小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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〜 参 〜


 この学校に来てから一週間が経過した。


「……今日も出席っと」

 そう呟きつつ俺は指を玄関のタッチパネルに押し付ける。
 指紋の照合は一秒もかからずに行われ、パネルには『佐藤 和人 出席』という文字が浮かび上がり、オートロックの玄関が開く。

「……ったく。無駄に最新鋭なんだからな」

 ほとんど音も立てずに開いた玄関を眺めながら、思わず呟く俺。
 今日で通うのも六回目になるが、どう考えてもオートロックのドアとか指紋照合なんて高校生に必要な施設じゃないよな?
 完全バリアフリーだし、エレベーターやエアコンまで完備されている。
 ついでに言えば……ここ数日の内に知ったんだが、全自動の監視カメラとか赤外線の警備網まであるらしい。
 校舎の周囲は偏光ガラスで覆い尽くされ、青とも藍とも言えない光沢を放っている。
 しかもそれが綺麗で、流石は最新鋭校舎といった雰囲気だ。

「スパイ防止のため、途中退学は許されない、かぁ」

 俺は学園主任様によるありがたいお触れを思い出しながら、思いっきりテンション低く学校を見上げていた。
 しかし、この機密保持の厳重さは……まるで、どこかの宇宙人捕獲施設の有様である。どっかに黒い服の人たち、いるんじゃないか?

「……流石は軍事機密」

 携帯電話まで禁止しているその徹底振りはある意味凄い。
 凄いんだが、自室のTV兼パソコンがネットに繋がっていて、某掲示板とか書き込みしたい放題なんだが、本当に機密を守る気、あるのだろうか?
 勿論、それには理由があって、高校生活三年間も外出禁止だとストレスも貯まる。
 何か娯楽が必要ということになり、今年になって急遽ネット環境を各部屋に整備したんだとか。
 ちなみに、通販で「夢の島高等学校私書箱」宛てに色々買えるらしい。十八歳未満禁止な品は禁止されるっぽいけど。
 実験と称して扇羽子がアダルトグッズを購入していたから知っている。そして、翌日に職員室送りになったことも。
 ここ数日で分かったのだが、あの三人組、頭の回転が非常に悪い。思いつきで行動するから、基本的に痛い目を見ることになるのだ。

「っと。それどころじゃないな」

 ぼうっと突っ立っている場合じゃない。
 ただでさえ初日から遅刻魔の烙印を押されているのだ。あまり繰り返すと補習を喰らいかねない。
 途中退学が許されない以上、平穏無事に過ごすのが最善手に決まっているし。
 そう思って校舎内に入ろうとした時だ。

「あ、和人、コレ、お願い!」

 そんな声が頭上から。同時に舞い降りてくる学生証。
 降ってきた学生証を受け取ってタッチパネルにかざしながら、彼女の暗証番号「8823」と入れてやる。

 ──コレでハヤブサと読むらしい。何処の名探偵ゲームやねん。

 ちなみに俺は学生証なんて持ち歩かないから暗証番号は初期設定のままだ。変え方も知らない。ついでに言えば番号も知らない。指紋照合で済ましている。

「いい加減、寮から直接校舎に入るな! 中空亜由美!」

 彼女の学生証を放り上げながら頭上に向かって叫ぶ俺。
 ちゃんと出席にしてやる辺り、俺ってバファリン並に無駄に優しさ成分を使っているなとか思いつつ。

「え〜。だってこっちのが近いし……」

 と言うのが、亜由美という少女の返事だった。
 確かに寮で靴を履いて出て、学校の玄関を開き靴を履き替え階段を登って教室に入るという手間とかを考えると、直線で寮から教室に入った方が早いのだろう。
 それは分かる。
 分かるのだが、地べたを歩くしか出来ない人間としては抗議したい訳だ。
 学生証の認証が俺任せなのだって、降りてまた上がるのが面倒だかららしいし。
 亜由美にとっては空間的な高低差って階段っぽいイメージみたいだな。
 それは兎も角……空を見上げた俺の視界にはアングル的に、スカートと素足と……

「だからっ! 下着、見えてるって!」

「あはは。和人、エッチだぞ〜」

 俺としては最大限のマナーを説いたつもりの言葉は、亜由美の笑顔にかき消された。ちなみに今日の色は白。布地の面積が広くって飾りっ気のないタイプ。
 実際、彼女の下着が目に入る度に、注意しているのだが……何処吹く風ってヤツである。あんまり回数が多いので、狙ってるのかと疑ってしまいたくなる遭遇率だ。
 尤も、お互いに遅刻寸前まで寮で粘っているのだから、遭遇率が上がるのは当然なのだが……注意しても、亜由美はこうやって笑うだけで改善する気配がない。
 亜由美曰く「男兄弟の中で育ったから」とかで、彼女は男女の境や羞恥心とかに無関心みたいなのだ。
 ま、亜由美みたいな体格の少女のパンツが見えたところで、所詮は布切れ。それほど気合を入れるものでもない。

 ──ダブルAなんかに興味ないし。

 さっさと目を逸らし、校舎に入る俺。

「さて、今日は……」

 下駄箱を開ける。今日もラブレターが入っているかを確認すべく、下駄箱を開く。
 いや、ラブレターなんて入っていたのは生涯一度きりだったんだけどさ。それでも一度はあったんだから二度目を期待しちゃうのが男の性という訳で。
 と言うか、最近はラブレターの格好をした「放課後、訓練に付き合ってくれ」という『俺予約票』が入っていることが多い。
 最初の頃は手紙が入っているだけで一喜一憂したものだが、最近は慣れてきた。ほら、今日は三通も入っている。

「今日も羽子、雫、レキの三人ね」

 予約表に書いてある名前を見て、俺はついため息を吐いていた。
 何度か対戦を繰り返し、そしてこの一週間彼女たちと話してみて分かったのだが、あの三人は本気で頭が悪い。
 ……成績がどうのこうのというより、自らの能力に対して工夫をしようとしないのだ。
 俺なんかは折角の超能力なんだから、使わなきゃ損だと思っているんだが。
 尤も、俺自身に超能力が芽生える気配は全くないんだけど。

「……また、ラブレター?」

「あほか」

 背後から奈々の声。彼女のストーキング能力にはもう慣れた。
 人の背後に知られずに立つのが趣味みたいなのだ。
 驚く心の声を聞くのが楽しいのだとか。

 ──迷惑極まりない。

 と言うか、最近は俺の視界に入るのを拒んでいる節があり、常に俺の近くに居る癖に、あのたわわに育ったおっぱい様を拝ませてくれない。
 そんな訳で授業中に出来る限り堪能しているので……テストが心配になってきている。
 ちなみに、『俺予約票』を思いついたのは奈々である。白紙の予約票を一枚五十円で販売して、結構儲けている。
 それでチョコレートを買い込みまくっているのだ、このわがままに突き出たおっぱい様は……あ、一応校内には売店ってのがあって、そこで菓子類とかも売っているらしい。
 ちなみに、『俺予約票』の有料横流しを非難しようとしたら……

「……超能力はお腹が空く。栄養補給しないとすぐ痩せる」

 と、胸を突き出して(俺主観)仰せられたのだ。
 あの素晴らしき絶景がなくなることに耐えられる訳もなく、あっさりと抗議を打ち切った俺だったのだが……

「……それより、時間」

 おっと。奈々の言葉で我に返る俺。
 背後に精神感応能力者がついて来ている気配を感じつつ、赤い絨毯の上を軽く走る。
 相変わらずグリップ、抵抗、ともに素晴らしい絨毯だ。
 いつも通り静まり返っている一組を通り過ぎて二組に入る。
 そこには既に俺たち以外は揃っていた。
 既に教科書を広げている委員長。机の上に座り込んでパンツを見せているとしか思えないアホ三人組。俺たちに向かって手を振ってるのは亜由美のヤツで、お辞儀をしているのが奈美ちゃんだ。
 ついでに言えば、リボンを動かして遊んでいるのが由布結という少女。数奇屋奈々を除けば、この教室唯一のCだ。
 印象としては……肉が少し多め。
 勿論、彼女はバストサイズと比例した体型なだけで、奈々様が規格外のスタイルをなされているだけなのだけど。
 あと、由布結の前で彼女のリボン操作を眺めている少々おでこが広い、背の低い全身未発達なダブルAの少女は、吉良光という名前だった。
 聞けば、光を操る能力者らしい。
 由布結のリボンの動きに連動するように手のひらをパチンコ屋の看板の如く、迷惑なまでに明るく光らせていた。
 ……ちなみにおでこが光っているのは能力とは関係ないらしい。
 そして、クラスメイト最後の一人である稲本雷香に至っては教室の隅にあるLANケーブルに向かったまま身動き一つしない。
 ……彼女だけはこの一週間経っても何のコミュニケーションも取れないままで、何を考えているのかさっぱり分からない相手だった。
 ちなみにBとAの中間くらい。

「はい、みなさん、席に着いて」

 今日もマネキン教師が入ってきて出席を取る。勿論、全員出席だ。辞めたい辞めたいって内心叫び続けている俺でさえ、二日目を除けばここまで皆勤賞。
 しかし、この光景に慣れてきた自分が怖い気がする。
 ……どう考えても、これ、まともな光景じゃないよな?
 そんな一般的な思考も、マネキン教師によって開始された物理の授業を前にして吹っ飛ぶんだが。

 ──誰だよ、運動の法則なんて訳の分からない戯言を考えついた馬鹿は!



 勉学の時間というのは偉大である。
 何しろ、たったの一週間で……超能力の使えない俺をもってして、この「超能力」の授業を待ち遠しく思わせるのだから。
 他の授業があまりにも面白くないってのがその要因なのだが。
 ちなみに「相対的に」じゃなくて楽しくさせてくれる原因は、今現在、俺の目の前で跳ねている。

「……こっち、見るな」

 息も絶え絶えで弾んでいるおっぱい様を拝みながら、俺はその至近距離を逆向きで走っている。
 ちなみに奈美ちゃんはその少しだけ後方。
 ヨタヨタと妙に不器用に……そんな走り方は余計に疲れるんじゃないかな?
 授業中でもその杖を手放そうとしないし。

「なんで、私達が、こんな……」

「……こんな、無意味なっ」

 奈美ちゃんもおっぱい様も、二人ともこの授業には懐疑的だ。
 何しろESP能力者ってことでランニングばかりやらされている挙句、二人とも運動が苦手なのだ。
 嫌うのも当然かもしれない。
 だけど、俺はこの授業が好きでたまらない。
 このたわみ弾み踊る絶景から一秒たりとも目を離さないために、こうやって後ろ走りをしながら体育館の床に描かれたトラックを走っているのだから。

「器用な、もの、ですね」

 奈美ちゃんが俺の走り方をそんな風に褒める。
 実際、ちょっとだけ難しい上に、トラックの形を覚えていないと壁に後頭部を殴られてしまう。

「ま、女子の速度に合わせてるからね。ちょっとハンデハンデ」

 と、一応言い訳してみる。

「……何が、ハンデ、よ」

 弾むおっぱい様は俺の走り方がお気に召さない御様子。実際、内心の奥まで知られている訳だから、気に入る訳もないってのは理解できる。
 けど体力的な問題で、その弾む二つの宝玉を隠す余裕もないのも事実のようだ。だからこそ、俺はこの授業が大好きになってるのだが。
 ……走る疲労?
 そんなもの、この絶景の前には塵芥に等しい。
 気分的には……雪山の頂上から絶景を見るために、とんでもなく険しい山を重装備で登る登山者みたいな感じである。
 何故そんな苦労してまで登るのか。

 ──それはそこに山があるからだ。

「……ばか」

 あ、偉大なる二つの名峰の土地所有者様から馬鹿にされてしまった。
 ま、周囲の女子からしてみればこの走り方は、俺が体力を自慢しているように思えたらしく……ここ数日、クラスメート達が次々と俺に喧嘩を売ってきたのである。
 勿論、全勝。
 ……どころか、コレがかかった俺の恐ろしさを思い知らせ過ぎたようで、もう超能力の授業中は誰も喧嘩売ってこない。
 尤も……クラスメート達に言わせれば、授業中の俺は手加減しないから危険ってことになってるらしいのだが。
 俺はあくまで至高の宝玉鑑賞の邪魔をするヤツには手加減出来てないだけなんだけど、それを正直に言うのは流石に愚行だろう。
 ついでに言えば、Bサイズの委員長が俺の態度を「授業を真面目に受けている」という風に捉えてくれているのはありがたい。
 彼女が本気で怒ってきたら、俺如きでは抵抗も出来ないからな。
 っと。いや、一人だけ懲りずに授業中に喧嘩を売ってくるヤツがいた。

「っ! あぶねっ!」

「ちぃ! 惜しい!」

 中空亜由美だ。相変わらず空中殺法が冴えている。
 と言うか、段々錬度が上がってきている。そろそろ回避するのもきつくなってきた。
 ……どうせなら後頭部を蹴ってくれないかな? そうすれば事故ってことで、あの桃源郷に顔を押し込むことが出来るのだが。

「どこ見てるんだよ!」

 と。絶景に目を向けている場合じゃない。決闘中に余所見をするという態度は、挑んできた亜由美を怒らせる必要十分条件だったらしい。
 空中に浮かんだままの亜由美が放ったサマーソルトを、のけぞることで回避する俺。
 次の足払いは臑でガード。
 硬い男の臑を蹴ったことで、僅かに怯んだ亜由美の足を、俺は手に取って……そのまま巻き込むことで、床に転がす。

「いだだだだだだだだだだ!」

 そして、取った足を絡めて四つの字固め。最近、亜由美のお陰でプロレス技への造詣が深くなってきている。
 亜由美のヤツ、人の部屋にプロレス技の解説本とか忘れていくからな〜。そのツケ全てが自分に返ってきていると、理解しているのかいないのか。

「ギブっ! ギブっ! いたたたたた!」

「……ったく」

 あっさりと数秒で負けを認める亜由美。ま、俺も楽しみを邪魔された恨みから、ちと強めに技かけていたし。流石に折りゃしないが。

「くそぅ、この脚フェチのSめ!」

「はっはっは。酷い言いがかりだ」

 亜由美の言いがかりも何処吹く風で笑い飛ばす俺。
 実際、Sってのは兎も角、脚フェチってのは言いがかり以外の何でもない。
 大体、足を決められるのは、亜由美の攻撃パターンが足技に特化しているのが悪いだけだ。確かに体重差考えたら、手技で俺にダメージ与えられるとは思ないから仕方ないかもしれないが……それでもワンパターンな攻撃しか来ないのならばガードするのもキャッチするのも容易になる。

「くっ! もう一本っ!」

 亜由美は全く懲りずにその場で跳ね上がると、また俺の方へ突進してきた。

「二本目は……」

「分かってる! 昼飯の一品っ!」

 決闘に賭けを設定したのは三日前。
 クラス中が挑んでくるので決闘が面倒くさいと委員長に直訴したら、一年二組内にて決闘の敗北者はバツゲームというルールが出来たのである。
 尤も、超能力の授業中にやらかす決闘は教師が推奨しているみたいだから、二本目以降というルールが出来たのだが。
 そうして、バツゲームという何をされるか分からない恐怖に脅え、俺の決闘回数は極端に減ったのだけど……亜由美だけは懲りなかった。
 パンツ丸見えの姿で毎日登校しているようなヤツには、他のクラスメート達が脅えているらしい羞恥系のバツゲームも効果がなさそうだし。
 そういう訳で、亜由美とは特別に昼飯一品を恒久ルールとする条約を結んである。
 んで、親切な俺はその内容を確認してやった訳だが。
 ……流石の亜由美もまだ忘れていない。昨日・一昨日・その前と連続でギョーザ・ラーメン・チャーハンと頂いた訳だし。しかし、亜由美もC定食、好きだよな〜。

「今度こそ!」

 吼える亜由美。わずか一週間なのに、もう名物になっているようで……二組の全員が既に観客モードだ。
 疲れ切っていたっぽい奈美ちゃんは早々に座り込んでいるし、そこから少し離れたところには体育座りの所為で、太股に形を歪められる、遠くから見てもソレに触れたときの柔らかな感動を感じられそうな、素晴らしきおっぱい様も。

「余所見っ! するなよっ!」

 俺の視線の先にあったものが気に入らない様子で、亜由美が飛び込んでくる。
 とび蹴り! と思ったら、フォークボールみたく落ち込んで、そこからサマーソルトに移行するという、無茶苦茶なアクロバットだ。

「おっと」

 だけど、慣れたらそれほど脅威ではない。大体、亜由美の体重が軽いから蹴り技もそれほど脅威には感じないし。
 けど、彼女が軽いのには理由があって、彼女の能力……空中歩行は凄まじいカロリーを喰うらしい。
その上、亜由美はこうやって身体を動かしまくる。勿論、食事量もかなりのものだが、それでも身体が追いつかないらしい。
 ……お陰で貧弱きわまりない身体つきと化しているみたいで、超能力と言っても一長一短でしかないなと感じさせられてしまった。

「次っ!」

 あっさりサマーソルトを避わした俺に、追撃のハイキックが迫る。

「よっ」

 だけど、その脚をガードと同時にキャッチ。
 足首を極めて抵抗を奪いつつ、軸足目掛けて足払い。身体ごと床に押し倒して、ついでに脚関節を極めてやる。
 ……またしても四つの字固め。
 他の技は知らない。
 つーか、足技を主体に戦う亜由美相手だと、この技が一番怪我をさせることもなくギブアップが取りやすいんだよな。

「いだだだだだだだだ! ギブっギブっ!」

 叫ぶ亜由美。それが今日の勝負の終わりを告げる叫びだった。
 報酬は杏仁豆腐。悪くない戦果である。
 ……そんなこんなで、辞めてやるって叫んでいる内心とは裏腹に、何とか俺はこの学校で一週間もの日々を過ごしていたのである。

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