小説『SWORD ART ONLINE Fifth Crisis』
作者:トモ(IXA−戦−)

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Vol.6 異界誘客

Side; Real 二〇二二年十二月四日 CC東京本社 企画開発部
 もう三週間もすれば、クリスマスを迎えることになる。
 イベント企画部に籍を置いているバルムンクこと、高原祐樹は困っていた。
 昼間は、ハッキング。夕方は、現実で会議。
 心が休まる暇が無い。火野拓海が六時間と限定したのは、機器の限界もあるが、何よりも各人の都合も考えてだろう。流石に誰しもが、毎日潜っていられるほど、暇ではない。
 祐樹にイベント企画部部長としての責務があるように、他の彼らにも、それぞれの生きる世界、存在している世界というのが、別個に在るのだ。それが重なったりぶつかり合って、人間は歩いているのだろう。
 だが、今はそんな感傷的で、哲学的な話に浸っている場合ではない。
 クリスマスというのは、誰しもが浮かれる。大規模な祭りだ。『The World R;X』に置いてもクリスマスイベントを企画していたのだが、今回のSAO事件によって、MMORPGへの信頼は失われ、ユーザーは一気に激減してしまった。
 つまり、仕事が減ったのだ。
 退職したり、リストラされたりするほど、仕事が減ったわけではないのだが、こうなってしまうとしている事に張り合いが無くなってくる。どうすれば、人を呼び戻せるのか、今彼の考えはそこに向いていた。部下三人と伴に、顔を付き合わせて、ゲーム管理人としての責務を果たすべく悪戦苦闘している。
「やっぱり大規模な攻城戦じゃないですか?」
 藤尾雄介が、中性的な可愛らしい顔に、笑顔を浮かべて発言する。
 そろそろ告知もしなくてはならないのだが、全く何も企画段階でストップしてしまっているのである。祐樹の困惑度合いは計り知れない。立派な上司である心算はないし、部下を散々に思いつきで振り回してきた自覚はあるが、部下を守るのも自分の役目だと思う。
「柴山、お前は何かないか……?」
「そう聞かれましても……、何かパーッとレアアイテムでもばら撒きますか?
 一番手っ取り早い集客のアイディアを柴山咲が提案した。
 レアアイテムで釣って、入れ食いしようという安直なアイディアだが、結局はその辺りに落ち着くだろう。だが、大抵、ネットゲームのプレイヤーが求めるのは、希少性の高いアイテム、そして、ゲーム内通貨、膨大な経験値のどれかに集約されるのだ。
 それをボーナスにするのは正解だろう。
 会議の行方を黙ってみていた、斉藤麻子が呟く。
「盛大に領土戦して、その上位入賞者にご褒美ですか……」
 文句がありそうな口ぶりだが、このまま反対意見も出ないままでは、会議を開いた意味がない。色々とアイディアを出し合って、戦わせてというのが、会議の最大の目的だ。
 これでは、全く果たせていない。
「そうですね。コシュタ・バウアを戦場にしません?」
「隠されし 禁断の 古戦場か……」
 CC社がリリースしている『The World』シリーズには、元となった詩がある。
既に十八年も前に亡くなったドイツの詩人、エマ・ウィーランドが書いたネット上で公開していた叙事詩『黄昏の碑文』である。それをベースに、彼女に恋したハロルド・ヒューイックがプログラムした『fragment』へと繋がる。
 彼はその中に、現在の最高運営者にも感知できない場所を幾つも残した。
 コシュタ・バウア古戦場は、その一つだ。
 上層部は隠したいようだが、最早、殆ど公然の物となって知れ渡っている。
 恐らく、場所としては『The World』中最大の面積だろう。最大級の領土戦をするには打ってつけの場所かもしれない。
「よし、決定だ!」
 バンと勢い良く、祐樹は机を叩いて立ち上がる。
「クリスマスは、四勢力に分かれての大規模な領土戦だ!」
 真面目に馬鹿を出来る彼は、こういうお祭りイベントが大好きだ。チームを組んでいる他の三人よりも歳が上な分、精神的な第二の支柱として、引っ張る役目を務めているのが、祐樹である。そんな彼が決定と言ったのだ。
 それだけ、このイベントに魅力を感じたと言う事だろう。
「さあ、細部を詰めて、早く告知ページのデザインを頼むぞ!」
 時間は、もう三週間ほどしか残っていない。
 祐樹、蒼天のバルムンクとしては、早く戦線に復帰して、救出作戦に戻りたいところだが、本来の仕事もある。これと合わせると、殆ど会社に泊まりこみのような状態だった。
「ん?」
 肌を叩くバイブレーション。
 メール受信音だ。
「すまん、メールだ」
「はーい。すぐに戻ってきてくださいね」
 部下三人に見送られて、祐樹は廊下に出る。最大手の会社だけあって、廊下にも仕事のしやすい工夫がされている。何時でも何処でも完全冷暖房完備。ネットワーク制御で、どこからでも操作が可能である。十二年前の事件では、完全にストップしたためか、ネットワークを介さず、扱えるようになるなど色々と工夫が凝らされている。
 結局のところ、バルムンクとして高原祐樹がなしたのは、この程度なのだ。
 十二年前の事件も、五年前の事件も、二年前の事件もネットセキュリティを発展させるには到らなかった。第一次ネットワーククライシスで得た、ALTMIT社やCC社が受けた恩恵は計り知れないが、同時にそれ以上の努力を忘れさせたのも、事実だ。
 事前に『ナーヴギア』の設計図を手に入れて、曽我部に渡していれば、今回の事件も未然に防げたかもしれない。その面では怠慢ととられても可笑しくないような事だ。
「やれやれ……」
 今更、何を論じても仕方の無いことだ。
 全ては仮定の想像であって、もう結果が出てしまった以上、意味の無い妄想でしかない。そんな風に自分に呆れながら、メールを開く。差出人は「国東秀悟」とある。
 彼とは、康彦や海斗以上に歳の離れた友人だ。前にあったのは、確か先任のイベント部部長である度会一詩の結婚式以来だから、既に丸一年はあっていない計算になる。
 入っているメモリを検索して、彼の名前を探し、殆ど機械的にプッシュした。数回のコールの後に、元気のよい青年の声が聞こえてきた。
『はい、国崎です』
「元気そうでなりよりだな」
『え、ええ、バルムンクさん?』
 久しぶりに聞いた声は、相変わらず幼い声だった。既に二十三のはずだが、祐樹の頭の中では、最初に会った中学三年生当時の双子の妹と並んで楽しんでいる彼の顔が浮かんでいた。そんな昔の事を思い出しながら、祐樹と秀悟は思い出話に花を咲かせる。
「妹さんは元気か?」
『ええ。元気すぎですよ』
「そういえば、今、秀悟は何処に勤めてるんだ?」
『ああ、目出度くですね、新卒で「レクト」に決まったんですよ』
「すごいな、大会社じゃないか!」
『いやー、バルムンクさんには負けますよ。世界的大企業じゃないですか』
 祐樹の褒め言葉に照れたような調子で、秀悟は答えた。
 彼の言う「レクト」とは、現在、日本国内最大手の電機メーカーだ。ただIT技術が存在しないために、同じ電気機器を扱っていても、CC社の母体であるAILTMIT社とは競合していない。此方はパソコンとソフトウェア、向こうはレンジや冷蔵庫などの白物家電。同じ家電と言う括りにあっても、その果たす役目は、大きく異なる。
「それで、今日はどうしたんだ?」
『いや、渡会さんのところに二人目が出来たって聞いて』
「何?」
 そんな話は聞いていない。
 先任の部長と渡会一詩と、翻訳家の水原遥が結婚したのは一年前。そのときには、既に第一子である、浬子がいたのだが、早くも二人目が出来たのか。
『いや、渡会さんも水原さんも、送ったって言いましたよ』
「え……、ちょっと一旦切るぞ」
 すぐに電話をかけ直すことにして、過去一年当たりのメールボックスに検索をかける。ガリガリというハードディスクの擦れる音がして、目的のメールが見つかった。既に二ヶ月も前のメールだった。何とも失礼なことをしたと申し訳なく思う。
「もしもし」
『あ、見つかりました?』
「ああ、一ヶ月も前だった……」
 忙しかったというのは言い訳にならないだろう。
 一ヶ月前にSAO事件が起きてからというものの、祐樹も休み無く、本来の仕事をこなしつつ問題解決に右往左往し続けた。それは事実だ。だが、それと失礼なことをしたのとは別問題である。彼の頭の中では、どんな謝罪の言葉を述べるべきかを考え出した。
『それで、今度お祝いのパーティを、水原さんの誕生日にしようってことになりまして…』
「となると、十四日か」
『ええ、ちょうど抱えていた翻訳の仕事が終わるとかで』
「ふむ……」
 少し祐樹は考え込む。
 十四日となるとイベント十日前。いつもなら泊まり込みで徹夜して、という感じなのだが、この際息を少し抜いてもいいかもしれない。それに彼らには、色々と聞きたい事もあるのだ。それについて意見を求めるのも良いかもしれない。
「解った。予定を空けておく」
『ありがとうございます。玲奈も喜びます!』
「それじゃ、十四日に」
『ついでに何かクリスマスプレゼントをくれると……』
「しっかりしてるな」
 秀悟の無遠慮な注文にもかかわらず、祐樹は肩を竦めるだけだった。
「まあ、いいだろう」
『やった!』



Side: Net 二〇二二年十二月四日 第二層 ウルバス
 第二層主街区(ウルバス)は、直径三百メートルほどのテーブルマウンテンを、外周部だけ残してまるごと掘り抜いた街。丁度、すり鉢の底に、街が広がっているような形だ。
 面積は、それほど広くは無い。続々と街の中央の(転移門)から、第一層に留まっていたプレイヤーたちが上がってくるが、とてもではないが、集まってくるだろう人間全てを収容することは叶わないだろう。感動の中に無遠慮に流れるオーボエの牧歌的な音楽にも、設計者の悪意が見え隠れして、なんとも苛立つ。
 恐らくは、これも茅場の設計によるもの。
 階層ごとに街の規模を変えて、連続で階層突破を図らせる。
 そんな底意地の悪いことを考えているのだろう。
 この階層のボスが強いか、弱いかは、現状不明だが、まるで超高山登山のような作りになっていると質素な窓越しに行きかう、第一層を突破したばかりで浮き足だっている、プレイヤーの嬉しげな顔を見ながら、ハセヲは思った。
 超高山、草木も生えないような氷河を持つ高山は、ベースキャンプを作り、それからゆっくりと何人かで登っていく。そして機材を上げ、最終的に頂に辿り着けるのは、百人のパーティでも一人二人と言うところ。そして、途中で死ねば放置である。
 そんな感じの作りなのだ。
 そんなことを滑り込んだ小さな宿屋で、
「なあ、フリューゲル。茅場に登山の趣味はあったのか?」
「いや、無いな。ただ、こういう意地の悪い作りは、あいつ大好きだぞ」
「おい……」
「じゃあ、この階層は早くても十日程度で動かないとな」
「多分、それくらいが限度だろう。移動の最中もモンスター多かったしな」
 休めない難所では、休まない。それが登山の鉄則だ。
 そして、ろくなベースキャンプとして使えない長閑な街は、すぐにでも放棄されて、上階へと攻略を主目的に置いているプレイヤーは、上がっていくのだろう。この階層は、モンスターの強さは、一層と同じである。だが、数が多い。尤も、数の多さなど、この三人の前では、弱者の浅知恵に過ぎないのである。
 繋がる本来の街道を、他の面々に出会わないように無視して、バイクで駆けてきた。
「残り時間もあまり無いし、ちょっと見回ってから、俺は落ちるわ」
「あいよー」
 そう言うとハセヲはカチャカチャと腰に付いた装飾を揺らしながら、外へ出た。
 残されたのは、フリューゲルとトキオ。
 だけども、フリューゲルは、何も解説せずに、トキオが聞きたいことを教えてくれる事無く、横になった。そのまま眼を瞑って眠る体勢に移行する。
「おい!」
「何だ、トキオ君。そんなに怒って」
 ようやく、ハセヲとフリューゲルが此方を向いた。先ほどからトキオにはさっぱり解らないことをウダウダと続けている二人がようやく気がついた。時間は、既に五時。この世界にも、現実の世界と同じ時の流れで時間が経過し続ける。
 空は茜色に染まっていた。
「いや、色々と聞かせてもらいたい事がいっぱいなんだけど……」 
「ああ、これは失礼」
 ゆっくりとトキオが握る黒いチップを感情の篭っていない眼で見つめながら、フリューゲルは懇切丁寧に、いっそ馬鹿にしているのではないかと思うくらいに、丁寧な口調で話し始める。プカリと煙を吐き、モノクルをコートの裾で拭きながら、実に楽しそうに。
「そのチップは、この(アインクラッド)からの脱出プログラムだ」
「はあ?」
 幾らなんでも、それはおかしい。
 一ヶ月前、トキオは聞いている。あの『はじまりの街』でゲームマスターである茅場晶彦は冷酷に宣言したのだ。その声は今でも耳に張り付いて、突き刺すように残響している。
 だが、目の前にいるのは、著名な精神科医だ。そして、ハセヲが不平不満も言うことなく、同席していると言う事は、間違いなく後ろでは、CC社が動いている。敵であったり、味方であったりと忙しくて、節操の無い会社であるが、技術力だけはトキオも信じている。
 胡散臭げに見つめているが、もし本当ならば。
「じゃ、このゲームをクリアしなくても……」
 全員が助かる。
 だが、その淡い期待は、簡単に打ち砕かれる。
「いや、それはお前にしか使えない」
「な、何で!」
 トキオは第一層の攻略で色々な人間を見てきた。憎む者、挑む者、戦う者、そして、全ての咎を背負って、駆け出した少年。それら全員を救える極少の可能性は呆気なく、フリューゲルの冷徹で、しかし、論理的な話に潰される。
「これは、リアルデジタライズ、天城丈太郎の実験に巻き込まれた人間にしか使えない」
「え、それがどう関係するんだ?」
 黒いチップは嘗て見た、黒い『The World R;X』のディスクに似ている。
「まあ、もう一度、リアルデジタライズを起こそうって腹さ」
 懐かしいフレーズだ。
 そのせいで、いや、そのお陰でトキオは、この世界でも何とか生きていけている。恐らく、二年前のネットの中に生身の肉体ごと、囚われた貴重な経験が無ければ、この浮遊城の何処かで野垂れ死んでいたに違いない。
「それで、お前さんに強制退場願おうと思ってな。ちなみに実験一切無しのぶっつけ本番」
 片眼鏡を嵌め直したフリューゲルは、相変わらず感情の読みにくい、不真面目な顔をしている。思いっきり殴りたくなったが、拳銃を持っているということは、もう一つの方の武器も所持しているだろう。あれは殴られただけでも、痛い。
「待て待て、それって俺で人体実験しようってことか!」
「そうだけど?」
 だらだらと心底面倒だと言うような顔で、黒いコートの男は話を続ける。
「いや、いいじゃん。成功すればお慰みで。大体、君に現実世界に復帰してもらわないと、色々と困るのよ。手が足んないし」
 いつもは中身の無い話をだらだらと続けるのが、この男だ。
「で、話を戻すけど。それを渡すのは、君を戦力として確保しておきたいから。さっき、ハセヲも居たけども、CC東京本社は、俺たちに、SAO事件の解決を指示してきた。他にも、馴染みの面子が揃ってるぞ。その中で、トキオ、君も戦力になってもらいたい」
「………」
 そんな男が、今日に限って中身のある話を続けている。これは何かある、そんな想像が出来ないほどにトキオも鈍感だったり、無能で会ったりする心算はないし、事の重要性も解っていた。一刻も早くクリアしなければ、今日も誰かが死ぬ。このまま、一人で突っ走って、英雄になれるはずが無い。二年前も、みんなのバックアップが在ったからこそ。
 だが、残る。
 この場所から、一足先にエスケープする事に対する罪悪感。
 この場所に残る、プレイヤー達から向けられるだろう怨嗟の念。
「………」
「早く、決めてくれ」
 キセルを吹いて、フリューゲルは急かす。
「問題は、この一夜の夢のような、この『世界』だけの話じゃない」
 フリューゲルの真剣な眼に見つめられる。
 時計の意匠をあしらった銀のボタンが、決断までのカウントダウンのようにも見える。
「『The World』にも、現実の世界にも」
 ゆっくり、一つずつ、彼の心の中にあるドミノを倒していくように、優しく、軽快にサーカス団の団長は、花形役者を口説きに掛かる。
「問題は起きているんだ」
「この世界だけじゃない……」
「ああ、そうだ」
「黒い枝、謎の猫PCの噂。問題は様々だが、解決の糸口があるとも思っている」
 そうなると、ますますトキオの駒としての戦略的、戦術的な価値は高まる。
 彼も、英雄という甘い言葉に騙されるような歳ではない。清濁併せ呑まなければ、自分のしたいことをなせないという現実世界の現実を理解している。
 フリューゲルの申し出は、濁に当たるだろう。だが、絶対的に必要な力である。
「『重複存在』である君の力、是非とも貸して欲しい」
 トキオ、九竜トキオの体質は、恐らく世界に彼一人しか居ない特異体質だ。
 多様な機器も必要とせず、直接生身と電脳世界を繋ぐ、二つの世界に存在する人間。リアルデジタライズを経験したからこそ変化を遂げた、ある意味では新しい人類。それを、天才が目指した、狂気の結実と呼ぶか、人が夢見た進化の結果と呼ぶかは、本人次第だ。
「……」
「嫌だっていうなら、止めないぞ。ただ聞くが、お前は一ヶ月で何か出来たか?」
「…・・・」
 トキオは答えない。
 別に、ティアベルのように何かを指揮する事も無く、エギルの差し出した攻略本の作成者のように情報を提供する事も無く、只管にレベル上げに励んだ。別に何かの目的を明確に持っていた訳ではない。生き残るために、茅場に勝つために必要だと思ったから、強くなろうとしたのだ。それ以上の目的は無かった。
 そんな地に落ちた無様な英雄を見て、フリューゲルは訴える。
「それを使え。手っ取り早い英雄のチケット、なんていう大層な代物じゃない。英雄をどん底から引き上げる、蜘蛛の糸だ。上がって来い。そして、挑むぞ。この世界に」
 ぎゅっと黒いチップを握り締めたトキオ。
 カーソルを集中させると、アイテムとして表示された。
 名前は、(リアルデジタライズ・アゲイン)と、なんとも適当なネーミングである。だが、運営者という目線から見ると適当なのかもしれない名前だ。
 覚悟は決まった。二つの世界の境界を飛び越えて、戦ってやる。
「どう使えばいい?」
「手に持って『インストール』って言えば良い」
「インストール!」
 使用方法を聞いて、すぐに使用した。
 大声で叫び、黒いチップがバラバラに砕け散る。
 まるで、血小板が傷跡を補修するように、砕けたチップから光が放たれる。
 トキオの体がチップから放たれた光に包まれ、一旦、全てデータに変わる。たんぱく質で出来た、『現実』の世界に置いてきた物質すらもが電子データに置き換わり、(アインクラッド)の世界で、再構成されていく。実際に温もりのある生身の体。電子データでありながらも、本当の体。
 装備も置換される。
 落日の女神へと立ち向った時と同じものに。
 時計盤を柄にあしらった大きな二本の剣と、無骨なデザインの手甲。
 白と黒の入り混じる近代的なデザインの鎧とアンダーウェア。
 赤い髪の生えた頭のゴーグルはそのままに。
 光の繭が解け、新しいトキオが現れた。
「それで、完了だ」
 最初の時、開いて愕然としたメニューウィンドウを敢えて、また開く。
 そこには、消えた筈のログアウトボタンが爛々と表示されていた。両界に跨る、彼だからこそからこそ可能な、アウトローの脱出手段である。
「よお、お帰り。時の勇者」
「ただいま、時の死神様」
 お互いを罵り合い、二人は、この世界を一旦辞した。



Side; Real 二〇二二年十二月四日 都内某病院
 大きな窓の外から見える景色は、夕暮れだった。
 天城西彩花の前では、一人の少年が頭に機械的な部品を繋げられたまま眠っている。
 作戦実行から二日。そろそろ何かしらの成果があってしかるべき時期だというのは尚早かもしれない。もしかしたら、それだけ目の前の少年が戻ってくる事を祈っているのかもしれない。認めたくは無いが、その気持ちが、どこかにある。
「早く帰ってきなさいよ……」
 彼の夕日と同じ色の髪を撫でる。
 最近彼女は同じ夢ばかりを見る。
 自分と同じ顔をした、青い髪をしたドレスの少女、AIKA。
 彼女が、トキオが危険だと訴えてくるのだ。復讐に狂っても、無愛想な女の子でも、彼は真正面からぶつかってきてくれる。そんな男は、彼一人だけだ。
 そんな時、彼の体が淡く発光し始めた。
「これって……」
 助けてくれと願った。
 頼りたくない男に、頼った。
 天城丈太郎が構築した「リアルデジタライズ」の反応。世界で唯一無二の存在が、現実世界へと帰還する兆候だ。その輝きは、ゆっくりと弱くなって、彩花の前にあった、九竜トキオの体を消し去った。
 そして、持ち主を失った『ナーヴギア』が稼動する。
「だはー!」
 白いベッドの上に、ドスンと大きな音を立てて、青年の域に達し始めた少年が、奇怪な叫び声と伴に落っこちてきた。しばし、どこにいるのか、自分が誰なのか、まるで記憶喪失になった演技でもしているかのように、自分の周りを見回し、体を弄り、現実の世界へと帰還した、自分の血の通った、デジタルではない体を確認している。
 その姿を見て、彩花は溜め込んでいたものが一気に溢れ出てきた。
「ただいま、彩花」
 現実の世界、生まれて、今まで暮らしてきた世界へと帰還した、九竜トキオは開口一番そう言った。耐え切れなくなった。そのまま彼の暖かい体を抱き締める。
「バカトキオ……」
「……悪い。姫様……」
 そんな甘い空気の中、トキオの腹が鳴った。
 赤く泣きはらした顔に、ちょっとだけ困惑の笑みを浮かべて、彩花は笑った。
「奢ってあげるわ。何が良い?」
「…んじゃ、近くのファミレスで」
 体にまとわり付いていた拘束具を強引に引き剥がす。今の今まで、トキオの命を仮にとはいえ現実に繋ぎとめていた、命綱を躊躇うことなく切った。これで、トキオは自由の身である。一足先に、難攻不落の城から、現実世界に生還したのだ。
 頭の中には、食事の事もあるが、残っている八千人の安否が気になった。
 明日からは、CC社で火野辺りに、根掘り葉掘り聞かれて、洗いざらい話すことになるだろう。今晩のうちに、話すことを纏めておいた方が良いかもしれない。
「何、ニヤニヤしちゃって」
 彩花の楽しそうな顔は、夕日に照らされて真っ赤だった。 



Side; Net 二〇二二年十二月四日 第二層 ウルバス
 すり鉢の底に拓かれた街の裏路地。
 そこで、ハセヲは装備を確認していた。ウィンドウを開いては閉じ、明滅するグレーのバックカラーの中から、目的の品を探し出す。指で触れて、カーソルを動かすたびに、軽快な音楽がなるが、街のBGMと合わない事甚だしい作動音であった。
 自分の持つ武器が、チート武器、より正確に言うと、改造どころか、そもそも別世界の武器である事は理解している。そして、その別世界でも単一仕様の、自分だけにしか使えない、天上より賜った神器であることも理解している。
 だから、こんな人の来ないところで、装備の確認をしているのだ。
 双剣、(虚空ノ双牙)
 大剣、(ジラード)
 処刑鎌、(万死ヲ刻ム影)
 そして、双銃(DG‐Z)
「全部、使えるみたいだな……」
 手に馴染んだ武器を手放す必要がなくなって一安心である。
 ただ、筋力すらもパラメータとして存在しているゲームに置いて、あまり身の丈ほどの大きさのある(ジラード)(万死を刻ム影)は使いにくい。
 見た目だけは痩身のハセヲが自分の体重以上の代物を振り回す姿。
 アトリ辺りはカッコいいと評してくれるかもしれない。他の事情を知っている面々は、何も気にせずにスルーするだろう。だが、残っている八千人のプレイヤーには言い訳が利かない。どう考えても、納得させるだけの言い訳が思い浮かばない。
「使うのは、もしもの時だけだな……」
 それを言ってしまうと、既に姿は、この世界観に則していないのだが、その辺りは適当に外套でも纏って誤魔化す事にした。今の彼は、大きな鞣革のマントを付けている。
 準備は、整った。だが、出来れば、知り合いなどには会いたくないものである。既にハセヲが把握しているだけで二人、現実の世界での知り合いが、この世界に囚われている。
「情報収集ったって……」
 意気揚々と出てきたのはいいが、情報収集と言っても、拓かれたばかりの街に情報がどれだけ集積しているというのだろうか。このゲームのルールについては、リファレンスとアーガス本社から齎されている情報で全部だ。だが、ハセヲの目的は、そこではない。
 ここに上がってきているのは、まずはボス攻略に付き合った人間が主だ。そして、彼らをサポートする工商人。彼らはある程度レベルの上がっているプレイヤー達である。
 第一層に引き篭もっている人間は、この場所には動いてくる事が無い。
 なぜなら、金が無いからだ。RPGの宿命として、終盤に近づくほうが、金銭的な負担が大きくなる。普通に、それだけ終盤のプレイヤーが金を持っているという事の証明でもあるので、率的な負担は変わらないのだが、冒険を始めなければ、それは収入を得る事は叶わない。
 だから、この場にいる人間は、金があり、経験がある人間ばかり。
 この中から、善意の協力者を募るのだ。
 決して、自分たちのことを明かさず、知らせずに、ゲームを見ている茅場晶彦を倒すための八蛇の手駒を作るのだ。ゲームに集中できるだけの優秀さと禁欲さを持っている事が望ましい条件である。そんな人材が簡単に見つかるはずも無いだろうが、ハセヲには一人当てがあった。今回のボス攻略の発起人であるティアベルという騎士だ。
「さて、どこにいるか……」
 時間は余り無い。
 ゲーム内の時計、現実世界と同じ速度で進み続ける針は、五時五十分を指していた。
 ログインしたのが、一時ジャストだから、そろそろ脳が不満を訴え始める時間帯だ。急ぎ、青髪の騎士を探さなければならないだろう。全部のウィンドウを閉じ、路地から出る。
 だが、そういうときに限って、足を止める事と言うのは起きるものなのである。
「おっと!」
「わわ!」
 勢い良く飛び出してしまったために、通りかかった人物とぶつかってしまった。
 背の低い栗毛の少女だ。彼女は勢い良く後ろへと、いっそ笑えるくらいの勢いで、無様にひっくり返った。盛大に転倒したついでに、腰に挿していたレイピアらしき剣の鞘で額を強打する。幾らゲームの中とはいえ、コントのような有様だ。
「悪い、大丈夫か?」
 急いでいるが、ここで見てみぬ振りをするのも、道理に悖るので、バツが悪いのを隠すように、頭をかきながら、右手を差し出した。こけた少女が、その手を握る。
 そして、全身が止まる。
「亮さ……ん、ですよね?」
「………」
 現実の世界における本名で呼ばれて、ハセヲは思いっきり固まってしまった。
 出来れば探しておきたくて、出来れば絶対に逢いたくなかった「知り合い」のうちの一人に早くも逢ってしまった。現実性を増すために、強引に現実世界の顔を再現された少女が立っていた。ハセヲ、三崎亮の先輩である結城弦一郎の妹である、結城明日奈。
「久しぶりです。元気してましたか?」
 丁寧な物腰で挨拶された。
 ゲームの世界で、元気も何も無いだろうと内心突っ込みながらも、予定外の闖入者をどうやって処理しようかとハセヲは頭を捻る事にした。だが、見られてしまった以上、何を繕っても無駄というものだろう。自分の存在を解説するとなると、色々とCC社の内密を話さなくてはならない。その解説が面倒だから、忍んでいたのに、全て水の泡である。
「まあ、元気してるさ」
 出来るだけ、当たり障りの無い受け答えをしながら、脱出の機会を探る。
「それにしても、亮さんも参加してたんですね」
「まあな」
 一般のプレイヤーからしてみれば、ハセヲ達十二人も、自分たちと同じ境遇に立たされたのだと思うだろう。まさか、外部から超次元の能力を使って、ハッキングしてきましたなどとは、口が裂けてもいえない。誰かに聞かれた瞬間、恐慌状態に発展する。
「ああ、そうだ。『亮さん』なんて言うな。この世界じゃ、本名を使うのは、タブーだぞ」
「え?」
 アスナは固まった。
「……まさか、そのまま使ってるんじゃないだろうな」
 ハセヲの呆れたような問いかけに、彼女は何故か眼を潤ませて、頷いた。
 本名そのまま使用するのは、ネットゲーム初心者がやって仕舞いがちなタブーだ。ネットでは、ハンドルネームか匿名を使って、出来るだけ名前を隠蔽する。そうしないとトラブルの種になる。やはり、ネットの世界から現実の世界に戻った時に、名前というのは一つの手がかりになる。憎い相手を叩きのめしたり、盗みを働いたりするための指標なのだ。
 だが、始まってしまった以上、変更は利かない。
 このまま続行するしかない。
「……取り敢えず、腰を落ち着けるぞ」
 泣いた相手の扱いは、アトリや揺光で慣れている。長いマントを翻して、街の広場から大通りを一本入った場所にあるベンチに並んで座った。
「しかし、まあ、災難だったとしか言いようがないな」
 世間話みたいに、ハセヲは切り出した。途中、NPCから買ったフランスパンみたいに固いパンを一つ、アスナへと放る。それを受け取るところまで見届ける事もなく、ハセヲはパンに思いっきり噛り付いた。『the World』では、食事という事は考えられていなかったので、何とも新鮮な雰囲気さえも漂う。
「災難ですか……」
 ハセヲの言葉にアスナは俯いた。食べかけの硬いパンは敵の様に握り締められ、儚くポリゴンとなって散った。残る破片を、谷あいを駆け抜ける風が浚っていく。
「私は、そうは思いません」
「ほう……」
 最後の一口を咀嚼しながら、彼女の言葉にハセヲは耳を傾ける。
「私、一ヶ月考えたんです。確かに、この世界は怖い。死んじゃうかもしれない」
 ゲーム開始から一ヶ月。
 そろそろ最初に渡された路銀も尽きるくらいの時期だ。全く持って初心者、MMORPGはおろか、普通のゲームすらした事のないペーペーであった彼女が、曲がりなりにも最前線に立っているという事実。そのためにどれだけの努力を払ったのかくらい、容易に想像が付いた。嘗て、「狂戦士」「死の恐怖」とまで恐れられ、一つのことに邁進した過去があるハセヲだからこそ、彼女の考え方は良く解る。
 失敗するかもしれない。だが、それを恐れてはならない。
 それは、世界への、現実への敗北に他ならないからである。
「だけども、最初の街でゆっくりと腐っていくのも怖かった」
 この偽りの「世界」で生きる事は苦痛だろう。毒の杯を呷るような苦難だ。
 安全に生きていくような術など誰も教えてはくれない。それでも、彼女は一歩を踏み出した。その先に、必ず、この世界から堂々と大手を振って帰る道があることを信じて。
「負けたくない。例え、化け物に襲われて死んだとしても」
 ぎゅっと拳を握り締めて、彼女は告げた。
「この『世界』だけには負けたくない」 
 言いたい事は言い終えたのか、アスナはゆっくりと立ち上がった。
「ありがとう、亮、じゃなかった、ハセヲさん。話せてよかったです」
「ああ。死ぬなよ」
 黄昏の空へと消えていく彼女の危うげな背中。
 太白に言われた嘗ての自分、罪界でモルガナに言われた通りの「昔」を見ているようで、ハセヲは奥歯を噛んだ。
 そこで、ふと思いついた。
 アイテム欄をスクロールさせて、一本、彼女の体格と今吊っている細剣の代理になるような剣が一本あったはずだ。託された一振りの剣。上等な代物、餞別には良い業物だろう。
「ちょっと、待て」
「え?」
 オブジェクトにした細い刀、(ルビーメープル)を彼女に向けて放った。赤い刀身の煌く変則的な形をした日本刀である。欅の副官を務めている楓のキャラクターを象徴したような一振だ。過たず受け取ったアスナはポカンとしている。
「それ、やる。餞別だ」
「え、えっと、これ相当なレアアイテムなんじゃ……」
 レアアイテムどころか、この世界では絶対に見つける事も、作る事も出来ない一振りなのだが、ハセヲは黙っておいた。余計な先入観を植え付けるような、いい加減な情報を与えるような必要はない。
 出立前に渡された武器の数々は、今まで供に戦ってきた仲間達の思いが詰まっている。比喩表現でなく、彼らのプレイヤーデータのバックアップから作られた武器なのだから、思いどころか、彼らの分身と言っても良いほどのアイテムである。
「お守りだ。それ、すげー御利益だぞ」
「……じゃ、ありがたく受け取ります」
 バッと頭を下げて、彼女は走り出した。
 栗毛の髪が、赤い夕日に映える。
「やれやれ……」
 そろそろログアウトしなければならない時間帯だ。
 しかし、アスナ、結城明日奈と逢って、幾つか引っかかることが出てきた。
 勿論、危ない橋を渡ろうとしている彼女の事も気になるが、もう一つ。
 取り越し苦労ならば問題ないのだが、もしも想像通りなのだとしたら、非常に危険な事になるのではないだろうか。黄昏の空の中に浮かんでいるだろうAIDAの事も気になる。
 もう一度、路地裏に消えて、ハセヲは世界から消えた。

 それを見ている青い髪の男。
「そうか、来たのか。ハセヲ……」
 オーヴァンは、マフラーに包まれた口元を僅かに緩ませた。
「しかし、あのようなことが言えるようになるとは、成長したな」
 一匹狼を好む所は変わっていないが、他者への思いやりを初めとして、肉体だけではなく、心も大きく成長したように見える弟子の姿。それをオーヴァンは満足げに眺めた。
「さて、俺もそろそろ動くとしよう」
 不肖の弟子が来ているということは、後ろには間違いなく、八蛇が率いる面々がいる。本来なら、オーヴァンもそこに属さねばならないのだが、その気は彼には全くなかった。
 幾人かあたりは付けてある。
 オーヴァンは再び、雑踏の中に溶け込んだ。 

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