──何か、ヒントはないか?
幾ら刺客としての素顔を隠していたとは言え、今までこの『夢の島高等学校』の中で一か月もの間、奈美ちゃんとは学校生活を行ってきたのだ。
その生活の中の些細なところに、彼女の弱点となり得るような……
──あった。
追い詰められていたお蔭だろうか。
俺の脳裏に一つの策略が浮かぶ。
そして、その策略を成功させるための手段も、だ。
……だけど。
それは、相手の弱点を確実に狙うという、凄まじく汚い戦術だった。
それは、相手の身体的特徴を狙うという、凄まじく卑怯な戦術だった。
それは、今までの日々を盾にするという、凄まじく外道な戦術だった。
それでも……その策略は恐らく自分も、そして奈美ちゃんをも傷つけずに戦闘を終わらせることが出来る唯一の手段で。
──生憎と、俺にはコレ以外に取れる手段がない!
逃げることも負けを認めることも出来ない重圧の中で、俺は汚かろうが卑怯だろうが外道だろうが、その唯一の策を実行することを決意していた。
決意と同時に俺は、この作戦が有効かどうかを確かめるために、入り口で大いにその存在を主張なされている二重惑星の方を振り向きたい誘惑に駆られてしまう。
──だけど、それは許されない。
これはあくまで……俺と彼女の戦いなのだから。
そうでなければ、こんな真昼間にも関わらず決闘に応じてくれた奈美ちゃんにも、そして白装束まで着込んで気合を入れた俺自身に対しても申し訳が立たないだろう。
──汚い、卑怯、外道、か。
俺は心の中で一つ諦めのため息を吐くと、この作戦を実行した場合……必ず俺に送られるだろう非難にも覚悟を決めることにする。
……同時に、毒針に向かっていく覚悟をも。
息を深く吐き、吸い込む。
二度それを繰り返し、ようやく俺の中で踏ん切りがついた。
「……悪い」
これからのことに一つ詫びる俺。
その言葉を挑発と捉えたのだろう。奈美ちゃんは軽く微笑み……
それを合図に俺の足は屋上の床を蹴る。
彼女の杖がそれを迎撃するように構えられ……
「……え?」
迎撃しようとした奈美ちゃんは、飛び込んだ俺の構えを見て、いや、感じ取って戸惑うような声を上げていた。
……それは当然だろう。
彼女に向かって飛び込んだ俺には殺気も敵意も存在していなかったのだ。
俺は、両手を左右に広げて防御も抵抗もしないしないという格好で彼女の間合いに飛び込んだのだ。
……風の谷のアレっぽいと言えば分かるだろうか?
攻撃の意を感じられなかった奈美ちゃんは、今まで同じ学校で過ごした俺にその毒針を突き立てて良いか、一瞬だけ迷ったようだった。
──計算通りっ!
『彼女と過ごした日々を盾にする』という、まさに外道と言われても仕方ない作戦を実行し、その賭けに勝った俺は、内心でデスノートの持ち主みたいな邪悪な笑みを浮かべつつ……
彼女が射程距離に入ったと同時に、左右の手を彼女目掛けて叩きつける!
「っ!」
左右から迫ってくる両の手には気付いたのだろう。
……だけど、奈美ちゃんは迎撃の手を打てない。
何しろ俺の手の軌道は、彼女の顔の正面に存在する虚空を狙っているのだ。
カウンターを狙っていただろう彼女は、彼女自身の見切る能力によって、その両手の軌道が自分にとって無害だと読めるが故に、動けない。
もし俺の攻撃がフェイントで、彼女のカウンターに更にカウンターを併せようとするのが目的だった場合、下手に動けば大ダメージを食らうと彼女は分かってしまうからだ。
力も速度もない故に見切りと後の先を極めた彼女だからこそ……一手の悪手が命取りになるような、そんなシビアな環境で鍛え上げられた彼女だからこそ……こんな隙だらけの俺に対して動かない。
……いや、動けない。
──だけど、俺の一撃は生憎と、奈美ちゃんのカウンターを誘うためのフェイントじゃないっ!
パンッ!という音が屋上に響き渡る。
──猫騙し。
結構有名な相撲の技である。
左手の激痛に眉を顰める俺だったが、この程度の痛みで怯んでなんかいられなかった。
耳の間近で突然音が鳴ったことで生じた、彼女の僅かな虚を逃す訳にはいかない。
目の見えない奈美ちゃんの身体的特徴を狙うという最悪に卑怯な攻撃である。
──今を逃せば、もう二度と彼女に勝つ術はないっ!
奈美ちゃんに生じたその決定的な隙を逃さず、俺は彼女の両肩を掴み、彼女に唯一勝っている力に任せ、強引に彼女の身体を引き寄せる。
「しまっ!」
そのまま力ずくで投げられると思ったのだろう。
その時になってようやく、彼女の杖の先端は俺の咽喉へと向けられていた。
俺の両手が彼女の肩を掴んでいるとは言え、彼女の手には毒針がある。
ただ腕の力で突き出すだけで、十分に効果は期待できるのだろう。
……だけど、彼女の速度は俺とそう変わらず、そして攻撃に入ったタイミングはこちらの方が早い。
……彼女の毒針が俺の咽喉に向けて突き出された頃には、既に俺の繰り出した技は奈美ちゃんに届いていた。
「ん〜〜〜!」
俺の攻撃が届いた後……彼女の反撃は来なかった。
我が身に起こったことに完全に混乱してしまい、杖を突き刺すという発想すら出来ないらしい。
──ま、当然か。
何しろ俺の攻撃は顔面に向けてのものだったのだ。
しかも、彼女の摂食器官を自らのそれで覆うという、かなり極悪な攻撃……
──はい。正直に言います。
上手く奈美ちゃんの虚を突いた俺は、強引に彼女の唇を奪っていたのだ。
無茶苦茶柔らかい唇の感触と、同時に彼女の吐息、彼女自身の匂い・体温が近くて平静を保つのに苦労しつつ。
ギャラリーからの非難は覚悟の上だった。
いや、言い訳させてもらうと、実際の話、俺に残された選択肢はこれしかなかったのだ。
あの杖は痛いし、彼女の方がどう見ても技量は上。
……だけど、負けを認める訳にもいかない、この状況。
そんな中、思い出したのが、奈美ちゃんが手を握っただけでトイレに逃げ込むような女の子だったってことだ。
他にも俺と手が触れ合ったらよく照れて逃げいてたし。
まさに彼女の純情さを狙うという……凄まじく汚い戦術である。
──実際のところあれ全てが演技だったら、今この瞬間に俺の首が落ちていただろう。
それほど危うい賭けだったのだが……手から伝わってくる彼女の肩の筋肉の動きは、彼女が完全に混乱していることを伝えてくる。
少なくとも攻撃の意は感じられない。
ちなみにこれは中国拳法で言うところの聴剄ってヤツで、中国大陸で便衣兵ってゲリラ部隊と戦い続けた曾祖父が現地で学んだらしい。
──大丈夫っぽいな。
今冷静になって考えると、彼女がああやって手を触れたら逃げ去っていたのは、暗器や杖術を鍛えているその手のひらのタコを俺に悟らせないため……だったかも知れない。
そう考えると今更ながらに俺の頭から血が引いていく感覚が……
──こんな作戦、よくもまぁ、思いつきとは言え実行したもんだ。
そんな恐怖から逃れるかのように、俺は腕に抱いたままの奈美ちゃんの肩を少しだけ強く抱きしめる。
奈美ちゃんの抵抗は、欠片もなくて……
「ちょっ! 和人〜〜っ!」
「何やってるんだよ、お前は〜!」
ようやく我に返ったのだろう。
背後のギャラリーからは非難と驚愕の声が凄まじい。
──だけど、卑怯も武術の内だ。
セクハラだろうが何だろうが、守れば良いのだ。
……自分の安全と、身内の安全を。
──それが武術。
自分の身を守る為、弱者が必死で身に付けた技術。
つまり卑怯で当然……武術とは即ち、弱者がどんな手段を使ってでも生き残ろうとした技術の集大成なのだから。
と。今一番大事なのは武術の定義なんかじゃない。
眼前の俺よりも遥かに強いだろう彼女から、二度と俺に、いや、この学校に牙を剥かないよう、完全なる勝利をもぎ取ることが大事なのだ。
「んん〜〜〜〜!」
駄目押しに舌を入れてやる。
もう奈美ちゃんは暴れもしない。
完全に力を失った奈美ちゃんの手から、カランと音を立てて杖が落ちる。
俺の手を切り落とそうとした繊維も使おうとする気配がない。
そのまま調子に乗って舌で上の歯茎、下の歯茎をなぞる。
──う〜ん、慣れない味だ。
……小学生の頃、従姉妹と遊びでやらかした時以来だし。
危険を承知で追い打ちをかけるように、舌を歯と歯の間にもぐりこむ。
俺の舌が彼女のそれが触れる感触。
ビクってなって逃げる奈美ちゃんの舌を追いかける。
ちょっと悪乗りしている自覚はあったけど、此処で彼女への追撃を緩める訳にはいかなかった。
「っ〜〜〜〜〜〜!」
舌と舌が触れ合った瞬間、彼女の身体が重力に敗北して崩れ落ちた。
どうやら腰が抜けたらしい。
……彼女が敏感なのは演技でもなんでもなかったようだ。
考えてみれば当然である。
視覚がない分、聴覚を始めとする他の感覚が敏感になっているからこそ、彼女は視覚に頼らずともあの戦闘力を維持していたのだ。
となれば、触感もまた当然のように鋭敏なのだろう。
崩れ落ちた奈美ちゃんはもう反撃の意志さえなさそうに呆然としている。
この様子では、もう二度と俺に襲いかかってくることはないだろう。
ついでに言えば、彼女の企みを知った檜菜先輩や舞奈さんが奈美ちゃんを傷つけることもありえない。
つまり……
「っ!」
と、不意に背後から殺気を感じ、振り返る俺。
背後には、殺意混じりの視線で俺を睨みつける亜由美、檜菜先輩に舞奈さん。
舞奈さんが自分の唇に触れているのは……いや、あれは人口呼吸で、人助けだったんだってば。
俺の心の悲鳴を聞けるハズのおっぱい様は……彼女たちの背後で「もう面倒を見きれない」という表情で首を左右に振るだけだった。
ただ、そのおっぱい様の表情に、俺はこの状況がどうしようもないと悟ってしまう。
そして、この面々からはどう頑張っても逃れられそうにもない。
仕方なく俺は片手を上げて……
「俺の、勝ちだ!」
勝ち名乗りを上げる。
某2D格闘の炎使いみたいに。あ、ハチマキの方な。
蒼い方っぽく笑うのは、流石にこの状況では命が惜しい。
と。そのときに背後からエレベーターの音する。
「え? 何? 師匠と音無さん、休みなのにどうなってん?」
「これは……いつもの決闘ってことでしょうか? というか、何ですか、その格好」
「何故?」
「勝ち名乗りしているから、佐藤さんが勝ったんでしょうか?」
ドアが開くと同時にぞろぞろと出てきた三人娘に、由布結に吉良光、稲本雷香という二組の面々。
良く見れば舞斗のヤツも、一組の人間も数名混ざっている。
「佐藤さん、どうしたんですか?」
状況がつかめていない、新たに屋上に上がってきた面々を代表し、委員長が尋ねてきた。
──参ったな。
ここで起こった事実をありのまま言う訳にもいかない。
……これは俺の推測でしかない。
推測でしかないけれど、奈美ちゃんが入学してすぐに誰かを手にかけることもなく、ただ俺が暴れるのを見ていた理由は……彼女がこのふざけた『夢の島高等学校』での学生生活を楽しんでいたから……だと思うから。
奈美ちゃんがこの学校を潰しに来た刺客だと彼女たちに教えるのは、そんな彼女の年相応の躊躇を全てぶち壊すことになってしまう。
当の本人である奈美ちゃんはまだ腰が抜けたままで、顔が真っ赤に染まり瞳は潤んでいた。
正直な話、Aカップは好みじゃないんだけど……その表情はかなりクるものがある。
そうして奈美ちゃんを眺めていると……不意に言い訳を思いつく俺。
──だけど、これは……
ただ、檜菜先輩や舞奈さん、亜由美、奈々までも彼女たちに対する言い訳を考えているような表情。
彼女たちの困ったような表情を見る限り、この場を何とか出来るような咄嗟の打開策は見つけられなかったらしい。
……はぁ。
俺はため息を一つ吐くと、覚悟を決める。
──この言い訳を口にすると、また暫くはシカトされるだろうな。
だけど、奈美ちゃんの正体が彼女たちにもバレて、これからの彼女の学校生活が、俺の中学最後の方のような、黒歴史に彩られたものになるのは流石に可哀想だった。
──キミが笑ってくれるなら、ボクは悪にでもなる。
なんて、どこかの歌詞が脳裏に浮かんだ徳碁、俺は迷うことなくそれを実行に移すことにした。
「奈美ちゃんから交際を申し込まれて、その。白黒をつけるために決闘していた訳だ」
俺の声は静まり返っていた屋上に思ったよりも大きく響き渡っていた。
同時に「おぉ〜〜」という屋上にいた全員からの驚きの声。
けど、不思議そうな声はない。
ありがたいことに、本当の理由を知っている面々からの制止もなければ、奈美ちゃんからの抗議もなかった。
……尤も、今の奈美ちゃんがまともな思考が出来ているかは謎だけど。
「で、見ての通り、俺の勝ちって訳だ」
「師匠、ひでぇ」
「音無さん、立てないようですし。そこまで全力でやる必要は……」
「外道」
三人娘が俺を非難する。
と言うか、その声によって、それらの言葉が二組全員の、いや、屋上に雁首並べている全ての超能力者たちの総意っぽい雰囲気が形成されていた。
よし。狙いは成功。
そして、次の台詞で……この決闘の理由を詮索する人間はいなくなる。
学校の存続意義は作り出したし、刺客の狙いも断った。
──これで、生乳フラグは立った。
後は、ずっと全員に黙っていて心苦しかったこの台詞を。
言うに言えなかったこの台詞を。
勘違いされ続け、ずっと否定したかったこの台詞を。
屋上全てに響き渡れとばかりに、息を吸い込んで……
「だって俺、ない乳には興味ないし!」
そう叫んだ。
これ以上ないほど正直に。
心の底から。
え? それからどうなったって?
乳のない心の狭い連中……奈々と檜菜先輩以外の全員にボコられましたよ。ええ。
奈美ちゃんはずっとへたり込んだままだったけど。
つーか、お前ら、その仕打ちはないだろう。
俺、これでも一応、この学校を守ったんだよ?