小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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 闖入者の訪れと共に、部屋には微妙な空気が漂っていた。
 確かに、亜由美は毎日のように窓から飛び込んできている。
 しかもこの格好……Tシャツ一枚で相変わらず床に直接胡坐をかくから、今日のパンツは水色ってすぐに分かる格好で……だ。
 だけど、流石の亜由美も部屋にこの素晴らしいおっぱい様が顕現なされているとは思ってなかったらしく、サイズでは全く敵わないダブルAの少女はその圧倒的な存在感に恐縮してしまっているようだ。
 そう。
 フリーザ最終形態を見て戦意を失ってしまったサイヤ人の王子の如く、だ。
 しかし、他の理由なんて考えられない。
 そもそもこの二人は顔見知りでありクラスメートであり、毎日のように顔を合わせているのだ。
 ……なのに普段とは空気が違う。
 いつもと違う点と言えば二人とも私服である点だろう。
 つまり、私服であるが故に、亜由美はTシャツ一枚という無防備且つ自分の実力を飾れない状況で、いつもの制服よりも遥かに質感を感じ取れる、このトレーナー越しの二つの膨らみを直視してしまったのだ。
 ……それは女性として心が折れる状況だろう。
 王の禍々しいオーラを、絶を使った状態でモロに感じ取ったようなものだ。
 亜由美の髪の毛が抜けないのが不思議なくらいである。

「……はぁ」
 俺の推測に、何故か奈々はため息を吐く。

 ──もしかして……俺の推測は間違っていたのか?

 とすると……亜由美の感覚的には「兄貴の部屋に飛び込んだら、兄貴が彼女を連れ込んでいて非常に気まずい」ってな感じかもしれなかった。
 確かに俺も、あの従姉妹の彼氏とかに鉢合わせしたら気まずくて逃げたくなるだろうし。
 生憎と、あの三人の従姉妹に、一度たりとも男の気配すら感じたことがないのだが。
 一番上はそろそろ二十歳を超えそうで……あの一家、血を存続出来るのだろうか?

「……中空さんは、どうしてこの部屋に?」

 先にこの気まずい空気を打破するべく口火を切ったのはおっぱい様だった。
 流石、バストサイズは人間の器の大きさと比例している、その証拠のような方だ。

「えっと。ほら、教室の雰囲気が、ちょっと、ね」

 亜由美は途切れ途切れに答える。
 ……う〜ん、珍しく歯切れが悪いな。

 ──しかし、おっぱい様。貴女は他人の思考が読めるんだから、別に尋ねなくても良いのではないでしょうか?

 と、俺の疑問に、軽く首を振るおっぱい様。
 首の動きに連動して、微かに揺れ弾む二重惑星。

 ──うん。こういうささやかな動きも芸術性が高い。

 って、もしかして精神感応能力のことを内緒にしているのかもしれない。
 確かに、今までクラス唯一の男である俺の行状と能力ばかりが話題に上っていて、おっぱい様の超能力が話題になったことがない。
 ……というか、教室の雰囲気って?
 俺の視線に気付いたのか、亜由美が口を開く。

「全員じゃないんだけどね。ほら、和人が暴れたじゃない。

 その時に、超能力は卑怯者が使うモノ、みたいなことを叫んでいたから」
 ……俺、そんなこと叫んだか? 
 俺の視線に頷くおっぱい様。
 そう言えば、頭に血が上った勢いで、何か叫んでいたような。
 そして、身体中に痣があるところを見ると、周囲が必死で止めようとしたんだろうな〜。
 ……あれ?
 けど、委員長の能力が決まれば、俺なんてすぐに戦闘不能に陥るんだが……
 そのことを尋ねると、亜由美が笑いながら答える。

「えっと、委員長は、何故か鼻血を出して……」

 ……へ?

「……美少年がボロボロの服で泣いて許しを請う姿がツボったらしい」

 だから、俺には委員長の趣味は分からない、と言うか、分かりたくない。
 でも、どうりでクラスメートが俺を止めるのに苦労した訳だ。
 その所為で、俺は要らんことを叫んでしまったみたいだが。

「……それで、貴方が普通人(ノーマル)じゃないかって話になってる。
普段から貴方を庇っていた音無さんは、その、銃刀法違反の現行犯で、見事に謹慎中だし」

「あちゃ〜〜」

 奈々の言葉に、俺は思わず呟いていた。
 実際、俺がどうのこうのなるよりも、そっちの方が痛い。
 というか、奈美ちゃん、今までも庇っていてくれたのか。
 多分、PSY指数がゼロって時に、そういう話題を振っていたのかな?
 あの時の刀もありがたかったし。
 風邪が治ったら……お礼を言いに行こう。すぐ隣の部屋だし。
 部屋中に沈黙が降りる。

「まぁ、私はどうでも良いけれど、やっぱり超能力者の中には普通人ってのを嫌う人もいる訳だし」

 超能力と無縁の生活を送っていた俺には知る由もなかったし、幾ら知っていても超能力を使った所為で差別されてきた人の気持ちなんてこれからも本当の意味では分からないのだろうけど。

 ──超能力者と普通人との確執は、俺が思っているよりもずっと根深いみたいだ。

 窺うような答えに脅えるような、複雑な感情の込められた亜由美の視線と、その真剣な表情だけで、流石の俺にでも事態の重大性が少しは感じられる。
 もしかしたら、何か適当なことを言って誤魔化せばこの場は和むのかもしれない……だけど、俺の性格的にそれは許せない。
 だから、超能力者じゃない俺は、そして嘘を吐く自分を許せない俺は、沈黙をもって応えるしか出来なかった。

「あ〜。そっか」

 そして、俺の沈黙は……結局のところ、亜由美の疑問への肯定だった。
 亜由美もそれくらいは理解したようで、一つ頷く。

「……そうだ」

 俺も、それくらいしか言葉を返せない。

「ま、ボクはどっちでも良いんだけどさ。兄貴たちは普通人だし」

 少しだけ無理をしたような笑みを浮かべながら、そう告げる亜由美。
 その笑みはちょっと引き攣っていたものの、俺を咎めるような様子はなく、彼女は彼女なりに俺をこの学校の一員として認めてくれているのだろう。
 こんな学校、とっとと辞めてやると思っていた俺だけど……亜由美にそう告げられた途端、自然と笑みがこぼれてしまう。

「ま、正直な話、そんなボクでも超能力者ってだけで普通人から……家族からも冷たい目で見られたからね〜。他のみんなが和人を怖がるのも無理ないんだけど」

 いや、そこ、笑うところじゃないだろう。
 しかし、亜由美のヤツ、ようやく調子を取り戻したのか、いつもの調子が戻ってきている。
 ちらちらおっぱい様の方に目を向けて、それから笑顔になったような……
 あ、もしかして、この素晴らしく豊かなおっぱい様が普通人差別なんて心の貧しいことをするなんて思っていたから、亜由美のヤツ、笑顔がこわばっていたのか?

「やっと気付いたの?
 ……ま、それだけじゃないんだけど。」

 俺の内心の呟きに、そう頷くおっぱい様。
 ちょっと呆れたような顔なのは、俺の価値判断に苦情があるのか、それとも察しが悪いのに苦情があるのだろうか。
 おっぱい様の呟きは、それ以外にも理由があるような声だったけど……普通人であるこんな俺を、それでも級友と認めてくれた亜由美に向けて、精神感応という能力を使って心の奥を探るのも悪いと思い、それについては追求しないことにした。

「それで、どうする?」

 亜由美が問いかけてくるんだけど……どうするって、どうしろと言うのだろう?

「なるようにしか、ならないだろう?」

 ちょっと困ったように笑いながら、俺はそう返した。
 実際、何かが出来るならするけどさ。
 ……そもそも、他人の心情なんてどうしようもない。
 一度放った言葉は戻らないし、一度やらかした行為は巻き戻せない。
 そして、一度知られてしまった事実はもう取り返しがつかないものだ。
 一度でもやらかしてしまった以上、人に出来るのはソレをなかったことにするのではなく、やらかしたことを認めた上で、その後、失点を如何に取り戻すかどうかだろう。
 だから……結局の話、人生なんてなるようにしかならないのだ。

「……はぁ。しょうがない」

「あはは。やっぱ、男の子、だね」

 俺の答えに、ため息交じりに微笑むおっぱい様と、素直な笑みを浮かべる亜由美。
 とても同じ歳とは思えない、身長・スタイル・バストサイズだけど、笑顔はやっぱり同じ女の子って感じだった。
 二人の笑顔を見て、俺も知らず知らずの内に笑みを浮かべていた。
 熱にうなされて一人きりのネガティブ思考は、何処かへ行ってしまったようだった。
 だから、思ったんだ。
 ……もうちょっとだけ、この学校で頑張ってみるかなって。



「……さて、と」

 翌日の朝。
 俺は起き上がって身体の調子を確かめてみる。
 まだちょっと関節が重いが、その程度。
 もう熱は下がったようで、頭もふらつかない。
 汗に濡れたパジャマを脱ぎ捨てる。汗臭いので下着も一緒に。

「……今日もいい天気、だな」

 窓越しに入ってくる陽光に目を細めながら、俺はそう呟いていた。
 風邪が治ったばかりで、ちょっとテンションが変になっているのを自覚する。
 そのまま、身体のキレを確かめるように軽く突きと蹴りを放つ。

「まぁまぁ、か……へっしゅ!」

 そうやって恰好をつけたのはいいものの、まだ四月の初旬。
 病み上がりの挙句、全裸のままでは……部屋の中はまだ流石に寒い。
 そもそもまだ馴染んでない部屋で、しかも学校の体育館から丸見えの状況で、下着もつけず全裸でいられるほど俺の精神は強靭ではない。
 ちゃっちゃと替えのトランクスを穿き、シャツを着て、その上から制服を着る。

「よし、着替え終わり……と」

 着替えた俺はカバンを手に取り……靴を履き、ドアに手を伸ばしたところで、これから向かう教室の雰囲気を予想して一瞬だけ怯む。
 だけど、ここで脅えていても何も始まらないだろう。

「しゃぁっ! 行くぞっ!」

 少しだけ覚悟を決めてそう小さく叫ぶと、俺はドアから外へ出る。

「あ、おはようございます」

 部屋を出た俺の前には、笑顔の奈美ちゃんが立っていた。
相変わらずの杖を持っていて……その雰囲気は誰かを待っていたかのような……もしかして、俺か?

「ああ、おはよう。謹慎はもう終わり?」

「え。聞いたんですか?
 はい、アレは祖母の形見の品ですので……その、厳重注意だけで済みました。まだ返してもらってないんですけどね」

「悪い。迷惑をかけた」

「良いですよ、クラスメートじゃないですか」

 俺の謝罪を、笑顔で受け止める奈美ちゃん。その笑顔を見て思う。
 ……奈美ちゃんにはこれ以上、迷惑かけないようにしないとな。
 改めて気合を入れなおした俺は、堂々と胸を張って食堂に向かったのだった。

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