小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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 この『夢の島高等学校』では、放課後の体育館は開放されていた。
 それもこれも、超能力の実技のためという名目だ。
 超能力というのは腕や脚と似た感じで、使えば使うほど鍛えられていくらしいので、そのためだとか。
 勿論、使えば使うほどと言っても、筋力みたいに鍛えてもこれ以上増強しないピークもあるらしいのだが、その辺は統計が取れてないので明確な数値がないとのこと。
 授業でマネキンの教師に教わった内容。テストに出すとか聞いたけど、まだ分かってないことを教えてどうするんだか。
 そして、俺は今、その解放されている体育館にいた。制服のままで。
 俺の前にはあと三人。彼女達も着替えもせず制服姿のままだ。

「今日こそ、師匠を超えてみせるわ!」

 恥ずかしげもなくそう叫んだのは、扇羽子。
 一枚五〇円の俺予約票を手に持っていた。
 恐らく、奈々から買い取ったのだろう……まぁ、原価は俺の放課後の時間と一枚何円以下のルールリーフの八分の一だけだから、口上手く買わされたというべきか。
 残った二人……雨野雫と石井レキも彼女と同じようにルーズリーフの切れ端に手書きで描かれた雑なチケットを手に持ち、鼻息荒く俺との戦いを待ち望んでいるようだった。

 ──しかし、師匠扱いするのは止してくれ。
 俺は超能力者じゃなく、ただの一般人なんだからさ。

「えっと。決闘する場合……」

「分かっています、罰ゲームですわね」

 頷く雫。
 そんな彼女の手の中には……デジカメ? 学校の通信販売で買ったのかな?

「これのデータ、くれてやる」

 石井レキがそう言って、少しだけ頬を赤らめる。
 ……一体、何のデータが入っているんだ?

「師匠が足フェチっちゅー情報が入ったかんな!」

「私達の生足が下着チラリくらいまでデータとして揃ってありますわ!」

「これで文句ない、筈」

 と三人組が揃って顔を赤くして叫ぶ。レキだけは呟くくらいの声量だけど。

 ──しかし、それ、デマやがな。

 多分、亜由美のヤツをギブアップさせるのに足関節ばかり決めていた所為で誤解されたのだろうけど。
 かといってここでソレを指摘するほど俺も甘くない。

 ──しかし、恥じらいもろく知らないようなこの三人組が赤くなるような写真、どうやって撮ったんだろう? 

 ……っと。そんな事を考えていたら、三人とも体勢を整えたらしい。
 と言っても、スカートの下に体操服の短パン穿いただけだけど。
 つーか、お前ら、更衣室まで行くのが面倒だからって、幾らなんでも俺の目の前で穿くなよ。

「まず、私からや!」

 そう叫んだのは扇羽子。彼女はいきなり腰を落とすと……

「せいっ!」

 下手くそなフォームで正拳突きをしてきた。
 ただし、距離は三メートル以上離れている。

「っ?」

 だけど、その瞬間、俺の背筋を何かが走る。
 殺気を感じたと言うか、ただの勘と言うか。
 その予感に従い、俺は咄嗟にガードを固める。
 次の瞬間、俺の両腕に凄まじい衝撃が走り、ガードがあっさり破られる。

「へへっ。師匠の言う『威力の集中』してみたわ! どや?」

 その羽子の言葉に、俺は素直に驚いていた。
 確かに三日くらい前に蹴散らした時、せっかく五〇円も出してくれたんだからとアドバイスっぽくそんなこと言ったけど。
 扇風機がドラえもんの空気銃くらいの威力になってやがる。
 ……だけど。

「次、行くで!」

「……まだ、甘い」

 俺は呟きつつ、首を傾けるだけで避ける。
 素人空手の真似事だから、モーション見え見えだしな。
 軌道も一直線で読みやすいことこの上ない。

「当たれっ! 当たれって!」

 叫びながら同じ攻撃を繰り返す羽子に近づき、彼女の逃げようとする動作を利用して軽めに投げる。

「ぽにょっ!」

 床に叩きつけられた羽子は、どこかの崖の上の海生生物の名前みたいな音を出した。

「こういう時、風を使ってダメージ緩和くらい出来るようになれよな」

「りょ、了解」

 投げられたダメージで動けなくなったまま、軍人みたいな腕の動きをする羽子。
 頭の横に手を持ってくるアレな。敬礼ってんだっけ?

「次は私ですわね」

 そう言って優雅に微笑むのは、雨野雫。
 確か前回……彼女には命中精度を上げろと言ったんだけど。

「いきますわ!」

 そう言って突き出した雫の右手のひらにドンドン膨らんでいく水の塊。

 ──もしかして、でかけりゃ当たるって話か?

 とは言え、それにしても溜めが長すぎる。
 俺はその膨らんでいく水の塊を眺めていた。そうして一分くらい経った時だった。
 水の塊がようやくこちら目掛けて飛んできた!

「おっと」

 大きくても速度が遅い。あっさりと俺は射線上から身体をずらし、水弾を避わす。
 無駄に濡れるのも馬鹿馬鹿しいし。
 ……そう思っていたが、どうやら飛沫が少しばかりかかったようだ。

「うわっちゃ!」

 そこで初めて分かったんだが、この水、熱い!
 まるで……というか、お湯だ。
 五十℃くらいか? ちと熱めの風呂って温度。

 ──これは、当たるとちと熱いぞ。

 俺は気合を入れ直すと、腰を落として回避重視の構えを取る。
 野球の内野手みたいな構えである。
 左右どちらへも反応できる、古武術ではなく現代スポーツの姿勢だった。

「っと?」

 腰を低く構えたのは良いものの、待てど暮らせど次弾が来ない。
 ふと疑問に思った俺の前では、肩で息をしている雫の姿があった。
 授業でマラソンを終えた直後の女子みたく、大げさなほど疲れ切った様子で。

「きょ、今日はこのくらいにしてあげますわ!」

 それでも、精一杯虚勢張ってるし。
 俺はため息を一つ吐くと、脅えている雫にゆっくりと近づき……

「みにゃ!」

 軽く投げてやる。
 少しは痛い思いして貰わないと、熱い思いをした俺の気が済まない。

「温度変えられるなら、冷たくして凍らせたらどうだ? 威力はそっちのがあるぞ?」

 返事はない。
 軽い投げを喰らっただけなのに目を回してやがる。
 雰囲気、お嬢様っぽい分、実は衝撃に弱いのだろうか?

「次は、私」

 仲間が次々とやられていったというのに、顔色を変えずに向かってきた石井レキ。

 ──さて、彼女は何をやらかすかな?

 彼女たちの成長を、ちょっとだけ期待しながら待つ俺。
 それに、彼女たち三人馬鹿の中でも、特にレキの能力が一番殺傷力は高かったし、上手く工夫されているなら、ちょいと気合を入れないとダメかもしれない。
 ちなみに、彼女に対して先日忠告したのは、確か……速度アップと命中アップを目指せというものだった。
 確かに両立は難しいが、上手く言えば人を殺せるレベルになり得る。
 プロ野球投手が全力で放り投げた拳大の石なんて、直撃したら常人は簡単に死ねるレベルだし。

「行く!」

 そう言ってレキは左右の手を突き出し、同時に石ころが二つ飛んでくる!
 それでもあんまり早くない。あっさりと避ける俺。

「これで、終わりか?」

「……まだ」

 拍子抜けした俺の前で、左右の手を握るレキ。その動きに釣られるように……

「っと!」

 石ころが曲がってきた! 弧を描くようにして、右から左から飛んでくる飛んでくる。
 ……だけど、遅い。

「よっ! はっ!」

 軌道を見切って掴む。右、左と。おっと、まだ動かせるのか。手の中で小鳥を捕まえたように逃げようともがきやがる。
 だけど、俺の握力以上じゃない。すぐに大人しくなった。

「……優しくして」

 二つの投石を受け止められたことで、もう観念したのだろう。
 レキは、両手を上げながら観念した表情でそう呟く。

「あほ」

 俺はそれだけ呟くと、両手の石ころを手から離し……言葉どおりちょっと優しめに床に放り投げてやった。

「もっと速度がないと、威力も命中も期待できんぞ?」

「……分かった」

 俺の忠告にそう応えるレキ。
 これで三人とも撃破したから、後は帰るだけ……
 そう思って何となく戦利品のデジカメのSDカードを手にした俺が踵を返した時だった。

「はっはっは。その程度か、二組の連中は!」

 そんな笑い声。この学校では珍しい男の声だ。ちと、子供っぽい声だけど。
 振り返った先には、一人の少年が。
 身長は俺の鼻くらい?
 男子とは思えないほど、非常に小柄で女顔をした、美少年と言っても過言ではない顔立ちの少年である。
 と言うか、むしろ男子であることを疑うレベルだった。
 ただ、制服が男子用だから、彼が俺以外のもう一人の男子なんだろう。
 風呂や便所では見かけなかったし、外見からは女の子と見分けられないものだから、一週間の寮生活でもこんなヤツなんて知らなかったんだが。

「所詮は、役立たずの二組ってことか?」

 そう言って笑っている。
 が、その小柄な体格に女顔も相まって、小学生低学年くらいのお子様が一生懸命威張っているようで、腹が立ちもしない。

「そういうんだったら、うちの委員長に喧嘩売ってみろよ」

 ……相手するのも疲れそうだな。
 直感的に相手したくもないタイプだと判断した俺は、リスクを回避するためにそう言ってやる。

「ふん。侮辱に怒りもせず女に縋るか、所詮はゼロ能力者だな!」

 俺の言葉を軟弱と取ったのだろう。
 少年は偉そうに吼える。
 だけど、やっぱり外見が外見で、小型のスピッツに吼えられている程度の感覚しかない。

「ふん。ま、良い。二組の委員長の能力、明日拝見させてもらおう」

 何故に時代劇っぽい語り方かな、こいつ。
 しかも、言うだけ言って帰って行くし……ま、どうでも良いけど。
 俺は頭を切り替えると、倒れたままの三人を放置して体育館を出る。
 寮に帰って風呂に入れば、晩飯が待っているのだ。



「あ〜そりゃ、鶴来君だね」

 夕食後。
 俺の部屋に来た亜由美に体育館の話をしてみると、すぐに答えを出してきた。
 人懐っこいコイツは、一組の方にもちょくちょく顔を出しているから、情報通なのである。
 その能力値の高さから、向こうの超能力の時間に出席したこともあるらしいし。
 ちなみに、彼女が俺の部屋を訪れるのは、格ゲーの対戦相手が欲しいからだ。
 周りが女子ばっかりだから、男兄弟の中で育った亜由美には遊び相手がいないのだとか。
 部屋も俺の直下だから、空中を歩ける亜由美には立地的にもここは居心地良いらしい。
 ……って、その辺りの事情は分かるんだが……Tシャツのみの格好で男の部屋、来るなよ。

 ──ダブルAじゃなきゃ、襲ってるぞ?

 二人して床に座り込んでゲームやってる上に、コイツは胡坐かいているからパンツ丸見えだし。
 ちなみに、今日はスポーティな感じの、縁取りの黒い薄いグレーのヤツ。
 ただ、パンツが見えても全く欠片も色気を感じないのは、やはり亜由美のヤツはダブルAでしかも今後の発育も期待できそうにないから、だろう。

「つるぎ?」

「うん、鶴来舞斗。一組のホープらしいよ? 一年生で最強とか言われている」

 そんなヤツがどうして二組に来るのやら。
 疑問に思った俺は、この会話が続いている内に聞いてみることにした。

「多分、一年生で最強を決めたいんじゃないかな?」

 んな少年漫画なノリ……と、俺は笑い飛ばそうとして、黙る。
 目の前にその典型がいるし、戦闘力に特化した能力者の場合、その能力に依存して戦いを好むヤツがいるのは普通のことだろう。
 武術の世界にも、礼儀を学び忘れて戦闘力に特化したヤツは、社会的価値よりも強さばかりを求めるような社会不適合者が出るらしいので、超能力で似たようなヤツが出てもおかしくはない。
 丁度、目の前でKOを決めた俺のキャラが「何処かに強いヤツはいないのか!」ってな勝ち名乗りを上げている。
 う〜ん。
 紹介はしたんだけど……そんなヤツだったら、委員長の能力で一方的に蹴散らされても、満足してくれないかな?

「くそ〜! もう一回!」

 俺の思考は、亜由美の再挑戦にかき消された。
 ……気合入れないと、コイツは強いんだよな、意外と。



 次の日。またしても遅刻ギリギリで教室に行った俺を出迎えてくれたのは、妙に静まり返った教室だった。

「挑戦、ですか?」

 あ、昨日の少年、来てやがるし。
 鶴来舞斗だっけ?
 委員長に本当に喧嘩を売ってやがる。
 身の程知らずもいいところで、俺はその正面の行く末を案じ、静かに心の中で手を合わせ、南無阿弥陀仏と唱えてみた。

「あの、バツゲームはどうしますか?」

「……バツゲームだと?」

 首を傾げる舞斗。そりゃそうだ。アレはこの教室ルールだし。

「うちのクラスでは、勝った人間は負けた人間にバツゲームを課すことが出来るシステムなんです」

 奈美ちゃんは外敵に対しても親切な女の子だった。
 他のクラスから喧嘩を売ってきたヤツにまでこうして丁寧に説明してあげている。
 正直、その気立ての良さは本当に嫁にもらいたいくらいである。
 ……バストサイズさえああでなければ。

「へっ! 必要ないな! どうせ俺が勝つに決まっているからな!」

 おお。吼える吼える。その様子を見た委員長は、少しだけ暗く笑って……

「なら、今日一日、女装して貰います」

 と、のたまった。

「へっ。なら俺が勝てば、あんたには男装してもらおうか!」

 おお。言う言う。
 自分が負けるとは思ってないもんだから、全然バツゲームになってない内容である。
 ……もしかしたらコイツ、良いヤツかもしれない。
 俺だったら彼女のブラを貰うくらい……いや、やっぱりB程度じゃあまり欲しいとは思わないか。

「では、勝負は?」

「勿論、いますぐだ!」

 舞斗はそう叫ぶと、左右の手のひらを中空に突き出し……

「目がぁ! 目がぁあああああああああ!」

 何かをする前に天空の城の王になられた。

 ──だから言ったのに。彼女には勝てないって。

 俺は思わず憐れな少年に哀悼の祈りを向けていた。
 突然の闖入者は二組の生徒全員が見守る中、顔を押さえて暫くの間のた打ち回っていた。
 机や椅子をなぎ倒し、女顔の美少年が顔を押さえて床で暴れまわる。
 ……しかし、かなりシュールな光景だよな、これ。

「お、お、覚えてろよ!」

 激痛がようやく治まったのだろう。
 舞斗少年はようやく立ち上がったと思うと、そう捨て台詞を残し、泣きながら出て行ってしまった。
 悔しくて泣いているのか、眼球の水分が足りなくなったために自動的に涙が出ているのか、その区別はちょっとつかないんだけど。

「……あ、バツゲームは?」

 委員長がポツリと漏らしたその一言に、俺はゾッとする。
 あそこまで徹底的に叩きのめしておいて、まだトドメを刺そうというらしい。
 焼けた鉄板の上で裸足の子供を躍らすくらい、残虐非道な性格をしているのか、彼女は。

「……違う、彼女の趣味」

 と、俺の背後で戦いを見守っていたおっぱい様がそう呟く。

「……趣味?」

「……うん。BL系。しかもショタ。美少年を泣きながら女装させるのがツボ」

 精神感応者の口から、恐らくは委員長にとってトップシークレット級の情報漏えいを聞かされ、俺は思わず絶句していた。

 ──そっちは分からん。と言うか、分かりたくもない。

 つーか、委員長、真面目な外見と態度に似合わず、意外にディープな趣味をしているようだった。
 俺も自覚はないが、人様からはちょっと変な目で見られることが多く、あまり他人の趣味をどうこう言うつもりはないが。
 ……が、彼女の趣味まで深いとちょっと理解できない。

「あら、どうましたか? 授業、始めますよ?」

 結局。そう言ってマネキンが教室に入ってきたところで、その話は打ち切られ。
 俺はそれから始まった難解な物理の授業と、隣の机の上でたわみ歪み弾む二つの乳房を見守るのに夢中になってしまい、その日の放課後まで鶴来舞斗なる人物の存在はすっかり忘れていたのだが。

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