小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.13 聖夜終結

Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 背面都市 マグニ・フィ
 舞台は、再びマグニ・フィの上層部へと移る。
「いやああああああ!」
 竜の背中へと、サクヤは命綱もなしにダイブしていた。
 少しでもタイミングを間違えば、即死間違いなしの行動である。だが、サクヤはトービアスと違って、背面都市へと続くエリアワードを知らない。だから、少々の無茶は覚悟の上で、黒い右手でシャムロックが施した拘束を解き、飛行船の上から、飛び降りたのだ。
「いやああああああああ!」
 絶叫。
 正直、後悔した。素直に頭を下げて、エリアワードを教えてもらえれば良かった。
 だが、後悔したところで、もう遅い。落ちていってしまっているのは仕方がない。止まらないのだから、このまま覚悟を決めて、突っ込むしかない。都市を覆っている木々の枝にぶつかり、あちこちに痛みが走る。擦り傷切り傷、痛いが我慢できない傷ではない。
「いだ、いたい!」
 サクヤの体は何本もの樹に絡まって、ようやく止まった。
「いたた……」
 スマートな着地にならなかった。これが他の二人だったら、颯爽と華麗に、着地するのだろうか。そんなどうでもいいことを、ふと考えてしまった。
「でも、なんとか……、マグニ・フィに着けたね……」
 だが、こんな無茶をしたことは既にシャムロックは知っていたようである。ザザッというノイズ音の後、いきなり彼女の迫力満点の怒鳴り声が聞こえてきた。
『馬鹿者! あれほど、勝手な行動は慎めと!』
 耳に響く、キンキンとした金属を叩いたような彼女の声。相当、ご立腹なのは顔を見なくても解った。戻ったら、叱責だけではすまないだろう。折檻で済めば御の字と言うところだろうか。それだけのことをサクヤはしでかしたのだから。
『……だが、今更だ。下層部を目指せ』
 諦めたようなシャムロックの言葉に従い、サクヤは下層部を目指す。
 どこへ行けばいいのか、何て分からないサクヤは取り敢えず、階段を探すことにした。
 だが、そんな健気な彼女へと紫色のウイルス達が襲い掛かってくる。人間の三倍はあろうかという巨大な蟹のような動きを見せるウイルスバグ達は、飢えた獣のようにサクヤに襲い掛かってくる。十、二十、三十、城壁にそれこそ蜘蛛のように張り付いている。
 そんな襲い掛かってきた得体の知れない紫色の生物に、サクヤは右手で触れた。
 瞬間、ウイルス達は消えてなくなる。だが、それも一匹だけ。次から次へと襲い掛かる。
「ダメだー、相手に仕切れないよ!」
 数の多さに、サクヤは泣きながら、逃走を始めた。
 当然のように、群狼となったウイルス達は異物を排除するべく、逃げ惑うサクヤめがけて突進してくる。だが、連携は出来ていないのか、お互いにお互いを削りあったりして、まっすぐ進めてはいない。だが、それも束の間。兎に角、距離を開けるべく、走る。
 そんな時、背中に重みが加わった。
 ウイルスではない。もっと小さくて、軽い何かだ。恐る恐る振り返ると、
「やあ、サクヤ!」
 そんな風に、屈託無く笑いながら、青い毛並みの猫がいた。
「ハーミット!」
「エリと犯人がこの下に居るんだ! 案内するよ!」
「ホント?」
 ハーミットの言葉を信じ、サクヤは古代都市の遺跡を走り抜ける。
 後ろからドタドタと絡みついた枝も蔓も吹き飛ばして、紫の化け物たちが追跡してくる。石造りの回廊は、痛く足の裏を跳ね返してくる。薄い皮の靴は、あまり走るのに適していないようである。転がった小石に何度も躓きそうになる。
「世界をめちゃめちゃにしようとしている敵をサクヤが倒すんだ」
 夢を語るように、呪詛のように、サクヤの耳元でハーミットは呟く。
 そんなハーミットに、サクヤは首を横に振った。
「違うよ。敵じゃないよ」
「なんでさ?」
 ハーミットに反論するように、サクヤは言い切る。
 まるで、これだけの事をしでかした犯人を庇うかのように。シャムロックは実務的な面から犯人を責めるだろう。トービアスも友達であるメアリを傷つけた犯人を許さないだろう。そんな憎むべき相手のはずなのに、何故か、サクヤは恨みも憎みもしていない。
「その人病気の男の子を助けるために、ずっとドナーを探していたんだって」
 そのやり口は、決して褒められたものではないだろう。
 一人を救うために、全部を犠牲にして、それでも止まれなくて。でも、その人はやさしい人なのだから、サクヤは二人のように面と向かって、否定できなかった。
「悪い人じゃないんだよ、きっと」
 悪い人じゃない。そんなことをいうサクヤに、ハーミットは一瞬だけ悲しげな顔をした。
 彼女も真実を知っているはずなのに、何故、そこまで一生懸命になる事が出来るのか。
「でも、その子、もうとっくに死んじゃってるんだろ……」
「だからだよ」
「え?」
「私、適合者だったの。だから、教えてあげなきゃ」
「うそ……」
 と、不意に脚に踏ん張りが利かなくなる。
 恐る恐る下を見れば、何も無かった。
 再び、自由落下である。
「いやああああああ!」
「あはははは!」
 二人の嬌声が共鳴して、古代都市に響き渡る。枝に絡まりあい、落下の速度を殺しながら、蛙のような呻き声を上げつつ、サクヤは落ちていく。どこへ落ちていくのか分からないのが、何よりも怖かった。泣き声を上げるが、無人の都市では、その声も届かない。
 そして、ようやく、落下も終わる。
 自動販売機のようにゴロゴロと転がって、落下した先はマグメルドの心臓だった。
「いたた……」
「あはは!もう最高!」
 湿った石の上に全身を投げ出したサクヤ、その頭の上に、ハーミットは華麗に着地を決めて、屈託の無い笑顔を浮かべる。全身が痛むが、それでも犯人を捜すべく、ルージュを煌かせて、鼓動する心臓部の周りをサクヤは注意深く回っていく。
 一週回ったところで、磔にされた麗人をサクヤは見つけた。
「トービアス! エリ!」
 まるで、トービアスの刑場を護るかのように、真っ黒なスライムのような状態のメアリが立っていた。サクヤが刑場に現れた事に気が付いたトービアスはゆっくりと目を開ける。
「サクヤ!」
「大丈夫、トービアス?」
「ハーミットから離れろ! ソイツが犯人だ!!」
 心配そうに声を掛けたサクヤに、目を開けたばかりのトービアスは吼えた。
「え……」
 一体、どういうことなのか、トービアスの言う事をサクヤは考える。
「おつかれ、ここがゴールだよ」
「……どういう、……こと?」
「聞いたろ? 全部僕がやったんだよ」
 全てを観念したように、ニッコリと最大級の笑顔を見せるハーミット。
「最後にサクヤが僕を倒せば、このクエストはクリアさ」



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 千葉県浦安 CC社 運営サーバー管理局
「また、お会いできましたね」
「出来れば、私としては会いたくなかったんですが……」
 そんなことを佐藤一郎と、警備員は話している。
 千草が聞く所に寄ると、話している警備員は、どうやらミストラル、黒川真由美の旦那のようである。侵入される側に何とまあ、協力者がいるとは、予想外だった。
「しかし、何ともチャーリーズエンジェルには足りない面子だね」
「それって、遠まわしに私たちのこと、バカにしてる、クーン?」
「はは、まさか」
 じとっと智香に睨まれて、智成はおどけてみせる。
「こんな綺麗な女子大生二人を侍らせるなんて、ハセヲも罪作りだねーって」
 三人が、そんな軽口を叩いている間に、警備員に先導されて、もう一つの『世界』を生み出しているサーバーの鎮座する部屋の前まで案内される。重い扉が、空気の抜ける音と供にゆっくりと開いた。まるで、異世界へと通じるような扉である。
「いいですか、お三方」
 佐藤一郎が、神妙な面持ちで、三人に向き直る。
「ヘルバ様からの連絡に寄ると、そろそろ向こうも佳境のようです」
 伝えられた情報を佐藤は淡々と伝える。表情を一ミリたりとも崩さず、淡々と告げる。
 ネットの世界は佳境を迎えている。その内情を千草達が知る術はないが、ヘルバの言う事ならば、信じても良いだろう。ハッカーだが、彼女の信念は、非常に筋が通っている。
「本社の人間は高原祐樹が抑えていますが、いつまで持つかは解りません」
 クリスマスに問題が起きてから、既に五時間あまり。
 最初はデバックチームが出動し、問題の解決に当たっていたが、状況は悪化するばかり。いよいよ収集の着かなくなってきた運営の上層部は、サーバーの破壊という決定を下したのだ。全ての証拠を、闇の中へと葬るために。所詮、データの塊だ。保管しているモノを壊せば、後には、一切、何も残らないのだ。
「少なく見積もって、三十分、長くても一時間」
 たった、と言うべきか、そんなに、というべきだろうか。
どちらが正しいのか、それが分からない時間である。
「この部屋を守りきります」
 問題が解決してしまえば、サーバーを破壊する必要はなくなる。
 このサーバーもタダではない。一台、数十万円はするような高価な代物だ。
「ネットからのアクセスは私が担当します。皆様は物理的な方を」
「大丈夫か? 拳銃とか持ってないよな?」
 不安げに、智成が呟く。
「武器は、入館時に没収されますので」
「なら、安心だな」
 ぐっと四人は、意識を高める。ここが最終絶対防衛線である。もしここが突破されるような事があれば、『the World R;X』に囚われた人間が全て死んでしまうだろう。
 しかし、CC社は間違いなく責任など取らないだろう。
 何故なら、ゲームが原因で、意識不明になるなど誰も信用しないからだ。FMDは、ナーヴギアとは違う。脳波も使わなければ、神経も使う事はない。そんな頭の中に作用しない道具を使って、どう殺すというのだ。本で肉を切るようなものである。
「向こうには、佐伯玲子もいます」
「なら、大丈夫です」
「ああ、大丈夫だな」
「別に、そんな心配いらないだろうよ」
 ぎゅっと唇を結んで、千草は答える。
「私は玲子さんを信じてますから」



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 ???
 ハセヲは、巨大な処刑鎌、八本の剣を纏う憑神であるスケィスへと変貌した。
 その姿は、まさに白い死神。
 ここは言うなれば、精神のぶつかり合う世界。
 三崎亮は、ハセヲであり、またスケィスでもあるのだ。三つの世界に存在する存在は、まったく同一の存在であり、それらは互いに影響し合い、溶け合い、尊重し合い、たった一人の人間の中に、それは息づいているのである。そんなスケィスが相対するのはAIDA。
 全てが、紅い体色の蜘蛛のような(Glunwald)である。
「おいおい、随分と手洗い歓迎だな……」
 それなりに攻撃力と、PCへの影響力がある高位のAIDAだ。それが三十となると、正直、手に余る敵だといえるだろう。援軍がないのは、辛くて仕方がない。だが、この場を押さえ、解決する事が出来るのは、間違いなく自分ひとりしかいない。
「はああああ!」
 赤い蜘蛛に向って、処刑鎌を振り上げる。
 紅い波動が迸り、敵の発したレーザーを切り裂いていく。まず、一体の動きを止める。
 纏う剣に力を込め、一気に解放する。敵に向かいホーミングしたショットが、敵の進軍を抑える。その隙に、一気に距離を詰め、巨大な鎌を横薙ぎに振るった。これで八体のプロテクトを強引に解除し、蜘蛛たちの動きを、その場に縫い付ける。
「数が多い!」
 敵にダメージを与えて、麻痺状態にしただけでは、AIDAを駆除した事にはならない。
 AIDAとはプログラムの感染病のようなものだ。今の状態はワクチンを打ち、一時的に病気の進行を抑えているだけに過ぎない。病原菌を根元から断ち切らないと、AIDAは消えないのだ。そのためには、データドレイン、かのデータ全てを吸い取らないと駆逐できない。
 本来なら、一体ごとに丁寧にデータドレインを当てていく。
「間に合わない!」
 だが、三十をマラソンマッチで倒していかねばならない中で、チャージが必要なデータドレインを当てている暇がないのだ。このデータドレイン、溜めている間は、他の攻撃が一切行えない。攻撃を受けるとチャージがリセットされる。つまり一体の敵に当てるために、二十九の敵からの攻撃を避け、装填、発射する必要がある。あまり放置しすぎると、プロテクトを再生させてしまうので、時間との勝負とも言える。
 何とも使いにくい、制限のある能力だと思う。
 こんな一撃で倒せない敵が大量に出てくると、スケィスは弱点が露見する。
 そもそも一対一、広域殲滅戦に特化した憑神だ。同程度、もしくは自身の攻撃力の四割以上の能力を持つ敵が複数体現れると、その特性が生かせない。
「くそ!」
 右手から、黒い巨大な弾が放たれる。
 ようやく一体、(Glunwald)をデータドレインした。残りは二十九。
 処刑鎌へと渾身の力を込める。エネルギーが刃の形を作り、切っ先から放たれる。
 三十の敵の隙を縫い合い、データドレイン、光の輪の刃、直接の切り付け、ホーミングショットを四十放って行く。だが、物量差が単純に重たい。次第に、押され始めた。
「不味い……!」
 そろそろ、稼働時間も限界に近づいている。ここで解除されれば、トキオも、他のプレイヤーも全員が巻き添えを食らう。AIDAは感染していく。ここで食い止めないと、被害は更に拡大の一途を辿るだけだ。だが、そろそろ限界である。
(ダメか……)
 三分の一、ようやく十体目をデータドレインした時。
 上空から、幾つもの弾丸が降り注いできた。まるで、それは流星雨。届かない天空から降り注ぐ光の弾丸は、残っていた(Glunwald)を砕き、押し潰していく。
 そして。
「この技は……」
 呆然とするハセヲの眼前を、極太のレーザーが駆け抜けていった。
 後には何も残らない。
 あれだけいたはずの赤い体色の蜘蛛の形をしたAIDAは一匹残らず、駆逐されていた。
 全てのAIDAを消滅させたレーザーの発射元。
 そこには赤黒い左腕を持った、青い巨人がいた。
「コルベニク……」
 そして、その憑神を持つ男の名を、ハセヲは知っている。
「オーヴァン……!」



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 背面都市 マグニ・フィ
「ハーミットを倒す、って……どういうこと?」
 サクヤは、呆然として尋ねた。
「どうもこうもない! そいつが今回の犯人なんだ!」
 磔にされたトービアスが吼える。
「え……」
 吼えるトービアス、呆けるサクヤ。
 二人を一瞥して、ハーミットは事件の全容を、まるで物語でも子供に放すかのような調子で語り始めた。その顔に滲むのは、僅かな笑顔と、後悔であった。
「そう、彼女の言うとおり、僕が未帰還者を産み出していた犯人で……」
 くるりとサクヤに、ピエロのような仕草で向き直る。
「死んだ男の子本人なのさ」
「うそ、でしょ……」
 ハーミットの独白に、サクヤは震えた。
「でも、自分がとっくに死んでいたことを知ったのはつい最近のこと、さ」
「もしかして、あのサクヤのデータを開示した……」
「そうだよ。あの時はショックだったなー」
 まるで、自分が死んでいた事すら、他人事のように猫型PCは語る。
「いつからこうなったのかなんて、もう覚えていないよ」
 ペタペタと石畳を素足で歩き、トービアスを張り付ける蔓に黒い枝で触れた。
 次の瞬間、ふっとまるで毛糸玉でも解くように蔓が消え、トービアスの拘束が解けた。羽を纏った麗人は、疲れからか流石に華麗な着地とはならなかった。膝を突き、ゆっくりとハーミットへと近づいてく。だが、剣を抜こうとはしない。
 犯人にも事情がある、などと性善説をほざく心算はない。だが、それでも、今、ここで彼を処断しても何にもならないことくらいは、トービアスにも解っていた。
「気がついたら、『The World』に居て、黒枝を握っていた」
 そして、この黒い枝があれば、『The World』の中なら、なんでも出来た。思い通りだ。
 いやな奴を消す事も出来る。
 お金だって、好きなだけ奪いたい放題だ。
 まさに自分の夢を叶えてくれる夢の道具。
 自分の望みは何でも叶った。
「ちょっと魔法使いみたいだろ?」
 黒い枝を振り回して、手近にあった小石に触れる。そうすると、ふっと小石が消えた。消えた小石の向こうで、ハーミットは笑っている。ピンと針金のように尖った髭が揺れている。だけども、そんな風に微笑んだ彼の表情は、あまりも悲しそうだった。今にも、消えてしまいそうなほどに、今にも、手の届かない場所へと行ってしまいそうなくらいに。
「きっとさ、神様がこれを使って病気を治せ、って言ってるんだと思った」
「枝で突付かれた人は、どうなるの……」
「さあ?」
 そんな風にして、隠者の願いを叶えてきた黒い枝。
 その一方で、無慈悲にその枝に全てを奪われたプレイヤーがいる。そんなプレイヤーは一体どうなるのか。サクヤは恐る恐るというような調子で、尋ねたが、ハーミットは悲しげに、呟き返しただけだった。罪科を悔いているのか、それとも。
「枝でつつかれたら、どうなるのかなんて、考えないようにしてたよ」
 それは無責任なのかもしれない。
 だけども、必死になって、過去を塗りつぶすためには仕方ないのかもしれない。究極のエゴイズムともいえるだろう。だが、それに釣り合う何かを彼が持っているのも事実だ。
「だって、怖かったし、僕にはそれしか方法がなかったから」
 そんな一人語りを終え、ハーミットはサクヤに向き直った。
「さて、最後のクエストだよ、サクヤ」
 それは、初めて会ったときと同じ。
 どこまでも屈託のない、幼い少年のような笑顔で、告げる。
「僕を消してみんな終わりにして」
 それは、ハーミットの望み。
 それは、この事件を終わらせる方法。
 彼の、友達の言葉に、サクヤは首を横に振った。
「いやだよ……!」
 その悲しい現実が受け入れられず、サクヤは涙を流しながら、吼えた。
「そんなことしなくてもなんとかする方法はあるんでしょ……!」
 彼女の優しい、だが、あまりにも傲慢な申し出に、ハーミットは首を振った。
 彼女に、大好きな友達に、他の、厳しくて、嫌な選択肢を絶対に取らせないように。たった一人の命で、全員が助かるのだ。合理的に考えれば、どちらを取るべきかなんて一目瞭然に違いない。だが、そんな合理的な判断を、高校二年生に求めるのは、あまりにも酷に違いない。サクヤは尚も首を振り続ける。
「思い通りになるって言ったけど、そんなことはないんだ」
 黒枝。青い猫を魔法使いのように、この世界を思い通りにするような力を与えた枝を見ながら、ハーミットは悲しげに呟く。思い通りにしたはずの枝が、今は辛いだけの代物になっていた。冷たいだけの黒い枝。
「見たくもない夢を見続けさせられる、ずっと、ずっと……」
 その言葉に、どれだけの意味が込められているのだろう。
 青い猫が、この『世界』で、どれだけの間生きてきたのか、サクヤにもトービアスにも、確かめる術も、調べる術もない。だが、想像する事は出来た。苦しくて、悲しくて、いっそ、死んでしまった方が楽になるくらいに、苦しく険しい、その道程。
「ならば壊してしまえばいい、壊すという結果だけは自分の思い通りになる」
 そんな事を真剣な声で、真剣な表情で、ハーミットは告げる。
 どうせ、この世界を生きている意味など、あるはずはない。幾ら死んでも、この世界へと舞い戻ってくる。その中で、どうすれば良いのかなんて、ハーミットには解らなかった。
「そんなのおかしいよ……」
 なおも、サクヤは強情にいやいやと首を振り続ける。
 だが、ハーミットは、その強情さを打ち砕くように、厳しい言葉を紡ぐ。
「みんなにとってはただのゲームでも、僕にとって、ここはリアルだったんだ」
「リアルだったって……」
「斬られれば痛いし、殴られたら辛いし、何度も死んだ」
 まさに、それは現実。その悪夢はずっと続く。
「でも……、終らないんだよ」
 そこには、何もない。まったくの虚無の空間だ。
 何をなすために生きているわけでもない。何を得るために動いているわけでもない。ただ、ただ、目的も無く、意味もなく、続いているだけの、生きているだけの世界。それは、一体、どんな世界なのだろうか。そんな世界は、まったく想像も付かない。
「未来がないのに生き続けるのなんてさ、まるで悪夢みたいだろ?」
「死してなお、精神だけが生き続ける、終わりのない夢、悪夢を見続ける世界か……」
「そうだよ、トービアス」
 傷ついた肩を抑えながら、トービアスは呟いた。
 彼女の呟きに、まったくの悪意のない声でハーミットは尋ねる。
「そんな世界、君は住みたいかい?」
「いや、ごめんだな」
 その禅問答のような隠者の問に、トービアスは即答した。
 ずっと永遠に生き続ける事の出来る世界。それは、もしかしたら悪夢なのかもしれない。
「終わらせてあげよう、サクヤ」
「いやだよ、友達を消すなんて……」
 サクヤは嫌がる。
「そんなの、トービアスの事じゃない……、私は……」
 ハーミットは、二人の目の前で、黒枝を真っ二つに折った。
「お願い、こんな事、友達のサクヤしか頼めないんだ……」
 そのハーミットのお願い。
 ゆっくりとサクヤは、震える黒い右手で、ハーミットに触れた。
 あまりにも呆気なく、この事件の犯人は、消えていく。



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 紋章砲内部
 三人の会話を、ウィスパーモードでシャムロックは聞いていた。
 だが、そのモードを切った。ここから先は、彼女たちが解決するべき問題だ。助言は与えられても、答えを出すのは、彼女たちだ。それに首を突っ込むほど、野暮ではないし、空気が読めない心算もない。回線を閉じ、目の前のコンソールに意識を集中させる。
 それは、紋章砲発射のコンソールである。
「目標、電子監獄」
 装填されたエネルギーを使い、巨大な砲塔が回転を始める。
 砲門の向く先は、天に浮かぶ、黒い巨木。
「来たれ、タルヴォス……」
 シャムロックの小さな体に、桃色の燐光が走る。
 それは、まるで洪水のように紋章砲の砲塔を満たし、陣を描いていく。
 ゆっくりと紋章砲に満ちていくシャムロックの能力。
 モルガナ八相の一、第七相、「復讐する者」、タルヴォス。
 その復讐者の力が満ち満ちた時、全ての準備は整った。
「仰角、調整!」
 その時、不意にシャムロックは感じた。
「出力最大!」
 碑文の力。究極に強化された青い髪の姫が持つ、嗅覚が捉えた「真の犯人」の正体。
 それは、まさに、電子監獄を作り出し、紫のウイルスバクを作り出した張本人。ハーミットに黒枝を与え、この世界を混乱に落とし込んだ、その犯人。そして、世界を超えて、互いに引き合い、作用しあう、その狂おしいまでの友情の姿。あまりにも悲しい友情の形。
 だが、それを知っても、優先順位を変えるわけにはいかない。
「紋章砲、発射!」
 復讐の心が詰まった、巨大な砲弾は、鈍い鉛色の空へと光線を描きながら飛んでいく
 皆の思いが詰まった光の砲弾は、黒い巨木を勢い良く打ち砕く。
 命中した場所から、ゆっくりと、ほんとうにゆっくりと皹が広がり、巨木はその形を崩していく。砕けた破片は、バラバラと地上へと落ちていく。電子監獄が崩壊していく、その一つの世界の終わりを、シャムロックは見上げていた。



Side; Real 二〇二二年十二月二十四日 千葉県浦安 CC社 運営サーバー管理局
「ヘルバ様から連絡が入りました」
「何て?」
「無事に、解決したようです」
「そうか!」
 これで、現実世界の戦いも、ようやく終結した。
 浦安のサーバー管理局へと侵入し、CC社のサーバーを破壊しようと画策する不埒者との対決は、香住智成達、防衛側の勝利で幕を閉じた。警備員まで総動員して、放火、器物損壊、ありとあらゆる手段で以って、サーバーの破壊を画策した様は、最早、ホラーを超えてシュールでさえあった。
「まったく、女の子に何させるんだか……」
 壁に背を預けて、智香はぐったりとしていた。
 元々、頭脳労働派の本大好きっ子だ。こんな体を使う事は、あまり得意ではないのだ。
「お疲れ。もう、大丈夫だよ」
「ええ、本社からの問題解決を受けて、続々と引き上げていっています」
「もう、破壊される心配はないんですね」
 女性陣は、心底疲れたようだ。
「お疲れ様」



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 第三層 迷宮区
 スケィスからハセヲへ。再び、元の迷宮区へと戻ってきた。
 AIDAは全て駆除できたのか、感染していたプレイヤーは気を失っているが、外傷もシステム的なダメージもまったく受けていないようである。ひとまず、安心というところか。
「お疲れ様、ハセヲ」
「………」
 ねぎらいの言葉を掛けるトキオをハセヲは無視した。
 悪意のある無視ではない。何か、飛びっきり大事なものを見つけたような。
「どうしたんだ……?」
「……コルベニクがいた」
 その言葉が何を意味するのかくらいは、トキオも知っている。
 モルガナ八相が一、第八相「再誕」の碑文を持ち、AIDAと友人と言う男。
 彼は、ハセヲの師であり、友であり、仲間であり、敵である、ネット世界最強の男。
 ハッキング能力も、プログラミング能力も、IT技術に関する全ての知識を持つ男。
 本名、犬童雅人。そして、この世界での名は、
「オーヴァン!」
「久しぶりだな、ハセヲ」
 青いマフラーに、左手を覆う鋼鉄のギブス。
 相変わらず、特徴的に悪目立ちする装いで、オーヴァンは佇んでいた。色眼鏡の奥からは、優しげな双眸が覗いている。だが、その視線に対するハセヲは、憎悪とも憤怒とも、悲哀とも取れる、そして、同時に現存するどんな言葉でも言い表せないような感情を込めて、師を睨みつけていた。二人の間に漂う空気の間に入る勇気はトキオには無かった。
「パイが碑文を解放したようだな……」
 そんな視線はすっぱりと無視され、オーヴァンは、見えない空を見上げていた。
 この世界ではない、どこかを見守るような雰囲気だ。彼は一体、何を感じているのだろうか。それは見る限りでは、ハセヲにもトキオにも分からない。
「さて、久しぶりの再会を喜びたいところだが」
 たっぷり一分ほど掛けてから、ようやくオーヴァンはハセヲに向き直った。
 少々、呆れが彼の視線には混じっている。五年も立っているのだから、少しは成長したのかと思ったら、根っこは変わっていないとでも言いたげだ。そんなに簡単に、培った性格が変わろうはずも無いだろう、オーヴァンと、ハセヲは視線を結ぶ。
「相変わらず、随分と、無茶をしているようだな」
「は、いきなり説教か」
「そう言うな」
 まるで子供が親に対してするような安っぽく、それで、当然のような反抗心をむき出しにして、ハセヲはオーヴァンに食い掛かる。それを師の方は、簡単に流す。
 今更、再会を喜び合うような仲ではない。全部の段階をすっ飛ばして、ハセヲはいきなり核心に当たるであろう事へと指を掛けた。
「どうせ、俺たちの状況は把握してるんだろ?」
 それは最早、確信でさえあった。
 そもそも、この男は病院の白いベッドの上に横たわっているはずである。結果、五年前の騒乱の際にも、証拠不十分、被疑者意識不明ということで、本人が裁判所へと赴く事もなく、書類送検ということで終わっているのだ。CC社としても事態を隠蔽できる事から、オーヴァンの担当弁護士が出した条件を飲んだのである。
 そんな人間が意気揚々と、この『世界』にいる。
 その時点で、事情を知っている人間からしてみれば、訳の分からないことだらけなのだが、この男なら、不可能などないだろう。なので、そちらについては、詰問する事、それそのものが不毛な論議ので、ハセヲも追求したりしない。
「色々と聞きたい事がある」
 一気呵成。相手に余計な思考を挟ませず、こちらの都合を優先して、ハセヲは尋ねた。
「何だ?」
「あんたが、がびに預けた『mama.レポート』の敵対者リスト」
 先月、犬童雅人の足跡を辿り、ハセヲとアトリは大阪に赴いた。
 そこでオーヴァンと義兄弟の契りを交わしたというがびと会っていたのだ。がびが渡した、犬童雅人が編集した自然保護団体「mama」に関するレポート。その敵対者の欄。過激な自然保護を行う彼女らに反対する人間たち。
「あの中に、あんたと、茅場晶彦の名前があった」
 それの意味する、一番、安直で。
 それでいて、一番、確実で、本人に確認するしか方法のない答え。
「どうしてだ。まさか、あんたもこの件に関わってるんじゃないだろうな!」
「………」
 ハセヲの怒鳴るような、痛恨の叫びのような、
 そんな質問をオーヴァンは黙って受け取った。また、優しく微笑んだ。
 彫の深い、彼の顔には余裕すら滲んでいる。ハセヲが実力行使などという簡単な方法を取らない事も、取れないことも解っていると言わんばかりの表情だ。事実、オーヴァンを相手にするのに、ハセヲとトキオの二人だけでは、戦力が心もとない。
 相手は、例えるならば、スーパーコンピュータ並みの処理能力を持っている。
 対して、二人合わせても、ようやく一般パソコン二台程度の演算処理能力しかないハセヲとトキオ。分が悪い、なんてものではない。勝ち目など最初から用意されていない。
「……答えは、既にお前の中にある」
 オーヴァンは、ゆっくりと口を開いた。
 低く響き渡る声で、ただ一言だけ。
「どういう……?」
「真実の行方を指し示す鍵を、お前たちは既に持っているのさ」
 相変わらず、言い回しが婉曲的で解りにくい。
「俺が教えられるのは、ここまでだ」
 そう言うと、また青髪の大男は、暗闇へと、迷宮の奥地へと消えていく。
「待て、オーヴァン!」
「パズルのピースは見方次第だ。忘れるな、ハセヲ……」



Side; Net 二〇二二年十二月二十四日 背面都市 マグニ・フィ
「ありがとう、これで終わりだよ……」 
 頬を暖かいものが伝っている事にサクヤは気が付いた。
「終わりなんて、言わないでよ……」
 これは、所詮、データの塊。相手は、魂だけの存在。
 なのに、こんなにも悲しいのは、何故なのだろうか。理屈は無粋でも、感情だけは抑えきれないままだ。とめどなく溢れる涙は、もう抑え切れそうに無い。
「友達、なんて言ってくれたのは、サクヤと……」
 ハーミットは、サクヤの腕の中で、嬉しそうに笑った。
 大層な名前を付けていても悲しいのだろう。目は泣いていた。
「ねえ、最後のお願い聞いてもらっていいかな」
 最後のお願い。
 その言葉の重さに、耐え切れずにサクヤの涙は止まらなかった。
「最後、だなんて、言わないでよ……」
「サクヤ……」
 トービアスも悲しげな顔を浮かべていた。憎みきれない。
 この猫型PCがした事は決して、許される事ではないというのに、トービアスには、随分前から、剣を振るう事が出来なかった。もっと、正しい出会い方をしていたら、そう後悔せずにはいられないのだ。もっと他の手立てもあっただろう。
 そう考えると、酷い虚無感だけが、心の中に残るのだ。
「聴いてあげなよ」
「ありがと、トービアス」
 ハーミットは、段々と体を透き通らせながらも、感謝の言葉を述べた。
「サクヤ……、ぎゅって、してもらっていいかな?」
「それくらい、何時だってするよ!」
「ありがと、サクヤ……」
「僕が、この世界で旅を続けていた理由が見つかったよ」
 青い猫は、サクヤの寂しい、細い、でも優しい腕の中で笑っていた。
 優しく、優しく微笑んでいた。もう、元には戻れないと知っているのに。それでも、この世界で生き続けた事の意味を得た事に満足げに微笑んでいた。
「同じハプロタイプを持つサクヤと出会ったことが、旅の終着点だったんだ」
 きっと、人は生まれた意味を探すために、生まれてくるのだろう。
「なんで、君に惹かれたのか、今、わかったよ」
 長い旅路の果、ようやく巡り合えた二人。
 ハーミットの生きてきた、その意味は、もう彼だけしか知らない。
「ずっと、ずっと、キミのことを探していたんだ……!」
「……ごめん……」
「謝らないでよ、サクヤ……、悲しくなるじゃないか……」
 ゆっくりと、崩れていく世界。
 その中で、確かにサクヤは、ハーミットの、田名神透葉の温もりを感じていた。
 ハーミットがくれた、大切なもの。
 それは、セピア色になるには、しばらく時間が掛りそうだ。
 遠い記憶は、微かに香る。
 優しく、微笑んで。

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