〜 3 〜
──チッコ、チッコ、チッコ、チッコ。
それは、言葉にすればそんなリズムだろうか?
その音は微かに、だけど確実にこの戦場に響き渡っていた。
とは言え、聞き取れたのは発信源である俺と……視覚がない故に凄まじいまでの聴覚を有している眼前の敵……奈美ちゃんだけだったのだろう。
「……え?」
だが、その微かな音の効果は絶大だった。
──カラン。
奈美ちゃんは俺の……俺の『股間』から聞こえてきたその規則正しいリズムに気を取られ、彼女の生命線であり武器でもあるステッキを取り落してしまう。
「この瞬間を、待っていたんだ〜〜〜っ!」
俺はI・フィールドハンドで敵の動きを止めた海賊MSを操る少年のように大声で叫ぶと、渾身の力を込めて突っ込む。
「あっ?」
如何に鍛え上げられ、凄まじい技能を持っていたとしても、音無奈美という少女の肉体はあくまでも少女に過ぎない。
完全に虚を突いた俺のタックルを受け止められる訳もなく、あっさりと床に転がってしまう。
それどころか、俺は今までの苦労が嘘に思えるほどあっけなく、マウントを取ることに成功する。
「──くっ?」
一瞬だけ奈美ちゃんは身体を浮かそうと暴れるが……その反応も一瞬で気力が萎えたかのように衰え。
そのまま俺は彼女の体操着を掴むと、その布で彼女の首を締め上げる。
──十字締め。
流石に直接首を絞めたり、マウントで女の子の顔面をぶん殴るのを躊躇った俺が、苦し紛れに使った技だったが……
……効果は抜群だった。
完璧に決まった柔道技に逃げ道など存在しない。
パンパンと、何一つ抵抗らしい抵抗も出来ないまま、奈美ちゃんはギブアップを手で宣告する。
「勝者、佐藤和人!」
それを見て審判だったマネキン先生がそう告げ、この戦いは終わりを告げたのだった。
「何か、あっけないですね」
「目が見えないから、避けられなかった、とか?」
「いや、あの様子だと……多分、和人が何かしかけたんじゃないかなぁ?」
そのあっけない幕切れに、級友たちが何処となく拍子抜けした声を出す。
俺の性格を知っている亜由美は、何かに気付いたようだったが。
「……非道」
一人だけ俺の内心を読めるおっぱい様は、凄まじく冷たい目をこちらに向けて来ていた。
……いや、正直、こんなのは俺も卑怯とは思うんだけど。
──兵は詭道なり。
まっとうに戦えば勝てない技量を持ち、しかも付け入る隙すら見つけられない格上を相手にしているのである。
……そんな相手に勝とうとするなら……どんな手段を使ってでも強引にでも隙を作るしかない。
ただ、その『詭道』に嵌った奈美ちゃんはまだ理解出来ないのか、戦いが終わった後も上体のみを起こしたままで、サングラス越しにこちらを見つめ……
「……あの、和人さん?」
納得がいかないような顔のままそう問いかけてきた。
「さっきの、硬いのは、一体?」
彼女が言いたいことが何かを察していた俺は、ズボンの中に手を入れ……
──中身を取り出す。
チッコチッコチッコと鳴り響くそれは……
「時計? いや、メトロノーム?」
「何で、そんなのを……」
「……小型の電子タイプ」
三馬鹿娘が首を傾げるのも無理はない。
普通はそんなものが股間から出てくるなんて思うヤツはいないだろう。
「休み時間の間に、音楽室へ行ってちょっと、な」
俺は肩を竦めながら答える。
「……どうして、そんなものを?」
「いや、昨日の風呂場を思い返してな」
奈美ちゃんの問いに対して、俺はそれだけを答える。
「どういうことかな?」
「……さぁ」
「さっぱり分からんわ」
俺の簡潔過ぎる回答の意図が読めないのか、クラスメイトたちは揃って首を傾げていた。
が、その一言で答え合わせとしては十分だったのだろう。
事実、奈美ちゃんは俺の意図が読めたらしく顔を真っ赤にして俯いていたのだから。
──そう。
今日の一時限目、数学の授業中。
XやらYやらの方程式が雑音として飛び交う最中、俺は考え続けていた。
──今日ぶつかるであろう奈美ちゃんの隙を突く方法を。
そして彼女の行動を何度も何度も思い返している最中にふと疑問が浮かんだのだ。
彼女は日常生活中、歩くときでさえステッキで床を突くのは一〇秒に一度くらいである。
なのに、昨日の風呂場では彼女は三秒に一度くらいの割合で床を突いていた。
その奈美ちゃんのお蔭で羽子の絆創膏や雫と委員長の水着は見破られ、あの勝負はフェアな条件で行われたのだ。
……尤も、結果として俺は大恥をかいた訳だけど。
それは兎も角、彼女のソナーは頻度を高めれば高めるほど、高性能に、タオルで見えないような位置までも知覚が可能であるということだ。
そして。
──何故か彼女は風呂場で必要以上のソナーを乱発し。
──そのソナーの正面で俺はタオル一枚のみの恰好で突っ立っていた。
そこから導き出せる答えは一つ。
──奈美ちゃんは大人しい顔をして、異性の股間部に興味津々だということだっ!
だからこそ、股間部からあり得ないリズムであり得ない音が響いてきたならば、彼女は混乱してくれると予想し、メトロノームを忍ばせていた訳だが。
結果は上々だった。
──まさかステッキを落とすまで動揺してくれるとは。
いや、マウントを取った瞬間も、抵抗しようとした一瞬に、何故かあっさりと力尽きたようだったし。
「……最低っ」
俺の内心の叫びを聞きつけたのか、未だに崩れ落ちたままだった奈美ちゃんを慰めていた心優しいおっぱい様は、俺に向けて冷たい突っ込みを放たれた。
が、その声は俺の外道な策への嫌悪感はあっても俺の間違いを咎める響きはない。
……つまりは、それで正解なのだろう。
ただ、おっぱい様に蔑まれるのは、M気質の欠片もない俺としてはちょっとばかり辛いモノがあった。
「……いや、どんな手段を使っても、勝ちは勝ち、だからな」
気付けば俺は、つい言い訳をするかのようにそう口を開いていた。
事実、俺の曾祖父はそういう考え方をする人間だった。
いや、正確には『どんな戦いでも死んでしまえば何も言えない』と教えられたのだが。
……だから、どんな勝ち方をしても良いから『最低でも生き残れ』と何度も何度も説かれたものである。
ただし『卑劣な勝ち方をしても胸は張れないぞ?』とも釘を刺されたものだが。
だからこそ、俺は今日の勝利を誇れない。
──今日は『ただ勝った』というだけなのだ。
「……そんなのっ」
「いえ、和人さんの言うとおりです。
この音無奈美、戦いの中で戦いを忘れてしまいましたっ!」
俺の言い訳に対しておっぱい様が口を開こうとしたのを遮り、恐らくは俺と似た考え方を持っているだろう奈美ちゃんは大声で敗北を宣言する。
そうして、序列決定戦第二十七位戦は俺の勝利で幕を閉じたのである。
……だけど。
その勝負に異を唱える声が上がる。
「……やっぱり、納得、いかない」
「……数寄屋さん?」
そう声を上げたのは奈美ちゃんを介抱していたおっぱい様である。
敗北を受け入れていた奈美ちゃんが戸惑った声を上げるものの、おっぱい様は未だに柳眉を逆立てたままで……
立ち上がった際に揺れ弾むそのG級モンスターに一瞬だけ目が奪われるものの、流石に怒り心頭の彼女を無視して眺める訳にもいかず、俺は全身全霊を込めてたわわに実った二つの宝玉から視線を逸らし、彼女の視線をまっすぐに受け止める。
「……佐藤和人、私と勝負して貰うわ」
「っ!」
「「「おおおおぉぉぉぉおお」」」
揺れながらそう告げられたおっぱい様のその声に、級友たちは再び野次馬モードへと切り替わっていた。
自分たちの授業や決闘については何も言うことはないらしい。
……しかし。
──連戦、か。
俺は身体の調子を確かめてみる。
ダメージはそれほど大きくなく、疲労も動きが鈍るほどではないものの……少しだけ精神的には疲れている感じがある。
……だけど。
俺はさり気なく正面に立つおっぱい様へと視線を移す。
──彼女と戦うなんて、彼女を傷つけるなんて、あのおっぱいに傷をつけることなんて、この俺には……
だけど序列を上げるには、序列二十六位の数寄屋奈々という存在は必ず乗り越えなければならない相手でもあり……
そうして俺が悩んでいるのに気付いたのだろう。
「……特殊ルール」
「ん?」
突然、彼女はそんなことを言い出した。
「……私は、これを使う」
そう言っておっぱい様が突き出すように前に出してきたのは……靴下?
……いや、違う。
靴下は靴下に違いないが、どうやら中には小石や砂が詰められているらしい。
──ブラックジャックっ!
遠心力と質量によって相手へと衝撃を与える武器である。
当然ながら後頭部へ直撃すれば、命にかかわることもある。
ただ、奈美ちゃんみたいな熟練の達人が扱うなら兎も角、走ることも得意でないおっぱい様の腕力じゃあまり恐ろしくもなく。
──それよりも、問題は……
素手で武器を持った相手を、怪我させずに取り押さえるとなると、ちょっとばかり骨が折れる気が……
「ちょい待ち。
幾ら師匠が武術を使うって言っても、素手対武器は……」
「武器を使って良いはあくまでも能力を補佐するものでは?」
「……ルール違反」
羽子・雫・レキの貧乳六つは俺の眉が顰められたのを勘違いしたらしく、おっぱい様に向かって不遜にもそう叫んでいた。
そう。
Aでしかない羽子が、G級という遥か格上の存在を怒鳴りつけるなど、身分を弁えないにもほどがある。
「……ええ。
その代り、和人は私に指一本でも触れれば勝ち、ということでどう?」
ただ、おっぱい様はその豊かさ故に寛大でもあらせられたらしい。
まな板三人娘の無礼をそう気にした様子もなく、そう告げる。
……って、ちょっと待て?
──指一本でも触れたら、勝ち?
その言葉が俺の脳裏を飛び回る。
──つまり、指一本でも触れれば良いのだ。
そして……それは何処でも構わない、訳で。
「その勝負、乗ったっ!」
気付けば俺はそう叫んでいた。
……何しろ、あの遥か手の届かないほど高い二つの頂きに、ようやく手が届くのだ。
──その餌をちらつかされた以上……この戦い、俺が飲まない訳がない。
事実、おっぱい様は見せつけるかのように胸を俺へと突き出している。
いや、元々ああいう形状で、今までは俺の視線を気にしてか無意識の内に猫背気味になり隠れていたのだろう。
それを解放するってことは……彼女はさっきの戦いがよほど納得いかなかったらしい。
その所為か、今のおっぱい様は怒りに任せて堂々と胸を張っているから……俺から見ると大迫力のその二つの膨らみは、まるで俺を威圧するかのように感じられる。
──ゴクリ。
その双峰を前に俺は、緊張と欲望を多分1対999くらいの割合で感じつつ、緊張で生唾を飲み込んでいた。
「なら、序列戦をもう一度執り行うけど、問題ない?」
今までの話には全く関わらなかったマネキン先生は、ようやく合意が整ったのを見て自分の出番だと理解したらしく、俺たちにそう問いかけてきた。
「はい」
「ええ」
その声に頷く俺とおっぱい様。
その顎の動きでさえ、彼女の二つの国宝にも匹敵する素晴らしきお宝は微かながらに弾み、俺の視線を釘付けにしてしまう。
「うわ、師匠、露骨やな〜」
「けど、気持ちは分からなくも……」
「……スケベ」
俺の視線に気付いた貧乳三人娘が何か言っているが、所詮は外野の戯言だ。
亜由美は絶望的な何かを認めたくないかのように自分の身体を見下ろしていたし、奈美ちゃんは何か歯を食いしばっているような雰囲気がある。
……だが、そういう目の端に映る景色も、今はどうでも良い。
「和人君は二連戦になるけど、異論はないのね?」
「……ああ」
確認するかのようなマネキン先生の声に、俺は少し苛立たしそうな声で頷いて返す。
正直、教師なんて……ただ邪魔だったのだ。
──俺が、あの頂きに、手を伸ばすのに。
「では、序列二十六位争奪戦。
序列二十六位数寄屋奈々対序列二十七位佐藤和人。
始めっ!」
そうして、マネキン教師の叫びと共に、本日俺の二連戦目が開始されたのだった。