四月もそろそろ終わろうというのに、屋上はまだ少しだけ寒かった。
ここが埋立地ということもあるのだろうか、強い潮風が吹き付けてきている。
生憎と、景色は一面の空と学園を覆う壁、そしてその向こうにある海くらいしか見えなかったが。
初めて足を踏み入れた屋上は、その周囲がしっかりと鉄柵に覆われた、落下者が出ないような造りになっていた。
「さて、お前はこの学校をどう思う?」
屋上に着くなり、檜菜先輩はそう問いかけてきた。
質問の意図を図りかねて、俺は首を傾げる。
当然ながら俺の脳みそはおみくじではなく、傾げた程度で答えが出る訳もない。
……結局、先輩の質問の意図を尋ねることにした。
「どう、とは?」
「この学校のカリキュラムを変だとは思わないのか?」
「……軍事利用がどうとかいう話か?」
「ああ。やっぱり、知っていたか。なら話が早い。
……超能力者の軍事利用を進めている筈の、この学校のカリキュラムを受けてみて、お前は奇妙に思ったことはなかったか?」
「……」
繪菜先輩の言葉に、俺は思わず黙り込んでいた。
……確かに檜菜先輩に言われる前から、俺が違和感を覚えていたのは事実である。
実際、軍事目的に超能力者を利用するって割には、超能力の授業でやっていることは殆どお遊戯レベル。
決闘だって命がかかっている訳でも大怪我の危険がそうそうある訳でもない。
しかも在校生は、俺みたいなちょっとだけ武術を齧った程度の素人でも何とか勝てるレベルの超能力者ばかりなのだ。
──そもそも、この学校って環境がぬる過ぎるんだよな。
この二週間強もの間、超能力者と顔を付き合わせてみて感じたのだが、超能力というのは「必要があるから目覚める」ケースが多い。
そう気付けたのは、目の前の檜菜先輩のお蔭だろう。
手がないからこそ不可視の手という形の能力。
奈美ちゃんは周囲が見えないから、周囲を知覚する能力。
高温多湿地帯に住んでいた委員長は乾燥能力を有している。
──羽子・雫・レキの三人娘や、亜由美にだって多分、そういう能力が必要な理由があったんじゃないだろうか?
そんな、俺みたいなただの学生が気付くことを軍の上層部やこの学校の教師が気付かない筈がない。
「つまり、軍事用の超能力者を育てたいならば……生死の狭間に超能力者を叩き込めば良いってことか?」
──そうすれば恐らく、超能力者は迫り来る危険を避けるために、そういう目的の超能力を発現させる筈……。
……勿論、俺の予想が正しければ、だが。
俺の言葉を聞いた檜菜先輩は、ニヤリといった感じの笑みを浮かべる。
「そうだ。この学校がやっていることは、軍事利用という名前を借りた、税金の無駄遣いだよ。
役に立たない兵器を作っているに等しいのさ」
その言葉に首を傾げる俺。
「けどさ、軍事目的っていうのが名目だけなら、何か他の理由があるんじゃないか?」
そうでなければ幾らなんでも無駄に税金を投入するような真似が許される筈もない。
俺の言葉を聞いた先輩は心底楽しそうな笑みを浮かべ、口笛を一つ吹いた。
「理解が早くて助かる。
ああ、そうだ。早い話が、この『夢の島高等学校』は……各地にいる超能力者を隔離・保護する施設なんだよ」
だからこそ、あの壁か。
だからこその様々な警備体制やセキュリティシステム。
どうやら、入学式で亜由美の言っていた言葉が正しかったらしい。
──あの壁は……超能力者を閉じ込め、護るための『檻』という訳か。
多分、普通に超能力者たちを保護することは出来なかったのだろう。
超能力者ってのは身体能力的に社会生活を営めない訳じゃない。
むしろ、その超能力を含めれば常人よりも優れた成果を上げられるかもしれないのだ。
だけど、世間からの偏見や異物を見る視線という問題がある。
そうやって超能力者が普通に生きていくには、この現代社会は世知辛過るのだろう。
だからこそ、羊の群れの中に紛れ込んだ狼が、羊たちから孤立するあまり羊たちを傷つけないよう、こうして口実を設けて狼を隔離しているという訳だ。
──しかし、檜菜先輩、なんか妙に詳しすぎないか?
まるで……
俺の怪訝そうな視線に気付いたのだろう。檜菜先輩はまたしても笑みを浮かべた。
「ああ。この学校を作ったのは、政治家であるオレの爺さんだからな。詳しいのは当然って訳だ」
あっけらかんとそう言い放ちましたよ、この先輩。
「交通事故で四肢を失っちまったオレが、その上、超能力なんてモノに目覚めてしまい、見事に親類縁者に敬遠されているって知るや否や、こんな学校作りやがったんだよな、あの爺さんは……」
いや、それって、そんなに軽く世間話みたいに言うような内容じゃないんだけど……
というか、あのバリアフリーやさっきのエレベーターは、冗談抜きで檜菜先輩のためにあった施設ってことじゃないか?
それって……
「思いっきり公私混同じゃないか〜〜〜!」
「ああ、その通りだな、けけけ」
俺の叫びに笑う先輩。
……この日本、そんなんで良いのだろうか?
「で、まぁ、無理を通して道理を引っ込めたこの学校は、今、あちこちから突き上げを喰らっている訳だ」
──そりゃそうだ。
繪菜先輩の言葉に思わず俺は頷いていた。
つーか、何故、ただの学生……しかも超能力者でもない普通人の俺にこんな話を?
──無茶苦茶嫌な予感が……
俺の疑問を感じ取ったのか、先輩は軽く微笑んだ。
それは……読んだことないけど、挿絵くらいなら何度か見かけた某絵本の、悪戯好きの猫の笑みによく似ていた。
「実はな。
何処かの普通人が、軍事利用目的で集められたハズのPSY能力者達を、素手で一方的に蹴散らしまくってくれたからな。
ただのお題目だったとは言え、超能力者の軍事利用って大義名分が崩れ去った所為で、この学校の存在意義がかなりあやふやになってしまったんだよ」
「……うげ」
先輩の言葉で、さっきまで俺には無関係だと思っていたこの学校の話ってのが、実は全然無関係じゃなかったと分かってしまった。
そう判ってしまった以上、嫌な予感は確信に変わる。
だからこそ、さっさとこの場を離れ、目の前に佇む車椅子に座った告死鳥から遠ざかろうと脚を踏み出したところで……
その動きに気付いた檜菜先輩の超能力で、両肩を掴まれた。
「ここまで聞いておいて、それはないだろう?」
罠にかかった獲物を喰らおうという、捕食者の笑みを浮かべる繪菜先輩。
だけど、俺だって面倒は御免だから、掴まれている両肩を振り払おうと。
──今度は両腕を掴まれた。
しかも、関節まで極められている!
と言うか、そもそも六本の見えない腕を相手に抵抗なんて出来るハズもない。
「この学校には『敵』が二種類いる。一つは軍事利用促進派だ」
関節が極まったままの俺を愉快そうに見ながら、先輩は言葉を紡ぐ。
俺は関節を極められた痛みで反論も出来ない。くそ。
「こいつらはこの学校があるのは仕方ないから、もっとカリキュラムを強化して超能力者を本当に軍事目的に使おうって連中だ。
まぁ、費用対効果とか叫ぶ連中だな」
その繪菜先輩の言葉は俺でも納得できる内容だった。
確かに金を出したんだ。出した金額分の利益は回収したいところだろう。
ただ、この学校が保護施設ではなく軍事施設という時点で、その利益回収の方法は自然と軍事利用という形になり……。
その意見に納得は出来ても、それを実行に移されると非常に困ってしまうが。
「もう一つが……超能力者が存在するこの夢の島高等学校を解体しようとする連中だ。
超能力者を差別する連中に引っ張られる形で、爺さんの政敵の一人がこの学校に刺客を送り込んだらしい」
……刺客?
聞きなれない言葉に、俺は硬直していた。
「文字通りだよ。生徒の誰かが死んだり大怪我したりすれば、幾らこの学校が周囲から隔離されているといっても、流石に揉み消せない。
その勢いでこの学校を潰そうって派閥だ」
あまりにも物騒な単語が羅列し始めた時点で、俺は首を横に振る。
そんなもの、古武術なんてやっていたとしても、所詮素人で普通人の俺がどうのこうの出来る筈もない。
「尤も、誰かさんが入学式翌日から暴れまくってくれたお陰で、この学校は存在意義を失いかけ……校内に紛れ込んでいるらしいその刺客は様子を見ていたみたいだがな」
檜菜先輩の笑みは、今度は優しそうな笑みだった。
同じ顔、同じ笑顔の筈なのに、笑みの質が変わっただけで、先輩の印象ががらっと変わっていた。
関節決められて逃げられないというのに、俺はつい彼女の笑みを見て「優しそうだなぁ」なんて思ってしまうくらいだ。
「ま、オレがお前を一方的に叩きのめした所為で、その猶予もなくなったらしくてな。
いやぁ、あの時は頭に血が上っていたからな〜」
照れ笑いっぽい檜菜先輩。
──まずい。
繪菜先輩のその口調、表情から察するに……この話はもうそろそろ終わる頃だろう。
その事実を前に、俺の直感が全力でアラートを鳴らしていた。
この後で『その一言』を言われたら、俺はもう逃れられなくなり。
これから始まる騒動に思いっきり巻き込まれることになるだろう……と。
だから、俺は『その一言』から苦れるべく、必死で暴れて、この不可視の手を振り解こうと……
「でだ。オレはお前に、この学校の存続を手伝って欲しいんだよ」
抵抗の甲斐なく、先輩の口から『その一言』が告げられてしまう。
もう抗える余地がなくなったことを悟り、俺は項垂れるしかない。
──結局、巻き込まれることになるのか。
こんな、女子全員が俺を無視していて、超能力者の中に一人きりの普通人で、毎日毎日決闘騒ぎで難儀しているような、こんな学校を存続するために?
──断ろう。そうだ、そうしよう。
もう巻き込まれかけているなんて知ったことか。
俺は平穏無事に暮らしたいんだ。だから……
「勿論、報酬は支払うぞ? オレの出来る限りだが」
その言葉に、ピクリと俺の耳が動く。
さっきまで逃げ腰だった俺の心は、そのたった一言で闘志に燃え上がっていた。
車椅子に座ったままの、檜菜先輩の方を向く俺。
「ああ、そうだな。報酬……金が欲しいなら、まぁ、億単位は流石に無理だが……」
「……金は要らない」
檜菜先輩が何かとんでもない額を口にしていたが、俺は一蹴する。
その俺の声は思ったより冷たく屋上に響き渡っていた。
そんな俺の静かな闘志とも言うべき決意を秘めた表情を見て、流石に不安になったのだろう。
檜菜先輩の眉が顰められる。
「なら、何が欲しい? 土地か? 宝石? オレに出来ることなら、何でもするぞ?」
……よし、言質は取った。
俺はその言葉を聞いた瞬間、罠にかかった獲物を喰らおうと顔を上げ、堂々と檜菜先輩の方を……そのDの方を指差して、宣言する。
「その乳、生で揉ませろ!」
と。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」
次の瞬間。
檜菜先輩の顔が真っ赤に染まり、屋上中に声にならない悲鳴が響き渡っていた。