小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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「ふふふ。和紙の手触りに墨の香り。意外に古風なんですね」

 休日だというのに、いつもの制服姿の彼女の手には、俺の差し出した決闘状が握られている。
 ……俺がそれを差し出した相手の手の中に。

「生憎と、私には読めないんですよ?」

「なら、何故、此処に?」

 分かっていて尋ねる俺。

「目の見えない私にとっては、隣の部屋で何が起こっているのかくらい、手に取るように分かります。
 だからこそ一文字ごと声に出して、これを書いていたんでしょう?」

 微笑む彼女。俺は頷く。

 ──そう、分かっていたのだ。

 彼女が刺客であり……そして、何が目的かすらも。

「……ずっと、助けてくれて、応援してくれていると思っていたんだけど、な」

 思わず俺は、そんなことを呟いていた。
 多分それは……俺がこうなった今でも彼女と戦いたくないと思っているから出た泣き言なのだろう。

「ええ、応援していましたよ?
 だって、貴方が全ての超能力者に打ち勝てば、私が危険を冒してまで手を汚す必要がなくなるんですから」

 それに対する奈美ちゃんの返事は、実に分かりやすいものだった。
 ……だけど。
 いつもと変わらない優しそうな笑みで、口調で……そんな打算に満ちた言葉を吐かれると……覚悟を決めたつもりで屋上に来た俺でも流石に辛いものがある。

「……そうか」

「ええ。そうです。
 そもそも、私を呼び出したんです。
 ……そんなこと、もうとっくに分かっていたことでしょう?」

 まるで弱音を吐く俺を叱咤するかのように、奈美ちゃんは俺にそう告げる。
 未だに覚悟が決まってなかった情けない俺は、彼女の叱咤でようやく彼女と戦う覚悟が決まっていた。

「ああ。
 だから……止めさせて、貰う」

 もう退けないという覚悟を示すかのように鞘から日本刀を抜いた俺は、足元の床に鞘を静かに置くと彼女の方を向いて正眼に日本刀を構える。

「ふふ。なら、しばらく動けないようにしてあげます」

 真剣を向けられたというのにいつもと変わらない様子のままの奈美ちゃんは、杖で床を小突きながら微笑みを崩さない。

 ──杖術、か。

 彼女の構えを見た俺は、『突けば槍 払えば長刀 持てば太刀 杖は かくにも外れざりけり』とも言われる杖術の言葉を思い出し、少しだけ刀を強く握る。
 だけど……この超能力者だらけの学園を潰そうという刺客である彼女に限って、武器がただの杖ということはあり得ないだろう。
 最低でも仕込刀くらいの細工がある筈。
 ……つまり、あの杖は真剣だと思って行動した方が良さそうだ。

「さて、始めますか?」

「ああ。そうだな」

 そうして、俺と奈美ちゃん……二人の舞踏が始まったのだった。



 真剣を持ち合う同士の決闘というものは、剣道の試合や時代劇の殺陣のように派手さはない。
 何しろ一撃で死ぬのだ。
 下手な動きが即死に繋がる以上、下手な身じろぎ一つ、瞬き一つさえも許されない。
 その挙句、刀同士で普通に斬り結べば、間違いなく刃零れして刀自体が使い物にならなくなる。
 である以上、真剣同士の立会いは……

 ──自然と相手の動きを読み合うことになる。

 構えから推測される次の一手を防ぐ方法と、防がれない攻撃を繰り出せる体勢作り。
 ただそれを静かに行うだけだ……と、曾祖父から一度聞かされたことがあった。
 そして、俺はそれを実行する。
 大上段、蜻蛉の構え。
 中段の、正眼の構え。
 下段の、土の構えに脇構え。
 様々な体重移動とフェイントを繰り返し、相手の隙を窺う。
 だけど……

「……ちっ」

 彼女はフェイントに一切乗ってこない。どころか微動だにしない。
 奈美ちゃんはその杖を脇に構え、その先端を真っ直ぐ俺に向けたままなのだ。
 ……それでいて、彼女から欠片も隙は感じられない。
 しかも、彼女はいつもの笑みを絶やさないままだった。

 ──やりづらい。

 殺気や攻撃の気配すらないのだ。サングラスで視線すら窺えない所為か、相手の意すら読めない始末である。
 そもそも、奈美ちゃんには俺の狙いを読まれている節がある。
 ……つまり、彼女に大怪我をさせる訳にはいかないという、俺自身の思惑を。
 日本刀を抜いて構えているのでさえ、彼女が凶器を持っていると想定したから、武器破壊を狙う程度の目的であり……
 俺自身には、彼女を殺傷するつもりなんて欠片もないということを。

 ──くそっ。少しでも動いてくれたなら、まだ対処のしようもあるんだが……

 俺は身じろぎ一つしない奈美ちゃんの構えに焦れ、内心で舌打ちをしていた。
 というか、これは恐らく待ちの一手なのだろう。一体、何を待って……
 その直後。
 チーンという音が屋上に響き渡る。

 ──これは……エレベーターが着いた音?

「やっぱり、こんなことになってたんじゃないか!」

 ……亜由美?
 その怒気丸出しの叫び声は、武器を手に対峙している俺たちを見ての叫びだった。
 その後ろには、車椅子の檜菜先輩にそれを押す舞奈さん。
 昨日の戦闘で舞奈さんを挑発するために酷いことを叫んでしまったのだが、彼女達の仲は変化なかったらしい。そのことに少し安堵する俺。
 そして……三人の背後に立っている、偉大なるおっぱい様。
 ……まずいな、ここで横槍を入れられると……

「ふふ」

 ──しまった!

 一瞬だけ、俺の注意がエレベーターの方に向かってしまった。
 他は兎も角、Dと、あの神秘の果実があったのは不味かった。
 奈美ちゃんはコレを待っていたのだろう。
 その機に併せたように音もなく近づいていた彼女の手から、繰り出される杖の先端。
 ……彼女の狙いは……俺の右手。
 俺の利き腕だった。
 武器を落とさせるための一撃なのだろう。

 ──だけど、思ったよりも遅い!

 不意を突かれながらも俺は、咄嗟に武器を持つ手を庇うべく、突き出された杖の先端を左手で押ささえていた。
 ……杖ってのは殺傷力がない武器だ。こうして受け止めることが出来る分、刃物ほどの脅威でもない。
 なら、この直後の反撃で彼女の杖を叩き斬って……と、俺が攻撃に移ろうとした瞬間だった。

「がぁああああああああ!」

 つい叫びが零れ出た。
 杖の先を受け止めた左手のひらから、蜂に刺された痛みを何倍にもしたような感覚が響く。
 この痛みはどう考えても鈍器で突かれた痛みではない。
 実際、左手を見てみると包帯に小さく穴が開き、そこから血が滲んでいる。
 ……恐らくは杖の先端に針でも仕込まれていたのだろう。
 しかし、これは……刺されて痛いというより、脳の奥から響いてくるという感じの痛みだった。

 ──痛い! 反撃どころではない!

 神経を直接切られたかのような激痛に、俺は武器を取り落とさないだけで精一杯だった。立っていることさえ出来ず、そのまま膝を突く。

「和人!」

「お前! こんなことを黙ってるんじゃない! ここは、オレが!」

「……手を出すな!」

 痛みに歯を食いしばりながらも、俺は何とか叫ぶ。
 俺の叫びで、空中に駆け上がっていた亜由美は動きを止める。
 舞奈さんも、剣を虚空で停止させる。
 見えないけれど、檜菜先輩も能力を発動していたのだろう。

「おい! でも!」

「手を出すな! 
 お前たちが超能力で彼女を怪我させるだけで、反対派の目的は達成してしまう!」

 檜菜先輩の抗議を怒鳴り返すことで黙らせる。
 叫んだ所為で何とか痛みが引いてきた。
 と言うか、アドレナリンでも出て麻痺したのだろう。左手の感覚が全くない。
 ……指が動かない訳じゃないが、この手に期待するのは止めた方が良さそうだった。
 痛みが消えてくれたお蔭で俺はようやく立ち上がることが出来た俺は、右手一本で刀を構えると、奈美ちゃんにもう一度向かい合う。

「……本当に私の目的に気付いていたんですね。
 道理で刀を抜いたというのに殺意がない訳です」

 ちっ。俺に殺意がないのはやはり見抜かれていたらしい。

「ええ。そうです。超能力者の誰かを殺すか、私自身が大怪我を負うこと。
 それが私の、今回の任務でした」

 答え合わせのように俺にそう語る奈美ちゃんの声は意外に楽しそうだった。
 自分自身が大怪我をしなければならないと自分で語っているにも関わらず、だ。
 ……もしかして。

「あ、別に怪我をするのが好きな、変な趣味があるって訳じゃないですよ?
 それはあくまで最後の手段だった訳ですから」

 俺の怪訝な視線を、いや、顰めた眉を知覚したのだろう。
 奈美ちゃんはすぐさま俺の疑問を解消してくれた。

 ──良かった、そっちの人じゃなくて。

 俺は知らず知らずの内に安堵のため息を吐いていた。
 例え刺客だったとしても、俺にとっての奈美ちゃんは可憐な少女だった。
 だから刺客だろうと手練れだろうとも、せめて……せめてその可憐という俺の中の幻想だけは殺さないで欲しかったのだ。
 そんな俺の葛藤など意にも介さぬように、奈美ちゃんは言葉を続ける。

「ただ、こういう仕事でもしないと、家の中にいる場所がなくって。
 楽しそうに見えたとしたら、久しぶりの仕事だからでしょうか?」

「……ったく。どんな家に生まれたんだか」

「いえ。ちょっと古風だけど、普通の家ですよ?
 ただ、生業が代々暗殺稼業、と言うか政府の汚れ仕事の代行をやってきたというだけで」

 奈美ちゃんの口調や表情の中には一切の偽りを感じ取ることは出来なかった。

 ──つまり、何か?
 ──この平和な現代日本で、未だにそんな……ブラックエンジェルスみたいなことをやっている連中って存在しているってことか?

 この前床屋で読んだ古い漫画を思い出した俺は、あまりもの非現実性に思わず頭を左右に振っていた。
 だけど、すぐに思い返す。

 ──この屋上にいるギャラリー、実は全員が超能力者じゃないか。

 最も非現実的な連中が存在しているんだ。
 政府の裏仕事みたいなモノが存在していても別段不思議じゃないだろう。

「ま、そういう訳で、指令が来たらちょっと超能力者を狩るか、勝てない場合には上手く大怪我をしてみせるつもりだったんですけどね」

「確かに、軍事目的に建てられた学校施設で学生が死亡をしたなんて、なったら大騒ぎだろう。
 もし奈美ちゃんが失敗しても超能力者が視覚障害者への殺人未遂……そんな特ダネ、マスコミ連中が放っておくハズもない……か。
 ……よく出来てやがる」

 彼女の言葉を引き継いだ俺は、正面の奈美ちゃんよりもむしろ屋上入り口に向かって語りかけるように会話を続けた。
 それでようやく彼女達は刺客である奈美ちゃんの……その背後にいる人間の意図に気付いたのだろう。
 彼女はそうやってこの『夢の島高等学校』を叩き潰す作戦なのだ。
 もっとも、その企みを暴いたお陰で、ギャラリーの超能力者集団がこの戦闘に参加することはなくなった。
 ……素直にそれはありがたい。

「ちなみに、どうして私が刺客だと分かりました?」

「最初のPSY指数計測の時だ。
 君は自分の能力を説明する時に「微弱な音波を発して周囲を知りえる」と言っただろう?
 周囲に干渉する超能力なら、PSY指数が出ないハズがないからな」

 尤も、それに気付いたのはここ数日の猛勉強の所為だが。
 ついでに、あの学年主任が反対派ってのが決め手だった。
 ……超能力計測の専門家がそんな初歩的なことに気付かない筈はないのだから。

「でも、日常生活には支障はないんだよな?」

「ええ。
 周囲の音の反響で、何処に何があるかくらいは分かりますし。
 貴方の鼓動や呼吸の音、踏み込む足音や刀を握る音、衣擦れの音なんかを聞けば、自然と次の攻撃も分かるんですよ」

 そう言いながら、楽しそうに微笑む奈美ちゃん。

 ──それは、もう超能力に等しい能力だった。

 だけど、彼女は超能力者じゃない。
 努力で……視覚障害を持ちながらもその障害を自力で乗り越え、自らの力で生活を行えるまでの鋭敏な聴覚を手に入れたのだ。
 尤も、ESP能力ってのは早い話が感覚の延長だから、超能力とそうでない人間の感覚とを区別するのは難しいのだが。

「……さて、これで取りあえず、奈美ちゃんの目的は封じた訳だが」

「ふふ。別に構いませんよ?
 貴方が危険になれば、彼女達は私に向かってくるでしょうから」

 もう戦闘をやめようと切り出そうと思った俺の台詞を、俺の予想を超えた言葉であっさりと無効化してしまう奈美ちゃん。
 その言葉で今更ながらに気付く。

 ──意外と彼女は頭脳派だったらしい。

 まだこの学校に来てからテストを受けたことはないが、恐らく一か月後には学力差という数値で、その実力を思い知ることになりそうだった。
 勿論、それもこれも、この『夢の島高等学校』が存続してくれれば、だけど。
 ……そのために、これから彼女を止めなければならない。
 負ければギャラリーの超能力者たちが駆けつけてきて何もかもがパーになるだろう。
 そう。俺への報酬でさえも。

 ──絶対に負ける訳にはいかない。

 俺は柄を握る右手の力を一層込めると、そう覚悟を決めなおす。
 だけど、彼女に重傷を負わせる形で勝ったとしても、やはりこの学校は閉鎖させられるに違いない。
 負けてもダメ。勝ったとしても怪我をさせてはダメ。
 ……今まで超能力者を相手に喧嘩し続けたどの戦いよりも、勝つのが難しい戦いだった。
 いや、戦闘能力を考えると、そもそも俺が奈美ちゃんに勝てるかどうかすら危ういだろう。
 ……だけど、それでも。

「ふっ。出来るかな?」

 そんな背水の陣にある自分への喝を含めて、俺は対峙する彼女にむけて、わざとそう挑戦的に言い放つ。
 言いはしたものの、実のところ、それは殆ど虚勢だった。
 ……正直、もう一度さっきの激痛を喰らうなんて御免である。
 ただ、こうして虚勢を見せることで俺に余裕があると思ってくれて……彼女が退いてくれれば、それは俺の勝ちになるんだし。

「言いますね。この毒針で刺されたのに」

 そんな俺の必死のハッタリを欠片も意に介さず、奈美ちゃんはいつもの笑顔を絶やさない。
 と言うか、さっきのは毒針……か。

 ──なるほど痛い訳だ。

 ……いや、痛いどころじゃない。やばすぎる。
 しかし、この毒であの偉大なるおっぱい様を狙い続け、彼女の精神感応能力によって正体がバラされるのを 牽制し続けていた訳だろう。
 道理で、あの偉大なるおっぱい様に刺客を探すのを頼んでも断られた訳だ。
 奈美ちゃんの行動に、おっぱい様がいちいち刺客っぽくない少女らしい理由を語ってくれたのも、奈美ちゃんが疑われないように彼女が協力していたってことなのだろう。

 ──よくよく考えてみれば、彼女はいつも奈美ちゃんと一緒にいるときは、俺越しだったっけ。

 正直な話、俺はあの豊満な二つのおっぱいが近づいてくるのを、ただただ純粋に喜ぶだけだった。
 出会ったばかりの彼女が、いくら俺にセクハラまがいの視線を向けられても、いくら俺にセクハラまがいの心の声を投げかけられても、嫌がる様子を見せながらも何故か逃げ出そうとはしなかったのは、今考えると確かに不自然だろう。
 揺れて弾むおっぱいを見ることに浮かれていた俺は気付きもしなかったが……

 ──アレは俺を盾にしていたんだろうな。

 ……両手に花とか喜んでいた俺が、かなり馬鹿みたいである。
 いや、今は……それよりも、毒が問題だった。
 未だに痺れる左手の感覚を握って確かめながら、俺は奥歯を噛みしめる。

 ──腕、斬り落とさなきゃ死ぬとか、そういうレベルの毒だったら……覚悟を決めないとダメだろうか?

 両腕が揃ってないと、生乳を左右一遍に揉めなくて……それはかなり辛いんだが。

「今日はススメバチから取り出した毒を使っています。
 痛み成分だけを科学的に取り出した毒ですから、怪我をしても患部を切断するようなことはありません」

 俺の不安をかき消すような奈美ちゃんの声。
 多分、不安と恐怖の所為で、俺の心臓が一瞬だけリズムを狂わしたのを感じ取ったのだろう。

 ──良かった。なら、まだDの生乳を両手で左右一緒に揉めるんだな。

 ……毒針で刺した張本人が目の前にいるってのに、俺はその毒がコブラとかサソリじゃないことに心の底から感謝していた。

「でも、濃度が濃いので……かなり痛いですよ? 耐えられますか?」

「くそっ!」

 微笑みながらの奈美ちゃんの言葉に歯噛みする俺。
 実際、あと一発喰らったら戦闘不能……と言うか、「あなふぃらきしーしょっく」とか出るんじゃないだろうか?
 ただ正直な話、杖の自体の速度は見切れる程度……というか素人よりもちょっと速いくらいの速度で、俺とそう大差ないレベルだった。
 つまり、彼女の虚を突いて何とかあの杖さえ奪ってしまえば……体格で勝る俺は力で圧倒出来る筈……

「行くぞ!」

 そう覚悟を決めた俺は一つ叫ぶと、右腕一本で刀を振るう。
 それは牽制の一撃で、彼女を斬らないギリギリの軌道を上手く描けたと俺は思う。
 だけど……俺の狙いを完全に見切っている奈美ちゃんは、一歩も動きやしない。
 俺の斬撃は彼女の前髪数本を散らしただけで、あっさりと空を切っていた。
 彼女に見えなかった訳じゃないだろう。
 実際、俺が斬撃を振るう瞬間、彼女の手は微かに動いていた。
 つまり、目が見えないハズの彼女は、俺が攻撃する瞬間を完全に把握し、だけど斬撃が当たらないと見切った上で動かなかったのだ。

「……嘘だろっ?」

 鮮やかとしか言いようのない、その宮本武蔵ばりの見切りに俺は一瞬我を忘れていた。

「やっ!」

「……つっ?」

 当然のことながら、その奈美ちゃんが俺の隙を見逃してくれる筈もなく……俺は踏み込んだ右足を杖で払われ、無様につんのめる。
 その直後に、奈美ちゃんの杖の持ち手が弧を描くようにして、バランスの崩れた俺のこめかみへと直撃していた。
 衝撃に俺が怯んだその一瞬を狙い、奈美ちゃんは毒針のついている杖の先を俺の顔面へと向け……

「〜〜〜っ!」

 避けられたのは、俺が古武術をやっていからでも、運が良かったからでもない。
 ……ただ単純に、さっきの骨の芯まで響くような激痛を覚えていたからこそ、咄嗟に身体が動いてくれたお蔭だった。
 見栄も恥も捨て、攻撃への未練や武術への信頼すらも捨てて、ただ恐怖に駆られて無様に横っ飛びをしたお蔭で、たまたま避けられたに過ぎない。

 ──なんて技量だよ。

 追撃を恐れた俺は慌てて立ち上がると、再び彼女に向けて刀を構え、目の前に佇む盲目の少女に向けての畏敬の念を抱かずにはいられなかった。

 ──だけど、俺は退けないんだよな。

 俺は背後に控える四つのおっぱいを脳裏に思い浮かべることで萎えかけた戦意を奮い立たせると、再び彼女に向き合うために刀を握り、足を踏みしめる。
 ……二発も喰らった割には、ダメージはそれほど感じられなかった。
 実際、奈美ちゃんの細腕から放たれた一撃は、そう威力もなければ速度も大したことはなく、避けられないほどじゃない。
 実際、あの速度と力だったら、杖の打撃を喰らったところでそう深刻なダメージは喰らわないだろう。
 だけど、奈美ちゃんは自分の非力を心得ているからだろう、絶妙なタイミングでの『崩し』を仕掛けてくる。
 自分の速度がないことを心得ているからこそ、こちらが打撃で隙を見せたところを狙い、必殺の毒針を放ってくるのだ。
 どれもこれもが、完全に組み立てられた技で、彼女が今まで目が見えないながらも積み重ねてきた鍛錬の賜物だった。

「……本当に、見えていないのか?」

 彼女の技量を思い知った俺は、攻撃するのも相手が毒針を持っていることも忘れ、ついそう尋ねていた。

「ええ。だから、言ったでしょう?
 踏み込みの音、握り、衣擦れの音、空気の音、それら全てから貴方の次の攻撃が分かるんですよ」

 戦いの最中にも関わらず発せられた俺の問いに、律儀にも応えてくれる奈美ちゃん。

 ──彼女の空間把握能力は、もはや達人の領域まで足を踏み入れてやがる。

 ……しかも、彼女のは超能力なんかではなく……日々の鍛練による経験から、なのだ。

「……危ない!」

 不意に屋上入り口の方から叫び声がする。
 アレは……奈々?

「っ!」

 気付けば、右手に……蜘蛛の糸みたいな感触。これは……糸?

 ──まずいっ!

 俺は咄嗟に刀から手を離し、絡んでいた糸から手を抜くと、安全圏へと逃れるように奈美ちゃんから大きく距離を取っていた。

「あら、残念」

 そう言いながら奈美ちゃんは手に隠し持っていたライターのような四角い金属をポケットにしまう。
 その四角い金属から出ていたのは、透明の細い糸。

 ──アレは……合成繊維というヤツだろうか?

 蜘蛛の糸の細さで数キロを持ち上げるとかいうアレ。
 そうだったとしたら……危うく某宇宙海賊になるところだった。
 残念ながら右手につけるサイコガンなんてないのだが。
 ……もしくはジェダイの騎士か。とは言え、目の前にいるのは父親じゃないけどな。
 しかし、よくあんな攻撃を避けられたものだ。
 流石に皮一枚は持っていかれたらしく、右手に血が伝うのを感じながら、俺は一つ息を吐いていた。
 彼女が長けているのはあくまで武器の使い方と攻撃の避け方だけで……攻撃速度そのものは古武術を齧っただけの俺とそう大差ないから助かった。

「別に貴方が重傷を負うというシナリオでも、私の任務は終わるんですよ?
 ……普通人の佐藤さん?」

「そりゃ、遠慮しとく。
 生憎と俺の恋人はまだ右手だけなんでね」

 恐怖と寒気を誤魔化すかのように、俺は下ネタを飛ばしていた。
 その下ネタを聞いた奈美ちゃんは、急に顔を赤らめて俯いてしまう。
 ギャラリーを決め込んでいる女子高生の超能力者たちも、俺の下ネタに軽口一つ叩かず黙り込んでしまう。
 ……ものすごく、その沈黙が痛い。

「……本当に、暗殺者みたいな技を使うんだな」

「ええ。そういう家系ですから」

 滑った下ネタをなかったことにしようと呟いた俺の言葉に、やはり下ネタなんてなかったかのように微笑みながら応える奈美ちゃん。

 ──ヤバかったん、だな。冗談抜きで。

 俺は手のひらを開閉しながら自分の右手がついている感触を確かめ、内心で安堵のため息を吐いていた。
 あんな攻撃、精神感応能力者が横合いから声をかけてくれなければ、今頃、死刑囚と戦った愚地先生の如く手先とおさらばしていただろう。

 ──大体、見えない攻撃なんて、どうやって対処すりゃいいのやら。

 そう考えた俺は、今更ながら自分の考えにゾッとしていた。

 ──もし、この決闘が太陽のある真っ昼間に行われなかったならどうなっていた?

 夜中なら……その上、月のない夜だったなら……何も見えない俺なんて、闇夜でも今と変わらず戦える彼女には、何の抵抗も出来ずに殺されてしまっていたハズだ。
 だからこそ……彼女の攻撃速度は、他の技能……見切りや崩しほどに鍛えられていないのだ。
 ……見えないものは避けられない。
 黒塗りの日本刀、視覚障碍者用の杖の先に仕込んだ毒針、そして見えない繊維。
 彼女の攻撃は全て闇夜では『見えない』ように徹底されている。
 それはつまり……刺客の位置も分からない暗闇で、更に『見えない』武器で戦うことを前提にしている彼女は『攻撃が避けられる』という前提に立っていない。
 だからこそ、彼女の攻撃速度は少し古武術を齧っただけの俺とそう変わりなく、不意を突かれ先手を取られながらも、今の俺は右手とおさらばしなくて済んでいる。
 そのお蔭で今の俺は、不意を何度も突かれたにも関わらず、まだ毒針を一度しか喰らっていないのだ。

 ──だったら何故、彼女は俺の呼び出しに応じたんだ?

 ……闇夜に紛れて誰かを暗殺したならば、こうして俺に抵抗されることもなく、いや、どんな超能力者が相手であっても、彼女の任務なんてあっさりと完了しただろうに。
 そんな疑問を一瞬だけ俺は覚えるが、すぐに首を振ってその思考を余所へと追いやる。

 ──今はそれどころじゃない。

 何しろ……さっきの繊維による攻撃で、俺は武器を落としてしまった。
 多分、拾おうとした瞬間、あの杖の先が飛んでくるだろう。
 かと言って日本刀を手にして圧されていた相手に、無手で有利に戦える訳もない。

 ──完全に手詰まりだった。

 だけど、それでも俺は負ける訳にはいかなかった。
 この学校が……いや、生乳がかかっているのだ。
 正直な話、この『夢の島高等学校』なんて俺はどうでも良いって思っていたが、ここを離れるとあのDサイズと、そして何よりも隣の席の、あの素晴らしいおっぱい様と離れてしまう。

 ──それだけは、死んでも御免だ!

 俺は心の中でそう叫ぶと、素手のままで自分の一番得意な構え……両手を胸の高さに置く、いつもの防御中心の構えを取る。

「……そんなに、こんな化け物が溢れる学校が大事ですか?」

 武器を無くし、それでもまだ戦意を失わない俺を見て、奈美ちゃんが尋ねて来る。

「超能力者なんて、貴方にとってはただの化け物。
 入学してから延々と痛い目に遭い続けて……もうこんな学校嫌でしょう?」

 何故……と尋ねそうになる俺だったが、すぐに思い直す。
 彼女には、俺の部屋の物音全てが聞こえるんだった。
 なら、毎日の俺がこぼしていた愚痴を聞かれていても不思議はない。

「確かに、正直な話、俺だってこんな学校は嫌いだよ。
 超能力が常識になってしまって、無茶苦茶で非常識な連中ばっかり。
 毎日毎日決闘続きで気の休まる日はありゃしない」

 うっと呟いたのは、ギャラリーの連中だ。
 特に亜由美の声が一番大きかった。
 アイツが一番、身に覚えがあるのだろう。

「しかも機密保持だかなんだかで、この島から外出も出来ない。
 挙句に退学さえ許されない。
 ……こんな牢獄、好きになれって方がおかしいだろう?」

「……お前……」

 次に唸ったのは檜菜先輩だ。
 確かに、彼女としてはこの学校存続が目的だったのだから、俺の行動原理は理解できないかもしれないな。

「だったら、どうして私に立ち向かうのですか?」

 俺の回答が彼女にとってはよっぽど腑に落ちなかったのだろう。
 首を傾げながら、尋ねてくる奈美ちゃん。

「……自分で選んだ学校だからな」

 そう。
 親や従姉妹の反対を押し切ってこの学校を選んだのだ。

 ──選択には責任が伴う。

 それこそが自らを由とする唯一のルール。
 それすら出来ないのなら……何も主張せずに適当に生きていれば良いのだ。

「……それに、この学校は嫌いでも、ここの連中は嫌いじゃないからな」

 それが、俺の答えだった。
 本当にただそれだけだったのだ。

 ──でも、立ち上がる理由なんてそれで十分だろう?

 ……あとは、ま、少しの色欲とか。
 Dの生乳は未だに諦めきれないし。
 そして何より……

 ──あの素晴らしき神の創り出した二つの芸術を拝むためなら、気力なんて無限に湧いてくる!

「どうして、こんな化け物たち……」

「違うっ! 彼女たちは化け物なんかじゃない!」

 奈美ちゃんの言葉を、俺は叫びによって遮る。

「超能力ってのは、普通のままでは社会に溶け込めなかった弱い人間が、自分自身を守るために……必要に駆られて身に付けるものだ。
 ……だから、彼女達は化け物じゃ……決して強くなんかないのさ」

 屋上に響き渡ったその俺の声は、背後で俺たちの戦いを見守る超能力者達にとっては聞きたくない・侮辱に等しい言葉かもしれない。
 ……だけど、それは紛れもない事実だった。
 だからこそだろう。
 背後から殺気に近い怒気が感じられる。
 そんな怒気を背中に感じながらも、俺は言葉を続ける。

「彼女たちは、俺たちとそう変わらないさ。
 俺は子供の頃、弱かったから必死に強くなるために武術を身に付けた。
 奈美ちゃん、君は見えないのに、それでも生活出来るようにとその能力を鍛え上げたんだろう?」

 そう。
 同じ時を生きていて、同じように困難に突き当たって……そして、どうにかして克服しようとする。
 そのことだけは、PSY能力者だろうとESP能力者だろうと普通人だろうと、何の違いもないのだ。

「私のは、死ぬ物狂いで努力した結果です。
 彼女達が努力もせず簡単に手に入れた、不意の贈り物と同じにしないで下さい!」

 俺の言葉が納得できなかったのだろう。
 奈美ちゃんが珍しく声を荒げる。

 ──確かにそうだろう。

 数年間の努力を一気に覆し兼ねない、それこそが超能力。
 ……だけど。

「そうやって、努力して何とかしようとする。
 何とかしてしまう。
 ……残念ながら、そういう人間には超能力なんて芽生えないらしい。
 だから俺たちはこうして、こんな学校に通っているというのに、未だに普通人なんてやってるのさ」

 努力してもどうしようもない、だけど諦めきれない。その絶望の慟哭こそが、超能力発現の徴なのだろうから。
 そして同時に、恐らく超能力というものは伝播する性質があるらしい。
 俺も探し物をしている間に文献で読んだだけだが……舞奈さんの弟である舞斗が似たような能力を使えるという実例もある。
 それは、超能力を間近で見ることによって、超能力があり得ない存在だと思わなくなる。超能力を使おうとする意志を制限している『無意識下のブレーキ』が磨耗してしまうかららしい。
 だけど……半月近くも経ったのに俺と奈美ちゃん……俺たちは二人ともPSY指数はゼロのままだった。
 それはつまり、俺も奈美ちゃんも……武術や鍛錬で何かを身に付けるという生き方を知っているからだ。
 超能力なんかに頼らなくても、努力や修練を積み上げればどうにかなると、どうにか出来てしまうという確信があるからだ。

「要は生活保護みたいなもんだな。
 自分で何とか生活しようってヤツ、苦しかろうが何とか生活しようと頑張るヤツには残念ながら適用されない」

「……非常に例えが悪いですね」

 そう言いつつも、俺の言葉が面白かったらしく奈美ちゃんは微笑んでいた。
 尤も、超能力者だって自分の能力を使いこなすのに努力はしているだろう。
 周囲からの視線、力に対する自制、色々と大変なのは分かっている。
 どういう手段で困難を乗り越えようとも、やっぱりそれは大変で、だから困難というのだと思う。
 ……だから、おっぱい様。
 今すぐとは言いませんから、背後から俺に殺気を飛ばしているギャラリーへのフォロー、よろしくお願いします。

「さしずめ、この学校は生活保護者の支援施設ですか?」

「鳥籠が近いかな? 囀る珍しい小鳥を、外敵から守るための」

「ふふふ。なら、私は小鳥を狙う子猫ですか?」

「ああ、そして俺の役割は水を入れたペットボトルってところだ」

 ……あれ、効かないらしいけどな。
 前に猫飼っている人に聞いたんだけど。

 ──っと。戦意が萎えるような発想は止そう。

 お互いの立ち位置を確認するさっきのやり取りで会話は終わったのだ。
 そして、俺はこの学校を守り、彼女はこの学校を潰そうとする。
 二人の思いは交わらないし、妥協点すりゃ存在しない。

 ──である以上、もうこれ以上の言葉は必要ないだろう。

 俺は覚悟を決めて眼前の少女を睨み付ける。
 ……しかし、覚悟が決まったところで、俺に勝ち目がある訳でもない。
 これほどの相手に無手で……さっきまで日本刀を手にしてさえ互角以下の戦いしか出来なかった相手に、今から素手で立ち向かわなければならない。
 しかも相手に大怪我をさせても、俺が怪我を負っても戦略的には敗北になる戦いである。
 ……もう笑いたくなるほど不利な状況だった。

 ──けど、もう退かないと決めたんだ。

 拳を握る。右手、良し。
 左手……まだ感覚はないが、動かないことはない。
 脚を確かめる。右足、動く。
 左足、動く。
 ……そうして身体を確かめながらも俺は必死に作戦を考えていた。

 ──彼を知り己を知らば百戦危うからず。

 孫子の兵法を頭に浮かべながら、彼我の戦力差を考える。
 自分の技量は、まぁ、素人よりはちょっとマシ、という程度。
 そして、眼前に対峙する相手は、自分に当たる攻撃を確実に取捨選択できる見切りが可能で、俺から確実に後の先を取れる技量の持ち主。
 速さはほぼ互角か、俺の方が有利なくらい。腕力は俺の方が上だろう。
 だけど、技量は彼女が圧倒的に上。

 ──速さや力を生かした戦い方をしても、確実にいなされて終わるな、こりゃ、

 俺は圧倒的に不利なこの状況を打破するべく、頭を最大で回転させる。

 ──何か、ヒントはないか?

 幾ら刺客としての素顔を隠していたとは言え、今まで一か月もの間、奈美ちゃんとは学校生活を行ってきたのだ。
 その生活の中の些細なところに、彼女の弱点となり得るような……

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