小説『真剣で私たちに恋しなさい!』
作者:黒亜()

しおりをはさむ/はずす ここまでで読み終える << 前のページへ 次のページへ >>

【伊予アフター】



時刻は夕方。
駅前に俺は立っていた。
行き交う人はこんな時間だし、多くも少なくもないといった感じだ。
そんな人たちを見つつ、立っている時計の柱の側から動かないのはここで人
を待っているからだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


数日前のことだ。
俺は様々な紆余曲折を経て、なんとかこっちに戻ってこれた。
だが、その過程で色んな奴らに迷惑かけてしまったのも事実。
感謝しねーといけないよな。


「おっ…」

「あっ、海斗先輩。」


そんなことが頭の中にあったときに偶然伊予と会った。
そういや後から聞いた話では、伊予もカーニバルのとき川神院で頑張ってい
たとか…。
こんな後輩にまで迷惑かけてちゃ世話ねぇよな。


「なんか、この前は悪かったな。」

「いえ、私も詳しくは聞いてないんですけど…、まゆっちが海斗さんのため
の戦いだって言ってて、それなら私も手伝いたいって思ったんです。海斗さ
んには助けてもらいましたから、今度は私が…。」


俺が助けたのだって、たまたま不良を退治したらそこに伊予が居合わせたと
いうだけだ。
そんなのを恩に感じて、自主的に動いてくれるなんて…。
なんか完全に俺のほうが感謝しなきゃいけない立場だっての。
どうにか役に立ってやりたいんだけど…
あ、そういや…。


「伊予って好きな子いたんだよな。」

「へっ!?」


周りに人がいないのを良いことに小声ではあるが、はっきりと口に出してし
まう。
伊予は予想外の攻撃に慌てる。


「俺に手伝えることがあるなら言いな。事故とはいえ、俺はもう知っちまっ
てるんだし色々協力できるだろ?勿論、依頼料なんていらないからな。俺な
りのお礼だ。」

「……ぅ。」


そう、俺が去ろうと決心したとき、考えていたことだった。
伊予の恋を手伝ってやれれば良かったと。
おそらく相談するとかは恥ずかしいことだろう。
その点、俺が知っている事実は変わらないんだから、どうせならそれを活用
したほうがいい。

それだけじゃない。
なんとなくこの少女はかまってあげたくなる。
健気で小動物的な雰囲気だからだろうか。
とにかく力になってあげたいと思わせるのだった。


「あの…じゃあ、今度私と一緒に野球を観にいってくれませんか!」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


というわけでその“今度”が今日というわけだ。
ちなみに待たされているわけではなく、俺が相当早めに来ているだけだ。
にしても、いきなり野球観戦に誘われるとは。
まあ予想するにデートの下見ってとこなんだろうが…。

そういや、この前1人で観にいったって言ってたよな。
あの時はたまたまはち合わせしたが、伊予の様子だと野球大好きっぽかった
し、何度も行ってることは想像できる。
でも最初は家族と行ってたと言うし、誰かと一緒に観たくもあるんだろう。
好きなものはやっぱ好きな奴と楽しみたいのかね。


「海斗先輩、お待たせしちゃいましたか?」


思考の途中でやってきた伊予。
本人はそんなことを聞いてくるが、今だって待ち合わせの10分前だ。


「いや、さっき来たばっかだよ。」


そう答えて、改めて伊予を見る。
なんだか印象が違うというか…。
この前も私服を見たのだが、もっとこう…。
いや、前のが地味だとは言わないが、それでも今日の格好は完璧に気合いを
入れた女の子と呼ぶに相違ない。

最初は戸惑ったが、少し考えて納得がいった。
伊予にとっては下見でもあり、デモンストレーション的なことも兼ねている
のだろう。
デートを想定しているのだから、お洒落は当たり前か。


「可愛いな、その格好。」

「え、あ、そうですか?ありがとうございます…///」


だから俺も伊予が好きな奴を想定して言う。
完全に俺自身の正直な気持ちでもあるが、それこそ相手もこう言うことは確
実だ。
それほどに今の伊予の姿は可愛かった。


「じゃ、行くか。」

「あの、海斗先輩!」

「ん?」

「その……て、手をつないでくれませんか?」

「へ?これから電車だぞ?」

「ダメ…ですか?」


そう聞く伊予は下から狙ったように上目遣いで覗き込んできて…


(そうだ、これは本番でしたいことをするんだもんな。)

「ああ、つなごう。」


そう答えるしかなかった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「いっけーーーーー」

「・・・・」


電車の座席でもずっと手をつなぎ、大人しかった伊予。
その伊予とは思えぬ別人が目の前にいた。
伊予だけじゃない野球場全体が試合が始まってから、熱気に包まれている。
応援の気合いの入りようはここまでなのか…。


「打てーーーー」


野球だけでなく、色々と凄さが分かった。


―試合後


「ごめんなさい、私ばっかり盛り上がっちゃって…」

「いいって、野球大好きなんだってのがよく分かったよ。」

「でも、海斗先輩…」

「それに俺も結構面白かったぜ。流石に初回であそこまでは叫べなかったけ
どさ、人の勝負を応援するのって初めてだったし。俺は勝つか負けるか分か
らないドキドキなんて経験できなかったからな。」

「海斗先輩…」

「だから誘ってくれて嬉しかったぜ。これで本番も大丈夫だろ。この調子で
いけばデートは完璧じゃないか?」

「ん……。海斗先輩、今日は私の恋の応援ってことで来てくれたんですよね。」

「え、ああそうだな。」

「あの…じゃあ最後に“頑張れ”って言ってくれませんか?」


今更そんな一言でいいのかとも思うが、頼まれたのなら言ってやる以外に選
択肢はない。


「伊予、頑張れよ。」

「はい。じゃあ恥ずかしいですけど…」


チュッ

そんな可愛らしい音とともに左頬に柔らかい感触。
それが伊予の唇だと気づくのにそう時間はかからなかった。


「海斗先輩が好きです。」


は?
待て、状況が理解できない。
伊予には好きな人がいて、これはその予行で…
え、今のは告白の練習ってことか?
そんな俺の疑問を感じ取ったのか伊予はもう一度口を開く。


「私の好きな人は海斗先輩です。」


今度は誤解しようのない言い方で。
結局、お洒落も手をつないだのも、勿論今の告白も。
練習なんかじゃなかったってことか?


「へへっ、ちょっと勇気出しちゃいました。…今日はありがとうございます。
これからも私の恋、協力してくださいね。」


そう言って帰ろうとする伊予。
俺は咄嗟に引き止めて、頬じゃなく唇に口付けた。


「ばーか、もう依頼は完了だよ。その相手も伊予のことが大好きで恋人にし
たいって思ってるからな。」

「海斗先輩…嬉しいです。」


とっても簡単な依頼。
俺はそれをめちゃくちゃ遠回りしてしまった。
だが、そんな回り道が今はとても幸せだったと思えた。

-131-
<< 前のページへ 次のページへ >> ここまでで読み終える




真剣で私に恋しなさい! 初回版
新品 \14580
中古 \6300
(参考価格:\10290)