小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.1 境界収斂



Side; Real 二〇二二年十一月五日
 その日、九竜トキオは幸せの絶頂にいた。
「くぅ〜、始まるぜ! 俺の新しい勇者伝説が!」
 そんな感じで、学校の教室でクラスメイト達に自慢して回っていたのだ。
「そう、良かったわね。バカ」
 そんな彼に、机に頬杖をついて、長い黒髪をまるで清流のように流しながら、少女は辛辣な一言。
「ちょっと、姫様、酷くない?」
「酷くないわよ。これが私だし」
 トキオが『姫様』と呼ぶ、黒髪の少女、天城彩花はニコリともせずに、天井知らずに舞い上がっている彼を見て、バッサリと斬り捨てた。その舌鋒の切れ味たるや、名刀正宗にも優るとも劣らない切れ味である。
「いやいや、倍率二十を突破したんだよ!」
「そうね。運が良かったのね」
 ざっくりと切れた。
 トキオが先程から騒いでいるのは、明日発売の完全ダイブシステム搭載『ナーヴギア』対応のMMORPGである『ソードアート・オンライン』が手に入ったからだ。全世界から申込者は二十万人。だが、初回ロットは一万人という狭き門である。
 これに新しい活躍の場を探していたトキオは乗った。申し込み用紙を書いて、そして見事当選したのだ。それでこんな風に自慢しまわっていたのだが、彩花はこんな調子である。
 これは当然であろう。
 全世界で二十万人ということは、日本の情報を手に入れられる一億二千万の中でも、それだけしか興味を惹かれていないということの論証である。残る一億一千万弱の人間は、後々手に入れれば良いかと考えているか、それとも最初から彩花のように興味のない人間に大別される。寧ろ、日本全体で見れば、この二十万人の方が異常なのだ。
 そもそも、既にネットワークには世界最大手と言ってもいいCC社が運営している「the world」というゲームがある。再来年の二〇二四年には、バージョンアッパーする予定という事もあり、大抵はそちらの方へ興味が割かれているのだ。
 そんな中で、対抗するように日本の後発メーカーである『アーガス』は、天才量子物理学者、脳科学者でもある茅場晶彦の元、人間の意識そのままをゲーム世界へと飛び込ませるシステムを作り上げた。
「そんな言い草はないだろって、思うんだけど」
「あら、私にしてみれば、既に経験のある貴方が、今更、ネットの世界に憧れる理由っていうのが、今ひとつ理解に苦しむのだけど?」
「………」
 くすりと聖母のような微笑を浮かべる彩花に、トキオは反論できない。
 二十世紀末から二〇〇四年年頃にかけて、インターネットの普及率は爆発的に上昇、特に先進各国では、これにより”情報の民営化”が始まった。
 しかし、ノーベルのダイナマイトが、ライト兄弟の飛行機械が、殺人兵器として使われた歴史ように、悪用する人間が出てきたというのも、一側面の事実である。
 その弊害として、筆頭として上がるのは、ネットを介しての犯罪は増加の一途を辿る事となる。だがそれでも特に大きな事件は起こらず、ゆっくりと、しかし確実にネットワー ク環境は成長を始める。その過程で特に発展したのが、ネットワークゲームだろう。
「冗談よ。是非とも、別ベクトルからのネット世界に関するレポートを提出してね」
「はいはい。了解しましたよ」
 くすくすと彩花は笑うが、どう考えても、騙されている。
 こんな言い方は、彼女の男を上手に使う常套手段だ。この二年少々で、ますます磨きが掛かってきたような気がするのは気のせいだろうか。
 全国、或いは世界規模で繋がる事の出来るネットゲームは、多くの人々を魅了して止まなかった。次々と開発・発売・衰退を繰り返し、幾つかが生き残っていた。これから更なる発展が望まれるだろうというまさにその時、世界を震撼させる事件が起きた。
 
 それが、『第一次ネットワーククライシス』だ。

 ネット社会が始めて直面した大規模混乱である。
 二〇〇五年年十二月二十四日、『Pluto kiss(冥王のくちづけ)』と名づけられたこのウイルスにより、世界規模でネットワークが完全に停止した。
 時間にして約七十七分。後にシステムを回復する事の出来たこの事件。
 だが、たった七十七分、世界が止まったのは事実である。その事が、世界に大きな爪痕を残すこととなる。このウイルスを作ったのが当時十歳の子供であったこと等から、ネットワーク犯罪に対する、各国政府や企業の危機感は一気に上昇したと言って良い。
 皮肉な話だが、この事件が無ければ、対策犯罪は進まなかったのだ。
 彩花は、なおもトキオをからかう様に、聖母の言葉を紡ぐ。
「ま、精々楽しんできなさい。ま、その結果、受験を失敗しても知らないけど」
「ちょ、それは言わないでくれ!」
 そろそろ受験というものが明確に意識される時期だ。あまりゲームばかりに関わっているわけにも行かないのだが、トキオは現実逃避していた。逃避したくなるほどに成績は悪いのだから、仕方が無い。何ともトホホな勇者である。
 この事件により、一時期ネットワークゲームも含め、電脳世界における全てのサービスが停止、そして、その後に待ち構えているだろう衰退が危ぶまれた。
 だが、そこに一筋の光明がさした。
 この『Pluto kiss』事件発生時、ALTIMIT社製作の同名OS『ALTIMIT』を搭載したコンピューターのみが、被害を免れる事が出来たのだ。その有用性と信頼性から、このOSは世界中から認められ、普及して行く事となる。やがてALTIMIT社の有志たちの一部が独立。CC社というネットプログラム製作会社を設立する。
「じゃ、彩花。お前も一緒にやろうぜ!」
「嫌よ」
 ばっさりと振られた。
「くす、冗談よ。丈太郎の事が片付いたら、一緒に行ってあげるわ」
「本当か!」
 その中で、二〇〇七年十二月二十四日。
 ネットワークの全面解放が宣言された。その同日にCC社は、ハロルド・ヒューイック監修のネットワークゲーム『the world』を発表した。紆余曲折あったものの、大勢の人間に受け入れられ、現在、全世界でプレイヤーは二千万人を下らない。
 当時ネットワーク関係の利用において主流となっていたのは、従来のデスクトップ、ノートタイプのパソコンだけではなかった。
 先んじて実用化に到っていた、3D眼鏡などの技術を発展応用した、【HMD(ヘッドマウンドディスプレイ)】と呼ばれるゲームのコントローラーのような機器をCC社は売り出した。この機器の利用度は幅広く、動画や電子書物の閲覧は勿論、ネットワークゲームの利用にも一役買うこととなる。
 これまでに無い臨場感を与える【HMD】はやがて更なる進化をとげ、【FMD(フェイスマウンドディスプレイ)】という更に小型化、高性能化したものとなった。
 後にこの【FMD】などは、NERDLES技術を利用したマシンの発展へと繋がることとなる。それが、茅場晶彦監修の『ナーヴギア』へと繋がっているのだ。

 

Side; net 二〇二二年十一月六日
 トキオは、『ソードアート・オンライン』の世界へと飛び込んだ。
 完全に精神をゲームの中へと送ってしまう。その事に何の不安もなかった。嘗て、伝説の勇者達が繰り広げてきた大戦に比較すれば、この程度の気持ち悪さも苦でもなく、寧ろ、これから始まる大冒険への高揚感に変わっていった。
「おお、ここが『ソードアート・オンライン』の世界、『アインクラッド』か!」
 白色と灰色を中心としたカラーリングに据えた、二年前と同じ服。
 頭の上のゴーグルは、トレードマークのようなものだ。これで自分の赤い髪の毛をまとめているのである。今ではこれが無いと、落ち着かないくらいである。リアルでもつけているくらいだ。
「もしかしたら、皆にも会えるのかな……」
 彩花は、バッサリ切られたが、他にもミストラルに、ミレイユ……、ダメだ。ミストラルは出産前、ミレイユは最初から制限年齢以下だ。バルムンクや、オルカ。ライバル社のゲームをする事は無いか。ハセヲも大学卒業目前で忙しくしている。リーリエや曽我部、結局、ライバル社にいる人間だ。
 よくよく考えてみれば、仲間内で際限なくゲームを楽しめるのは、自分だけだ。
「碧とか、リコリスとか、いると嬉しいんだけどな…・・・」
 そんな風に、昔の仲間を探そうとしている事が悲しい。
「まあ、いいや」
 しばらく考え込んでいたが、やおら頭を上げて走り出す。
この手に触れている流体の感触も、所詮はネットの中の虚構である。だが、確かに存在する。この仮想の『世界』もまた、本物の『世界』に違いない。
「まぁ、今は物思いにふけるよりも……」
 脚に力を込めて、走り出す。
 二年前の経験が、全身に張り巡る随意筋に的確に指示を与える。
「この『世界』を楽しむとすっか!」
 そう結論付けたトキオは、この『世界』の創造主たる茅場晶彦に感謝を示しつつ、勢い良く、中世ヨーロッパのような石造りの街並みを走り出した。

「ぷぎー!」
 間抜けな断末魔の叫び声と共に、青い毛並みのイノシシ―レベル一の雑魚モンスターであるフレンジーボアは、ガラスの砕けるような音を鳴らして、粉々に砕け散った。
「よし、レベルアップ!」
 正午に一分一秒たりとも遅れる事無くログインして、既に四時間余り。
 数多在るRPG同様に、『ソードアート・オンライン』も結局の所は、敵を倒す。経験値を得る。レベルアップする。そして、更に高位の敵へ挑む、という王道のサイクルを繰り返している。一つ異なるのが、大人数で同時プレイしている以上、その経験値の入手に限りがあり、いかに他人よりも早くレベルを上げて、トッププレイヤーになれるかが、クリアのコツなのである。グランドクエストとなる、百層制覇を目指すにしても、普通にチマチマと遊ぶだけにしても、何れにせよ、ある程度のレベル上げは必須なのだ。
「んじゃ、ある程度遊んだし、一旦、戻るか」
 あれだけ言われても、ゲーム世界に飛び込んだのだ。明日、彩花に宿題見せてというのも、何か癪というものである。何よりも男が廃る。今日くらいは、しっかり宿題して、俺は勉強も一緒に出来る人間なのだぞという所を見せてやりたい。
「あれ?」
 そうやってログアウトしようとして、気がついた。
 右手の人差し指と中指を揃え、下に振り下ろす。
 それが、この『世界』におけるメニューウィンドウの開き方だ。当然トキオもプレイ前に散々とマニュアルを読み込んでいるので、操作は手馴れている。滑らかに指を振り下ろし、ウィンドウを開く。そこから『ログアウト』の項目を探して。
 手が止まった。
 まるで、システムそのものがフリーズしたかのように、手が止まった。
「『ログアウト』ボタンが……」
 在るべきはずの、もっと言えば、ついさっきログインした時には確実に存在した、精神へ下す現実への帰還命令が、どこにも、
「無い?」
 そんなはずは無い。頭を振って冷静さを取り戻す。もう一度、メニューを見直すが、やはり、『ログアウト』が見当たらない。先程まで存在していたはずの場所に、まるでポッカリ空白が空いているのだ。回線が込み合っている、などという生易しい原因ではない。完全にシステム上に、何かしらの欠陥が生じている。
「兎に角、もう一度だ!」
 メニューを一度閉じた後、再び開く。
 そしてメニューを確認するが、やはり無い。どこにもログアウトのボタンが見当たらないのだ。
 現実へと帰還することの出来ない恐怖。まるで、これは嘗て荒ぶる『終末の女神』が引き起こそうとした、トキオが一番経験しているはずの、あの事件に、あの理論に似ている。似ているなんて優しい表現だ。それそのものである。
 
 リンゴーン、リンゴーン――――。

 突如、鐘のような音が、偽りの『世界』に響き渡る。現実よりも綺麗で、不気味な夕陽に染まった景色の中にいたトキオは、ビクリと体を震わせた。
「なっ……?」
  そして時を同じくして、トキオの体を青い柱状のエフェクトが包みこむ。
 幾度も『The World R;X』時代に、実体験を伴って、覚えた感覚。
 これは『転送』する時に発生するエフェクト。アイテムの使用も無く、個人のコマンド入力にも寄らない、システム側による強制転送だ。
(ここは……『はじまりの街』の中央広場?)
 目を開けた其処は、先程までいた見渡す限りの草原ではなく、石造りの広い石畳。
 一万人がゲーム開始時に降り立つ『はじまりの街』の中央広場だった。広場は他の人々で溢れている。トキオは、適当に全プレイヤーがこの場に強制転送されたと推察した。そうでなければ、好き勝手する奴らばかりのネットゲームにおいて、これだけの人数が集まるはずは無い。ログアウトできない事への何かしらの連絡があるのだろう。
 ―――これを使えば、貴方は『the world R;X』の世界へと導かれる。
 ふと、初めて会ったとき、彩花から渡された黒いディスクの事を不意に思い出した。
 あの時の事を何故か思い出す。走馬灯を見るには、早すぎるはずだ。周囲に素早く視線を巡らせるが、今の所、特におかしいところはないようだ。
「おいおい、何だ? 何だ?」
「な、なに? 何がおきたの……?」
「おーい、アナウンスか?」
 そんな風に周囲は困惑している。
 自分の理想を具現化したネットゲームのキャラクターがうろたえている中、トキオは冷静に見ていた。これから始まる事も、自分の身に何が起きたのかも、想像したくは無いが、うっすらと、これから何が起きるのか、想像が付いていたからだ。
 その想像が現実になるか、ならないかはどちらでも良かった。だが、否応無しにトキオの気分は昂ぶっていく。嘗て、偉大なる黄昏の騎士達とともに戦った事件の事を。奇しくも、彼らの通り名のように、今は黄昏だ。これはどんな偶然なのだろうか。
「あっ……、上を見ろ!!」
 そんな事を考えていると、周囲の喧騒を押しのける大きさの声で誰かが叫んだ。
その声に誰もが従って、視線を上に向ける。まるで血のような真紅の文字が高さにして百メートルにも及ぶ第二層の天井に浮かんでいた。
 【Warning】
 【System Announcement】
 この二単語から、どうやらシステム管理者側からの通達があるようだ。
 おそらくは、この現実へ帰還できない事態に対する何かしらの通達。
 やおら点滅を繰り返していた文字が、不気味に血の雫のように垂れ下がっていく。ドロリと流れていく、赤い液体は、やがて巨大な真紅の人型をなした。
 現れたのは、真紅のローブを纏った巨人。
 運営を司っているアーガス社員の務めるゲームマスターが纏っていた衣装だ。
 本来であれば男性のGMは魔術師然とした長い白ヒゲの老人。女性なら眼鏡をかけた女の子のアバターが必ずフードの中に納まっているはずなのだが、その巨人は異様だった。
 目の前の巨人には「中身」がなく、伽藍洞のような空洞がポッカリとあいている。 
 透明人間がローブだけを纏っているような。そもそも中身が存在しないような巨人。周囲の不安を無駄に煽るような事を、運営がするはずはない。つまりは、この巨人は、何かしらの悪意を持った何者かであるということだ。
 簡単に、トキオは想像が付いた。
(おいおい、マジですか……)
 その考えに到った瞬間、トキオは自然に笑顔になっていた。
 嘗て、文字通りの命がけの戦いをしてきた彼。勇者に、英雄に、憧れた彼は、この異常事態にあってなお、笑っていた。
 そして、巨人は、無い口を動かして、ゲームの開始を告げる。
『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ』
 真紅の巨人の言葉に、誰もが困惑する。『私の世界』とはこの『アインクラッド』を意味していることは分かる。運営側からすれば、確かにこの世界は【自分の世界】とも言える。だがそれを今、このタイミングで宣言する理由が見当たらないのだ。
『これは、ゲームであってゲームではない』
 そんな多くのプレイヤーの疑問に答えるように、巨人は言葉を発した。
『私の名は茅場晶彦。今やこの世界をコントロール出来る唯一の人間だ』
「はは、なるほど……」
 体の芯に、血が集まっていくような高揚感をトキオは覚えている。
 その言葉に、先ほど以上の喧騒が起こる。当然だ。このSAOのプレイヤーの殆どが、その人物を知っているといっても過言では無い。彼こそが、このゲームの生みの親だ。それを知らない人間はいないだろう。戸惑うプレイヤー達を他所に、彼の言葉は続く。
『ログアウト出来ないのは、ゲームの不具合ではなく仕様である』
 坦々と。
『今後、ログアウトするためには、この城――アインクラッドの頂へと至る事が条件だ』
 耽々と。
『つまりは第百層までを踏破しなければいけない』
 淡々と。
 赤い巨人は告げる。
 決して彼の言う条件は不可能ではない。
 しかし、それがどれほど過酷で、可能性の低いことなのかを理解している人間もいるだろう。彼の言葉に、言い知れぬ不安が滲んでいる。百層に至るまでに、一体どれほどの月日を費やすことになるのか、想像も付かないのだ。
 そして、更に絶望的な条件を、ゲームマスターは告げる。
『今後、このゲーム内に於いて、死者蘇生の効果は一切存在しない』
 ならば、死んだ場合、つまりはRPGにおける体力が亡くなった場合はどうなるのか。
 そんな疑問を誰かが口にするよりも早く、
『体力がゼロになった場合、搭載されているチップが作動し、諸君らの脳を破壊する』
 随分と、脳科学者らしい言い回しである。
 人間は脳が無ければ生きてはいけない。つまりは、脳の破壊とは命の破壊だ。
 彼の発した絶望だけしか存在しない言葉に、広場を満たしていた喧騒は水を打ったかのように静まりかえる。誰もが言葉を失う中、茅場晶彦の言葉は続く。
「ハハハ、随分なゲームになってきたな」
 トキオの口からは、自然に笑声が零れた。
『尚、外部よりナーヴギアの停止、解除が行われた場合も同様だ』
 トキオも嘗て、色々な天才にあってきたが、こんな風に悪意に満ちた天才は初めてだ。
 十分間の外部電源の切断、二時間以上のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のネック解除も同様で、脳を破壊するという。そうなると、完全に、一切の脱出、同時に救出手段が断たれた事になる。
 どうやら脱出するには、内部に囚われた一万人が協力して、百層の突破を目指すしかない。ネットゲームの弱点を上手くカバーする策を打っているのは、天才と呼ぶべき諸行だ。
 既にマスコミ を通して外部世界に告知されているなどなど、凡そ、一切の感情の起伏を感じさせない声で、茅場晶彦は告げて行く。
『残念ながら、既に二百十三名のプレイヤーが、アインクラッドからも、現実世界からも永久退場をしている』
 淡々と告げられたその言葉を聞いた瞬間、トキオの興奮は最高潮に達した。
 別の意味で覚悟が決まったと言っても良い。
『それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』
 その言葉に、全プレイヤーが一斉にアイテムウィンドウを開く。
 中にあったのは『手鏡』。これをトキオはアイテム欄から呼び出す。
 高級とはいえない何処にでもあるような、普通の鏡、掌にすっぽりと納まる小さなサイズの鏡が表れて数秒後、白い光に包まれる。
 すぐに光は収まった。周りを見渡せば、先ほどのプレイヤーたちの殆どの顔が一変していた。トキオもはやる心を抑えて、その『手鏡』を覗き込む。
 鏡に写っていた顔は、紛れも無い、九竜トキオ本人の顔だった。
『諸君らの中には、何故このような事をするのかという疑問がある者もいるだろう』
 誰かの疑問に答えるように。
 予め、予測していたような抑揚の無い声で、茅場晶彦は淡々と続ける。
『私は、すでに一切の目的も理由も持たない。なぜなら、この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ』
「ふん、どっかの天才と同じ事いってら」
『この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』
 ほんの僅かに感情の色を読み取れた言葉は終わり、再び無機質な声色へと戻る。
『以上で、ソードアート・オンラインの正式サービスのチュートリアルを終了する』
 赤い巨人は一拍置いて。
 また感情の無い声で。
『プレイヤー諸君の、健闘を祈る』
 そして、赤い巨人は出てきたときの派手さなど一切無く、霧のように消え去った。 
 シンと、と静まりかえる広場。
 暫く街のBGMが鳴り響く。
 そして――――感情が爆発した。
「嘘だろ……」
「なんだよ……それ……」
「嘘だろっ! オイ!」
「ふざけるなよ!だせ!ここから出せよ!」
「こんなの困る!このあと約束があるのよ!」
「嫌ああ! 帰して! 帰してよおおお!」
 阿鼻叫喚。それは、まさにこの事なのかもしれない。
 この『ソードアート・オンライン』の世界に閉じ込められた一万人のプレイヤー達。
 各々が持ちえた、感情のまま。嘆く。叫ぶ。哭く。喚く。
 楽しいはずのゲームは、一瞬にして命を賭けた、デスゲームへと変わった。
 その中で、トキオは、顔を喜びに歪ませていた。
「いいぜ、やってやるよ……、天才……」
 パンと頬を打ち、気合を入れる。
「勇者を舐めんなよ!」
 そのまま、脱兎の如く、人の感情の波を押し退けて、外へと向かっていく。
 嘗ての事態と同じだ。
 天城彩花の口車に乗せられて、CC社の『the world R;X』の中へとデジタルリアライズされた時と同じだ。あの時も、ゲームキャラ「トキオ」の死は、現実世界における「九竜トキオ」の死と同義であった。それが、またこの世界でも繰り広げられるだけだ。
 恐怖はない。
 あるのは、興奮だけだ。



Side; Net 二〇二二年十一月六日
 その感情の波の中。
 トキオと同様に不敵に笑う男が一人。
「なるほど、晶彦も中々面白い事を思い付く……」
 周囲の不気味なまでの感情の発露など、彼にはそよ風なのだろうか。異常なまでに冷静に、いっそ何も感じていないかのようなのような調子で男は笑っている。
 左手の全てを、覆い隠すような鋼鉄製のギブス。首を覆う青いマフラー。全体的に青い色をした男は、黄昏の中にあって尚、異様な存在感を放っていた。
 その彼の傍を、悲痛な顔をして、すり抜けていく柔らかな印象の少年。
 広場の外へと脚を急がせる彼を見送った男は、赤い巨人が消えた黄昏の空を見上げた。
 どうせ、監視されているに違いない。
 鼻に掛けるだけのサングラスの奥から鋭い眼光を覗かせ、男は語る。
「なるほど、つまり、これは俺とお前の勝負と言うことか」
 その勝負の始まりが黄昏とは、何とも粋な演出である。
 おそらく、茅場晶彦は、丁度、この時間に宣言をするべくスケジュールを組んでいたのだろう。彼も天才だが、そんな風に思考を巡らせる事が出来る自分もまた天才なのかもしれない。そんな風に男は独りごちた。
「いいだろう。その勝負受けて立とう」
 地面まで届きそうな青いマフラーをはためかせ、男は歩き出す。
「愛奈の件、俺が清算していると思ったら、大間違いだ」
 歩くたびに、カチャカチャと金属同士が触れ合う、無機質な音が鳴り響く。
 男は、すぐに走り出した。
 先程、過ぎ去った少年を見つけ出すためである。
 幸いなことに、少年はすぐに見つかった。粗末な皮の胸当てに、また粗末な長剣を備えている。街の外に出た瞬間、現れたモンスターを一撃で屠っていた。
「中々、素晴らしい腕前だな、少年」
「!」
 男が話し掛けると、少年は驚いたように振り返った。
 まるで少女のようにも見える線の細い顔だ。その顔が明らかに警戒の視線を向けている。
「あんたは?」
「何、大したものじゃない。少々、君に頼みたいことがあってね」
 警戒感からか、少年は剣を構えた。
 この命賭けのゲームには何故か、PK(プレイヤーキラー)システムが搭載されている。つまりは、自分以外のキャラクターを殺す事が出来る。極限状態に陥った人間が、どんな行動を執るのか。自由すぎる世界で彼は実験したいのだろう。
「頼みたいこと?」
「君は、βテスターだ」
 その言葉は、少年の精神を激しく揺さぶった。
「その淀みない動き方。迷いのない走り方。テスターでなければ出来ないだろう」
「だったら、どうだって……」
「私を隣の村まで案内して欲しい」
 少年は、しばし考え込んだ。
 繰り返すが、これはMMORPGである。つまり、他人を案内するのが、精神的にノーマルな上級者の務めと言っても良い。だが、デスゲームとなった今、彼らも生き残りに必死だ。いかな場所に危険が潜んでいるか、解ったものではない。その中で他人を連れて歩くというのは、自殺行為に等しいのだ。
「いや、俺は、さっき……」
「知っている。初心者のチューターを請け負って、その彼と彼の仲間を置いてきた事は」
「!」
 少年の剣を握る手が緩くなる。
「いや、俺は……」
 ドンと男は、少年に詰め寄った。あまりの恐怖と威圧感に、剣を構えなおすが、それより先に、男の切先が、少年の頭を掠め、後ろの狼モンスターを貫いていた。腹を抉るように貫かれたモンスターは、微塵に砕けて、ポリゴンとして世界へ帰っていく。
「何、案内してくれるだけでいい。こう見えて、腕には覚えがあるんでね」
「……なら、迷わずに着いてきてくれ」
「感謝する」
 そう言って、少年は歩き出した。
 一度だけ振り返って、尋ねる。
「そういや、あんたの名前聞いてなかったな」
「俺か?」
「他に誰がいるんだよ?」
「オーヴァンだ」
「そっか、俺はキリトだ」
 そんな短い遣り取りを終え、黄昏の空の下、キリトの案内で隣の街へと急ぐ。


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