小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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〜 5 〜


「……え?」

 右手を腰だめに構え腰を落とした俺に、おっぱい様は戸惑いの声を上げていた。

 ──正拳突きをただ狙う。

 ただそれだけの構えであり、読み合いや探り合いで優位に立っていた彼女が戸惑うのも無理はないだろう。
 ……だけど。

 ──もう計算もクソもないッッ。

 俺は心の中で叫んでいた。
 そう。読み合い探り合い駆け引きなんかでこの精神感応者に勝てる筈がない。
 だから……俺は、全てを肉体に委ねる。

 ──俺と共にこの数年間、今日この瞬間まで、おっぱいを求め続ける俺につきてきた、おまえを信じる。

 ただ、それだけを覚悟し、俺は拳を握る。
 ただ肉体が望むままに、精神が欲求めるままに、俺はただ右手をまっすぐに突き出す、それだけの構えを取っていた。
 ……そんな俺の構えをどう思ったのだろう。
 おっぱい様は軽く微笑むと両手から靴下二つを足元へと取り落とし。

「……まいった」

 ──は?

 あっさりとそう宣言してくれやがった。

「ちょ、ちょっと、何よそれ!」

 呆然と身体も思考も固まったままの俺に代わり、亜由美が大声で抗議する。
 実際、ギャラリーとしても拍子抜け以外の何もでもない展開だろう。
 ……いきなりセルゲームで主人公が降参宣言したような状況なのだから。

「幾らなんでもそんなのっ!
 幾らなんでもあり得ないじゃないっ!」

「……だって、ああして覚悟決められたら、勝てる訳ないもの。
 私は、所詮素人なんだから」

 眉を吊り上げた凄まじい剣幕の、しかも唾をまき散らしながらの亜由美の抗議を聞いても、平然とした態度を崩さず堂々とそう告げるおっぱい様。

 ──くっ!

 その声に俺は返す言葉も持たない。
 ……何しろ彼女は負けを認めているのだから。
 そしてそれは……俺の野望が崩壊したことを意味していた。
 そう。
 さっきまでは触れても『試合中の事故』で済んだのだ。
 だけど……ここからあの国宝に指一本で触れてしまえば、それはただの『痴漢』になる。
 あの至高の双峰を無理に触れて汚すなんて、我が国の国宝を盗んで行くのに等しく……それは死罪に相当するほどの重罪である。

「え? ギブアップでよろしいのですね?
 では、序列第二十六位戦の勝者は和人君ということで」

 おっぱい様のギブアップ宣言に、マネキン先生はそう告げ、序列戦が終わりを告げる。
 ……序列戦には確かに勝った。
 だが、しかし……この勝負には……。

「幾らなんでもそりゃないんじゃない?」

「しかも、一方的にギブアップするなんて」

「……非道」

 三馬鹿娘が言うとおり、こんな結末に俺も納得できる訳もなく……
 せめて一太刀は浴びせたかった……いや、せめて軽く触れるくらいはしたかったと拳を握りしめたところで。

「……分かった?
 勝てば良いってのは、こういうこと。
 ……名声も勝利の余韻も、負けた側にさえも何も残さないのよ」

 級友のブーイングや俺の悔しそうな顔に構うこともなく、まるで俺に説教するかのようにそう告げるおっぱい様。
 考えてみれば、彼女は……数寄屋奈々は先の戦闘で俺の勝ち方が気に入らなくて決闘を言い出したんだったか。

 ──ああ、こうして味わうと、よく分かる。

 俺は、序列戦には確かに勝った。

 ──だけど……俺は勝負には負けたのだ。

 目的を果たすのが戦いの本当の意味である以上……あの双峰に手が届かなかった俺は敗者で、俺に説教をするという目的を果たした彼女はやはり勝者と言える。
 ……そして。
 こういう負け方をした俺が納得できずにくすぶっていることも、恐らくは彼女の計算の内なのだろう。
 自分の評価を捨てて序列も捨てて、自分の胸に触れられるリスクを背負ってまでも、俺に反省をさせたかったというのは、逆を言えば名誉なこと、なのだろうか?
 まぁ、おっぱい様の場合……PSY指数がゼロという、この学校のシステムでは計れないESP能力の持ち主であり、その上超能力の試験は優秀だから、序列なんかに全く興味はないのだろうけれど。

「じゃ……保健室で湿布貰ってくる。
 ……たたた」

 どうやら靴下を全力で振り回した所為で腕を痛めたらしく、手首をさすりながら体育館を出ていくおっぱい様。
 逆を言えば、彼女がそうまでしても、俺に反省を促したということは……俺がよっぽど酷かったということである。
 去って行く数寄屋奈々の背中を見つめながら、俺はため息を一つ吐いて軽く反省をする。

 ──これからは勝ち方にもちょっと注意することにしよう。

 ……絶対に負けられない戦い以外では、ああいうのは控えるように。
 数寄屋奈々はそう伝えたかったのだろうから。

「さて、授業に戻ろうと思いますが……他に誰か序列戦を行いますか?」

 俺の二連戦を目の当たりにしたことで、B組の面々の、目の色が文字通り変わっていることに気付いたのだろう。
 マネキン教師は彼女たちの背中を押すかのように尋ねかけていた。
 どうやら……誰も彼もが身体の疼きを持て余すかのように、初めて触れる序列戦という玩具で遊びたがっているらしい。

 ──いや、もしかしたら。

 彼女たちは今日まで秘さなければならなかった超能力という力を、思いっきり使えるこの機会を楽しみにしていたのかもしれない。

「……ああ。アタシもやりたいと思ってたんよ。
 ええやろ、委員長?」

「はい、構いませんけれど」

 そう言いだしたのは序列二十二位の羽子で、二十一位の委員長も快諾し。
 二人は体育館のど真ん中で対峙していた。

「悪い、ちょっと休む」

 俺は隣で観戦モードに入っていた亜由美にそう一声かけ、二人の決闘が始まろうとしていたところから少し離れる。
 そして、そのまま体育館の壁際に座り込み、息を一つ吐く。

「……疲れた、な」

 肉体的な疲労やダメージより、一対一で対峙して決闘するということそのものが精神的な疲労を蓄積させるらしい。
 たった二度戦っただけでコレである。
 そして……俺はまだ二十五人も勝ち進んで行かなければならないのだ。

 ──前途多難、だな。

 俺はそう内心で一つため息を吐くと、気を抜いた瞬間ずしりとのしかかってきた疲労感にあっさりと屈し……

 そのまま目を閉じて眠りへと落ちて行ったのだった。


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