小説『真剣で私たちに恋しなさい!』
作者:黒亜()

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そこら中に工場が立ち並び、煙で少し先も見えない。
ひとたび嗅覚を働かせれば、そこで感じられるのはガソリンの匂い。
一般人から見れば、害あって利なしの特殊な場所。

川神最東部の重工業地帯。
その中にある町、“川神新町”。

治安は悪く、親不孝通りと同じように軽い無法地帯となっている。
多少の暴力沙汰は日常茶飯事。
通報する者もいなければ、巡回する警官もいない。
死者なんかが出ないかぎり、警察の介入は皆無だ。

そんな危険な場所の中に板垣家はあった。
亜巳、辰子、竜兵、天使の4人だけで住む家。


「…はぁーーー」


その家の中に溜息が響いていた。
それは机の上に突っ伏した天使から発せられたもの。


「天ちゃん、どうかしたのー?」


姉である辰子が問いかける。
というのも、帰ってからずーっとこの調子なのだ。
いっつも元気に騒いでいて、溜息なんかとは無縁だった天使。
それを考えれば、違和感を覚えるのは当然だった。

現在は家にはこの2人しかいない。
だから、辰子は姉として聞いてあげようと思ったのだが…


「…うへへ///」


本格的に辰子の心配は増した。
少女から発せられたとは思えないが、おそらくそれは笑い。
さっきまで溜息ばかり吐いていたので、悩みがあるものだと思っていたのだ
が、それは覆った。

今、天使は携帯についたストラップを見て、ニヤニヤと笑っている。
辰子から見れば、昨日は付いていなかったストラップ。
そこから原因を考えるということも出来ただろうが、それどころではなかっ
た。

憂い顔をしたかと思えば、ストラップを見て笑顔になる。
客観的に見れば、これほど面白い画はないのだが、あくまでそれは何の関係
もない他人が見た場合。
家族としては何事かと心配になるほどの異常であった。


「天ちゃーーん?」

「ん?どしたの、タツ姉。」

「あの、天ちゃん。今日何かあったのー?」

「え!?きょ、今日!?」

「うん、なんか帰ってからおかしいから…」

「いや、ウチいつもこんな感じだしさ…あはは」


そう言っている天使の顔は真っ赤になっていて、何かあることは明白。
だが、その理由を辰子に見抜くことは不可能だった。
そうこうしている間にまた天使は一喜一憂ループに突入していった。

と、そこへドアが開く音がした。


「今帰ったよ。」

「俺もだ。」


竜兵と亜巳が帰って来た。
そして、天使を見た途端その変な様子に気づく。


「辰、これはどうしたんだい?」

「なんか帰ってきてから、天ちゃんずっとこんな感じで…」

「ふーん、まあ飯食べたら調子が戻るだろうさ。今日は寿司の貢ぎ物があっ
たからね。」

「おぉ!最高だぜ!!」


返ってきたのは竜兵の喜ぶ声だけ。
いつもなら天使も歓喜しているのだが、天使の口は動かない。


「ほら、天も食っちまいな。今日はデザートも1つだけあるんだ。」

「おい、亜巳姉。俺も食いたいぞ。」

「だから、それはあんたたちで決めな。」

「ほら、天。恨みっこなしだ、ジャンケンで決めようぜ。」

「いいよ、竜にやる。」

「「な……!?」」


亜巳と竜兵は思わず驚愕の声を漏らした。
食べ物に関しては物凄い執着があり、それで何度も天使と竜兵の間で乱闘が
起きているくらいだ。
その天使が食べ物を譲るなんてことは天地がひっくり返るようなもの。
そんな衝撃があった。


「おい、天。お前頭でも打ったんじゃねぇのか。」


冗談でもなんでもない竜兵の言葉。
竜兵自身も食べ物をゲットできたという喜びも忘れ、天使を心配した。
板垣家最大のミステリー。
もはやその言葉も過言ではなかった。

だが、そこで亜巳が天使の携帯に付いたストラップに気づく。
昨日までは無かったそれ。
今日になって変わった天使の様子。
頭のまわる亜巳にはそれがつながった。


「天、もしかして恋でもしたのかい?」

「へっ!?」


亜巳の唐突な言葉に今まで上の空だった天使が意識を戻す。
そして顔にはみるみる血液がのぼってゆく。


「その反応を見ると、図星のようだね。」

「あんなやつのことなんか好きなわけないだろ!!」


沈黙が流れる。
言ってしまって、ハッとなる天使。
墓穴を掘ったと気づいても、もう遅い。


「やっぱり誰かいるんだね。」

「う……」

「別に馬鹿にしようってんじゃないよ。初めて天がそんなことになってんだ。
何があったか話してみな」

「アミ姉…」


天使は自分の気持ちは抜きにして、その日あったことだけを伝えた。


「へぇ…天の名前をね。」

(それで落とされたのかね。)

「とってもいい子だと思うよー、私は」


辰子は今の話を聞いて、天使のことを大切にするいい人の印象となったよう
だった。


「天のタイプってそういう奴だったのかい。」

「もう話したからいいだろ!」


天使は顔を真っ赤にして、そこから逃げてしまった。



Side 天使


海斗…
携帯にあるアドレス帳。
そこには新しく登録された名前。
それは“何かあったら、かけてこい”と非常用に渡されたもの。


「やっぱ、今かけたりしたらマズイよな。」


携帯を閉じる。
そして、またストラップを見て今日を思い出す。

―“天使”
そう言って馬鹿にするやつは1人残らず、潰してきた。
そんなことしてるうちに自分でもこの名前が嫌いになった。

だけど、あいつに呼ばれたとき、正直怒りは無かった。
“似合ってる”とか言われたことなんてない。
てか、あのとき“可愛い”って…

思い出したら、また顔が熱くなってきた。
初めての気持ち。
アミ姉が言って、嫌でも理解した。

今日で終わるはずだった。
楽しい時間は過ぎて、帰らなきゃならない。
そこでウチは呼び止めていた。
ゲーセンなんてそんなに来ないって言ってたし、ここでこのまま別れたら、
もう会えない気がしたから。

うぅぅ…
本当に頭ん中がぐちゃぐちゃだ。
とにかく明日。
明日また会えるんだから、頑張ろう。


Side out

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