「……決着をつけたく、屋上で待つっと」
夕飯にA定食とB定食を平らげた俺は、自室に戻るや否や久々に筆を使って、和紙に文字を綴っていた。
和紙も筆も墨汁も売店で売っていた。
流石は名目上とは言え教育機関の売店である。
新設校の所為か色々と足りないものは多い癖に、こういう品揃えは良いらしい。
……硯がなかったことだけは残念だった。
アレは確かに面倒だが……その分、気合が入るから好きなのだが。
「差出人、佐藤、和人」
我ながら古風だとは思うが、これも曽祖父の教育の賜物だ。
尤も、こんなのを書くことなんて今までなかったんだが。
あとはこれを和紙で包めば……決闘状の完成だった。
いや、正直な話、これはあくまで雰囲気作りであって、自分でもあまり意味のある行為とは思ってないのだけど。
「さて、と」
箪笥を漁る。
……確か、持ってきていた筈。
「あった。あった」
着ることもないだろうと奥の端に仕舞いこんでいた服を引っ張り出す。
──真っ白な、和服。
死合うための装束。
曾祖父が生前、大人になった俺のために仕立ててくれたという、曾孫思いなのか曾孫を決闘で殺したいのはいまいち分からない贈り物。
いや、決闘をすることになっても、死地から生還するようにという心づもりなのだろう。
しっかりとお守りが心臓のところに縫いこまれているところに、曾祖父の思いやりが感じられる。
「……まさか、本当に着る羽目になるとはな」
白装束に縫いこまれたお守りを眺めながら、笑う俺。
そうやって軽く笑えるくらいほど、今の俺には緊張感なんての欠片もなかった。
……いや、ちょっと強がっているのが自分でも分かる。
──正直なところ、果し合いなんて怖くてたまらない。
しかも今回の相手は……これだけ長い間、同じ教室で学んでいたというのに、未だに力量すら読めない相手なのだから。
っと、窓が突然開かれ、亜由美が部屋に入ってきた。
手にはいつぞやに取り上げられた黒い日本刀を持ってきている。
「取ってきたけど、良いのかな?」
「責任は俺が取るって言ったろ?」
心配そうな亜由美の声に、笑いかける俺。
この学校には武器なんてないから、これが一番手っ取り早かったのだ。
……最悪の場合、舞斗のヤツに頼むって手もあったが、あまり無関係な人間を巻き込みたくはない。
「けど、コレをどうするつもり?」
「言ったろ。最近、剣術の方を稽古してなかったからな。
……明日、休みらしいし」
これは嘘だった。
──俺が嫌いな、嘘。
だけど、彼女をこんな……殺し合いに巻き込まないためには仕方ない。
「正直であれ」という曽祖父の遺言には外れるが……ま、人の命がかかっている戦いに、こんな超能力が使えるだけの女の子を巻き込む訳にはいかないだろう。
そして俺は思い知る。
……誰かを思いやっての嘘というのは、意外と抵抗なく口に出来るものなんだな、と。
「ふ〜〜ん」
納得していない亜由美の声。
俺という人間は嘘が嫌いなだけあって、嘘をつくのが下手なものだから……彼女が俺の言葉に納得してくれないのも仕方ないのだろう。
……でも、亜由美は俺の言葉を疑いつつも、それ以上追求をしてこなかった。
いつも通りのまま、テレビの前に座り込むと亜由美はコントローラーを握ってゲームを始める。
──悪い、亜由美。
心の中だけで頭を下げて、俺もテレビの前に座り込む。
画面の中では、二人の侍が真剣で立ち会っていたのだった。
朝食はA定食。和食を軽く済ませた。
便所よし。
死んだときには肛門の括約筋が緩んで中身が出るらしいから、決闘前に便所に行くのは礼儀らしい。
……腹を斬られた時も同様だろう。
──曾爺さんってホント、どういう人間だったんだか。
爪切り良し。
僅かな指の感覚差が命取りになる場合がある。だから、少しだけしか切っていない。
邪魔にならない程度に、だけど、感覚誤差が生じない程度にヤスリで形を整えてある。
服を着替える。
今日は下着から替えた。
褌を締めてかかる必要があるので、文字通り下着は褌である。
……この方が、トランクスよりも遥かに気が引き締まるのだ。
さらしを胸と腹に巻く。
……腹を刺された時に腸がはみ出ないためらしい。
長物を羽織る。
そして、袴を穿いて帯を締める。いつもよりもかなりきつく。
──これが緩むと足を取られて、文字通り命取りだからな。
そして、上着の上から襷をかける。
背中でバッテンを描くように。左の脇辺りに結び目が来るように。
ついでに真っ白な鉢巻きを結ぶ。
髪の毛が目に入らないように……が主な目的だが、これはどちらかと言うと気合を入れるためだけの小道具だろう。
そして、昨日亜由美が持ってきてくれた日本刀を掴む。
他にないとは言え、この刀を使うことになろうとは。
……これから死合う相手のことを考えると、皮肉にも程がある。
「よし」
準備は終わった。
その恰好のまま俺は部屋を出る。
結構早い時間に寮を出たので、休日ということもあってあまり人目はない。
だけど、それでもこの襷をかけた白装束に鉢巻きをした格好というのは、思いっきり目立つようだった。
尤も、そんなこと、今は気にしてなどいられないが。
ただ……檜菜先輩に出会わなかったのが幸いだった。
──先輩がコレを知れば、即座に止められかねないからな。
そうすると……刺客が、いや、刺客の背後にいる反対派が喜ぶことになり、俺が求めるものが手に入らなくなってしまう。
階段を上りきった俺は、目を閉じると息を一つ大きく吸い込み、肺の中の空気を全て吐き出すことで最後にもう一度だけ覚悟を決め……
目を見開いて、屋上のドアを開く。
空は一面の晴天で、まさに決闘日和だった。
風も穏やかで、陽射しは暖かく、春が十分感じられる。
──そんな中。
屋上に、彼女は佇んでいた。
……いつもと同じように、杖をその手に持って。