小説『真剣で私たちに恋しなさい!』
作者:黒亜()

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海斗は立ち上がった。
怪我は由紀江が上手く調節しているとはいえ、決して楽に立てるようなもの
ではない。
相手の動きを封じるための一手なのだから。
しかし、海斗は地に両足をついて立ち上がる。
これくらいの傷は何度も経験していた。
我慢できないものではなかった。

海斗は意識せずともどこかで力が入りきっていなかった。
そのうち疲れてくれるだろう、俺のことなんか諦めてくれるだろう、と。
そんな脈のない考えに期待していた。
だが、由紀江の覚悟は半端なものではなかった。
元々、武道四天王の資質を備えている彼女。
その本気となれば、生半可なものではない。


(由紀江はかなり強い。完全に油断していなくとも、これじゃなめてたと言
われても仕方ない。このまま続ければ、確実に俺が追い詰められる。そうな
れば…)


海斗の脳内にあるビジョンが映し出される。
それは“赤”。
自分の周りのほかの色を残さず、消し去ってしまう“赤”。
自分自身に命の危機が迫れば、意思など関係なく無差別にそこを一瞬で血の
海に変えてしまう。

そんな事態にならないために海斗は力を手に入れた。
それは毎日欠かすことのない鍛錬による体力、腕力、脚力。
危険な環境で育まれた目の良さ。

それだけの強さ。
どんなに集中しきれない状態であっても、まず負けることはない。
ただ単に力が強く威張っている者とはワケが違う。

しかし、由紀江は海斗の想像を超えていた。
由紀江も幼い頃より剣聖の娘として、日々を修行で過ごしてきた。
長い期間で培われた刀の腕に加えて、持って生まれた才能もある。
そして海斗と決定的に違うのはその戦いに臨む姿勢。
彼女は傷つけることに心を痛めながらも、覚悟を決めていた。
全ては海斗を救うために。また一緒に過ごすために。

その差が海斗に血を流させた。
傷つけたくなくて迷っていたのに、そのせいで逆に由紀江に危険が及ぼうと
している。
このままでは辿るのは同じ道、あの惨劇。
由紀江があの赤に…。


(そんなことだけは絶対にさせない!この力は無闇に傷つけないために、人
を守るために手に入れた力。…今、相手がどう思っていようが俺の初めてで
きた友達をそんな目に遭わせるわけにはいかない。)


もう迷いはしない。
それは結局、戦わないよりも酷い結果を引き起こす。
ただの一時的な逃避に過ぎない。
傷つけるのではなく、守るために戦う。
そう決意した海斗はひとつ息をつく。


「…手加減はなしだ。」

「はっ!?」


それはもう反射的な行動だった。
手負いなどは関係ない。
由紀江の武人としての本能が、これまでとは違う雰囲気を察知する。
そう感じたときには既に刀を抜いていた。
自分の身に近づかせないように刀で守る。


「そっちじゃねぇ。」


海斗が狙ったのは手前の地面。
そこを海斗は素手で瓦割りのように叩きつけた。
コンクリートの破片が爆散し、衝撃が巻き起こる。


(素手でこれほどの…!)


由紀江はそれに巻き込まれ、吹き飛ばされる。
が、着地時に後方にまわり、衝撃を上手くいなす。
そして少しの硬直もなく、すぐに反撃に切り替える。
これほど早く転じられるのも、尋常ならぬ強さ故だ。


「良い反応だな。」

「!」


しかし、誤算があった。
反撃のため、すぐに近づこうとした由紀江の前には既に海斗が移動していた。
そして、休む間もなく拳の連撃が繰り出される。


「くっ…」


急な展開に驚きはあった由紀江だったが、次々来る拳には冷静に対処していく。
勿論、それは普通から見れば、何が起こっているのかも分からないレベルの
ものだったが、見切れない速さではなかった。
なんとか避けられる。
ただ、反撃の隙などは見つからず、精一杯かわすことしか出来ない。

このまま続ければ疲労が溜まり、ボロが出る。
そう思ったときだった。
まさに刹那。
最強クラスの由紀江だからこそ分かる一瞬の隙が出来た。
これを逃がす手はない。


(海斗さんを傷つけるのは嫌ですが…!)


由紀江は怪我をしてないもう片方の足を狙う。
助けるためとはいえ、好きな人を傷つける。
優しい由紀江には辛い行為だったが、海斗にはそんな中途半端な決意では勝
てないことはよく考えた。
一瞬のチャンスでためらいなく斬りつける。



しかし、海斗は笑っていた。
それに由紀江が気づくことはなかったが、その意味はすぐに嫌でも認識する
こととなった。

海斗は向かってくる刀をまるで待っていたかのように動く。
そう、完全に由紀江は罠にかかった。
今のは意図的に作り出された自然すぎる隙。
あまりにも短く由紀江レベルでやっと反応できるギリギリ。
それを的確に狙って、反撃を誘導した。

そして、海斗はまんまと引っ掛かって動いた刀を素手で捕まえた。


(なっ!?これは…!)


別に手を抜いたわけではない。
それは切断まではする気はないにせよ、確実に斬るつもりで放った斬撃。
それを何の防具を使うこともなく素手で受け止められた。
いや、たとえ防御があっても突き破るはずだ。
こんな異常を説明できるもの。
それは由紀江が今まさに感じたもので、1つしかない。


―海斗が使えないはずの“気”だった。


だが、由紀江がそのことに驚きと混乱を覚える暇はなかった。
刀を防がれて、何も出来ない由紀江の横に海斗が一瞬で移動する。
二人がすれ違うそのとき。


「じゃあな…。」


それは首への衝撃とともに。
由紀江の意識が落ちる前、最後に聞いた悲しげな言葉だった。

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