小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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 〜 2 〜


「では、始めましょう」

「……ああ」

 三限目の超能力の授業が始まってすぐ。
 二人で示し合わせたかのように俺と奈美ちゃんは向かい合っていた。

 ──当たり前だ。

 無能力者の俺は授業を受けることを早々に諦め、テストの成績をこの『序列』というシステムに頼っている。
 ……と言うか、頼るしかないところまで早々に追い込まれている。
 同じく無能力者の奈美ちゃんも走り込みしかしないような超能力の授業には何の未練もないらしく、この決闘を待ち望んでいた。
 そんな二人が決闘解禁の超能力の授業で顔を合わせて……戦わない訳がない。

 ──いや、俺としては走り込みの最中に揺れ弾むおっぱい様を眺める方も大事ではあったんだけど。

「……留年する気?」

 俺の内心を読んだらしいG級おっぱい様のその一言に俺は気を取り直す。
 ……そう。今日のおっぱいよりも……

 ──明日のおっぱいのために。

 某片目のおっさんが刑務所内の少年ボクサーに送った手紙のような言葉を、俺は心の中で唱えていた。
 来年・再来年と続く二年間、あのおっぱいを眺めているために、俺は心を鬼にして眼前のおっぱいを振り払い、こうして決闘を選んでいるのだ。

「さて、今後の参考にと……」

「確かに、ここで見逃す手はないわね」

「しかし、授業中ですし」

 そして当然のことながら……俺たち二人が相対した瞬間から、クラスメイトは全て野次馬へとクラスチェンジをしていた。
 気が進まない様子だったのは委員長くらいのものである。

「……仕方ないですね。
 今日の授業は序列戦の実地説明としましょう。
 他にも序列戦を挑みたい方がおりましたら、この勝負の後でお願いしますね」

 クラスメイトを一瞥するだけで授業になりそうもないと判断したマネキン教師は、肩を竦めながらそう告げる。
 その一言で俺たちの勝負は……教師公認の見世物へと変貌してしまっていた。

「っしゃあ! 話せるやん、先生っ!」

「堅そうな面の割に柔軟なところありますわね」

「……そこに痺れる憧れる」

 見物が教師公認になった瞬間、飛び交う野次……と言うか、特定三名の声は響く響く。

 ──しかし、授業妨害だな、こりゃ。

 周囲に並ぶ級友たちに視線を向けつつ、俺は内心でそう呟いていた。
 それでも、こうして決闘を行う方が授業を学ぶよりも有意義だと学校側が判断したのだろう。

 ──百の練習は一の実戦に勝る、だったか。
 ──他人が戦うのを見る、見取り稽古ってのもあった、ような。

 何処かで聞いたような単語を頭に浮かべつつ、俺は眼前に佇む奈美ちゃんへと向き合う。
 お互いに学校指定の体操服というのが今一つ決まらないものの、俺と奈美ちゃんは微かな笑みを浮かべつつ対峙していた。
 そして。

「では、序列二七位争奪戦。
 序列二十七位音無奈美対序列二十八位佐藤和人。
 始めっ!」

 マネキン教師のその一言が俺たち二人の戦いの始まりだった。



 マネキンから発せられた合図と同時に俺が両手を身体の前に構える。
 俺が構えるのを見た奈美ちゃんも、ステッキを身体の前で垂直に構え、トントンとリズムを取るかのように床を叩き始めた。

「アレは何をやっているのでしょう?」

「ああやって床を叩いた音の反響で、相手の位置を確かめてるらしいよ?
 ボクも見るのは二度目なんだけど……」

 野次馬の一人である委員長の問いに、前の決闘に居合わせていた亜由美が得意げに答えていた。
 亜由美の語る通り、奈美ちゃんはあの音によるアクティブソナーで俺の位置を確実に把握している。
 事実、俺が右へと回り込むように身体を動かした瞬間、奈美ちゃんの杖が俺を正面に捉えるように追いかけてくるのだ。

 ──相変わらず、隙がない。

 以前戦った際、一切の隙がなかった彼女の独特のその構えに、俺は攻めあぐねていた。
 何しろ、彼女のあの杖の先には……

「ああ。今日は和人さんも丸腰ですので。
 針や糸を使うつもりはありません。
 安心してかかって来て下さい」

「そいつは、ありがたいっ!」

 俺の逡巡を見透かした上で誘うような奈美ちゃんの声に、俺は乗ってみることにした。
 前へと大きく踏み込み、牽制と防御を兼ねて彼女の杖へと手を伸ばす。

 ──杖さえ奪ってしまえばっ!

 幾ら毒針を使わないとは言え、彼女の戦闘法がこのステッキに依存しているのは紛れもない事実。
 ならば、それを奪ってしまうと安易に考えた俺だった訳だが。

「甘いですよ?」

 暗殺者一族の出らしい彼女に、そんなのが通用する筈もなく。
 飛び出した瞬間に合わせるように踏み込んできた奈美ちゃんの姿に、俺は一瞬だけ戸惑い硬直してしまう。

「──ぐっ」

 その硬直を狙い、踏み込んだ俺の右足に彼女のステッキの先が突き刺さる。
 ただのそれだけで、踏み込もうとしていた俺の身体は縫い付けられたかのように止まってしまう。

「……実戦であれを使うなんてっ」

「知ってんのか、雷電……じゃなかった、亜由美?」

「多分、足のツボ……臨泣よ、アレ」

 ──外野は平和で良いなぁっ、畜生っ!

 羽子と亜由美の漫才に俺は内心で愚痴るが、実際はそれどころじゃない。
 ただ足の甲、小指と薬指の付け根の辺りを軽く突かれているだけだと言うのに、俺の身体は足から脳髄まで響くような痛みに身動き一つとれやしない。
 その次の瞬間、がら空きの顎目がけて彼女のステッキの持ち手が跳ね上がってくるっ!

「っちぃっ!」

 その一撃を何とかスウェーで避ける俺。

 ──危な、かった。

 彼女の杖が跳ね上がった瞬間、痛みから解放されたお蔭で何とか避けられたのだが。
 もし、彼女の攻撃速度が鍛えられた人間のソレだったら……恐らく、今の一撃を顎に貰い一撃で昏倒していただろう。

 ──相変わらず、微塵の隙もない。

 背筋が凍る恐怖という感覚に浮かんできた冷や汗を、気付けば俺は無意識の内に右袖で拭っていた。

 ──僅かな隙を見せただけで、一瞬でKOを喰らうぞ、コレは。

 そう内心で呟いた瞬間だった。
 俺が汗を拭うことに気を取られた刹那の瞬間を狙って、奈美ちゃんのステッキが横薙ぎにこめかみ目がけて襲い掛かってくる!

「っ!」

 慌てて頭を下げ、その一撃をやり過ごす俺。
 どうやら彼女を前にしたならば……汗を拭う暇もないらしい。
 先日のように鉢巻きをしていない自分に一つ舌打ちしつつ、背後に数歩下がって奈美ちゃんから距離を取る。

「何よ、あの動き……」

「正直、見えなかった、ですわ」

「……あんなの、防げない」

「だから、奈美ちゃんはうちのクラスでも技量だけなら最強なんだって」

 今の横薙ぎの一撃で野次馬たちがざわつき始める。

 ──まぁ、今まで彼女は大人しい盲目の少女だと思われていた訳だからな。

 そんな奈美ちゃんの戦闘力を目の当たりにした彼女たちが騒ぐのも無理はないだろう。
 ただ実際のところ、奈美ちゃんの攻撃速度は格闘家としてはさほど速くなく……素人でしかない級友たちには脅威でも、俺にとってはそこまで恐ろしいものではない。
 ……しかしながら。
 奈美ちゃんが恐ろしいのは、全てのフェイントを見切り一瞬の隙をも逃さない観察眼と、『起こり』が全く知覚できないその攻撃技量、加えて確実に急所を狙ってくる攻撃精度の方である。
 それを理解している俺は、何が来ても反応出来る一歩半という距離を保ったまま、色々と構えを変えながら奈美ちゃんの手の内を窺ってみるが……

 ──くそ、やはり隙がない。

 ……相変わらず奈美ちゃんは凄まじい使い手だった。
 下段の足払いを狙おうと後ろ足に重心を置くと、即座にステッキが少し持ち上がる。
 タックルを狙おうと上体を少し低くすると、杖先がこちらの眉間へとまっすぐ向けられる。
 彼女の左から踏み込もうと重心を右に傾けた瞬間、ステッキを身体の左側へと持ち直す。
 僅かな重心の狂いや体勢の変化に合わせて来ているのだろう。

 ──これで、目が見えないってんだから……

 相変わらず奈美ちゃんの凄まじい技量に頭が下がる思いだった。

「お〜い、面白ないで?」

「もう少し頑張ってもらわないと」

「……退屈」

 だが、感心してばかりもいられないようで、お互いの出方を窺うような俺たちに向けて外野から野次が飛んで来る。
 こういう玄人好みのフェイント合戦は外野からすれば面白みには欠けるのだろう。
 しかし、彼女たちの言い分も尤もではある。

 ──このままでは埒が明かない。
 ──何とかして打開策を見つけないと。

 そうして攻め手を幾つか探っていた時だった。

「っ!」

 立ち技から投げを狙う、掴んでからの技に対して、何故か彼女の反応が一瞬だけだが鈍るのに俺は気付いていた。
 ……まるで、立ち関節が苦手と言わんばかりに。

「ふっ」

 俺は勝機とばかりにその一手を狙うべく、重心を前に倒し……
 ……ふと、気付く。
 俺が投げを狙おうとした瞬間、彼女の唇が少しだけ……数ミリも満たないくらい、前へと突き出されたことに。

 ──アレ、かぁっ!

 その時俺の脳裏に浮かんだのは、前回……屋上で彼女と決闘した時に俺が使った、最悪最低の技だった。
 無防備な少女の唇を奪うという、卑劣極まりない技。
 ……いや、技というよりはもっと非道で外道な何かだろう。
 少なくとも俺は、アレをもう一度使いたいとは思えない。
 そんな技に対して、彼女の反応が鈍る。

 ──もしかして、精神的外傷になっているんだろうか?

 ……いや、違う。
 待ち構えるかのように唇を突き出すと言うことは……トラウマになっている訳ではないだろう。
 むしろ、あの様子は……あの技を望んでいるとも言える。
 ……つまり。

 ──あの技に対しての返し技を身に付けた、ってことかッッッ!

 そう。
 仮にも暗殺のプロが、戦闘技能を極めた人間が、同じ技で二度と遅れを取ろう筈がない。
 つまり、彼女のあの反応の遅れは、間違いなく……『ブラフ』。
 もう一度、俺があの死技を仕掛けた瞬間、返しの必殺技が俺を襲うだろう。
 そうと決まれば、奈美ちゃんに対してあの技をもう一度仕掛けるのは自殺行為以外の何物でもないだろう。

「……酷い勘違い」

 右前方でおっぱい様の首が左右に振れ、その下の二つの膨らみが弾んでいたが……多少推測に違いがあれど、あの技が使えないことに違いはない。
 となると……俺が取れる手段は、あと二つ。
 耐久力と体力と体格に任せ、正面からの殴り合い……消耗戦を挑むか。
 もしくは……

 ──やっぱ、『コレ』を使うしかない、か。

 どうやらさっきの休み時間に三階の音楽室まで足を運んで細工をした甲斐はあったらしい。
 俺としては、こんな小細工は使いたくないのだが。
 ……しかし、こんな場所で一か八かの消耗戦を挑む訳にもいかない。

 ──まだ俺は、これから二十六人も勝ち抜いていかなければならないのだから。

「悪いが、勝たせて貰う」

「……へぇ」

 俺のその呟きに、奈美ちゃんはどう思ったのだろう。
 少なくとも表面上は楽しげに、だけど何処となく物惜しそうな寂寥感を滲ませつつ、そう呟くと。
 杖を床に突き、腰を腰だけ落として俺の方へと殺意を向ける。

「なら、全力で迎え撃たせて頂きますね」

「──っ!」

 その殺気に、俺は一瞬で気圧される。
 まるで猛獣と正面から向かい合ったかのような……いや、実体験でクマと向き合った時よりも遥かに凄まじいその殺気に、俺は一瞬だけ怯む。

 ──この作戦、本当に通用するのか?

 ……そう。
 これは作戦と言うよりは賭けに近い。
 今までの一か月余りの彼女と暮らしてきた日々の中から、彼女の性格・彼女の反応・彼女の能力・彼女の技量。
 そういうものから類推して、ある程度の確信を得た上での作戦ではある。

 ──だけど、通用するとは限らない。

 失敗したことを考えると、不安で脚が竦む。
 ……が、他の手は消耗戦しかない。

 ──南無三っ!

 俺は内心でそう祈ると、右手をズボンのポケットに入れ……

「……え?」

 そのポケット内部に仕込んであった物体の、スイッチを入れたのだった。

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