すっかり辺りは暗くなり、街灯すらもない裏路地。
いつもは猫の鳴き声1つさえ聞こえないような静寂に包まれた場所なのだが、
今現在は違った。
「そんなに騒ぐなよ、天使」
「うわぁぁ!もうしゃべんなよ!!」
叫ぶ天使の顔は発熱しているんではないかというほど赤かった。
だが、天使はオーバーヒートし過ぎて、気にしている余裕がなかったのだ。
他に人がいるということを。
勘のいい亜巳はその様子に気づかないわけがない。
顔が赤いこともそうだが、何よりもお互いの“呼び方”。
正直なところ、天使が相手をどう呼んでいるかはそこまで問題ではなかった。
問題なのは天使が名前を呼ばれている、なおかつそこに怒りを示すような仕
草を微塵も見せないことだった。
先日の家での会話を思い出す亜巳。
頭の中でそれらの事象は完全に合致する。
「天、まさかこいつがアンタの言ってた…」
「えー、なになにー。この人がそうなのー?」
「うわぁぁぁ、何言ってんだよ、アミ姉!タツ姉!違うから、全然違うから!!
頼むから変なこと言わないでくれ!」
「何も違わないだろう?だって、名前呼ばれて嬉しがって…」
「あああぁぁ!違うんだって!そうだけど…合ってるけどちげーんだよ!!」
「ああ、分かった分かった。へぇ、天はこういう男がねぇ。」
「天ちゃん、がんばれー。お姉ちゃん応援してるから。」
「あぁぁー、もう!」
天使は亜巳のサディスティックな攻撃ならぬ口撃に、顔をますます紅潮させ
て頭を抱え込んでしまった。
辰子の場合、完全に素なのだが。
そんな天使は気にせず、亜巳は海斗に向き直る。
「つーか、アンタの顔どっかで見たような気がするねぇ…」
「あん?俺はお前のことは知らんし、初対面だと思うが?」
「ふぅん、まぁいいさ。とにかく、逃がすわけにはいかないねぇ。そいつの
失敗は私ら“板垣三姉妹”が取りかえさせてもらうよ。」
そう言って、その女は俺の顔の少し横を指してきた。
一瞬どこを指しているのかと思ったが、すぐに納得がいった。
少し顔を横にやれば、俺の左肩に白髪が眩しい女の子が顎をのっけていた。
ていうか、いつからその顔乗っけてたんだ。
そうして見てると、小雪がこちらを向いてきた。
当然そちらを向いていた俺と目が合う。
なんか、振り返ったときに良い匂いがするのは女の子だからだろうか。
「にゃっははー、カーイトっ♪」
「ちょっ…」
目が合った途端にニコーッと笑い、ぎゅうぎゅうと抱きついてくる。
非常になついてくれているペットみたいで可愛い、可愛いのだが…。
いや、もう本当に君は自分のスタイルを認識しようか。
「な、なんで、海斗はそいつとそんなにくっついてんだよ!」
いきなり天使から声が上がる。
さっきまでそこらでノックダウンしてたはずなんだが、いつの間に復活して
たんだ。
というか、なんでと言われてもな…
俺の意思ではないし、たぶんこんだけ首に腕を巻きつけられていると、振り
払っても効果ない気がするし、何より俺に実害が及ぶ。
普通の女の子ならともかく小雪の力だったら、やりかねない。
俺も死因が同年齢の女の子に絞殺されたからなんて御免だぞ。
「いや別に故意でくっついてるわけじゃなくてだな…」
「大体、背中のお前はなに海斗にベタベタしてんだよ!どーいうつもりなん
だよ、コラ!!」
「へへーん、そんなの君には関係ないよーだ。僕はカイトと一緒にいたいん
だもーん♪」
小雪はそうして、頬をすり寄せてくる。
こいつ本当に遠慮がないというか、無防備すぎる。
そっけない猫ほど一度なつくとなかなか離れないようになるというが、まさ
に今の状態がそれである。
「な!?テメェ、海斗から離れやがれ!!」
「なんでなんで〜?海斗にくっつくのは僕の勝手じゃん、ね〜海斗?」
「いや、そこで俺にふられても困るんだが…」
そこへヒュッと空を切る音が耳に届いた。
咄嗟に動いた俺のいた場所の地面は割れていて、そこに叩きつけられている
鈍器のようなもの……これはゴルフクラブか?
それを振るっているのは勿論目の前にいる天使。
というか地面を割るほどの破壊力って凄まじいな。
あのか細い腕のどこにそんな力がつまっているっていうんだ。
そういや…
“ウチはつぇーから大丈夫だ”
あれは誇張でも強がりでも何でもなかったようだな。
そりゃ日常生活の中だったら、十分な威力を持った凶器になりうるが、武器
というカテゴリの中では扱いづらいし、それほど強いわけではない。
だが、天使はその特異な武器を完全に使いこなしていた。
ゴルフクラブは手になじみ、まるで強靭な腕となり、少女の力の無さという
不利をカバーしているかのようだった。
「いや、なんで俺を攻撃するんだよ!」
「海斗がその女と一緒にいるからだろ!」
ヒュンヒュン
天使は攻撃の手を緩めることはない。
むしろ、その攻撃は勢いを増していた。
ゴルフクラブの軌道が縦横無尽に襲い掛かってくる。
俺は小雪を背負ったまま、ひたすらに避ける。
「なんで俺が小雪と一緒だと駄目なんだって……おわっ」
「そ、それは……うっせー!!とにかくムカつくんだよ!!」
「いや意味わからんし……うぉっと」
「うっはーー、揺れる揺れる〜」
そんな攻防が繰り返される中、
「天、目的を忘れてないかい…」
亜巳は呆れて、そう呟くしかなかった。
そして、派遣されてきた板垣三姉妹のもう1人である辰子はというと…
「Zzz……」
立ったまま寝ていたのだった。