小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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 〜 5 〜


「さて、と」

 次は俺の番である。
 解説モードに入っていたスイッチを、首を左右に振って肩を動かし、両腕のストレッチを行うことで強引に戦闘モードに切り替える。

「ははっ。
 そう言えば、私が和人君と戦うのって初めてじゃない?」

 そう言って楽しそうに笑うのは俺と同じB組の吉良光だった。
 スレンダーな身体つきは、生憎とAサイズという彼女を「仕方ない・当たり前」という現実につなぎとめる楔でしかなく。
 その悲しいまでの貧しいバストを目の当たりにした俺は、同情によって萎えかけた戦意をテストの点数を頭に浮かべることで必死に立ち直す。

 ──正直、誰かに同情をしている余裕なんて、今の俺にはないのだから。

 そう俺が決意を固めて眼前の吉良光に視線を向けてみると……
 彼女も何故か、俺を睨んできていた。

「悪いけど、私は怒っているんだからね?」

 とは光が告げた言葉だった。
 生憎と彼女の顔は睨んでいても怒っていてもあまり迫力のある方ではないのだが。

「何か、俺が怒らせるようなこと、したか?」

「聞いたよ、風呂場での勝負!
 なんで私も誘ってくれなかったのよ!」

「……あ〜〜」

 その言葉に俺は、そんな声しか返すことが出来ない。
 何しろ、俺にとってのアレは……もう睡眠という月光蝶によって覆われた、遠い黒歴史の一幕なのだから。

「だから、私も必殺技を使わせてもらうから、悪く思わないでよね?」

「……あ、ああ」

 吉良光の剣幕に、俺はただ頷くだけだった。
 とは言え、ただ光るだけの能力者に負けるつもりなんてさらさらなく、適当にあしらってこの勝負を終わらせるつもりでいたのだが。

「では、両者位置について」

 俺たちの試合前の会話が一段落したと見たマネキン先生の、その声に俺と吉良光は二メートルほどの距離を置いて対峙する。
 ざわざわとやかましかった体育館が、シーンと静まり返る。
 この緊迫の一瞬が、俺の集中力を戦闘モードへと叩き上げる。

「序列戦二十五位争奪戦、始めっ!」

 マネキン先生の声が響き渡る。

 ──先手、必勝!

 今日のこの時間内に二・三戦くらいはしてやろうと思っていた俺が、先生の声が響くと同時に前に踏み込むために膝を僅かに落とす。
 その刹那。
 吉良光の右手の、人差し指と中指が俺の顔面へと向けられたかと思うと……

「魔貫光殺法〜〜っ!」

 一瞬で、俺の視界が……

 ……『焼けた』。

「目がっ、目が〜〜〜〜っ!」

 凄まじいまでの光量に網膜を焼かれた俺は、もはや名言ともなっているラピュタの正統なる王の叫びを発していた。
 と言うか、強烈な光に完全にパニックを起こしてしまい、叫ぶくらいしか出来ない。

 ──ヤバい。

 狩人ゲームで言うならば、毒怪鳥の閃光を喰らってしまい、必死に十字キーを叩いている状況だろう。

 ──せめて、ガードをっ!

 そんな混乱の最中でも、俺が一瞬で自分の状況を把握したのは訓練の賜物だろうか?
 俺は一瞬で姿勢を立て直すと顎を引き首を固め、太股を内股に締め、身体を折りたたみ腹筋を固め、両腕で顔面と金的を防ぎつつ身体に密着させて関節技さえも取らせない、完全防御体勢を取る。

 ──金的と顔面、内臓と間接技さえ防げば……

 そう読んだ上での防御態勢だったのだが……
 ……しかし。
 吉良光の狙いは、全く別のところにあったのだ。

「くらやぁっ!」

 そんな叫びと共に、俺の身に訪れたのは打撃でもなければ絞め技でも関節技でもない。
 ただ、ヒヤリと下半身が……

「うわぁ」

「ひでぇ」

「……うそ」

 それと同時にギャラリー連中からざわめきが上り始める。
 そんな中、ひときわ大きな声が体育館に響いていた。

「あの下着、なんてエロいんだ!
 まるで、赤い褌じゃないかっ!」

「……いや、そのまんまやん」

 叫んだのは舞斗のヤツで、突っ込んだのは亜由美だろう。

 ──畜生、やられたっ!

 そう。
 吉良光の狙いは、打撃技でも金的でも関節技でも投げ技でもなく……
 ……俺の、ズボンだったのだ!
 アホなことを口走った舞斗のヤツは、後でぶん殴るとして……

「な、何よ、それはっ!
 千載一遇のチャンスがっ!」

 やっと視力が戻り始めた俺が見たのは、俺の下着を見つめる吉良光だった。
 その彼女の表情と、その叫びによって俺は今更ながらに気付いてしまう。

 ──彼女の狙いは……俺のズボンなんかじゃない。
 ──コイツは……俺のパンツまでもを狙っていやがったんだ!

 そう理解した瞬間、あまりの恐怖から俺の全身に震えが走る。
 もし、今日……下着が全滅していなかったら。
 もし、今日……着古したトランクスを裏返してミカン汁という奥義を使っていたとしたら。
 もし、今日……そんな無意味な仮定を延々と考えてしまうほど、凄まじい恐怖で、俺は未だに指先から痺れが取れない有様なのだ。

「……褌がなければ、即死だった」

 俺は、愕然とそう呟く。
 その言葉には欠片の嘘もない。
 トランクスのゴムの張力では彼女の脱がし攻撃に対しての防御は期待出来ない。
 もしも今日、パンツが壊滅状態であり、緊急回避手段として手持ちの褌……曾祖父が仕立ててくれた覚悟の白と情熱の赤の二色モノ……縁起担ぎの意味もあったかもしれないそれらを運良く穿いていなかったなら……

 ──俺は、確実に死を迎えていただろう。

 ……勿論、死とは社会的に、ではある。
 敗因・モロ出しなんて……男としての矜持は死んだも同然だ。
 それでも、こんな公衆の面前で致死性の一撃を容赦なく放ってくる吉良光という少女の、勝利への、いや、エロスへの探求心を尊敬すると共に……
 それ以上に、自分の能力の低さを理解した上で、良く知られている太陽拳という周囲拡散技ではなく、魔貫光殺法という一点集中技を選択したその知力に……

 ──俺は、全力で敬意を表しっ!
 ──だからこそ、手は抜かないっ!

 俺はズボンを引き上げてから気を取り直すために一つ息を吐くと……
 カッと正面を見据え、俺は叫ぶ。

「喰らいやがれっ! 俺の新・必殺技っ!」

「ちょ、ちょっと〜〜っ?」

 俺の特攻に光を放つ以外の戦闘力を持たない吉良光は戸惑いの声を上げるが、そんなの知ったことかっ!
 俺は人差し指と中指の二本だけを突き出した拳……蟷螂拳みたいな拳を作り、吉良光へと大きく踏み込む。

「これぞ、我が奥義、紐切りだっ!」

 叫びながら、俺は彼女の肩口へとその指を突き立てる!

 ──決まったっ!

 俺は指先の感触に、思わず内心でガッツポーズを作っていた。

「きゃああああああああああああああ!」

 少しだけ遅れて響き渡る、吉良光の悲痛な悲鳴が、俺の新奥義が完璧に決まったことを知らしてくれていた。
 ……彼女が悲鳴を上げるのも無理はない。
 何しろ俺の指先は彼女の体操服ごと、その下にあったブラの肩紐を、その金具ごと引き千切っていたのだから!
 まさに必殺の技である。
 とは言え、Aの吉良光が相手ではあまり面白みがある訳もなく。

「……勝利の後はいつも空しい」

 悟ったような声でそう呟くに留める。

「アホ、か〜〜〜〜っ!」

 ……そんな俺を待っていたのは、亜由美の空中胴回し回転蹴りだった。

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