小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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  〜 二ノ壱 〜


 ──どうしてこうなった?
 ──どうしてこうなった?
 ──どうしてこうなった?

 俺は、内心で何度も何度も同じ疑問を繰り返していた。
 何しろ俺は……ちょっとばかり古武術をかじったことがある程度の、ただの高校生である。
 某映画にもなった有名ヒロインにとって一切興味のないハズのただの人間であり、宇宙人でも未来人でも超能力者でもない、本当にただの高校生なのだ。
 そんな一般人であるハズの俺がCMに惹かれてこの『夢の島高等学校』に通い始めたのは三か月ほど前。
 サブリミナル効果によって超能力者ばかりが集められている『夢の島高等学校』に普通人の俺が紛れ込んだことで、色々と悶着は起こったものの……まぁ、そんな俺もここ三か月間の努力のお蔭で、何とかこの学校に溶け込み、超能力者から変な視線で見られるようなことはなくなっていた。
 だと言うのに……

「どうして、こうなったんだ?」

 そう呟くしかない状況に俺は陥っていた。

 ──何しろ、俺の前には米軍特殊部隊とかいう身長二メートルを超える黒人の大男が立ち塞がっていて。

 ──しかも、これからコイツと決闘させられるらしい。

 まさに、某AAの如く「どうしてこうなった?」と連呼ながら踊り出したい気分である。



 全てのことの起こり……いや、全ての伏線が出揃っていたのは、今思い返せば、今日から一か月ほど前の五月十五日。
 連休明けにあったテストの結果が俺の手元へ帰ってきたその日のことだった。

 ……あの日の俺は、まさかその日の食堂に原因の全てが……俺が一月足らずの間に三〇連戦という無茶苦茶をやらかした挙句、米軍特殊部隊と正面から決闘をしでかす羽目になる原因があったなんて……欠片も思っていなかったのだった。



   〜 1 〜



 ──五月十五日。

 後々に全ての伏線が詰め込まれたと気付かされることになるその日の放課後。
 俺は何も知らないまま寮一階にある食堂の、机の上で頭を抱えていた。

「和人、頭を抱えてどうしたのよ?」

 頭を抱えていた俺に向けて話しかけてきたのは、級友にして今やこの『夢の島高等学校』で最も仲の良い友人と言っても過言ではない中空亜由美だった。

「……亜由美、か」

 近づいてきた少女の気配を一瞥すると、俺はすぐに机の上に視線を戻す。
 AAという、我が一年B組でも最貧を誇る彼女は、今俺が直面している問題と比べると非常に優先度が低く……
 正直、人生に関わるレベルの悩みを抱えた俺にとって、亜由美のAA如き、視線を向けるだけ無駄な存在だったのだ。
 そう。
 ……転生したてのゴッドハンドがかつての親友だった黒い剣士を表現した「取るに足らない存在だ」という表現が一番近い。
 そんな俺の態度に柳眉を立てた亜由美だったが、すぐに俺の手元にある一枚の紙切れに気付いたのだろう。
 1年B組でPSY指数最強を誇る彼女の超能力『空中歩行』(エア・ウォーカー)によって中空に舞い上がった亜由美は、水色の下着が見えるにも構わずに中空で逆さになり、俺の頭上からその紙切れを覗き込み……

「……うわぁ」

 俺が手に持ったままの紙切れ……今日返ってきたテスト用紙……を覗きこんだ亜由美の言葉は、ただそれだけだった。

 ──いや、それしか言えなかったのだろう。

 そのまま亜由美は俺の頭上からふわりと地上へと降り立ち……悪いことをしたと反省するかのように俯いて、俺から視線を逸らしてしまう。
 そんな亜由美の態度に少しだけ苛立つ俺だったが、文句が言える筋合いでもない。
 正直な話、持ち主である俺自身でさえ見た途端に絶句してしまったほど、このテストの点数は酷かったのだ。

 ……何せ、一桁、である。

 三〇点が赤点ボーダーだから、まさに「救いようがない」というヤツだ。
 そりゃ確かに普通人(ノーマル)でしかない俺にとって、「超能力」のテストなんて完璧に門外漢でしかないのだが。

「……でも、それ筆記試験。
 先生の話を聞いていれば、だいたい解ける」

 そう横合いから俺の急所を抉るような言葉を放ったのは、G級どころかその上位に位置する崩龍級の存在感・威圧感を誇るおっぱい様だった。

「やかましっ……たわばっ!」

 突然の横やりに思わず反論しようと振り返った俺だったが、振り返ったその丁度眼前にあった『その凄まじき二つの質量』に圧倒されて、北斗の雑魚連中みたいな叫びを上げて崩れ落ちる。

 ──いや、突然だったからさ。

 しかも覚悟を決める暇もなく、接触まであと数センチという至近距離でその二つの龍玉を見せつけられたのだ。
 ……曾祖父に鍛えられた俺の武術体質は、圧倒的猛威を眼前にした瞬間、仮死という手段を選択していたのだ。

「……ばか」

「いや、御尤もなんですけれども」

 『精神感応』(テレパス)という超能力を持ったG級おっぱい様、もとい数寄屋奈々のそ言葉は、死んだふりをしていた俺に突き刺さってくる。
 いや、脳内のセリフに突っ込みが入ったのか、それともテストの点数に突っ込みが入ったのかは、実のところ分からなかったんだけど。
 ……まぁ、正直な話、どっちでも大差ないんだけどさ。

「それ、赤点じゃないの?
 このままじゃ進級さえヤバいんじゃない?」

「うるさい。期末で挽回すりゃまだまだ……」

 本気で心配そうに声をかけてくる亜由美に向けて、俺はそんな悪態を返す。
 ちなみにこの『夢の島高等学校』では、学期初旬に行われる中間テストと、学期末に行われる期末テストの平均点により、補習を受けたり落第が決まったりするらしい。

「挽回って言ってもその点数じゃ……
 期末で五〇点以上取らないと……」

「だから、その、これから挽回の手段をだな」

 口に出しながらも俺は、自分の詭弁に自嘲する。
 さっきまでの俺はその挽回の手段とやらが全く思いつかなくて困っていたのだ。

 ──勉強すれば良い?

 それはそうだろう。
 テストなのだから勉強すればそれで良いのだろう。
 だけど。
 ……だけどさ?

 ──パソコンを全く知らない人間がプログラミングを学んで理解できるか?
 ──食事なんてサプリで十分というヤツに料理を教えたところで大成できるか?
 ──英語を全く知らない人間に対して英語の文法を教え込んで意味があるだろうか?

 ……そういうことである。
 超能力を持たない俺にとって、「超能力」の筆記テストというのは、そういう、意味不明の宇宙人言語を読み解けと言われるに等しい問題であり……

「……言い訳。
 奈美の点数、八五点だった」

「……くっ」

 そしてそんな俺の心の旅は、『精神感応者』によってあっさりと断ち切られる。
 正直、彼女をポケットに詰め込んでこのまま連れ去りたい気分に陥る俺だったが、それすらも逃避に過ぎないと思い直す。
 そんな時だった。

「お〜い。師匠。
 荷物届いてんで?」

「本、だって」

「……他の人たちのも、一緒」

 俺の悩みをぶち壊すほどやかましい声でそう語りかけてきたのは、うちのクラスでよくつるんでいる三人娘たちである。
 Aの扇羽子、AAの雨野雫、Bの石井レキ。
 ……いずれも大した存在じゃない。
 俺はその六つの雑魚からからさっさと目を逸らすと、三人組がその手に持つ段ボールの中へと目を向ける。

 ──あった。

 この女性だらけの寮生活で、それでもまだ足りない潤いを取り戻すための救援物資が、今ようやく届いたようだった。
 俺は段ボールから素早く自分の荷物を取り出すと、その場でさっさと開く。
 俺が買ったのは、ただの雑誌だった。
 周囲の視線を気にもせず封を開いた俺は、お目当てだった付属のポスターを広げる。

「ちょっと、和人」

「……いくらなんでも」

「うわぁ」

 周囲からそんな声が上がったが、知ったことか。
 だって俺は……曾祖父の言いつけどおり「正直者であれ」を信念にしている。
 である以上、俺がこうして最近話題になってきた巨乳グラビアアイドル「水橋蓮」の等身大ポスターを、堂々と衆目の前で広げる程度、何の躊躇いもない。

 ──いや、むしろこうして堂々と広げなければ、天に召された曾祖父に胸を張れないだろう。

「ま、師匠の性癖はもう慣れたけどな?」

「そうそう。
 男の子ってそんなもんでしょ」

「……元気な証拠」

 羽子・雫・レキのB組名物トリオが知ったような風にそう男を語っていたが、俺の知ったことではない。
 と言うか、眼前に広がるこの素晴らしい光景を至近距離で眺めるという至福の時間を邪魔されたくはないのだ。

 ──くそっ。これが立体だったらな!

 ただ、惜しむらくはこれが絵でしかない、ということだろうか。
 ついさっき最強にして最凶のG級モンスターを眼前に見た俺にとって、今までは至高とも思えたそのグラビアアイドルの等身大ポスターは、所詮は絵に描いた餅……言うならば序盤まで苦戦を強いられていた筈のクック先生程度の存在でしかなく……いや、轟龍くらいの脅威もとい胸囲ではあるが。

「……はぁ」

 人前で堂々と眺めるほどのテンションが上がらなかった俺はため息を一つ吐くと、そのポスターを折りたたむと雑誌に挟み込んだ。

「ほい。委員長、とらのあなから荷物。
 多分、いつものやろ?」

「委員長、あとで見せて下さいね」

「……どうせ少年モノ」

「もうっ! 大声で言わないでください!」

 気付けば、三馬鹿娘は着いた荷物をみんなに配っていた。
 委員長ことうちのクラスナンバー3にしてBサイズの乾操が何を買ったかは……聞かないでおこう。

 ──世の中には、確実に知らない方がマシな知識というのはあるのだから。

「で、これが私らの荷物、っと」

「……温泉の素?
 ダービースタリオンの攻略本となんだこりゃ?」

「ああ、委員長から相談受けててな」

 そう言って羽子が手にしたのは温泉の素だった。
 委員長の相談と温泉の素が一体どういう関係があるのかは分からなかったが、まぁ、他人の荷物について詮索するのもどうかと思い、肩を竦めるだけにする。

「これは私のゲームを円滑に進めるための血統表ですわ」

「あ〜」

 お嬢様っぽい雰囲気とは裏腹に、レトロゲームを趣味とする雫が手にしたのは古めかしい攻略本だった。
 最近ではインターネット上に幾らでも攻略データなんて落ちているものだが……まぁ、こうして本を集めるのが彼女の趣味なんだろう。

「……これは、私の」

 レキが買ったのは訳の分からない真っ黒な彫り物だった。
 有名なクマが鮭を咥えたヤツではなくて……何故かクマが鮭に襲われている。
 それの何が彼女の気を惹いたかは分からないが、まぁ、何か感じるところはあったのだろう。
 他にも、筋トレに使うだろう鉄アレイとか、下駄とか首輪とか、まぁ、色々と出てくる出てくる。
 それらをあの三人娘は注文しただろう一年・二年の各生徒たちに配っていた。

「……顔、広いよな、あいつら」

「まぁ、彼女たち、いつも何か買ってるみたいだからね〜」

 亜由美の言葉に俺は頷く。
 所詮、二十八名しかいない学校である。
 ただでさえあまり考えのないあの三人のことだ。
 ああして通販という会話の糸口がある以上、誰とでも話して顔見知りになるのはそう難しいことではないのだろう。
 逆に俺みたいに後ろ暗いことのある生徒は、部屋に籠りがちになり……俺自身もこの学校に通いだしてもう一月が経過したというのに、「超能力を使えない」ことを公言するのも躊躇われる所為で、まだ自分のクラスメイト以外の顔見知りはあまり多くない。
 そう考えた俺が、ふとその顔見知り……二年生の方に視線を向けた。

 ──その時、だった。

「何だと、もう一度言ってみやがれっ!」

 食堂中に怒声が響き渡る。
 声の主は陸奥繪菜……一つ上の先輩である。
 両腕がないにも関わらず、顔の近くに浮かんでいる携帯電話に向けてそう怒鳴っている彼女の能力は『不可視の腕』(インビジブル・ハンズ)。
 見えないところに腕の形をした力場を発生させるという、凄まじくも凶悪な超能力の持ち主である。
 前に決闘した時には酷い目に遭ったから、その凶悪さは文字通り骨身に染みている。

「何を考えてるんだ、てめぇ!
 そんなふざけた計画なんてっ!」

 浮かんでいるように見える携帯電話は、見えない手によって保持されているに違いない。

「先輩が怒鳴るって珍しいな」

「すごい、剣幕だね。
 何話しているんだろ?」

 ちなみに、繪菜先輩は好戦的な笑みや悪巧みの笑みを浮かべているのが常の、Dサイズを誇るこの学園のナンバー2であり……いつも余裕綽々という雰囲気で、激しく感情を表に出すタイプではなかった。
 そんな彼女が珍しく怒鳴りつけているのだ。
 何を話しているか非常に気になった俺は、あのDを遥かに超えている、この『夢の島高等学校』において最強且つ最恐且つ最凶の、隣に控えられておられるおっぱい様の方へとつい視線を向けてしまう。

「……プライバシーは教えない、わよ」

 おっぱい様から返ってきたのは、そんなつれない一言だった。
 ただ、そう言われると返す言葉を俺は持たない。
 確かに人の心を勝手に読むなんて、相手のプライバシー侵害以外の何物でもない訳で。
 そもそも、この俺が眼前の素晴らしいおっぱい様に口答えするなんてこと自体、新皇帝にギアスで操られたブリタニア貴族の如く、あり得ないことだったのだが。

「大体、だな。
 そういう大事なことを……あぁ?」

 繪菜先輩は未だに話が終わらないのか大声を上げながらも、周囲の視線を気にしたらしく、能力によって車椅子を動かして食堂から去って行った。
 ……帰り際にふと俺と視線が合ったのは、ただの偶然だろうか?

 ──そう言えば、舞奈さんはいなかったっけ?

 いつも車椅子の先輩と一緒にいる筈の先輩が見えなかったことに、俺は首を少しだけ傾げていた。
 だけど、すぐにどうでも良いやと思い直す。
 ……だって舞奈さんって、あの凶悪な超能力は兎も角、バストの方はAしかなくて、そう意識するほどの存在でもないし。

「っと。……なんだ?」

 ふと視線を戻してみれば、俺の前には羽子・雫・レキにうちのクラスの委員長が並んでいた。
 四人とも何故か妙に顔が赤く、その手には何故か温泉の素を手にしている。
 彼女たちは今まで見せたことのない奇妙な表情を浮かべながらも、その視線は妙に熱っぽく俺をまっすぐに見つめていて……正直、俺は嫌な予感しかしなかった。
 ただ、彼女たちの表情は頬を赤らめながらも真剣で……無視は出来ないらしい。

「……何か、用か?」

 だからこそ、俺は嫌な予感がしつつも、彼女たちの話を聞くために続きを促したのだった。

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