小説『π>ψ』
作者:馬頭鬼()

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「これが、今日からの、俺の、住処か」

 寮を前にした俺は、とりあえず呟いてみる。
 ちょっとだけ格好を付けてみた訳だが、あまり似合ってないことは自分がよく知っている。
 まぁ、周囲に誰も居ないことだし、それに人生初の一人暮らし(寮生活)だし。
 我ながら、ちょっと浮かれているのかもしれない。
 寮は校内と同じく非常に綺麗だった。
 レンガ造り風の六階建ての建造物で、要らん金をかけて大正浪漫の鹿鳴館ってな感じを醸し出している。

 ……いや、鹿鳴館って何かは詳しく知らないんだけど。授業で習ったような、アレは確か明治時代だったか?
 とは言え、完全バリアフリーという近代っぽさも兼ね備えている辺り、そしてそれが寮の雰囲気を損ねていない辺り、非常にデザインにも金をかけているような……

 ──っと、いつまでも玄関を眺めていても仕方ない。

 俺は観音開きの年代モノっぽいドアを開いて寮内へと入る。
 すると、そこには指紋照合式のオートロックのガラス張り自動ドアが。

「……外のレンガ造り風は一体なんだったんだ?」

 自動ドア横にある検知器に指を突っ込みつつも、思わず口に出して呟く俺。

「お。ちゃんと届いているな」

 玄関には段ボールがいくつか並んでいて、その中の一つに俺のサイン入りの温州ミカン箱……つまりが俺の荷物があった。
 箱の中には下着数枚と音楽プレイヤー一つ、そして普段着が五着というラインナップだ。
 ま、制服は支給されるらしいから、特に困ることもないだろう。

「さて、と。やっぱり、凄いなこりゃ」

 段ボールを抱えて歩きつつも周囲を見渡し、思わず呟く俺。
 新設校だけあって玄関回りから廊下も凄まじく綺麗だった。この廊下を走っている赤い絨毯、金糸の刺繍がしてあるんだけど、無茶苦茶高いんじゃないか、これ?
 この国はどれだけの国民の血税を超能力関連の予算につぎ込んでいるんだろう?

「おっと」

 廊下を歩いて絨毯の感触を楽しんでいたら、玄関口に張ってあった部屋割り表を見逃すところだった。
 慌てて引き返し、玄関の掲示板に張ってある部屋割りに目を向ける俺。
 寮全体は四階建てで、全校生徒が二十八名の学校とは思えないほど広く、その中で、えっと、俺の部屋は……二二八だった。
 気になって隣の部屋割りを見てみると、そこには数奇屋奈々って名前が……

「って、ちょっと待てい!」

 その非常識な部屋割りに俺は思わず叫んでいた。
 もしかして、男子寮とか女子寮の区別すらないのだろうか、この学校は。
 ……それは色々と問題あるだろう。倫理的とか道徳的とか。
 ま、実際の話、超能力者相手に夜這いかけるなんて自殺行為をするヤツはいないって踏んでいるんだろうけど。
 もしくは、単に予算の都合かもしれない。

 ──男子、少ないみたいだし。

 と言うか、その隣が音無奈美って。
 んで、その両端の部屋割を見る限り……どうやら二階には俺たち三人しか住んでいないようだった。

「ESP能力者(と思われる人物)を隅へ追いやったってことかよ、いい加減な」

 そうぼやく俺だったが、無駄に権力に対して楯突いても……あまり良いことはないだろう。
 あの素晴らしい眺めを毎日見えるからもしれない部屋割りには、俺としては異論なんてあるハズもなく。
 ただ、学校側のいい加減な姿勢はちょっとだけ気に食わない。俺はため息を一つ吐くと、残っていたこの学校への期待を全部吐き出し、段ボールを抱えたままとっとと自分の部屋に向かうことにする。
 階段を上ろうとすると、隣には身障者用の施設にありがちの大き目のエレベーター。

「どこまでムダ金かけてるんだ、この学校は……」

 四階建てだからエレベーターは必要かもしれないが、こんな大きなヤツが本当に必要なのだろうか?
 一度、この豪華なエレベーターに乗ってみたい気もしたが、たかが二階へ上がるのにエレベーターを待つのもバカバカしい。
 そう判断した俺はとっとと階段を駆け上がる。
 別に運動不足でもなかった俺は、息を切らすこともなく自分の部屋の前に立った。

「これが、俺の部屋、かぁ」

 一人暮らしの感慨に浸りつつ、そう呟いた俺は、そのまま自分の部屋の周囲を眺める。二階の壁際から一つ隣の部屋だ。
 両隣りには俺の部屋と同じサイズ、同じデザインのドアがあり……
 えっと……これ、隣には、あの、素晴らしいおっぱい様があるんだよな。
 その隣には奈美ちゃんが生着替えしたり昼寝したり。
 う〜ん。こういうのって、やっぱ問題あるよな〜。
 なんて俺がドアの前で唸っていた時だった。

「……思春期に生じる心の揺れが、超能力にどんな影響を与えるかの実験らしい」

 左の部屋からいきなり声が。振り向くとそこにはおっぱい様のお姿が。
 私服に着替えたのだろう。ダークブラウンのワンピースで、暗めの配色で全体的に細く見せるのを意図しているのかもしれないが……
 一言で言うと、完全に失敗していた。
 他の部分が細く見える分、その神聖なる芸術も、また目立つので……

「……コホンッ!」

 彼女の咳で我に返る俺。
 おっと。今は彼女の芸術品を評論している場合じゃないな。
 それより優先すべき、また聞き捨てならない一言を。
 ……実験って何だ?

「……ええ。あの女教師……三七歳独身、彼氏の居た経験なし。男性経験皆無。
 キスしたことすらなくて、そろそろ若々しい学生の恋愛なんて見たくもなくなっている、あの女教師はこういうのには反対しているみたいでしたが」

 えっと。そのプロフィールってのは何処から調べたんだろう? 
 多分、一日中心の中の声を聞き続けたら、そういう感じに相手のプロフィールを理解するくらい簡単なのだろう。
 俺だって何かある度、過去の経験を思い出して心の中で呟くくらいはするし。
 そう考えると、精神感応者って存在がどれだけ恐ろしいかが良くわかる。
 何せ、プライバシーもへったくれもありゃしないのだから。

「……失敬な」

 奈々の呟きによって、俺はまた内心を読まれてしまったことを知る。
 ただ、内心を読まれても……考えていることはおっぱいのことだけであり、彼女にとってその思考はセクハラ寸前……つーか2アウトでストライクを二つ取られたレベルの、そろそろチェンジ気味の内容ばかりを考えている俺を、それでも許してくれているみたいだし。
 心が読まれてもまだ接してくれている辺り、彼女って実は良い娘なのかもしれない。
 いや、それ以前に、俺はこの二つの至高の芸術を見られるだけで、十分だろう。
 ルーベンスの絵を見るためだけに、ネロは命を賭けたんだ。
 脳内思考を読まれる程度でこの芸術を拝めるんだったら、たかが思考を読まれる程度、それほど惜しくも……

「……そんなことより、荷物を部屋に入れたらどうですか? 学生証か指紋照合で部屋の鍵は開きますよ」

 確かにおっぱい様の言うとおり、そろそろ手が疲れてきたのも事実だ。俺は指紋照合とやらでドアを開くと、手にしていた段ボールを無雑作に室内に放り投げる。

「あ、そうだ。奈々、寮内を見て回らないか?」

 ふと気が向いたので、隣の部屋の少女を誘ってみることにした。
 ま、内心を読まれるのはちと勘弁して欲しいのだが、それでもこの絶景は捨てがたい。今はまだ眺めるだけでおなか一杯だけど、もっと進みたくなるかもしれない明日のために、まずはジャブの練習から。
 いや、まぁ、ちょっとでも仲良くなれれば……あ。

「……下心満歳なのは御免です。いきなり押し倒されるかもしれませんし」

 俺はそんなことはしない! 今は見るだけでお腹一杯だ!
 ……と、俺は抗議しようとしたんだが、既におっぱい様は天岩屋戸にお隠れになってしまわれた。
 また要らんことを考えてしまったのだから、仕方ないのだろう。
 だけど、ここでアメノウズメよろしく踊りだすのも流石に気が引ける。

「……ま、いいか。さっさと室内を片付けるか」

 結局俺は寮内探検よりも自分の巣作りを優先することにした。
 大きな巣を作らないと、ドラゴンでも嫁を貰えないご時世である。

「しかし、豪華だな、こりゃ」

 室内はベッド、机、本棚、衣装棚が六畳くらいのスペースに適当に配置されている。
 部屋にはプラズマっぽい、綺麗で大きいテレビまであるし。かなり贅沢だ。
 カーテンは白のチェック模様。カーテンの向こう側にはベランダがあった。
 せっかくだからということで、別に赤くもないドアを開きベランダに出てみる。
 そろそろ昼時ということもあって日当たりは悪くないが、少し狭いのが気になった。
 本当に洗濯物を干すためだけのベランダのようだった。
 加えて文句を言えば、正面に見える体育館。
 あそこからだったら……寮内丸見えじゃないか。

「っと。全部の部屋が同じ構造みたいだな」

 左右のベランダとの間にはしっかりと仕切りがあって……隣の部屋……特に左にあるおっぱい様がいらっしゃる部屋への侵入は難しそうだ。
 いや、俺も伊達や酔狂で古武術をやっている訳じゃない。このくらいの仕切り程度、ちょっと気合をいれたなら……
 なんてことを考えていたら、部屋からひょいと奈々が顔だけを出した。

「……夜這いは禁止」

 ……ぐ。心の声は隣の部屋まで丸聞こえってことかよ。
 仕方なく俺は部屋に戻り、バッグを開くと衣装棚へ適当に押し込めた。

「昼食までは……まだ、三十分はある、か」

 もうやることもない。こういう場合、寮内を見て回るのがセオリーなのだろうが、色々あった所為か、動く気力すら出ない。
 俺はそのままベッドに寝転ぶ。

 ──やっていけんのかな、俺、この学校で。

 俺は内心でそう愚痴っていた。
 何しろ、いきなり超能力者とやらの集団に放り込まれたのだ。
 しかも、サブリミナル効果によってこの学校に集められたということは、自らが超能力者であるという自覚がある人間ばかりが集まっているってことだ。
 自覚がなければ、無意識下に訴えても意味ないんだろうし。
 なのに俺はただの一般人で、それほど人に誇れるものがある訳でもない。
 一応、曽祖父から古武術なんて習いはしたが、それも達人とかには程遠い。
 しかも曾祖父の教えの通り、正直者として生きたいというのに、その超能力者の集団の中で、俺は超能力者であるという嘘を吐き続けなければならないのだ。

 ──従姉妹の言うとおり、この学校……やめておいた方が良かったかも。

 今更ながらに頭の中で退学届けの文章を練りつつ、俺は目を閉じる。
 その瞬間。
 入学やら何やらで疲れ切っていたのだろう。
 身体が地面に引っ張られるような感覚と共に、俺の意識はあっさりと闇に飲み込まれていったのだった。

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