憤慨する。
「私達は二人で行動してるもの。カイトのアリバイは、私が証人よ」
「ええ、私も途中で気が付いたのですが……」
 心底、申し訳なさそうに、リーダー格らしい男は話す。
「引っ込みが付かなくなってしまって、面目ありません」
 引っ込みが付かなくなったで、殺されては溜まらない。憎むのは自由だと思うが、それで関係のない人間を巻き込むのはご法度だろう。
「それに、服と髪の色だけで識別するのは……」
 このゲームの『世界』では、装備を変更すれば、外見も変わる。
 単純な話、システム画面で持っているものが剣なら、ちゃんと目に見える持ち物も剣になるのだ。勿論、武器だけではない。コートを着ればコートになるし、いっそ下着までもが変更することが可能になっている。そういう目に見えないお洒落までもが楽しめるのだ。
 そして、少々、値は張るが、髪色も髪型も変更する事が出来る。
 単一仕様の武器や装備も存在しているが、幾らなんでも、そんな誰か同じ装備をしている人がいるかもしれない中で、そんな外見だけで他人を探すのは、無茶を通り越えて無謀であるとしか言いようがない。
「いえ、襲い掛かったのには、もう一つ」
「何よ。もったいぶらずに教えなさいよ」
 また、言いにくそうに髭面の騎士は押し黙ったが、ブラックローズの剣幕に押されて、諦めたように話し始めた。
「その紅い服の、名前は……」
「カイト」
「そう、カイトさんが、その襲撃者に似ていたからなんです」
「はあ?」
「それこそ、双子か何かのように……、失礼ですけど、居られますか?」
 リアルの事を聞くのはタブーである。これがデスゲームであるから尚更かもしれないが、あまり現実の事を持ち出すのは、余程、親しい人間くらいしか許されないことなのだ。だが、てっきり言いよどむものだから、随分と、聞きにくい質問かと思ってカイトは身構えていたのだが、拍子抜けしてしまった。
「いえ、僕は一人っ子なので。生き別れた兄弟とかもいませんよ」
「そうですか。すいません。早とちりしまして……」
「……ああ、いえ、丁寧にすいません」
「まあ、お詫びにならんかもしれませんが、食べていってください」
「あ、ご馳走になります」
 そんな受け答えをしつつも、カイトの頭の中には、一つの仮説が浮かんでいた。
 カイトには双子の兄も弟もいない。なら、何故、こんな風に間違えて襲撃されるほど、似通った人物がいるのだろうか。その仮説、その犯人の正体に検討がついたのだ。
 この『世界』で見えている顔も体も、現実世界のそれと同じだ。カイト達は、不正アクセスなので、厳密に言うと『the world』におけるプレイヤーと変わらない外見をしている。
 この(SAO)のデータの中に、カイトエディションが存在するとは考えにくい。
 ゲームの中のキャラクターとそっくりな人間がいるとは考えにくい。
 況してや、生身の人間を似せて、一から作り出す事など、出来るはずがない。
 何より、カイトのプレイヤーエディットは、CC社の手によって一時凍結され、微妙に差異は存在しているが、同じ外見をしているプレイヤーは、秀悟のキャラクターであるシューゴの他は、誰一人として存在していないはずなのである。
(『プレイヤー』は、存在しないんだよ……)
 チラリと右へ視線を送ると、どうやらブラックローズも同じ結論に達しているようだ。
 そう、カイトと同じエディットの「プレイヤー」は、存在しない。
 だが、人の意思を持ち得ない、ただのAIで行動するノンプレイヤーキャラなら。
 そして、平気で殺人さえも行う存在をカイトは知っている。
「ささ、食べてください。カイトさん、ブラックローズさん」
 煌々と燃える焚き火に照らし出されたのは、見事なサンドイッチだった。
「これは、そこのアスナさんが作ったんです。味は保障しますよ」
 両手に余るサイズのサンドイッチへと二人とも被りつく。保証書の通り、味は最高だろう。そのまま喫茶店でも開けそうな味わいである。だが、やっぱり物足りなさがある。調味料が塩や、砂糖、マスタードなどの他は、醤油や味噌すらないのだから。
「あの、その相手に僕は心当たりがあります」
 お詫びにと相伴に預かる事にした簡単な弁当に噛り付きながら、思い当たった事を素直にカイトは話す。出来れば、共有しておいて欲しい情報であるからだ。
「じゃ、どこにいるか、とか……」
「いえ、絶対に、そいつには手を出さないで下さい」
 もし、場所を教えたら、間違いなく仲間の敵討ちにと動くのだろう。特に、特攻してきた、あのレイピア使いの少女は、わき目も振らずに突っ込んでいくだろう。
「何故……?」
「彼女の命を護るためにも、です」
 そして、間違いなく命を落とすに違いない。
 絶対に勝てない相手に、挑んで、無様に散るに違いない。彼女たちの狙っている敵は、レベルを幾ら上げても届く事はない。レベル云々の問題ではなく、次元の違う相手だ。
 絶対たる女神の守護者。女神に仇なす者を容赦なく虐殺する騎士。
 その名を、三葬騎士の一、葬炎のカイト。

 

Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 背面都市 マグニ・フィ  
 闘龍マグメルドの背面にある忘れられた都、マグニ・フィ。
ここは嘗て、最終戦争の折に、マグメルドをどちらかの陣営に加担させて、戦争を早期に終結させるべく、作られた都であるという設定だ。最強の竜を操り、自らの意にそぐわない者を、全て排除していった結果、この都を作った人間たちも、死滅した。
 そして、都市は忘れ去られ、廃墟と化してしまった。
「よっ、と……!」
 そんな滅びた都市へと転送されたトービアス。
『着いたか』
 早速、通信機代わりに利用しているウィスパーモードで、シャムロックから通信が入る。向こうは準備が佳境に入っているらしく、ごうんごうんとまるで工場のような稼動音が響いてくる。羽根のついた麗人の剣士も、ここからフィールドにある黒い巨木を確認した。
「ええ。ここからどうすれば良いですか?」
『普通に下っていけば、良い』
「了解しました」
 颯爽と転移門から飛び出し、マントをはためかせながら、石造りの街を走る。組み方も人目で、文化レベルの高さを窺わせる造りだ。だが、そんな造りは、無数に生い茂る蔦によって隠され、潰されている。そんな廃墟を駆け抜ける。
 都市自体の構造は、単純なのか。それとも、単純にせざるを得なかったのか。
 随分と、文化レベルに対して、稚拙なくらいに呆気なく、トービアスは心臓部へと辿り着いてしまった。目の前には、不気味に鼓動する紅く、巨大な心臓。
「見つけました」
『よし、破壊しろ。遠慮はいらん』
 ウィスパーモードで、シャムロックの命令が下る。トービアスは、腰に佩いていた剣を引き抜き、思いっきり振り上げる。渾身の力を込めて振り下ろすために。
「はああああ!」
 だが、後ろから、わき腹を殴られる。
 振り返ると、後ろでは、まるで鞭のように巨大な蔦が、撓っていた。
『大丈、……か……』
 ウィスパーモードで、シャムロックの心配げな声が聞こえてくるが、どうにも通信が弱い。このまま切れてしまいそうだ。そして、呆気なく切れてしまった。
「ダメだよ。まだ壊しちゃ……」
 そう言って、ゆっくりと奥から出てきた、プレイヤー。
 トービアスを攻撃した主は、猫型PCのハーミットだった。
 しかし、よくよくトービアスは考えてみる。メアリがここに居るという連絡を受けてやって来たのだから。今、ここに居るのは、その連絡を受けてやって来たトービアスを除けば、この場所にいるべきプレイヤーが、どんな人物なのかは、解り切っている。
「サクヤが来るんだから」
 可愛らしい効果音が着きそうな笑顔を浮かべるハーミット。
「おまえの仕業だったのか……」
 それに対して、トービアスの顔は、怒っていた。
 ここにいる人物、救出にきたトービアスを除けば、いるのは犯人しかありえない。
 そういうトービアスにハーミットは、更に攻撃を加える。上段から、下段から、巨大な蔓が鞭のようにしなりながら、襲い掛かってくる。二撃、三撃、連続で蔦が、意志を持っているかのように、次から次へと襲い掛かってくる。
「くそ!」
 切り伏せ、バックステップで避けても、まだ足りない。
 四本、五本、見事な連係プレイを見せて、トービアスに襲い掛かってくる。
「ひょっとしてサクヤにも僕のことバレちゃってる?」
 攻撃の間隙を縫って、余裕綽綽、まるで他人の悪意を知りたいと言わんばかりの表情と、悪意を持って訊くハーミット。そんな青い毛並みの猫に、トービアスは吼える。
「サクヤはお前のことなんか、これっぽっちも疑っていなかったぞ!」
 鞭になった蔦と、トービアスの片手剣がぶつかり合う。
 だが、遂に、手が回らなくなる。右足を取られた瞬間が最後だった。
 一気に、全身を持っていかれる。それでも、トービアスの闘志は止む事がない。
「こんなことはもうやめてエリを返してくれ!」
 脚を取られ、手を取られても、首も口も眼も残っている。残った部分を最大限に使って、トービアスは吼え立てる。麗人の容姿には似合わない、取り乱したとも言える様な態度。
「本当に?」
「あ?」
「本当に、サクヤは疑ってなかったの?」
「嘘を言ってどうなる」
 その答えを聞いたハーミットは、しばし考えるように俯いた。
 だが、それも少しの間だけ。ちょっとだけ寂しそうな顔をトービアスに向ける。
「ありがとう、それだけ聞ければいいや」
「待て!」
 磔にされたままの麗人を残して、青い毛並みの猫は、小さな脚でその場を去っていく。

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